コープ共済は60歳までに見直せ

 前回から半年以上も空いてしまった。

 良い意味でいろいろ終わった前回から、書くことがなくなったのかと言うと、実はバタバタしていて去年に受けているはずの私の下肢内視鏡の検査も、大腸癌の検査も未だに受けられてないありさまだ。


 2021年の暮れ滋賀県大津市の裁判所である判決が出た。

 親の遺体を自宅で遺棄していて逮捕された男性の判決だった。

 年金をだまし取る意図はなく、別れが忍びなかったと言う被告の主張を判決は認めたのだ。

 一瞬、そんな話が通るのかと違和感を感じるが、何度も温情判決が出されていく中で、いつまでたっても立法も行政も根本原因に手を付けないことに、判事もうんざりとしている様子すらうかがえる。

 報道されていないので件の家庭が、在宅介護だったかは分からない。

 分からないけれども話の都合上いくつかの条件を想像する。

 それが温情判決の根拠になりうるのだから。


 被告の高齢男性は、今回遺体で見つかった高齢の母を在宅で介護していたとする。

 家は賃貸ではなく持ち家とする。

 被告の高齢男性は俗にいうシングルケアラーだったとする。

 今回の事件が起こった事と、温情判決が出た事でそれらの条件は満たされていると思うが、想像は想像でしかない。


 これまでの同じ死体遺棄事件を見ても、大きな原因の一つが、介護者が介護を終えた後の社会復帰のサポートシステムが全くない事にある。

 そもそも要介護者には保障があっても、介護者には保障と言うものが全くない。

 コロナ禍で介護者が感染者だった場合はどうなるのかという話が全くでなかった通り、何にも考えてないのだ。

 地域包括に丸投げされても、武器を与えられていないので何もできない。

 そんな状況下で政府は社会保障費削減のため在宅介護を推進して、介護者の負担を増やしている。

 本来お金が動く経済活動の一端を、家族だと言う根拠で政府が無償で使っているのである。

 介護負担を数値化する事もせずに、青天井にだ。

 残業でも上限はあるのにだ。


 70代の女性が仕事をしながら三人介護していて、最後は全員を殺害してしまった事件があった。

 肉体と精神を病んでもおかしくない介護負担だったと思う。


 政府が在宅介護を政策として旗を振っている以上。

 また、在宅介護が理由で介護離職者が出ている以上。

 旗を振っている政府は何らかのセーフティーネットを張らなければならない。

 離職に落ちて介護をしている介護離職者の生命線が、介護している親の年金だからだ。


 介護している親が亡くなったら介護が終わるわけではない。

 手続きや埋葬を始め、様々な後始末が続くのだ。

 もちろん手続きを決めているのも政府だ。

 介護者が死亡して年金が打ち切られた後、介護離職者は生きて行けるのだろうか。

 答えは言わずとも想像がつくだろう。

 だから温情判決が出るのだ。


 家が借家だったら生活保護が出るかもしれない。

 でも、家賃を払っていて在宅介護ができるだろうか。

 おそらくは介護離職の時点で、生活保護世帯になっていると思う。

 ドキュメントで見たいくつかの世帯はそうだった。

 生活保護を受けずにぎりぎり在宅介護が出来るのは、持ち家だからなのだ。

 でも、持ち家で生活保護の現金支給は無い。

 医療費免除とかはあっても、根本的に食べられないのだ。

 持ち家で介護離職をして介護して看取った後は、餓死するしかないのだ。

 介護が終わったので今家を売って今日から賃貸に入りますと言う訳にはいかない。

 不動産屋の多くは仲介であって買い取ってくれる訳では無い、買い手が見つからなければ一円にもならない。

 そもそも地方で古い家屋が乗った土地が売れたとしてもいくらにもならないし、2022年問題で土地はさらに暴落すると予想されている。

 そして介護を終えた高齢者が新たに賃貸住宅が借りられるのかという問題もある

 要介護の高齢の親を看取った子供ももう高齢者なのだ。

 求人だって少ないのだ。

 これらの介護者を取り巻く環境が死体遺棄事件へと走らせているのだ。

 もうすでに何度も同じ状況の死体遺棄事件に判決を出している司法は、いまだに何の対策をしていない立法と行政にうんざりなのだと思う。

 それが、別れが忍びなかったと言う被告の言葉を判決が認めた理由なのだと思うのだ。


 さて、なぜコープ共済を60歳までに見直さなければいけないのか。

 うちの母が加入していたから例に挙げたが、条件が同じなら他の共済でも、生命保険でも同じだ。

 終身型がない共済、死亡給付金が付いている終身型ではない保険は、60歳までに見直した方が良い。

 終身型の保険で、

「葬式代くらいはねー」

と言う自分が要介護者になる可能性を完全に無視した広告がある。

 要介護者になったらそうはいかないのだ。

 健康寿命と寿命には差がある。

 乱暴な見方をすれば、誰もが最後は要介護者になるのだ。

 そして介護にはお金がかかるのだ。


 兄弟が居ても先立たれてしまうかもしれない。

 今は結婚して家族も居るが将来離婚して一人になっているかもしれない。

 あなたに子供が居れば、その子の誰かはシングルケアラーになる可能性が全くのゼロではないのだ。

 先に書いた裁判の被告のようにしないために、死亡保障付き終身型保険、共済と言うのは、最後の砦だという事を知っておいてもらいたい。


 なぜ60歳までなのか。

 今回、母が85歳までコープ共済に加入していて、その先がない事を知ったのでテレビで宣伝している85歳まで加入できる保険などを調べてみた。

 まずその保険だが、死亡保障付きの終身型に85歳から加入すると、月の掛け金が当然ながら高いのだ。

 月々の支払金額を見れば、あきらめざるを得ない。

 また、国民共済の終身型は85歳では加入すらできないのだ。

 まだ加入できて、つきづきの金額が検討できる額となると、60歳までに見直しするのが限界値なのだと思う。

 まずはあなたが加入している共済、保険会社に終身型があるのか、そもそもあなたが加入しているその共済、保険は何歳が上限なのか調べてみよう。

 終身型でないのなら見直しを検討しても良いと思う。

 もしくは掛け金の安い、少しでも若いうちに並行して加入しておくと言うのも手だ。


 最後に、持ち家の家賃分を引いた現金支給のある生活保護の制度設計をした方が良い頃だと思う。

 少子高齢化、人口減少の日本で、もはや土地は必ずしも資産ではないのかもしれない。

 もっと言うと家賃がない事に価値が有るのであって、売買する事には価値がなくなるのかもしれない。

 でも、それでも家賃はそう安いモノにはならないだろう。


 最近家を売ってもそのまま住めると言う広告を目にする。

 これは貧困ビジネスにもなりうると思う。

 元々地価が安い地域で住人がすんでいる家を買い取って、そのまま住人には住んでもらう。

 家賃を払うお金が無くなれば、会社で雇った弁護士を着けて、生活保護を申請させれば継続して家賃収入が得られる。

 下手に売買差益を利益にするより、はるかに大きい収入になりえるのだ。

 住人が一人暮らしなら亡くなった後の後始末の契約を結んで、代金は土地代から引けばいいのだ。

 取りっぱぐれがない。

 だからいろんな契約で売主に払う土地代は抑えられるし、建物を建てずに賃貸が出来て、生活保護で継続して家賃をいただけばいいのだ。


 何が言いたいかと言うと、もうフェーズが替わっているのだ。

 持ち家を手放させずに生活保護をした方が、社会保障費の削減になりえる所まで、少なくても地方は来ているのだ。

 もう一度初めの話を思い出してもらいたい。

 介護を終えたシングルケアラーだった場合、調査して相続人が居なければ、いずれ土地は国庫に入るのだ。

 居たとしても、支援か相続放棄かの選択を迫ってもいいかもしれない。

 持ち家の生活保護はそれで回せるかもしれない。

 公平不公平で言えば、生活保護費で家賃収入を得ている賃貸の持ち主との関係が最も不公平なのだ。

 それよりも、社会保障費の削減になる事の方が大きいのだ。

 在宅介護で介護者の負担を増やしたり、介護や医療などの利用の制限をする前にするべきこと、やる事はある。


 前にも書いたが、団塊の世代が要介護者になるのが問題ではなく、就職氷河期で非正規雇用で未婚の団塊ジュニアが介護者になる方が、社会問題なのだから。


 在宅介護で使い捨てにされたいる介護離職者たちにベーシックインカムを。

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在宅医療介護で二人介護なので愚痴の一つも言ってみる。 如月しのぶ @shinobukisaragi

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