回収

「あっ、大橋先生、青木もか、ちょうど良かった」

 職員室前についた檜原と佐川は、監査委員長と顧問を見つけた。


「おう、檜原と佐川か。佐川は野球部だったよな、渡辺達が書類持ってったって話知ってるか?」

 壮年の体育教師がしわがれ声で尋ねる。


「はい。そのことで相談に来ました」

 どうやら、彼らの件は二人の耳にも入っていたらしい。


「今青木と話してたんだがな、立候補者本人以外が書類を受け取るのは禁止。悪いけど回収してきて貰えるかな、俺この後職員会議があるからさ。もし話拗れたら職員会議終わったら来て。まあどっちにしろ一度説教する予定だけど」

 事務仕事においては書類の誤記が多いなどあまり頼りにならないが、こういう局面では大変安心感がある。


「うちの学校の選挙規定、禁止事項と罰則に関する記述が一切ねえからなぁ」

 大橋が苦々しげに呟く。


 昭和中期の学生運動全盛期、高校もしばしば闘争の舞台となり、生徒会が運動に利用される事も多々あった。

 その為、歴史ある学校、中でも公立の上位校は生徒会役員の選出に関して細々とした規約を設けている事が多い。


 しかし、ここ都立東多摩高校は「最後の都立高校」とも称される、開校から十年に満たない新設校である。

 昨今の管理教育の反省に加え、「生徒の自主性を尊ぶ自由な校風」を標榜している事もあってか、選挙規定は最低限も最低限で禁止事項やそれに反した場合の罰則規定等が一切存在しない。

 今までは大した騒ぎもなく、それで問題は無かったのだが、いよいよ必要に駆られてきている。


「そうですね。この選挙が終わったら改正を検討しましょう。檜原、佐川行くぞ」

「……おう」


 頷いて歩き出した檜原だったが、彼は見逃さなかった。委員長の瞳に宿る光が昼休みに増して弱まっている事を。



 *



「江本と小野寺はどこだ!」

 野球部が練習に集まり始めた校庭脇で、青木が大声で問いかける。


「俊哉先輩と克治先輩ですか? ちょっと待ってて下さい」

 近くにいた一年生が走り去って少し後、スポーツウェアに身を包んだ小野寺が姿を現した。


「おうおうどうしたお前ら」

「克治、昼取りに来た書類一年の分だって本当か」

「うん、そうだけど」

 佐川の剣幕に小野寺がキョトンとした様子で答える。何が悪いのかわからないと言わんばかりである。


「昼持ってったやつ、返してくれないか? あれはれっきとした公文書だ。監査委員による受付以外から立候補者に書類が渡る事があっちゃいけない」

「ええ……でも別にそんなこと書いてなかったじゃん」

 佐川の注意に、渋い顔をしながら反論する小野寺に、佐川もまた顔をしかめる。


「書類にか選挙規定にか? どっちにしろ今言った事一般常識だからな。わざわざ一般常識書いたりしないから」

「いや一般常識だろうと書いてないもんは書いてないし……」

「おい小野寺気をつけろよ。まだ一般人だから監査委員に逆らうと退学させられるぞ」

 水掛け論になりかけたところで、江本が余裕綽々といった歩き方に舐めきった態度でやってくる。


「江本お前もだ。お前が昼に受け取った書類一年にやらせるつもりだったんだって? さっき大橋先生と話し合った結果、立候補者本人以外の書類受け取りは認めないという事になった。返してくれ」

「は? なんでだよ」

 江本には青木が対応に向かったが、まともに相手にされている様子はない。


「なんでって今説明した通りだよ。わざわざ受付設けて委員が番してるのは立候補の状況を確認する為でもある。それ次第で今後のスケジュールを変更する必要が出てくる可能性だってあるんだ」

「おい青木少し」

「それがなんだ、事もあろうに一年にやらせてみたいから人選も済ませないまま書類だけ寄越せだと? 選挙舐めんのも大概にしろや!」

 檜原の制止も聞かず、江本に罵声を投げつける青木。


 生来のよく通る声質に加え、烈火の如く怒り狂う青木の気迫はなかなかのものであったが、頻繁に生活指導を受けている江本であれば居眠りができるだろう。


「あ、わかった。書類足りなくなったのか。もー、おっちょこちょいだな」

「んな訳ねーよ! 足りなかったら大橋先生に追加で刷ってもらうだけだわ」

 取り付く島もないとはまさにこの事。

 青木の激怒に逆に勢い付いたのか、畳みかけるように青木を煽っていく。


「じゃあ何がいけないんだよ」

「正規の手段を踏めと言ってるんだこっちは!」

「おい、性器とか下ネタ言うなって」

「クソっ!」

 江本の狼藉に耐えかねた青木は、遂に右手の拳を堅く握った。


「おい待て青木落ち着け」

 檜原の声になど耳も貸さず、青木は江本の側頭部目がけ右手を大きく振りかぶった。


「おっ?」

 だが、江本は笑いすら浮かべながら、左腕を上げてこれを防ぐ。


「待て青木止めろ!」

 めげずに相手の襟首へと向かっていった青木の左手に、檜原が手を伸ばす。


 しかし檜原の手が青木を掴むより早く、江本の渾身の右ストレートが青木の鳩尾を捉えた。


「エ゛ホッ……」

 鈍いうめき声と共に、青木はその場に崩れ落ちる。



 江本はこれを狙っていたのだ、耐えかねた青木が手を出して来るのを。そしてそれを完膚なきまでに叩きのめすのを。

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監査委員の憂鬱~東多摩高校生徒会選挙闘争記~ 竹槍 @takeyari

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