辺境の地に『S』は在り

狛犬えるす

『Strv.103SK』


スコルツ王国


ラップランドを国土とする北欧の小国。NATO加盟国。

レツィア共和国との国境紛争が国連安保理により停止されてから20年が経過している。

ソ連崩壊によりレツィア共和国が混乱により疲弊する中、スコルツ王国は戦火より回復した。


旧式化と大型化が目立つレンドリース戦車に関しては、スウェーデンよりStrv.103SKを32両、購入し再編した。

レオパルド2やレオパルド1などが候補にあがっていたが、レツィア共和国の主力はいまだにT-55やT-72Mであったため、105㎜砲と自動装てん装置による発射レートで対処可能と判断された。

Strv.103はD型仕様にアップデートされ、RWSなども追加され外部視察機能が特に強化されている。






―――



 北欧の小国たる僕らのスコルツ王国は、国民皆兵制度を採用している。

 スコルツ王国の国土のほとんどを占める辺境ラップランドと呼ばれる地域には、二百万人ほどの国民しかいない。

 国土の一部は永久凍土で覆われ、そうでない土地も湖や森といった自然が広がっている。


 白夜が空を覆えば昼夜なく日が差し、雪が降れば不凍液なしに機械は動かない。

 なぜ僕らの先人たちはここに国を作ろうと思ったのか、不思議に思うくらいの厳しい環境だ。

 現に今、気温はマイナス二十度を下回り、辺り一面が雪で埋もれ、針葉樹林が靄で見えなくなる距離までずうっと続いている。


 小気味いいリズムで響くのはディーゼルエンジンの音で、それは馴染みのデトロイトディーゼル製のものだ。

 キューポラから上半身だけを外界に出していると、せっかく車内の暖房で温まった身体もすぐに冷えていく。

 皮膚の表面がちりちりと冷たくかじかんでいき、そこから肉へ、そして血液の温度が奪われていく。



『いいかい。銃はそれを持つ人以上に、善良になることも、害悪になることもできないんだよ』



 思い出すのは、僕を育ててくれた父の記憶だ。

 あったかい暖炉の傍でロッキングチェアを揺らしながら、口をもごもごと動かして、戦争の記憶をぽつぽつと零す、悲しい背中の父。

 父はその時、古めかしい銃をじっと見つめながら僕に語りかけてきた。


 結局のところ銃は、使う人間がいて初めて銃となることができる。

 そして、その銃を使う人間の手で、銃は悪名を持つのか、伝説を残すのかが決まる。

 父はいつもそう言っていた。父の祖父もまた、そう言い聞かせていたのだという。


 けれど、戦争で傷を負った僕の父は、人殺しの感覚については一度も口を開かなかった。

 あのあったかい暖炉にあたって温まりたいな、と僕は思う。ここは寒すぎる。

 両手にふうっと吐息を吹きかけて、それが無駄な努力だと思い知った僕は、キューポラのハッチに手をかけて車内に戻った。


 外界との別れを悲しむことはないが、僕は雪のちらつく空を見て思う。

 父は、今でも心を閉ざしているのだろうかと。

 冷戦の中で起きたスコルツ王国とレツィア共和国の小さな国境紛争は、国連安全保障理事会の決定により白紙講和で幕を閉じた。


 父はその戦争のときまだ学生で、国境近くの駐屯地で戦時昇進して従軍し、何人もの友人を失った。

 目の前で友人が死んだときのことを、父は決して話はしない。母もまた同様に、決して話さない。

 ―――それは、僕が〝国防実習〟の冬季演習に参加するといっても変わらなかった。



「スウェーデン人たちがこの戦車を作ったとき、この戦車には暖房がなかったそうよ」


「知ってる。エンジンの余熱だけで充分だと思ったんだろ。―――ああ、すまない、寒かったか」


「いいえ。ただ、ロッタが起きるかもと思ったの」



 狭い車内に戻れば、一際大きな鉄パイプのようなものの向こう側から声がする。

 僕が座っている車長席は戦車の右側にあり、そこから車体に固定装備された主砲をまたいで、操縦手兼砲手席がある。

 そこにいるのは、金髪碧眼の美女、マリッタ・ネノネンだ。


 その後ろには静かに寝息を立てている、茶色い癖っ毛のロッタ・キルピネンの小さな背中がある。

 マリッタ・ネノネンと背中合わせに座っているロッタ・キルピネンの仕事は、全速後退する際の後方操縦手兼通信手兼雑務だ。

 この六二口径一〇五ミリ・ライフル砲の自動装てん装置が故障した際には、ロッタがこの戦車の臨時装填手になる。


 全高二メートルほどのこのスウェーデン製戦車の乗員は、この三人しかない。

 本来、戦車という陸上兵器は履帯で駆動する車体の上に、砲を搭載する全周砲塔タレットを載せている。

 だがこのSタンク―――Strv.103SKは主砲を車体に固定装備し、砲の狙いは車体を油圧駆動のサスペンションによって上下左右に動かし調整するという独特な構造を持っている。


 巻き焼き鍋に似てる、とは僕の学校の日本人留学生の言葉だ。

 四角くて主砲が取っ手のようにぐーっと伸びているのがそっくりだ、と。

 それはどんな道具なんだと聞けば、卵焼きを作るときに使うのだとか。


 そういえばあいつの弁当にあった卵焼きとやらは、甘くて美味しかったなと僕は現実から目をそらし気味に思った。

 現在、スコルツ王国国防実習冬季演習大会は大雪警報、ならびに凍結警報により一部中断され、最終目標に向けて進撃していた各車両には独自判断が求められている。

 すなわち、無理をせずに無線封止を破り音を上げるか、大雪の中を進撃して最終目標に到達するか。



「それで……、どんな感じになった?」


「変わらないわ。この雪と寒さでもう四両がリタイア。残りの二両からは、まだなにも」


「僕らを合わせれば三両だ。どこまでやれる?」


「配布されたレーションは三日分……燃料さえなんとかなれば、大雪でも最終目標には到達できるはず。大雪だからってガスタービンを回しすぎると、肝心なところで馬力不足になるかも」


「その時はその時だ。三人でスタックした戦車の尻ぬぐいは拷問だよ」


「間違いないわね」



 淡々と答えるマリッタ・ネノネンを見つめながら、僕はその後ろでくーすかと寝ているロッタの背中を横目で見やる。

 ディーゼルエンジンが耳元でなっているのに寝れるのはびっくりするが、ロッタはガスタービンのジェットエンジンみたいな甲高い音の中でも寝れる超人だ。

 少しくらい僕らが話し合ったところで、起きるってことはないだろう。


 手袋を外してエンジンの余熱を利用しているヒーターに指先を当てれば、鈍った指の感覚が徐々に戻ってくる。

 このまま音を上げて教官たちに回収されるのは、今まで真面目にこの戦車の戦車長として頑張ってきた意味が薄れるような気がした。

 もちろん、命の危険を頭に入れなければいけないのは当然のことだ。ここは北欧で、北欧人が危険だと言う雪と外気は一般的な人間にとっての〝極限〟を意味している。


 ここは伊達に辺境ラップランドと呼ばれていないのだ。

 極寒の中で頭痛を我慢していた男が歯を食いしばって、歯を噛み砕いた末に脳が凍り付いて死んだ話がある。

 故にこの極限の中においては、苦痛から逃れる術があるのならば、そうするべきだと教え込まれる。

 もっとも、この国防実習においては任務からの『』と至極まっとうな『』は違うということも教え込まれたのだが。

 


「その……マリッタ」


「なに、ターヴィ」


「この演習が終わったら、その、ええと」


「夕飯にでも招待してくれるのかしら」


「あーいや、そうじゃなくて……」



 マリッタから目を反らし、僕はStrv.103SKの車長席にあるディスプレイとにらめっこを始める。

 冬季演習に出ると決めたとき、僕は今度こそマリッタ・ネノネンに告白するのだと決めていた。

 かくいうそこで爆睡を決めている通信手のロッタにもそのことは相談していて、諸手を振って応援するとない胸を張って宣言してくれていたというのに。


 だというのに、意気地なしの僕ときたら、まだなにも言えていないのだ。

 この冬季演習が終わったら付き合おう、という妥協案まで捻りだしてきたというのに、だ。

 マリッタとは幼馴染で、きちんと付き合おうだなんて言ったこともない。


 なあなあでこの歳まで親友できてしまって、彼女として付き合ったことはまだないのだ。

 だから、意を決して告白するぞと意気込んでいたというのに。

 まだ、―――僕という奴はまだ告白の頭文字にすら触れていないのだ。



「……その、どうしよっか」


「この演習のことかしら。それなら、まだ正式な中止ではないのいのだし、続けるべきだと思うわ」


「いけるか」


「その算段をずっと考えてるの。問題は燃料。それさえなんとかなればいけるわ」


「分かった、やろう」



 マリッタが燃料の算段をする間、もう一度だけ車外の様子を見ようとハッチに手をかけると、エンジン音に紛れて「あの」という小さな声がした。



「ん? 今、喋ったのってマリッタ?」


「ええ、私よ。ちょっと言っておきたいことがあったの」


「なんだい、大事なことなら聞かせてくれ」


「ええ、もちろん大事なことよ」



 僕が主砲越しにマリッタを見ると、彼女はぐっとこちらに顔を近づける。

 いつもはクールで動じることの少ないマリッタの顔が、少しだけ赤らんでいるように見えたのは、僕の見間違えだっただろうか。

 デトロイトディーゼル製のエンジン音に今度は負けないように、マリッタは唇を開いた。



「この冬季演習が終わったら、私たち、付き合いましょう」


「………えっと、それは、男女の仲でという意味で、かな」


「………この言葉って、ほかになにか違う意味があったの?」


「いや、たぶん……ないと思う」


「なら、良かったわ」



 ハッチに伸ばした手を引っ込めて、僕はマリッタの目を見ようとする。

 が、彼女はとっさに顔をうつむけて、僕から視線を外してしまった。

 その時、僕は彼女が恥ずかしがっていることに気が付いて、遅ればせながら顔を赤くした。



「えっ、あ、………い、いつから? いつから、その……」


「この冬季演習が終わったら付き合おうって、言おうと思っていたの……。ロッタには相談して、頑張れって」


「僕もロッタに相談して……諸手を振って応援する、って」


「「………」」



 奇妙な沈黙が僕ら二人の間に揺蕩い、空気を読めないアメリカ人のごとくディーゼルエンジンの息吹が僕らの鼓膜を震わせる。

 なんともおかしな話だ。

 この辺境の地にあるSタンクの狭苦しい車内にはたったの三人しかいないというのに、裏切り者が一人いる。

 


「………つまり、ロッタは知ってて黙ってたのかな?」


「………間違いなくそうなるわね」


「僕さ、今使える小火器ってなにがあったっけって考えちゃったよね」


「ホルスターのブローニング・ハイパワーに、自衛用火器のHK53があるわよ」


「すごいな。それなら簡単にロッタを始末できるよ」


「でも始末した後、二人で帰って報告しなきゃならないわ」


「男女の恋愛を蝙蝠としてニヤニヤ楽しんだ罪であえなく射殺した、と報告しようか」


「それ、いいかもしれないわね」


「でもどうせなら、この戦車の一〇五ミリ粘着榴弾HESHで跡形もなく消し飛ばせば証拠は残らないかな」


「外はこの雪と気温よ。きっと四散した血肉だって雪と土に覆われて、春になれば腐って流れていくわ」


「「ふふふ」」



 二人して少しばかり暗黒的な微笑みを浮かべながら、僕ら二人は眠っているロッタを余所に完全犯罪のプランをいくつも考えた。

 そうこうしているうちに通信機が耳障りなざりざりという音とともに、今季のスコルツ王国国防実習冬季演習大会は正式に中止されたという報告が入った。

 僕らはいびきをかきはじめたロッタの後頭部をぶん殴るか蹴っ飛ばしたい欲求をこらえて、了解と返した。


 Sタンクは車内でキスができるような作りにはなっていない。

 車長席と操縦手席の間には、巨大な一〇五ミリ砲の砲身が横たわっていて、ここには頭が入るようなスペースすらないのだ。

 外は極寒の極地的天候で、そんな天候の中でファーストキスなんかしたら、僕らの唇は凍結して結合してしまうだろう。


 なぜ戦車の車内で、これほどまでに悶々とした気持ちにならなければならないんだと、僕はいらだった。

 ガスタービンエンジンを始動させ、帰路につこうと命令をする傍らで、そのいらだちは怒りとなって爆発し、僕はマリッタに言った。



「マリッタ、手始めにロッタをぶん殴って」


「分かったわ、貴方ダーリン


「え、今なんて―――」



 僕がマリッタの発言に顔を真っ赤にしたと同時に、ガチンッ、という痛そうな音が響いてロッタの悲鳴が炸裂した。

 春はまだこの辺境の地にやって着てはいないが、それはたしかに僕の青春という一時代の中に到来したのだった。

 少なくとも、もう幾ばくかはこの戦車の中でディーゼルエンジンとタービンエンジンの共演に耳を傾けなけれなならないのだが。

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