[ヴェレ解] いかないで、が言えないひと
平日の午前11:00。同い歳くらいの少年少女は学業に勤しんでいるであろうこの時間に
ベッドの上で伸びをしながらふあぁと呑気な欠伸をする17歳の少年がいた。
私服に着替え眠たげに目を擦りながらリビングの扉を開けると
「おはようございます、主」
透き通るような中性的な声が彼の耳をくすぐった。
ラリマーを溶かしたような艶のある細い髪が日に当たってきらきら光る。
人形のように整った顔立ちの従者はテーブルにことり、と白く浅い陶器の皿を置いた。
「今日は良く眠れましたか?」
白い皿の上にはレタス、その上に焼きたてのトーストと半熟の目玉焼き。
端には可愛いタコさんウインナーが2つ。
「デザートにバニラアイスがありますので朝食を食べ終わったら出しますね。」
にこりと笑みを浮かべる完璧な彼女に
眠たげな少年はううん、と一言。
「今日は要らないかな。僕今から出かけるし」
「それはそれは……どこにお出掛けで?ご一緒しましょう」
「ううん、今日は一人で行くんだ。兄さんに会いに行ってくる」
……従者は笑みを崩さなかったが、ぴりっ、
と 空気が軋んだ気がした。
従者は酷く嫉妬深い性格だった。自分抜きで愛する主が自分以外の相手に会いに行くのが耐えられない。
胸の深いところがひりつくような気がした。
主に兄と呼ばれたその人に、
他人に、主を取られるかもしれない。
自覚はないがそう思ってしまったのかもしれない。わからない。ただ好ましくない、嫌な感覚だ。
ここだけの話、主と呼ばれるその少年はこの上なく美しく完璧な従者から離れる気は毛頭、一切、ほんの少しも、ないのだが。
ただそんなことを知らない……否、知っていても不安を取り除けない従者は
ただ静かに、さっきよりもほんの少しだけ冷たい笑みを浮かべる。
主が決めたことに文句を言う訳にも行かず、
そっと口元に手を添え、
ただ貼り付けたような笑みを浮かべながら困った様に浅く首を傾げるのだ。
鈍感な主は従者の不安に気づかない。
「何時頃にお戻りになりますか?食べたいおやつ等はございますか?」
「おやつの時間には戻ってこられないかな」
「では夕食は何に」
「食べてくる」
少年はリビングの扉を開け玄関へ続く薄暗い廊下を歩いていく。
珍しく早足で後ろを追いかける従者は
「では、」と言葉を続けた。
「今日の夜は面白い映画が放送されるそうです。大ヒットしたものだとか」
「録画しといてよ、明日一緒に見よ」
「今日は一緒のベッドで寝ましょうか。主がしたいこと、何でもしますから」
「今日はそういう気分じゃないかな」
これ以上言葉が見つからなかった従者はぴたりと足を止め、靴を履いてトントンと爪先を鳴らす主の背を見つめる。
「夜中になる……とかはないと思う。22時頃には帰って来るよ」
従者にベタベタな主は珍しくいつものハグもキスもすることはなく、
最愛の人の顔をまともに見ることもなく、
振り返ることもなく玄関の扉のレバーに手をかけた。
胸に鋭い冷たさが走った。
一つ遅れて痛みと焼かれるような熱さが走り
ぽたりぽたりと落ちた深い赤が地を染めた。
こぽ、と血を吐いた少年はそのまま地に崩れ落ちた。
急所を深く刺されてヒュウヒュウと細い呼吸音がする。
霞む視界と冷たくなる指先、何よりも慣れ親しんだ死を感じながら少年は小さく
「なんで」 と言った気がした。
少年が死んだのを確認した従者は血のついた包丁を手放した。
カランと地に落ちたそれを視界に入れることもなく、
ただ少年の近くで膝を折り小さく蹲った。
今、何故主を殺してしまったのか。従者には自分の感情がよくわからなかった。
ほんの少しだけ荒くなった呼吸と、動かない心臓が、鼓動が、どくどくと脈打つ様な錯覚に陥った。
さっきの胸のひりつくような感覚ほど嫌ではなかった。
今日はわからないことだらけだ。と、
酷く落ち着いた真っ白な頭で思った。
今従者にわかるのは口角が上がっていること、自分が笑っていることだけ。
小さく震える指先が力なく眠る少年に触れ、
そっと抱き寄せ肋が折れるくらいに強く強く抱きしめた。
「ごめんなさい、主」
「こんな、こんなつもりじゃなかったんです」
謝罪の言葉と裏腹に酷く嬉しそうな声で独り言を呟く従者。
「嗚呼、今日はもう何処へも行けませんね、主」
「目が覚めたばかりなのに申し訳ありません、ゆっくり休んでください」
「汚れた服も床も全て綺麗に戻します」
「そして願わくは……今日のことも忘れてください」
「おやすみなさい、愛しています、主」
小話 伽月 @xxx_xa
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