オモイ⇔コトバ

佐渡 寛臣

想いと言葉

「――嫌です」


 私がはっきりとそう答えたのは、まだ冬の寒さが残る緑地公園の芝生の上でした。冷たい風が寒がりの私にはとても辛くて、思わず隣に座る彼にぴったりと引っ付く。

 答えを聞いた彼の顔は、一言で言えば顔面蒼白と言えたかもしれません。でもそれは私にとっては自業自得のことなので、返事の返事に窮する姿をただ眺めるだけにしておきました。

 だって、仕方がないじゃないですか。


 ☆ ☆ ☆ ☆


 凧あげがしたいです、と言ったのは彼女の方で、おもちゃ屋さんで正月の売れ残りを買ってきたのは僕。緑地公園を選んだのは彼女で、車を出したのは僕。

 そして、ぐんぐんと空へ上っていく凧を見上げたのは僕たち。糸が切れて、空高く舞い上がり、遠くへ消えていくのを見送ったのも僕たち。


 ――結婚でも、しようか。と言ったのは僕。


 ――嫌です、と答えたのは彼女。


 あまりの即答っぷりに、僕は何も答えを出せずに固まってしまう。

 冷たい風が吹いている。さっきまではそれほど気にならなかったのに、何だか今はとても冷たい気がする。

 だからか、彼女が不意に僕の身体にぴったりと引っ付いて体重をかけてくる。僕の頭は、彼女の言葉と、彼女の態度の不一致に、ぐらぐらと揺れ始める。

 嫌、なのに?


 ☆ ☆ ☆ ☆


「返事に対して、質問がありませんね」


 ややあって、私は少し体重を預けて、そんな質問を投げかける。こんなに態度に示しているのに、あなたは相変わらず言葉にしないと分かりませんね。それとも私は少し、意地悪をしているのでしょうか。


「――いや、嫌なんだ……って思って。びっくり……して」


 私はわざとらしいため息をつきます。なんで納得しちゃいますか。顔を覗きこんでみると、視線は地面をじっと見つめていて、私の方に見向きもしません。そんな彼を見ていると少しだけ膨れ面になってしまうのは仕方がないでしょう。

 目の前を子どもが駆けていきます。家族が投げたフリスビーを追いかけて、一生懸命に白い息を吐いていました。そんな子どもを遠くでお父さんとお母さんが微笑ましく眺めています。

 いいな、と思う。きっといつもなら、二人でいいね、って思っていたと思います。


 ☆ ☆ ☆ ☆


「――誤解……しそうだから、きちんと言葉にしますよ」


 そんな彼女の言葉に、そういえば、慣れてくるとお互い言葉にするのを忘れてしまいがちだよね、と話したところだったと思い出す。


「私は、一番、好きな人としか引っ付かないんです。スキンシップはその人だけって決めているんですよ。ずっとね」


 そういって、腕に手をまわして言う。僕は彼女の言葉に頷いて考える。それは概ね僕も一緒だ。きっと触れ合うことは必要最低限でいい。心は手のひらに募るのだと、何となく信じているからだ。

 だから今、僕も彼女も、互いに触れ合うことを許している。


「私があなたと引っ付いてから、もう随分と経ちましたよね。お互い、そういう意識をする年齢にもなったと思います」


 そう、もう随分と長く、二人でいた。僕はもう、君だけだと思っているし、その確信に間違いはない。

 間違いない、はずなのだ。

 真っ直ぐと、向けられた視線を逃がしたくなくて、僕はじっと彼女を見つめた。


 ☆ ☆ ☆ ☆


 彼の目が私を捉えて、私は少し緊張します。呼吸を整えるくらいはいいですよね、心の中で呟いて、私は大きく息を吸い、彼を見つめて言いました。


「――私は、ちゃんとあなたに最高の答えを用意しています」


 だって、私はもう、あなただけだと思っていますから。そう言いたくても、さすがにそれは口に出来ず、私は言葉を飲み込む。ほろ苦い、言葉の味に何だか恥ずかしくなって、言葉の続きを私は紡げずに俯いてしまう。彼は少し、申し訳なさそうに眉を顰めて私に視線を投げた。

 手を芝生の上に置く。柔らかな土の感触を感じながら、もう一度、身体の体重を彼に預けます。あぁ、私はたぶん、ずるいことをしているな。


「あぁ、僕は本当に駄目なやつだね」


 彼はそういって苦笑いをする。


「――それはもう、本当にそうです」


 そう思って、笑えるくらいなら、きっと五割くらいの気持ちは伝わったのかな、と期待します。


「君はよく、言ってたね」


 彼の手が私の身体を引き寄せて、彼の身体が近くなる。少し低い、小さな声は二人にしか届かないくらいの声だった。


「言われて手のひら返すような言葉なら、初めから口にしない方がいいって」

「はい」


 噛み砕いて言わせてもらえば、醜い言い訳だけはしないでください、ということ。自分に出来るかさておいて、あなたが私に話すときは、そうであって欲しいくらいは望んでいます。出来るかどうかはさておいて。


「――結婚でも、なんて言い方はないな」


 そういって、彼は笑いました。


「ないですよ。そんな言い方。なしなしです」


 私も笑って彼に引っ付きます。そうですよ。あなただけの私に、それは失礼ってもんですよ。


 ☆ ☆ ☆ ☆


 彼女が笑う。相変わらず、変な子だ。そこは怒るところでもよかったんじゃないのかい。

 君が嫌だったこと。

 気付けば単純な言葉の間違い。いや、これは僕の心の間違い。

 上手に凧を飛ばす、君の姿が頭に浮かんだ。何だか、僕は凧みたい。一人舞い上がって、地面も見えないくらいにふわふわして。


「今度、桜を観に行こう」


 僕は唐突にそういった。本当はなんだってよかったけれど、僕はふと浮かんだ、君と見たいものを口にしていた。


「――ここの公園の遊歩道、桜がとても綺麗に咲くんですよ」

「じゃあ、また春になったらここに来よう」


 彼女がすっくと立ち上がると僕の手を引いて立ち上がらせる。抱きつくみたいに腕を絡ませて、強引に歩き始める。


「今度は、きちんと用意してきてくださいね」


 真っ直ぐ前を見たまま、彼女が言う。横顔は髪に隠れて見えないけれど、小さな耳が真っ赤になっているのが見えて、僕はくすりと笑った。

 僕が、君だけであるのと同じように、きっと君ももう僕だけに決めていたんだね。

 ――大丈夫、もうそれが分かったなら大丈夫。

 もうしばらくすれば春が来る。

 そのとき、今日の答えあわせをしようね。

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オモイ⇔コトバ 佐渡 寛臣 @wanco168

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