第62話 アーガレストの魔王
ヴァンとともに転移した先は、プラヴェス卿らが野営地としている焼け野原の少し手前。いきなりど真ん中に突っ込んでも良かったが、まだヴァンの転移に慣れていない人も多いだろうから余計な混乱を避けるためにも徒歩で近付く選択をした。
「しっかし……もう一人の古代龍種かあ……」
「そう警戒することはない。いきなり取って食われはしないさ」
思わずといった体で感想を零すと、ヴァンから物騒な返答が返ってくる。
ヴァンはこう言ってくれているが、俺としては正直ちょっと不安がある。確かに彼女の言う通り、ブルカ山脈にもう一人の古代龍種が居るということは情報として知ってはいた。
だが、俺とヴァンが出会い、国づくりに奔走し、実際に建国を宣誓し、諸々を整えていく中で結構な時間が経過している。古代龍種という立場から見れば瞬き程度の時間なのかもしれないが、その間に一度も存在すら感じられなかった、というのは少し違和感がある。
ブルカ山脈を擁するアーガレスト地方は国家の管轄にない。
そこをいきなりヴァンが治めると言い出したのである。
この山脈に居を構えるのであれば、そこに対してノーリアクションというのは出方が読めず、俺としてもどう対応したものかが分からない。
ヴァンの個人的な友人の枠に収まるだけならまだいいが、やれ運営に一枚噛ませろだとかやれ国なんて作りやがって等と文句を付けられたりするとちょっと困るのである。
ヴァンと同種ということは当然、それ相応の力を持っていると見るのが妥当だ。歪ながら折角ここまで整ったヴィニスヴィニク竜王国にちょっかいを出される可能性を考えると、ある程度は警戒せざるを得ない。
ただまあ、仮にちょっかいをかけられたとして俺がどうこう出来るレベルの話でもきっとないんだが。そこはヴァンに期待するしかない。
「これは竜王陛下! 宰相閣下!」
そんなことを考えながら歩を進めていると、警備兵の一人であろう男性に声をかけられる。どうやら野営地の警備範囲内に到着したらしい。
ビシッと敬礼を決めて俺とヴァンを出迎える一人の男は、俺から見てもすぐに分かるほどに緊張していた。
「ご苦労様です。プラヴェス卿はおられますか」
「はっ! ご案内致します」
そこまで畏まらなくてもなあと思うところはあるものの、俺も宰相という地位に収まっている以上、一兵卒から見たらやっぱり上位者に当たるんだろう。
相変わらず慣れはしないが、俺がしっかりと上位者として振舞っていなければ、結果的にヴィニスヴィニク竜王国に下った皆を裏切ることにもなってしまう。俺は俺でいい加減腹を括らねばならない。上がダメな組織は何をやってもダメなのである。
「こちらです」
警備兵に先導を任せながら歩くことしばし。以前ファルケラたちと寄った時にも案内された、見覚えのある家屋の前に辿り着く。
案内役の警備兵はそのまま扉をノックし、俺とヴァンの来訪を告げた。
程なくして出てきたのは、プラヴェス卿ともう一人。
俺と同じような黒髪を肩口程まで伸ばした、一見成熟した女性であった。
「これは陛下、閣下。ご足労頂き痛み入ります」
「やあヴァン、久し振りだね。あ、国王陛下って呼んだ方がいいかい?」
「呼び方は任せる。久し振りだねリューリュー」
リューリューと呼ばれた女性は、朗らかに挨拶を紡ぐ。
彼女たちの言う久し振りが、どれくらいの期間を指すのかは分からない。俺程度では足元にも及ばぬ古代龍種が揃い踏みだ、多分数十年とか、下手すれば数百年とかそういうレベルの話なのだろう。
黒髪の女性は見目だけで述べれば二十代半ばから三十代に差し掛かろうかと言うところ。実際の年齢は一先ず置いておくとして、ヴァンの容姿と比べると随分と大人びて見える。
ファルケラのような濡れ羽色とは違って日の光を浴びて微かに蒼く煌めく髪は、漆黒とはまた違う趣を感じさせた。
身長は俺よりは低そうだが、女性の平均から見るとそれよりは大きそうな、そんな体格。出るところはしっかり出ており引くところは引く、引き締まった抜群のプロポーションが布地の服の上からでもよく分かる。
わずかに青みがかった髪と、吸い寄せられるような漆黒の瞳。垂れ目がちな目尻と挨拶での言葉遣いも相まって、人当たりのよさそうな朗らかな雰囲気を醸し出していた。
「どうも、初めまして……えーっと……」
「ああ、ごめんごめん。私はリューリュー・フラッフェン・アーシェンドラウ。リューリューでもアーシェンでも好きに呼んでよ。いやあ、普段はヒトの国で過ごしてるんだけどさ、色々と噂を聞いてね」
こちらから投げかける言葉にやや窮していると、彼女――リューリューから先んじて自己紹介を受ける。その言葉の中に、無視できない響きを残して。
「噂、ですか」
「ん、そうそう」
人の国にまで達する、ヴァン、あるいはその周辺にまつわる噂。正直言ってあまりいい予測は立たなかった。
俺たちが人間の国に残した情報は少ない。
まず国家として俺たちが認識しているのはリシュテン王国とサバル共和国の二国だ。そのうちサバル共和国とは一切の関わりがない。人の口に戸を立てられない以上、国境を跨いで話が伝播する可能性はあるが、俺たちの境遇と類推される噂の内容を鑑みれば、リシュテン王国で起こったものと見るのが妥当。
多分、いやほぼ確実に、人間の国には俺たちが建国したという情報は伝わっていない。ゲルドイル卿との一戦の際にこの地方一帯を守護している、とは言ったが、それが国とまでは言っていないからだ。あの時はまだ建国もしていなかったしな。
そんな状況で人の国に立つ噂など大体が知れている。
凡そ大森林に巨大な竜が現れたとかそんな類のものだろう。あながち間違ってはいないが、その竜は単体ではなく、知性を持ち合わせた団体であると知られていないのは少し旗色が悪い。俺たちは人間の国と戦争をしたいわけではないのだ。
「ヴァンがブルカ山脈からわざわざ人間を追っ払いに大森林まで出張ってくるなんて、私からしたらあり得ない。でも、王国では今その話で持ち切りさ。緘口令は一応敷かれてはいるけど、ね」
にやりと口元と緩ませ、リューリューが紡ぐ。
王国、か。やはりリシュテン王国で起こった噂とみて間違いないだろうな。
「緘口令……」
ただし、気になったのはそれより後の情報。
緘口令が敷かれている情報を彼女は知っており、更に『緘口令が敷かれていること』も知っている。
古代龍種には違いないんだろうが、彼女は果たして王国内でどのような立ち位置を築いているのか、それがちょっと気になった。
「そうそう。ま、人の口に戸は立てられないって言うし?」
リューリューの態度は変わらない。飄々としたままである。
うーん、とは言え彼女の立ち位置を俺たちが知ったとて、それが何かに影響するかと問われれば微妙でもある。
何らかの情報を取得出来る立場、または発信出来る立場に居るのであれば、使いようはあると思う。しかし、忘れそうになるが彼女もヴァンと同じ古代龍種。そもそもが俺の都合で『使う』ということ自体不可能と見た方がいい。
であれば、彼女にはあまりこちらの内部情報を渡さない方がいいのかもしれない。そもそも手綱を抑えるのが不可能な相手だから、出て行く情報を絞ろうという魂胆だ。
ヴァンの強制力も、同じ古代龍種にどれだけ通じるのかも分からない。そもそもどっちが強いんだという話にもなる。少なくともヴァンとリューリューは険悪な仲ではなさそうだが、かと言って一方の要求を無条件に呑める程、その戦力差は大きくはないはずだ。
「色々考えてる顔だねぇ」
「あ……いや、すみません、ついつい」
色々と考えていたら、リューリューから覗き込むように顔を見られていた。
彼女は彼女で非常に整った顔たちをしているが、生憎と言うか何というか、そういう手合いはヴァンで間に合ってしまっている。俺の中でヴァンという最高得点が揺るがないから、今の俺は色仕掛けに引っ掛からない自信がある。
いやそれは言い過ぎか。本気で誘惑されたら怪しいかもしれん。まあそんな機会ないと思うけど。
しかし何にせよ、客人を放置して考えに耽るってのはあまりよくない。いかんなあ、考え込んでしまうのは俺の悪い癖だ。少なくとも人が居る前では控えた方がいいと思うのだが、生まれ持った性分なのか中々制御が難しい。
「ところで、リューリューさんはその噂をヴァンに伝えるために?」
話題をちょっと変えてみる。そもそも、リューリューがこのブルカ山脈に戻ってきた理由だ。そこからヴァンとの関係値を少しでも割り出せれば良し、と考えた質問だった。
「あー、それもあるんだけど。噂の実物を見に来た、が一番大きいかな」
うん? 噂の実物ってそれはつまりヴァンのことじゃないのか。彼女とヴァンは古い知己であるようだし、噂の実物を見に来た、という表現は少し違和感がある。
「……つまり、ヴァンに会いに来たということでしょうか」
だもんで、訊いてみることにした。
「え? ……あー、違う違う。念のため聞いとくけど、君、人間だよね?」
「? ……はい、人間ですが……」
うーむ。問答の意図が読めない。俺は人間だしそこに間違いはないのだが、それが王国内の噂とどう繋がるのかが分からない。
だって噂の中心はどう考えたってヴァンである。ヴァンという固有名詞が伝わっていない可能性は大きいが、それでも古代龍種がしゃしゃり出て話題にならない方がおかしい。その存在に比べたら俺なんて、それこそ羽虫もいいところである。
「君、凄いよ。強大な竜を従える魔王。アーガレストの魔王って呼ばれてるんだから。で、この地域の強大な竜なんてヴァンくらいしか思いつかないし。ヴァンを従えてるなんて誰だよそいつは! って思って見に来たってわけ」
「……は?」
なんて?
――フルクメリア大陸東部に位置するブルカ山脈。
険しい山々が聳え立つこの地を首都とした前代未聞の異種族国家、ヴィニスヴィニク竜王国。後に紡がれる人々の歴史では、強大な竜王を従える漆黒の魔王の存在が記されている。決して表舞台には顔を出さない、アーガレストの真の王として、その威容は長く伝えられることとなる……のは、もう少し後のお話。
異世界保険労務士ハルバ 佐賀崎しげる @s_sagazaki
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