エピローグ
一ヶ月後。喫茶店「Sunny Kiss」
秋の空は高い。青く澄み渡り、無限にも思える。
開店前、午前七時半。僕は店の前の落ち葉を、時代にそぐわない様相の竹箒で、せっせと掃いていた。秋口の朝だというのに、額には汗がにじむ。
「こんなもんかな」
汗を拭き拭き、竹箒を用具入れに放ると、適温に保たれた店内に入っていく。
カランコロン。小気味いい入店の鐘。
アンティークとまでは言わないものの、ヴィンテージにキメたお気に入りの店内。壁紙や布地に染み付いたタバコの匂いが、コーヒーのそれと混ざり合って、喫茶店特有の香りを放っていた。大きく吸って、吐く。
四人掛けのボックス席が四つ、カウンター席が六つの小さな喫茶店。それでも、僕が初めて自分の力で生きることができた場所だ。
ガシャン!
不意に、大きな音。キッチンからだ。誰の手によるものか、容易に想像がつく。
急いで向かうと、もはや見慣れた光景が広がっていた。
「すみません、またやってしまいました」
犯人は井熊 友。喫茶店「Sunny Kiss」に、二週間前から勤務しているアルバイトだ。
彼女の足元には散乱した食器。幸い床は柔らかい素材なので、割れてはいない。僕が外で掃除をしている間に、彼女には仕込みに使った食器を洗うように言っておいたが、結果は予想通りだった。
この少女、初対面の時こそ聡明そうに僕を観察してくれたものだが、いざ雇ってみたら不器用だわ、手際は悪いわ、客への目つきは最悪だわで、とても使えたものではなかった。賢さと優秀さは別のものらしい。
「いいよ。気にしないで」
しかし、それでも許してしまうのが兄心と言うのか、親心というのか。結局、僕はこの子に向かって非情になることはできないようだ。
あの後、彼女は「早速一つお願いが」に続けて、自分を「Sunny Kiss」で雇って欲しいと言った。
誰かの庇護下になることなく、自分で生きていく力を身に付けたかったらしい。僕も、今ではそれが正解だと思う。
こうやってミスをしながらでも、彼女はこの二週間、色々なことを吸収しているように感じる。客への対応はぎこちないながらも誠意があって、なんだかんだで客へのウケもいい。表情もさらに柔らかくなって、今ではすっかり可愛い妹分だ。良く笑い、良く泣き、良く怒る。やはりこれが彼女の本質なのだろう。
店を手伝ってもらう以外のことは、僕からも彼女からも何もしていない。この変化は、紛れもなく彼女の努力によるものだ。仕事の手際はどうあれ、僕はそんな彼女を強く尊敬する。
「洗い物は僕が代わるから、友ちゃんは窓拭きと看板出ししてくれる?」
あわあわと、危なっかしく皿を拾い上げる友を手伝いながら、次の指示を出す。
「わかりました。お願いします」
すくっと立ち上がって、出入り口の方へ向かっていく。
カランコロン。小気味いい鐘の音がして、店には静寂が戻る。
黙々と皿を洗いながら「不思議なことになったものだ」と、改めて思った。
あれ以来、僕は葬式に行っていない。何度か斎場の近くを通る機会はあったし、回覧板で訃報を見かけたりもしたが、あの泥のような欲求が芽生えることはなかった。どうやら、今回の一件のおかげで、僕の歪みはきれいな形で整理されたらしい。他人から見れば、僕も彼女ほどとは行かずとも、少しくらいは明るくなれているのだろうか。
ガシャン!
今度は外から大きな音がする。
「またかよ!」なんて思いながら、しかし口元は緩めて、また彼女のもとへ向かう。今日も快晴。良い日になりそうだ。
死人に口なし 四百文寺 嘘築 @usotuki_suki
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