第2話 また会える日を夢見て
授業が終わり今日は技術室には向かわず学校を後にする。他の生徒が出てくるよりも先に下足箱で靴を履き替え、急足で自転車小屋に向かい自転車を引き出す。そのタイミングでようやく校舎中から賑やかな話し声が聞こえ始めた。その声を後ろに、カヅキはペダルを漕ぎ始める。
一旦は家に帰り、自室のドアを開ける。青いカーテンが引かれたままの部屋の中はまるで水の中にいるようだった。外の世界よりも幾分にも息がしやすい。制服を脱ぎすて勉強机に座り、カバンの中から教科書を出し今日の授業の復習を始める。家の中は物音ひとつしない。祖父母はまだ現役で仕事をこなしている。いつもならば、祖父母の帰宅はこの後出掛けるカヅキの帰宅とあまり変わらない時間になるはずだ。60を越えてもなお現役で仕事を続けている祖父母に、カヅキは罪悪感を抱いていた。本来ならばカヅキの母を育てあげた後には、悠々自適な生活が待っていたであろう。しかし現実には、その育てあげた娘が置いていった子供を次に育て上げることになってしまったのである。きっと、彼らには青天の霹靂だったに違いない。周りの同年代が現役を引退してもなお、自分のために働き続ける祖父母に、カヅキは頭が上がらなかった。
外の日が翳り始める頃。カヅキには時計を見ずとも勉強机の上のダウンライトでその時間を測ることができた。長年のルーティンである。黒に染め上げる部屋の中を見回し、私服に着替え、辺りに散らかしていた教科書や参考書をかき集め、ショルダーバックに詰め込み家を出た。
気がつくと外は雨が降っており、自転車を諦め、歩いて駅に向かう。定期券を改札機に通し、改札をくぐる。周りには同じ中学生の姿はなく、見当たるのは同じ市内にある中央高校の生徒の姿ばかりだった。彼らに囲まれ、カヅキは電車に揺られた。始終、ずっと窓の外を眺めていた。
駅に降り立ち、交差点を渡る。駅から丁度向かいにある雑居ビルの中に目当ての場所はあった。カヅキがそのドアを開けるなり、「カヅキこっち!」と甲高い声が部屋中に響いた。その声に呼応したように部屋中からカヅキに向けられた視線に怯えながら、入り口と反対奥の1番後ろの席、チトセの横に座る。
カヅキは祖父母の薦めで進学塾に通っていた。ただその場所はカヅキの通う中学から離れた校区、いわゆる別の校区にある塾だった。出来るだけ、同じ学校の生徒に会いたく無かったからだっただが、蓋を開けるとそうはいかなかった。40人ほどの教室に唯一同じ中学に通うチトセがいた。チトセはカヅキとクラスも違い話したこともなかったが、初めて言葉を交わすであろうカヅキを見るなり、さもそれが当然でもあるかのようにカヅキの隣に座った。その習慣が今日まで続いているのである。
そしてとどめに、塾の教室の机は3人がけの仕様ということもあり、学校の違う2人の隣に座ろうという猛者はいなかった。そしてカヅキとチトセだけの時間が始まる。
「今日、いつもより遅くない?」
カヅキに向かって身体を向き直し、気合の入った化粧をしているチトセはその進学塾には異様な光景であった。
「うん、一本電車乗り遅れて。」
「ふーん、あ、ねぇ。5組、歴史の試験終わった?答え教えてよ。」
机の上に置いた肘の上に顔を乗せ、気だるい声でチトセが聞き慣れたことを言う。カヅキはまだ頭の中に憶えている限りの単語をノートの端に並べる。真剣にそれを眺めるチトセからは嗅ぎ慣れない香水の匂いがほんのり香る。
「今日、やけに気合い入ってるね。」
ノートを眺めていたチトセと目が合う。なんだか気恥ずかしくカヅキは目を逸らした。
「なに何ー?私に惚れた??カヅキさーん。」
やけにしつこく顔を覗き込もうとするチトセを遮るかのように授業が始まり、カヅキはチトセからの執拗な嫌がらせから開放される。
「彼氏にふられたの。だからさ、次、ここにいい人いないかなーって。」
授業が始まるなり、小声でチトセが話す。今年に入ってもう何人目だろうか。こうやってチトセの色恋話を聞くのも、いつの間にかカヅキの日課になっていた。
チトセは清々しく、最初から「ここを選んだのは、中央中学の男子に興味がないから!やっぱ都会の学校の子がいい!」と声高らかに語った。要は出会い目的だと。不純な理由でこの塾を選んだチトセだったが、意外にも授業内容にもちゃんと付いて来れており、音を吐く事もなく今までもちゃんと続いている。格好も顔も派手なチトセは自分の話しばかりしたが、カヅキについて深く詮索するよなことはなかった。最初はその今風の雰囲気に苦手意識が出たが、今では心地よいものになっていた。チトセの話は誰も不幸にしない話ばかりだったからだ。そんなチトセは塾に来た時と今も変わらずカヅキと教室も離れており、学校で顔を合わせたことはなかった。学校でのチトセがどうやって過ごしているのか、見当もつかないくらい、カヅキとは住む世界が正反対に違う人間だった。
授業の終わりに「次の授業はここまでの試験な。復習きちんとして来てください。分からないことがあれば終了後受け付けます」との先生からの定期的な宣告があった。授業が終わりほかの生徒が立ち上がる中、カヅキは腕を上に伸ばし伸びをする。居てもたってもいられない隣のチトセがカヅキを覗き込み、何やら嬉しそうな顔をする。その理由は明確で、この春にこの塾に新しく入った他校の生徒についてだ。
「カヅキ!次、関谷君来るよね!?試験だし!」
楽しそうに話すチトセがカヅキのシャツの肩の先を掴んで左右に揺らす。「そうだね、来るかもね」と軽く返事を流しながら壁に貼られた簡単な成績表を眺めた。
チトセが話す関谷というのは、この進学塾の大部分を占める南部中学校に通う生徒だ。春に初めて関谷がこの教室に来た時、この教室が騒ついたのを憶えている。定期的に行われる試験では、その上位が掲示される。その成績が壁一面に貼られるわけなのだが、今まで最上位から揺るがなかったカヅキの順位を関谷は軽々と超えたのである。内心、穏やかではない。見た目もチトセが騒ぐだけあり、同じ中学生にしては背も高く顔も整っていた。試験のある日にしか来ず、それもいつも部活のジャージを着て来る。その日は授業は途中からしか受けず、授業の終わりにある試験だけはきちんと受けて帰る。本来なら先生も注意するだろうが、試験の結果がずば抜けて良い事もあり黙認されている。
教室ではクラスメイトとは関わらないよう勉強に専念しているカヅキとは違い、いかにも部活も学業にも充実している関谷をカヅキはライバル視していた。決してチトセのお気に入りだからなどではなく、中央中学校では味わえない、何をどうしても追いつけない自分よりも頭の良い誰かがいるという現状が、カヅキには新鮮であった。
週明けの月曜日。いつも通り技術室に向かっていると、同じく技術室に向かう野宮先生と一緒になった。紺色のジャージにくたびれたサンダルを履いた自分と一回り程度しか離れていないくらいの歳の野宮先生は理科が担当だ。技術は担当外である。なぜ技術工作部の顧問に掛け持ちしてでもなったのかとの問いには終始「大人の都合」とカッコつけて笑っていた。
「あー、たちばなぁ。なぁなぁ、お前、ロボコンって知ってる?」
ジャージのポケットに両手を入れ、サンダルのかかとを引きづりながら歩く先生がカヅキの横に並び話しかける。
「いえ、初めて聞きました。」
野宮先生がカヅキの方を向き、大きく首を傾げる。
「あー、知らないのね。うん、分かった分かった。なら、ちょっと先行ってて。メトロノームは一旦保留ね、今日違う事するから。」
と言い残し、かかとを軸にくるりと振り返り来た道を戻って行ってしまった。その場を去った野宮先生をカヅキは振り返りしばらく見ていた。自由奔放な猫のような、ヒラヒラと舞う蝶のような、野宮先生はよく分からない先生だった。
「あー、ちょっとさ、みんな来てくれる?ここにテレビ運びたいんだけど。」
その後技術室に現れた野宮先生の声続き、カヅキ達は教室を出た。体育館から校舎内へと歩き、周りに部活動中の生徒の姿が増えだす。その中を連れ立って歩くその見慣れない4人は、誰から見ても異様だっただろう。その4人が集うのは学校の端にある技術室だけで、同じクラスである3人とは違うクラスのカヅキにはそれ以外の接点はないのである。楽しそうに何かを話す野宮先生達から距離を置くようにカヅキは後ろを歩いた。いつも以上に学校内が窮屈へと感じ、段々と息苦しくなってゆく。いっそこのまま、カヅキは透明にでもなれたならいいのにと願った。
野宮先生に倉庫へと連れられ、いまではその用途を失った備品のテレビを引き出す。
「若宮とツカサでこれ持って。橘はDVDデッキ持ってよ。」
そう言いながら、野宮先生はテレビと一緒に置いてあったDVDデッキを持ち上げた。その瞬間、周囲に埃が広がり「うげっ」と声を上げた。
「ちょ、やっぱコレ俺持つわ。そっちのテレビも埃ヤバい?橘さ、濡れた雑巾準備しといてくれる?先、技術室行っといてよ。」
紺色のジャージを埃まみれにしながら野宮先生の言葉に頷き、倉庫を出た。雑巾を準備する名目で少し足早に校内を歩き、賑やかな笑い声が響く校舎から逃げるように技術室へと隠れた。
技術室の掃除用具入れからまだ比較的綺麗そうな雑巾を選んで、濡らすために洗面所へ向かう。ついでにバケツにも水を貯めた。バケツに水を入れている最中、開け放たれた体育館のドアからはバスケ部が簡単なパス練習をしている所だった。いつもならばそこに居るはずの人がいないのである。カヅキはそのボールの動きをずっと見つめていた。すると、見つめていたカヅキとバスケ部の生徒の1人と目が合った。カヅキは急いで目を逸らし、後ろを振り返った。水道の蛇口から溢れる水を見つめ、背中から何かに刺されるような重みを感じた。バケツの水は半分にも達していなかったが、水を止め、まだ濡れていない雑巾と共に洗面所を後にした。
戻ってきたツカサたちは案の定、制服から埃だらけになっていた。そのままテレビやDVDデッキの埃を落とし、電源を立ち上げた。DVDデッキとテレビとを接続するケーブルを繋いでいる野宮先生も、ツカサ達と同じくその紺色のジャージは埃まみれになっていた。カヅキは、先ほどまで綺麗な雑巾を触っていた自分の手を見つめる。
野宮先生は、ジャージのポケットから1枚のディスクを取り出し、DVDデッキにセットした。
「あ、リモコン忘れた。誰か持ってきてたりしない?」
との声に自慢げにセイジが胸ポケットからそのテレビと対になるであろうリモコンを取り出した。「お、やるじゃーん。サンキュー」と野宮先生が受けとり、チャンネルを切り替える。すると、画面一面に何やら慌ただしい景色が映し出された。
「先生、これ何?」
ツカサの質問に野宮先生が画面の一部を指差し、「コレ、俺な。」と言う。
「お前ら、高専ロボコンって知ってる?ロボットコンテストって言うのな。橘は知ってると思ったんだけどさ。まぁ、ちゃんとした映像無くてすまん、俺が出た時のヤツだから、俺らのチームのしかないんだけど許せよな?」
画面の中では、シンプルな作りをしたロボットがフィールド内を小気味よく動き回り、真ん中に置かれたポールを掴む動作をしている所だった。そのロボットは遠隔操作で動いており、フィールドの外に操作をする生徒の姿が見えた。野宮先生はその生徒から離れ、フィールド内を駆けるロボットを側から見て操作担当に声をかけているようだった。
「毎年、全国の高専生が色々駆使してこういう大会やってるのね。面白そうっしょ?」
シンプルな作りの先生たちのチームとは違い、相手チームは派手で大きく、その姿は圧巻だった。フィールドを縦横無尽に駆け回り、たくさんのポールを拾い集めて行く。
「ちなみにコレ、俺ら負けるし。これねぇ、相手強かったんだよねぇ。」
と野宮先生はケラケラと笑った。カヅキたちは画面を食い入るように見入っていた。なんだかソワソワしてくるのが分かった。
「これのさ、中学バージョンがあるんだけど、お前ら出ねぇ?」
それまで画面を見入っていた3人ともが顔を上げ、野宮先生を見つめた。
「コレの、中学バージョン。分かる?」
野宮先生が3人の顔を見回し、大事な事を伝えるかのようにもう一度繰り返した。その言葉を合図に3人で顔を見合わせる。そして、一瞬、静かな時間が流れた。お互いの顔を見合わせ、誰かの次の言葉を待つ。
「ん、だと思った。てか、もう申し込みしたし。今回のやつ、3人で1チームらしいし。お前らでちょうど良いだろ?早速準備するか!」
いきなりの事でカヅキは立ち上がった。カヅキはともかく、ツカサもセイジも技術工作部に費やせる時間はほとんど無いのである。それにも関わらず、先生は許可もなく勝手に申し込んだと言うのである。
「先生。待ってくださいよ。2人への負担考えて下さい。無謀です。こんなの…」
「てかさ、カヅキは?やりたくないの?」
ツカサがカヅキの言葉を遮った。
「いや、僕よりも2人の事でしょ。今でも結構忙しいだろうにさ」
ツカサがセイジに振り返り「お前はどう思う?」と尋ねる。
「俺に関しては、カヅキが思うほど忙しくないよ。俺はカヅキがやりたいならやる。ツカサは?」
「同感」と一言返し、ツカサとセイジがカヅキを振り返る。カヅキはどうしていいのか分からなくなった。
「まぁまぁ、俺がもう申し込んじまったんだし、大人しく参加しとけって。優勝しろって言ってるんじゃないんだからさ、とりあえず、お前ら中学生らしく何か青春しとけって。」
カヅキの隣の席に腰を下ろした野宮先生が、沸きらないカヅキに痺れを切らしたのか話をまとめた。青春。カヅキにとっては縁のないものだとずっと思っていたし、これからもそうなのだと思っていた。それがどんなものかも想像出来なかった。ただ、テレビの中では何年か前の先生が大声で走り回っていた。その顔は今と違い随分とキラキラしていた。そんな眩しい画面の中の先生を見ながら、カヅキは気がつくと「はい。」と呟いていた。
その言葉を待っていたかのように野宮先生がこれからのスケジュールについて楽しそうに話しだした。しかし、カヅキにはその声はもう届いていなかった。画面の中を走り回る先生の片隅に立つくたびれたスーツを着た男性に見覚えがあったからだ。制服のポケットからプラスドライバーを取り出す。
「血は争えないってヤツ?だよな、橘。」
きっと、野宮先生は最初から知っていたに違いない。その画面に映る何の変哲もない男性こそ、カヅキが会いたくて仕方のなかった人なのだと。そして、カヅキが原因で人生を狂わせてしまった人なのだと。カヅキの記憶の中にある父さんの工具箱を思い出す。深い青色の箱に貼ってあったステッカー、当時は分からなかったが、今では分かる。「高専ロボコン」と書いてあったのだった。
全てが繋がったその瞬間、カヅキの中で何かが弾けるのを感じた。いてもたってもいられないような、むず痒いような感情が巻き起こる。カヅキが野宮先生を見返した目が、そう感じさせたんだろう。「なんか届くといいな」と野宮先生が顔を傾げて笑った。
プラスドライバー 技術工作部・橘カヅキは普通じゃない 岩本ヒロキ @hiroki_s95
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