ある日帰宅途中にラディカンスペルクと遭遇した吉川善一。突然の出会いに狼狽する彼だが、結局吉川は言われるがままラディカンスペルクを家に上げ、リリアーヌと名前をつけてそのまま暮らすことに。
ラディカンスペルクとは何かと言われればラディカンスペルクとしか言いようがないのだが、強いて言うならば名状しがたい知的宇宙生命体である。
というわけで、本作はラディカンスペルクと人類の同棲ものである。最近のラブコメでも流行りつつあるジャンルだ。最初はラディカンスペルクと一緒に映画を見たり、料理を作ってもらったりとほっこりする日常が描かれていくのだが、だんだんラディカンスペルクの強大な力を使えば色々なことができると吉川が気付いてからが話の本番。
社会的にそういうことをしてしまうのはどうなんだという展開も通過した上で、物語は意外な結末へと突入する。
しかし、触手や繊毛が生えていて口や目がいっぱいあるらしいラディカンスペルクだが、その独特の思考法も相まって、読んでいる内に非常にキュートで可愛らしい生物に思えてくるから実に不思議である。吉川による「リリアーヌはぐろぐろと美術館めいた猛笑を浮かべた。」みたいな意味が分かるようであんまりわからない独特の比喩表現も実にいい味を出していて、ラディカンスペルクの可愛さにますます拍車をかけていて素敵だ。
(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=柿崎 憲)
夜の住宅街、偶然にも「ラディカンスペルク」と遭遇してしまった男性が、なんやかやあってそのまま同棲を始めるお話。
SFです。ひとりの男性の元に突如舞い降りたとてつもない何か。地球外生命体、といいますか、もう認識すらぶっちぎって何もかもを超越した上位存在との、心温まる交流の物語。いや「心温まる」というのはちょっとミスリード気味というか、嘘ではないにせよでも温まる以上に肝が冷えるようなところがあって、つまりある意味ホラーっぽい側面もあります。人の抱える根源的な恐れ。あるいは、曰く名状し難き何かに覚える恐怖のような。
その恐怖の表現の仕方、というかラディカンスペルクに関する描写の仕方が好きです。文章そのものは主人公・吉川善一の主観に沿った一人称体で、だからこそ可能な芸当なのですけれど、ところどころで文章が明確におかしくなるんです。
いわゆる「バグった」ような狂い方。この症状は決まって「ラディカンスペルクに関して描写しようとしたとき」にのみ発生しており、これが理解不能な存在に対するゾッとするような恐れをそのまま書き表すと同時に、彼らがどういう存在かを端的に示してもいる。この感覚、感性そのものが魅力というのもあるのですけれど、でもそれがこうまで映えるのは、やはり主人公のキャラクター性あってのこと。
単純にこの吉川さん、これだけとてつもない存在に遭遇していながら、恐れも怯えもしていないんです。どこか投げやりというか達観しているところがあって、だから普通に同棲までできてしまう。そういう性格、と言えばそれまでなのですけれど、でもそこにしっかり理由があって、しかもそれがきっちりお話の筋に食い込んでいること。単に人物の個性というだけでなく、「彼だからこそこの展開なんだ」というのがちゃんとわかる、このキャラクター性と物語の連結が本当に魅力的でした。なるほど、と納得させられてしまうすごい力。
この先ネタバレを含みますのでご注意ください。
逆説、この説得力がなければまず無理だったであろう結末が好きです。本当に地球を握り潰すかのようなブラックな終幕。彼ら以外の人々にとっては最悪の悲劇のはずが、でも読者の目線では全然後腐れなくハッピーエンドしている、という事実。なにこの魔法。
これはかなり個人的な趣味の入った解釈になるかもしれませんが、ある意味ではこのお話、実はある種のお伽話の王道に近いというか、ヒロインの呪いを解く物語としても読めるんですよね。身を呈して彼女を庇うこと、つまり愛ゆえの行動が鍵となり、美しい姿へと生まれ変わる彼女。さっきまで恐怖の表現だったものが、でも実はもっともっと強い仕掛けのためのものだったと、この時点で完全にノックアウトされました。
これはすごい……一直線に滅びに向かう最後も、でもだからこそこれ以上のハッピーエンドはないと解釈できてしまう。地球を握り潰して手に入れた幸せ。「恐怖」と「愛」をしれっと同じところに据え付けてみせた、怪作かつ王道の物語でした。最後の「病気みたいに精神を不安定にさせて」という表現が最高に好き!