料理人ロッド・ギャレット

@Sekoinen

第1話 婦人の涙

むせかえる霧、遠くにぼんやり人が見える。足元はでこぼこの土塊。少しづつ霧が晴れていく、立っている者、倒れている者。いや、倒れている者が圧倒的に多い。地面に突き立てられた剣は、人の胴体を貫いている。その隣には首のない躯が転がっている。額に矢を受けたものもいる。

霧だと思われたものは、煙だった。大量の煙が草原一体を覆い尽くしている。そして、煙の正体は爆発によるものだ。何が爆発したのかは、覚えていない。なぜなら、いつも夢はここから始まるからだ。そして、完全に霧が晴れた時、景色を目の当たりにした、自分の絶叫で目を覚ます。


男は、ベッドから足を投げ出し、体を起こすと、布団をおしのけてカーテンを開ける。身体のあちこちがギシギシと悲鳴を上げている。腕や顔に打ち身の跡、内臓は、酒の飲みすぎを訴えている。


外はすっかり日が昇り、家の前は人が慌ただしく往来している。牛車を引くもの、背中いっぱいに薪を背負うもの、子供を連れた母親。初夏の日差しのなか、人も動物も活動が活発になる季節だ。

「そっか、生きてんのか、俺」

他人の日常を見て初めて自分のいる世界が、現世なのだと理解する。男はつまらなそうに大きくため息をつき、カーテンを閉じた。ゆっくりと身支度を済ませると、大きなカバンを肩にかけた。動物の皮で作った、頑丈かつ酒樽でも入りそうなほど大きな袋。しゃれた装飾などはなく、ポケットの類もない。その袋にショートソードと弓矢を放り込む。これまた、装飾もなく、シンプルなつくりだ。矢は矢筒に二十本ほど。

「行くか・・・」

男は玄関の扉を開けた。

自宅は小さな市街地の中にあるが、すぐ近くに森が広がっていて、野生動物も豊富に生息している。この街に決めた理由はそれだった。


野生の鹿や猪、山菜に果物。川魚も場合によっては狩猟の対象とする。要は食えればなんでもいい。ゴブリンやオーガなどは、こちらからは仕掛けないが、襲ってきたら倒す。こいつらを食べるかどうかは、臭いで決める。人間を食べた経験のあるモンスターは体臭が違う。食べられなくはないが、焼いたときに味が変わる。まして、胃袋から人の生首なんぞが出てきた日には、こっちの食欲が失せる。

今日の収穫は、小鹿、青キノコ、ハーピィ。ハーピィは脚だけとって、胴体は捨てた。骨が細かくて身が少ないから、身を取り出すのに手間がかかる。生肉は、笹の葉にくるむと殺菌作用が期待できる。

「今日のところはこんなもんか」

大きな袋に収穫を詰め込むと帰路についた。足腰にずしりと重みを感じる。若い頃は、これくらいのに持つどうということはなかったはずだが、だんだん身体に無理が効かなくなってきた。

街に戻ると、自宅ではなく、中心部の飲み屋通りを目指す。飲み屋通りを一筋奥へ入ると、個人経営が主体の小さな店が軒を連ねる。細い路地故、日当たりは悪く、昼間でも薄暗い。主に夜しか開けない店が多いので、家賃の安いこの立地が逆にありがたい。

男は、懐から店のカギを取り出すと、裏口の錠前を開けた。一人で立つのが精いっぱいの台所にカウンターが十席程度。テーブルはない。店に明かりをともすと、酒屋の娘が顔を出した。

「ロッド、今日は遅いんだね」

こざっぱりとまとめた髪に、大きめのズボンをはいているため、一見すると男と見間違える。年頃だが、こんな格好をしているので、嫁の貰い手どころか彼氏もいないらしい。

「昨日少し飲みすぎちまった。いかんな、最近は次の日まで酒が残る…」

酒屋の娘ことローザ・カールトンは、呆れた様子で肩をすくめた。

「居酒屋の店主が飲み過ぎてたら世話ないね。それで、今日の仕入れはどうする?」

「任せるよ、獲物を見てくれ」

ロッドは、仕込みを続けながら、調理台にならべた食材を指さした。

「うーん、小鹿に、ハーピィの脚か、どっちがメイン?」

「ウチは客の頼みで何でも作る。何が出るかはわからん」

「じゃあ、小鹿に合う山ぶとうのワインと、いつものエールでいいかい?」

「ああ、それでいい」

「毎度!」

日が落ちて、飲み屋通りにちらほらと人が集まりだした。メインの通りから一筋はいる、ロッドの店まで、人がたどり着くには、少々時間がかかる。ただし常連客を除いて。

「マスター、やってる?」

店の扉を開けたのは、市場の顔なじみのケンだ。仕事帰りで、家にもよらず、そのまま来たらしく、首にはタオル、エプロンまでつけたままだ。

「ああ」

ロッドは、目だけで挨拶する。ケンは、返事も待たずに、店に入り、いつもの場所に座った。

「いやぁ、今日は、キツかったわ。急に王宮から、大口注文入ってよ、俺んとこの野菜だけじゃ足りないから、市場の仲間に声かけまくって、走りまくって、疲れたわー」

ロッドは、何も言わずエール酒をジョッキに注ぐ。

「はいよ」

ケンの前に、ゴトンと置く。ケンは、いぶかしげにジョッキを見つめる。

「まだ何も頼んでねぇぞ?」

すっとジョッキを引く

「いらんのか?」

「頂きます!」

半ば奪うようにして、ケンはジョッキを口に運んだ。

「く~、これだから仕事の後の一杯はたまらん!」

「今日は、何にするんだ?」

「肉! とりあえず、肉! 脂乗ってる新鮮なヤツな!」

口元についた泡も気にしない。

「はいよ」

ロッドは、突き出しの小鉢をテーブルに置くと、キッチンに戻っていった。

ハーピィのもも肉は骨のまま、肉の表面に香草と塩、コショウ、ニンニクをオリーブおオイルにからめて肉の表面に塗りつける。オーブンに入れている間に、小鹿をさばく。薄切りにして、シンプルにフライパンでさっと火を通す。仕上げにオリジナルのソースをかけて客前に運ぶ。

「おまち」

おおよそ美しいとはいい難い盛り付けだが、食欲を誘う香りがそれを払拭して余りある。

「おっ、小鹿か?」

「今日、絞めたばかりだ」

「うお、こいつぁはツイてる!」

ケンは、さっそくソテーされた小鹿を口にほおばった。ソースは当方からやってきた、大豆を原料に、清流でしか取れない、薬草をまぜてつくられているらしい。ソースと肉汁が混ざり合うとあっさりとしつつも刺激の強い辛みが口の中に広がって。肉のうまみを引き出してくれる。

「くぅ~、たまらんなぁ」

ケンが悦に入っていると、次の客が店の扉を開けた。軍の制服を来た若者が二人。一人は、長髪、もうひとりは刈り上げている。

「マスター、エール2つください」

長髪の軍人がロッドに依頼した。

「はいよ」

仕立ての良い詰襟を片手で外すと、二人は勢いよくエール酒を流し込んだ。

「あー、うめぇ」

「たまんねぇな」

開放感を手に入れた言葉が次々に飛び出す。

「何を食べるんだい?」

「なんでもいいよ、すぐできる肉!」

「はいよ」

ロッドはフライパンを手に取った。ジュッと、肉に火が入る音が店中に広がる。この音もまた食欲をそそる。

ジョッキの半分が空いたところで、刈り上げの軍人の一人がコースターを指で遊ばせながらつぶやいた。

「ところでさぁ、今度の、配置転換、やばくね?」

「だよな!、特に、あっちは」

「この前、上官に話聞いたけどさ、近々始まるかもしれないって」

ケンが、ニヤリと笑って、話に口を挟む。

「おい、兄ちゃんたち、もしかして、今日はそれ関係の宴会があったりしねぇか?」

長髪の軍人がケンの方へ顔を向けた。この狭い店では、誰もが他人で、誰もが友人だ。

「そう、あったあった。俺たちは国境に出ないから、何もないけど、明日出発する部隊は、今日、壮行会でさ。名目は国境警備だけど、実質、戦地送りと一緒だよ」

「みんなそれ解ってるけど、口に出せないし変な空気だったよ。愛想笑いばっかでよ」

ロッドたちが住むこの国、ヴェラクルスは、創設年が不明という神話にも通じる祖先を持つ王族が統治している。善政を旨として、国民からの信頼も厚いこの国は、隣国も友好関係を築いてきた。しかし、20年前、止むに止まれず戦争に突入した。

隣国ラサウが、突如妥当ヴェラクルスを宣言し、挙兵した。ヴェラクルス側は、すぐさま国王の親書を携えた使者を派遣したが、ラサウ側の回答は、使者の生首だった。事務官たちが何事かと議論するまもなく、両国は国境線に軍隊を派遣。戦争へと突入していった。当初は、国力で勝るヴェラクルスが優勢とみられたが、ラサウ側が予想以上の攻勢を維持し、両国は、何度もお互いの国境線を行き来し、戦争集結まで3年の期間を擁した。

話題がひとしきり終わろうとする頃、また、店の扉が開いた。

「あの・・・、空いてますか?」

若い女が一人、慣れない空気に戸惑いながら、店をみわたしていた。

「ああ、もちろん。お好きな席へどうぞ」

ロッドは、手振りで席へ案内した。

女は、角の席を選んで、静かに腰かけた。

「何、呑むんだい?」

ロッドの声は、優しかった。

「あれれ、マスター、女の客だと態度かわる~~~」

ケンが、下品な目線で、たしなめた

「当たり前だ」

女は苦笑いしながらロッドに視線を送る。

「ワインありますか?」

「山ぶどうのやつが入ってるよ」

女は、嬉しそうに、それをオーダーした。派手さはないが仕立ての良いドレスを着こなし、ピンと張った背筋が、高貴であることを物語っている。

「お嬢さん、見ない顔だね」

ケンが、不思議そうに声をかける

「ええ、そうですね。このお店に来るのは初めてなので」

「誰かの紹介かい?」

「ええ、まぁ、はい・・・」

ロッドが、ケンの無遠慮な態度を咎めるように、ワイングラスと小鉢を女の前に、そっと置いた。

「お前みたいな下品なヤローが急に話しかけるから、お嬢さん困ってるだろ」

「へへっ、美人には声をかけないと失礼ってもんだろ?」

ガハハと笑いながら、グラスを口に運んだ。ぶはっと、やや大げさ目に息を吐く。

「わるいね」

ロッドは、女に侘びた。

「いえ、いいんです。こんな気さくなお店って、なかなか来る機会がなくて・・・。でも、とっても楽しいです」

半分お世辞で半分本音。というのが声の調子からわかる。

「そうかい、この店には、メニューがなくてね。でも、作れるものなら、なんだって作るよ。なにが食べたい?」

「そうですね・・・。温かいお野菜のスープなんてできますか?」

「はいよ」

そう言い残して背を向けたとき、ケンが再びちょっかいを出す。

「あんたみたいな美人がこんな場末の酒場に何の用だい? 上品な男に飽きて、ワイルドな男でも探しに来たのかい?」

女は、ポツリポツリと話始めた。

「私、お付き合いしている人がいるんです。軍人で、今度遠くの、国境警備に行くことになって。でも、変なんです。本来は、お城の警備の担当だったのに、急に国境にいくことになって。それに、壮行会が開かれて、ごちそうがいっぱい振る舞われて、でも女は参加しちゃだめだって・・・。なんかへんですよね。」

店の中を何かが通り抜けたように静寂に包まれた。

「だからわたし、怒って飛び出してきちゃいました。二日後には出発するっていうのに、会うこともできないなんて、おかしいですよね!」

笑い話にしようと繕った目尻から涙が溢れる。

しゃくりあげる声が、店の中空気を包んでいく。

「ご、ごめんなさいね」

女は、ハンカチを取り出しながら、侘びた。

「いや、いいんだよ。みんな思い思いに酒を楽しむ場所だ。笑いたければ笑い、泣きたければ泣けばいい」

ロッドは静かに、野菜のスープを差し出した。

「こいつは、おれからの奢りだ。辛いときは、お腹いっぱい食べるといい」

「いただき・・・ます」

ムリに笑顔を作りながら、料理を口へ運ぶ。柔らかく煮込まれた野菜と肉の旨味が溶け出したスープが冷えた心を温めていく。

「うう・・・」

優しさと暖かさに緊張の糸がほぐれ、また涙があふれる。

ケンが、わざとらしく大声を上げる

「マスター、えこひいきがすぎるぞ!」

「一見さんには、うんとサービスして常連になってもらわないとな」

狭い店の中が笑いに包まれる。軍人の二人も負けずと声をかける。

「さあ、飲もうぜ、飲めば世の中の半分くらいは解決すらぁ」

「おう、そうだそうだ!」

二人は、勢いよく乾杯して、一気に飲み干した。

「お嬢さん、一緒に飲もうよ。こういうときは、みんなで笑うに限る」

「ありがとうございます・・・。じゃあ、ご一緒させて頂きます」

女は、グラスを掲げた。

「でもあんまり無理に飲んじゃだめだぜ?」

「お前も飲めねーだろーが」

長髪と刈り上げのやり取りに、一時の安らぎを感じることができた。こんなに大声でわらったのはいつ以来だろうか。宴は時間を忘れるほど楽しいものとなった。そして東側にある窓から、翌日を伝える陽光が降り注ぎ、その日はお開きとなった。

「本当に今日は、ありがとうございました」

女は、深々と頭を下げた。

「また、いつでもおいで」

ロッドは、店の前まででて、女性客を見送った。朝日をいつも以上に眩しく感じた。

店の戸に手をかけようとしたときだった。

「もう、店じまいかい?」

ロッドが、聞き慣れた声を頼りに振り返ると、そこには、軍服がおおよそにつかわしくない優男が立っていた。金髪で切れ長の瞳は、どこかの舞台役者にでもなったほうが儲かると思われるほど整っていた。

「ああ、そうだ。悪いがまた今度来てくれ」

優男は、眉をひそめた。

「それは本心で言ってるのか?」

ロッドは持っていたタバコに火をつけた。すっと息を吸い込み、長い長い煙を吐き出した。

「店主としての、客に対する礼儀だ。本音は、もう来ないで欲しいと思っている」

優男は予想通りお答えに苦笑した。

「だろうね、悪いが、また来るよ」

次の日の朝、ローザは、自分の店を酒を運ぶために街の中心街を歩いていた。酒樽は、魔法の荷台で運ぶ。車輪に魔法がかかっていて、若い娘の力でもらくらくと引く事ができる。ローザでまだ三代目という比較的新しい酒蔵だが、初代にあたる祖父が、魔法技工士に特注で作らせたという。酒蔵として日の浅さ、品質の低さを、販売量で補うために、この荷台を作ったそうだ。何か商売を興そうと考える人は、人と視点が違うものだ。おかげで、孫娘のローザも、大して苦もなく、配達が務まる。

「運ぶのは楽だけど、酒樽の積み下ろしまでは、やってくんないんだよね」

後世に伝わるほど、要求が高くなるのは世の常か。

「そこの女、道を開けなさい」

見るからに軍属とおぼしき、格好の若者に声をかけられた。

「今から、出征する部隊がここを通る。我が国を守ってくれる勇敢なる兵士たちである。歓声をもって応えるように」

それだけ言い残すと、ローザの返事を待たずに、別の通行人に声をかけていた。

「あれ、あの娘は・・・」

ローザの視線の先には、昨日ロッドの見せに来ていたエミリーの姿があった。籐で編んだ手提げのかごに花びらを敷き詰めていた。兵隊たちが通る際に、かけようというのだ。恋人や夫が戦地へ赴く際に感謝の気持ちと無事に生還するこをと願って行われる。

「そっか、彼氏さんも行くんだっけ」

先頭に国旗を掲げた兵が一人、少し離れて馬上の兵士、この人はおそらくこの旅団を率いる立場なのだろう。その後に、騎馬隊が数列続き、その後は歩兵が沢山並んでいる。沿道には一般市民に加えて、僧侶や、魔法使いの団体も並んでいる。通過する旅団に幸運を願う詠唱が送られるからだ。

ローザは、荷台を脇において、人が集まってきた沿道を器用にかき分けてエミリーに近づいた。

「こんにちは、見送りですか!」

「えっと、あなたは・・・」

「酒屋のローザです。ロッドの居酒屋にお酒卸してる」

「ああ、あのお店の?」

「昨日、お店来てたでしょ? どこかで見たことあるなーと思ってつい声かけちゃいました」

「ありがとうございます。一人でこんな事するの初めてなので、一緒にいてくれると心強いです」

「あれ、お嬢様って聞いてたけど、おつきの人とかいないんですか?」

「え、ええ。今日は、1人で来たくて。でもいざ来てみると、人が多くてちょっとびっくりしてました」

「いよいよ、なんですね?」

「ええ、寂しいけど、今日は笑顔で見送りたくて来ました」

「彼氏さんは、どのへんにいるんですか?」

「えーっと、たぶん、あのあたり・・・」

多くの兵士が、同じ装備をしているので、違いがわかるのは露出してる表情のみ。何千という隊列の中から見つけ出すのは、たとえ血を分けた親子であっても難しい。

「じゃあ、もう撒いちゃいましょう! 花びら! きっと届くはず!」

ローザは、力いっぱいの大声でエミリーを奮い立たせた。

「そ、そうね! やりましょう!」

二人は花びらを握りしめると空に向かって投げた。あたりは、一面の花吹雪となり、沿道の人たちからわっと歓声が上がった。同じく、花かごを持っていた女性たちがそれに続き、無事の帰還を願う涙と花に彩られた沿道は、しばし華々しいものになった。

兵の隊列がほとんど通り過ぎた頃、ローザは、変な視線を感じた。

「ん? 何だあいつ」

ローが感じた視線を追うと、一人の紳士にたどり着いた。この男は、一糸乱れぬ隊列には興味を示さず、沿道の人々に注目していた。人を探しているとするには、慌てた様子もなく、かといって誰かを待っている様子もない。こちらが視線を返すと、男は視線をそらして移動した。

「なんか、気持ち悪」

ローザはエミリーに伝えようとしたが、一生懸命声援を送っている彼女にいらぬ心配をかけまいと、自分の旨にしまい込むことにした。



「今日は、多めに仕留めとかないとな」

ロッドは、今日も森の中にいた。パレードがあった日は、華やかな気分に載せられた客足が夜の店へと向けられる。いつもどおりでは、閉店時間の前に食材が底をついてしまう。

「悪いが、お前も食材になってもらうぞ」

ロッドが対峙していたのは、小型のオーガだった。見たところ大人になったばかりのようだ。これなら、まだ人の味は覚えていないだろう。

ロッドの倍の背丈もある、オーガは、近くにあった岩を持ち上げた。道具を使う程度の知識はあるらしい。しかし、それが命取りだった。振り上げたことで脇が開いた。ロッドが、すかさず剣を一振りすると、皮膚の薄い脇の下は簡単に刃物を通した。鮮血を撒き散らしながら吠えるオーガ。ロッドは、返り血を浴びた。逃げようと背を向けた瞬間に次の一撃を足首に見舞う。腱が切れて踏ん張れなくなったオーガは、あっけなくその場に倒れた。そして最後は首元に一撃、オーガの咆哮が止んで森に静寂が戻った。

「・・・痛てててて」

剣を振ったときに少し脇腹を痛めたようだ。ここ数年使い続けている剣だが、この頃少し重く感じるようになってきた。筋力と体力の衰えを強引にカバーすると体のどこかに負担がかかる。

痛みを我慢しながら、手早く両腕両足を切断して、血抜きをし、袋につめた。これだけの体格なら、背筋や胸筋からも良い肉が取れそうだが、先程の叫び声で、仲間が集まってくる可能性があること、そして自身についた血の匂いも他のモンスターを呼び寄せる可能性がある。

ロッドの店は、日が沈むのを合図に開店する。店の外に広がる肉の焼ける香ばしい匂いが、暖簾代わり。厨房は、店の奥だが、わざわざ煙が店の前に来るように煙突が工夫されている。

「お邪魔するよ」

入ってきたのは、全身ローブに身を包んだ老人だった。ローブは、年齢に似つかわしくなくハデな刺繍が施されている。右手に持っている杖にも古代語や不思議な模様が彫刻されていた。老人の名はセイゾーという。

「いらっしゃい。今日は式典かい?」

「ああ、例のパレードのやつでね、わしゃ後ろの方で立っとるだけじゃがの。それよりサケを頼む」

「はいよ」

立て続けに、お一人様がもうひとり。挨拶もそこそこに、空いてるイスに腰を下ろす。

「あーあっつ。この正装嫌いなんだよね、ゴワゴワしているし」

今度はとんがりボウシにローブといった出で立ち。

「いらっしゃい、ソフィー」

「マスター、いつものちょうだい」

「レッドアイだね」

ローブを外して、中に着ているシャツのボタンを一つ外し、帽子をうちわ代わりにパタパタと振る。

「ハッカイサンお待ち。ヒヤって飲み方だよな?」

「うむ、いかにも」

ソフィーは、店内に先客がいることに気づく。

「ああ、セイゾーのおっさん、あんた僧侶だったのかよ? 酒なんか呑んでいいのかよ!?」

「わしゃ、仕事として僧侶を選んだだけじゃ、今は、勤務時間外じゃ」

この二人は、常連客だが、仕事着のセイゾーを見たのは今日が初めてだった。

「とんでもねぇ破戒僧だな」

陽が完全に沈んだ頃、また店の扉が開いた。

「こんばんは」

やってきたのは、エミリーだった。

「やぁ、いらっしゃい」

「また来ちゃいました」

店主は笑顔で迎えた。

「うちはいつでも歓迎さ、何呑むんだい?」

「ワインください」

無言でうなずくと、ロッドは厨房へ消えた。

「とうとう行ってしまいました…」

「そうかい」

ロッドは、背中越しに返事を返した。会話を察したソフィーがワインを呑む女性に話しかけた。

「あんた、知り合いが出征したのかい?」

「ええ、恋人が」

エミリーは、うつむき加減に応えた。この店では初対面でも遠慮なく会話を続ける、その流儀に少し慣れた。

「まぁ、まぁ、まだ死ぬと決まったわけじゃなし、彼氏を信じてあげようよ」

「そうですよね、ただの国境警備ですもの」

「次はいつかえってくるの?」

「3ヶ月後です」

「そっか、次に会うときのために女磨きしてりゃ、あっという間だよ!」

二人の会話が、暖を帯びようとしていたころ、ふらりと1人の男が来店した。黒尽くめの出で立ちの男は、無言で空いている席に座った。

「まいど、今日は盛況だね」

意外な方向から声がした。ローザが酒瓶を手に、裏口から入ってきたのだ。

「ああ、書き入れ時だ」

ひょいと厨房から店内を見渡した。10席程度の小さな店は、ひと目でどんな客がきているか見渡せる。ローザは、ある男に目が止まった。

「ねね、マスター。あの男、エミリーさんを見てたやつだよ」

「見てたってなに?」

ロッドは、目の前の作業から目を放そうとしない。

「パレードで、見てたんだよ、エミリーさんのこと、じっと」

ロッド「だからなんなんだよ。外で何をしようが、今は、うちの客だ」

ローザ「でも!」

ロッド「邪魔すんなら、お前は荷物置いて、店にもどれ」



3日後、エミリーは、山奥にいた。なれない旅装束で道なき道を進む。自分の背丈以上の草や、見たこともない昆虫が、彼女の前を塞ぐ。それを手でかきわける。普段なら、足を踏み入れることもないし、こんなところにつれてこられた時点で文句の一つも言うところだが、ぐっとこらえて彼女の前方、数歩先を行く男の背中を必死で追った。男は、なれた調子で不整地を大股ですすで行く。道案内のはずだが、女のペースや歩き辛さなど微塵も気にしていない。おおよそエスコートなどとは言い難い。それでもなお、男の背中を追わねばならない理由が、あの店で起きた。

「お嬢さん」

ソフィーが先に帰り、ひとりになったところで、黒尽くめの男が声をかけてきた。

「お話はそれとなく、耳に入っておりました。さぞお辛いでしょう、心中お察しします。私で良ければ力になりましょうか?」

驚いているエミリーに遠慮せず、話をすすめる。

「私は、カルロ・グアルディーニと申します。軍に物資を卸しておりまして、上層部に顔が利きます。一人の兵を動かくすくらい、私が言えば、どうということはありません。今なら連れ戻せる可能性があります」

この男の紹介があれば、恋人の駐屯する基地まで迎えにいくことができるという。半信半疑ながら、今は、この話に乗るしかなかった。

もう何時間歩いただろうか、しかし、駐屯地はおろか、開けた土地すら見えてこない。やがて人が見えてくる。武器を装備した男が二人立っていた。一人は小太り、もうひとりは痩せている。軍人らしい体つきとは言い難いが、この二人が軍関係者なのか。カルロは、軽く手を振った。

「お、いたいた」

すると、痩せた男が応えた。

「おう、定刻通りだな」

近づいてみると、軍服は着ていない。ふたりとも統一感のない服装や装備、そして、なにより砕けた態度が軍人らしくない。エミリーは、恐る恐る尋ねることにした。

「あ、あの・・・。あなたたちが、私の彼を連れ戻してくれるのですか?」

二人から一斉に笑いが起こった。

「まだ状況を理解してないようだな、このお嬢ちゃん」

「相変わらずカルロの口車は、すげーな」

小太りの男が、エミリーの前に進み出ると、彼女を上から下まで舐めるように視線を送ると吐き捨てるように言った。

「いまからお前は、売られるだよ。娼婦としてな!」

「えっ!?」

エミリーの腰には、ショートソードが挿してある。護身用ではあるのだが、あくまで道中を阻む蛇やあるいは小動物を追い払うためのものであって、人を殺めることは考えてなかった。もちろん剣術など習ったことはない。柄に手をかけるも、震えて引き抜くことができない。

「心配しないで、お嬢さん。この前さらった娘は、魔法使いの実験台になったけど、あんたはラサウの娼館に売るだけだから」

痩せた男がニヤニヤと笑う。

そのとき、一本の矢が、小太りの男の額を射抜いた。小太りの男は言葉もなく倒れた。全員が矢の飛んできたであろう方向に注目すると、ガサガサと足音が聞こえてくる。こちらに警戒するフシはなさそうだ。そして、茂みから顔をだしたのは、ロッドだった。

「おっと、こんな茂みにいるから、てっきり動物かと思ったよ。失敬」

「き、きさま! 何者だ!」

「悪いね、まさかヒトがこんなところにいると思わないからさー。あーあ、矢がもったいない」

ロッドは、飄々とした顔で、額から矢を抜いた。

「お、おまえあの店のマスター!」

カルロが気づいた。

「やぁ、エミリー、こんなところでピクニックかい?」

「助けてください! この人達に誘拐されそうなんです!」

「オイコラ、無視すんな! っていう、人一人殺しといてなんだその態度は!」

痩せた男は、剣を抜いた。ロッドはめんどくさそうに、立ち上がった。

「はぁ? 人? ヒトじゃねーだろ。この森は、人型のモンスターが多いからな、オークにゴブリン、ゴーレムなどなど。見間違えちゃいけねぇ、こいつはヒトに良く似た、ヒトデナシだ」

言うや否や、ロッドと男の間に斜めの軌跡が走った。抜刀から剣を引き上げるまで、肩も足も動かさないその所作は、何が起こったか理解するのに時間がかかった。服がはだけ、皮膚が裂け、鮮血が吹き出した。男の視線は、虚空を見つめながらどっと後ろに倒れた。

「キャッ!」

ようやく声を出したのは、エミリーだった。

「ククク、お見事ですコックさん。ですが、ここまでです。私の後ろには、軍隊がついています。私の一言であなたは重罪人にもできるのですよ?」

遠くから、人の声が聞こえる。多くの足音が聞こえる。

「あー、いたいた。ここだったのか」

やってきたのは、優男だった。男は、一瞬動揺したかのように見えたが、得意げな表情で、ロッドに迫った

「さぁ、今までの非礼を詫びるなら今です。ひざまずきなさい、そうすれば、特別に水に流して上げましょう」

「何いってんだこいつ?」

ロッドは、不思議そうなかおで男を見つめた。

「そうですか、あなたがそういう態度に出るなら仕方ありません。おい、こいつを逮捕しろ、罪状は殺人だ」

優男は、微笑みをたたえながら、カルロに告げた。

「ああ、あなたですね、街の娘を騙して色々な方面に売りさばいていたという男は。私はアレックス・サザーランド少佐。ラサウの奴隷商人の口を割らせました、カルロ・グアルディーニ、逮捕されるのはあなたです」

優男の部下と思われる兵が、カルロの両腕を掴んで連れて行く。カルロは、口をパクパクさせながら、宙を見上げていた。

「もしかして、自分の嘘を自分で信じ込んじゃうタイプか?」

アレックスは、ロッドに話しかけた。

「エミリーさんに相談されてから、軍内部の動きを探っていました。そしたら、どうも正しからざる力が働いていてね。そっちの摘発に時間がかかってしまった」

アレックスは、一つ咳払いをして、エミリーの前に立った。

「残念ですが、今回の不自然な配置転換を指示したのは、エミリーさん、あなたのお父様だ。」

「なんですって?」

「理由は、あなたそのものです。身分の釣り合わない彼と結婚させるのをためらったお父様が、上層部に圧力をかけたようです」

「エミリー! エミリーじゃないか! どうしてここに!」

更に駆けつけてきたのは、エミリーの恋人だった。

「ああ、あなた。無事だったのね! この御方が私を助けてくれたの」

恋人は、ロッドに向き直ると深々と頭を下げた。

「本当にありがとうございました。・・・あなたは、もしや先の大戦で活躍された、ロ・・・」

「人違いじゃねーの?」

ロッドは、わざとらしく大声で制した

「いいえ、間違いありません! 軍の中では、まだあなたは英雄です。どうか」

「俺はただのコックだ」

エミリーの恋人は、それ以上かける言葉を失った。そして、エミリーをエスコートして街へと戻っていった。



「ベラベラしゃべんなよ」

ロッドは煙草に火をつけ、ふーっと息を吐く。

「すまんね、どうしたって、士官学校で歴史の授業をやると、お前の話に触れなきゃならんのでな」

アレックスは苦笑いで頭をかいた。

「そんで、あの子に店に行くように言ったのはお前か?」

「そうだよ、お前の店なら慰めてくれると思って」

「あわよくば、解決してくれると思ったのか?」

「いや、さすがにそれはない。ちょっと慰めてくれればそれで良かったんだが、まさかこんなことになるとは。おかげでここ最近、市内で問題になってた事件が一つ解決したよ」

「やれやれ・・・」

国境付近での事件がから数日後、ロッドはいつものように、日が暮れる頃店を開ける準備に取り掛かった。開店を知らせる看板はまだ外に掲げていないが、一人の客が扉を開けた。

「すまないが、まだ準備中なんだ」

そう言いながら、扉に目をやると。そこに立っていたのは、エミリーだった。

「すいません、開店前の忙しいときにお邪魔して」

「いや、あんたなら構わないよ。どうしたんだい?」

ロッドは手を止めて、キッチンからカウンターへやってきた。

「私、家を出ました」

「どうして? お父さんと喧嘩したのかい?」

「いえ、今まで私がいかに守られすぎていたか、世間を知らなすぎたか。自分を恥じました。それで、お願いがあるのです」

エミリーは一呼吸置くと、決意を固めたように、告げた。

「ここで働かせてください!」



一話完

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料理人ロッド・ギャレット @Sekoinen

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