脱ぎ忘れた片方の靴

 0番ホームには、無人の電車を待つ人影。

 老人は、黄色い線の上に立っていた。大学へと向かう二人の姿を見届けた後、この0番ホームへとやって来たのだった。

 0番ホーム。現実には存在しないホーム。

 0は「人間はやがて無に帰る」という意味を持っており、その無は0であり自然であり、次への生まれ代わりの出発点となる場所であるとされているのだ。

 ここは、空虚的な0地点であるのだった。

 しわのある手には桜の花びらが握られていた。来世への切符である。

 来世へ転生する前に、この世に降りることができる制度が、あの世にはある。やり残したことを、転生する前にやり遂げるためであった。この老人もまた、そんな理由だった。

 老人の息子の孫である二人を自分と向き合わせるために、盲目の男性としてここへ訪れたのだ。自分に盲目な二人の視界を、切り開くために。

「この世に降りた甲斐があったかの」

 強い風が吹いてどこからか姿を現した桜の花びらが舞う。

 それを合図とするかのように、老人の左側から運転手のいない電車がやってきた。この電車の終着点では、切符が必要になる。

 来世への切符を握り締めた老人は、目を閉じて深呼吸をした。先程よりも強い風が吹いて桜がそこら中を駆け回る。

 老人の乗り込んだ電車は、桜の花びらに包まれるようにして姿が見えなくなっていく。

 次の瞬間の0番ホームにはもう、誰の姿もなかった。

『また来世でな』


                              

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来世への出発駅は0番ホーム 紫吹路莉 @awa_sumie

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