人魚と夕陽

鷹宮悠くん

人魚と夕陽

「愛してるわ。ねえどうか....」

「愛してるよ。それはできない。」

夏の海。浜辺で語り合男女。

女の頬は熟れたリンゴのように赤く、男の顔はそれに対して非常に冷静であった。

男にすがるように言葉を投げる女を置いて男は立ち上がる。

「愛してるの!信じて...」

「信じてるよ。」

男は振り向きもしなかった。


秋が深まり、夜が来るのが早くなる。

夕焼けがもう海に溶けかけていて、頬を撫でる風がチクチクと痛い寒さを伝えてくる。

波は防波堤に当たって飛沫をあげる。

繰り返される大きな音にもう慣れるほど関口達はここにいる。

関口と中村は砂があまりついていないベンチに座って笹川を見つめた。

砂浜に直に座る笹川は小さな小瓶を大切に両手で持っている。

そしてそれを愛おしそうに見ているのだ。

毎日、毎日だ。

あの小瓶は呪いなのだ。

もう空は先程までの暖かさを失い、海は深い黒を纏いつつあった。

このまま放っておいてはいけないが、2人がかりで引っ張ってもどうすることもできない。

この夕日が溶けきる時間まで関口達は笹川を見守ることしかできないのだ。


それは1ヶ月前のことだった。

もう秋が近いというのにセミの声がうるさい日だった。

うんざりしながら1日授業を受けた後。

今日もクーラーの効いた部室で受験勉強をしようと関口は部室の扉を開けた。

中にはすでに部長の中村がおり、3つ机を並べて待っていた。

「関口ーおっせぇわ!」

「そっちのクラスがはやいんだ」

鞄を置いて座ると中村は過去問のプリントを机に置く。

ただそれだけであとはスマホを弄っている。

関口も同じようにスマホを弄る。

もう1人の部活のメンバー、笹川を待っているのだ。

彼が来ないと始まらない。というか元々は笹川の成績アップのために集まっているのだ。

関口も中村も志望大学の合格圏内で心に余裕がある。

笹川が泣きついて来なかったら部室で受験勉強なんて絶対にやらなかっただろう。

しかし、いくら待っても笹川は部室に来なかった。

オカルト研究部とは部活とは名ばかりの集まってだらだらするだけのものではあるが、休む時は誰かに知らせなくてはならない。そういうルールがある。

「笹川来なくね!」

中村は持ってきたトランプを勢いよく机へ置く。鞄からはUNOとカード人狼などが覗いていた。

中村は受験勉強などと言いながら最初から遊ぶ気満々であった。

3人以上いないと遊べないから待っていたと言える。

「クラス違うから知らないが....ホームルームが長引いているのか」

「いやいや1時間も長引くわけないでしょ!サボりだサボり!勉強嫌になったんだよ!」

「それもそうだ。」

関口は今朝発売された週刊誌をペラペラとめくる。

ふと、占いのページに目を止めた。

「笹川くん、恋愛運がマックスらしいぞ今週」

「かーーーーーんけいっない!笹川に限って恋愛とかナイナイ!」

一際大きい声で中村は言う。

「中村くんは恋愛運低い。」

「はぁーーー!?!??」

中村は裏返った声で叫ぶ。気を悪くしたようだ。

そういう関口も中村とどっこいどっこいの恋愛運だったがそれに関しては言わないでおいた。

「勉強運もあまり良くない。」

「そりゃどーも!」

中村は鞄にトランプを無造作に突っ込みながら部室の鍵を握る。

「笹川来ないからもう帰ろうぜ!休暇休暇!部活の休暇!」

「休部...」

関口も鞄を肩にかけて帰宅の準備をする。

とはいえ時間があった。

田舎だから特に遊ぶ場所はないし、この時間ゲームセンターには不良がいることを知っている。

なのでまだ夏が残る空の下、クーラーのない場所海の家でかき氷を食べようと提案したのはどちらからだったか。

いつもは笹川が提案していたように思う。

「あれ?今日は笹川くんいないのかい?」

かき氷を運んできた店長に声をかけられる。

店長は浅黒く焦げた肌の笑顔が似合うおじさんだ。

関口達がくると毎日同じ味のかき氷を持ってくる。

3年間毎年通っているので注文しなくても同じ味のを出してくれる。

夏休み中も毎日、同じかき氷を食べていた。

中村は他の味が食べたいんだけど、と1年生の頃は文句を言っていたが今では慣れたように食べている。

七色のシロップが掛かったかき氷は冷たくて美味しい。

味はただただ甘いだけである。

3つ作ったんだけどなとぼやきながら店長は関口達の前に座って自分もかき氷を食べ始める。

「店長きいてよー!笹川がさー!来なかったの!部活に!」

「風邪で学校休んでたとかじゃなくて?」

「休んでない!朝会ったし!」

「俺は体育の時間に会った。」

「早退したとか?」

店長の言葉に関口と中村は目を見合わせる。

「「ない」」

「ハハハ、そうだよな。君たちが風邪をひいて来なかった日も笹川君だけここに来ていたんだよ。」

そんなことがあったのか、と関口はかき氷を口に運んだ。

かき氷を食べながら3人でトランプをしていた時だった。

ふらふらと笹川が歩いてきたのは。

「あ、あれ笹川くんじゃない?」

トランプで負けかけていた店長の言葉で2人は気づいた。

浜辺の方を見ると確かに笹川が歩いている。

「あ、笹川じゃん!」

「笹川くん。」

中村がカードを投げ出して笹川に向かって駆けていく。

それを片付けながら関口が店長にお礼を言っていると店長は不思議そうな声を出した。

「笹川くんってあんな感じだっけ?」

「なんですか」

カードをケースに戻し、関口が振り返るとズンズン海へ向かう笹川が見えた。もう足元まで水に浸かっている。

それを必死で中村が引き留めているところだ。

「どうしてあんな事に!?」

中村の体格では笹川を抑え続けることは難しいだろう。

「関口ーーー!!!早くきてーーーー!!!」

中村の声にハッとして関口は動く。

「今行く!」


何かに操られているかの様に沖へ沖へと進む笹川を助けれたのは海の家の店長のおかげであった。

体格が小さい中村はともかく、大きく力も強い関口さえも笹川の力に敵わなかった。

もう少しで沈むというところで浮き輪を放り投げてくれた店長のおかげで助かったのだ。

足がつかなくなったところで笹川は止まったが、関口と中村の声は全く聞こえていない様子であった。

ぼんやりと夕陽を見つめている。

止まったと言ったが、足がつくのならまだ先に進んでたのではないかと予想された。

低身長の中村が必死に笹川の入った浮き輪にしがみついて言う。

「なにこれぇ!一体なに!?」

「なんだろうか」

足のつくギリギリで浮き輪の紐を握りしめて関口は考えこむ。

笹川は夕陽を見ている。

真っ赤な夕陽に頬が照らされてまるで恋をしている様だ。

どれだけ中村が声をかけても笹川は反応しない、胸ぐらを掴んでこちらをむかせようとしても夕陽から目を逸らさないのだ。

中村の瞳には絶望の色が浮かぶ。

「笹川、いい加減にしろ。」

関口が声をかけてもやはり反応はない。

時間にしてはそれほど長い時間ではないだろう。

30分程だっただろうか。

店長がボートで助けにきてくれた頃、夕陽が沈んだと同時に笹川は意識を失った。


「人魚に恋されたな。」

海から上がってタオルで体を拭いていたときに店長が言った。

先程まで『制服のまま海に飛び込んでベタベタになった』と騒ぎながら笹川を叩いていた中村が急に大人しくなる。

「人魚....?」

店長は関口と中村の顔を見てゆっくり頷く。

「毎年何人か居るんだよ。海の中に入って自殺する奴らが。」

関口はゴクリと息を飲み込む。つまり、それは。

「笹川は死ぬってことですか?」

中村は言う。ジッと店長の目を見つめて。

店長は悲しそうな顔をする。

「このままだとおそらく。....人魚伝説、聞いてくれるか?」

2人は頷いた。


『人魚伝説』

この海には人魚が居た。

人魚は素敵な男性に恋をした。

彼を誘うために何度も呼びかけ、呼びかけ、ついに彼が海に来てくれた。

夕陽の中、結ばれる2人。

しかし男性は人間である。

海の中では当然息ができずに死んでしまう。

人魚は「彼は運命の人じゃなかった」として何人も何人も連れ去る。

海の中で共に幸せに暮らせる人間を探しているのだ。

長い間、ずっと。ずっと。


「夕方っていうのは人じゃないものの声が聞こえやすい時間だというだろう。」

「ひどい人魚だ」

関口は言う。それに対して中村も頷く。

店長は笑った。

「ひどい話って思ってくれる様なヤツはきっと惚れられないさ、人魚に。」

では笹川は違ったのだろうか。

「人魚か...」

中村は声を出す。

「不老不死伝説のある人魚の肉を食べたらいいだけなのになんで男は人魚の肉を食べなかったんだ?」

爪のひとかけらでも食べたら水の中で息くらいできるだろうと中村は言う。

店長は苦笑いを浮かべた。

「好きな女の子の肉、食べたいかい。」

「それは気持ち悪いですね。」

「うわグロい〜想像しちゃった!」

中村はウエッと声を出す。

中村はオカルト研究部だがグロいのは苦手なのだ。

店長は棚をいじりながら言う。

「そうだな。爪とかじゃダメなんじゃないかな。結構ガッツリ行かないと。」

「グロいこと言わないで!」

中村が怯えるのが楽しいのか店長は笑っている。

そしてこちらを振り向いた時には手に小瓶を握っていた。

中には水と虹色に輝く鱗が入っている。

「これは人魚の鱗だ。これを持っていたらきっと海に入らないとおもう。」

そう言って笹川の手に握らせる。

「あとで笹川くんに肌身離さないように伝えてくれ。」

「なんでそんなの持っているんですか。」

関口は聞いた。それに店長は真顔で答える。

「俺は夏の海が好きだからね。」

返事になっていない返事だ。

ただ、その言葉と表情を見て深く詮索すべきではないと感じた。

ここは大人しく従っていた方がいい。

この気のいい海の家の店長が何なのか、知らない方がいいと関口は思った。

店長はそれを見てにこりと笑う。

「じゃあ家の人に連絡して迎えに来てもらおうか。」

その言葉に中村と関口は大人しく頷いた。


「えっ!俺、人魚に恋されてんの!?!」

翌朝、笹川の家に泊まった関口と中村は事情を説明した。

昨日の記憶が全くないらしく、いつもの笹川と変わらない様子だ。

それにホッと胸を撫で下ろす。昨日のことは夢だったのかもしれないなんて思ってしまう。

「...もしさー、人魚に告られたら断らなきゃいけないよな。」

「もう言い寄られてるんだ。」

「てゆーか!笹川、心当たりないのこんな事になった!」

笹川は頭をかく。

なぜか俯いて頬は真っ赤である。

「夢で、綺麗なお姉さんにさ...おっぱいを...」

そして口を閉じる。

「....シャワー浴びてくるわ!」

そう言って笹川は部屋を飛び出した。

中村は頭を抱える。

「ダメだわこれぇ!!」

関口もため息をついた。


学校へ共に向かい、教室の前で別れる。

休み時間は一緒に過ごした。

しかし放課後になると荷物を置いて笹川は消えてしまった。

そして昨日と同じように夕方付近になると浜辺にやってくる。

しかし、昨日と違って笹川は海へ入ろうとはしなかった。

関口と中村は心配で近くに座る。

声はやはり届かない。

笹川は小瓶を見つめてうっとりしていた。

小瓶の中の水が夕焼けを受けて海のようなオレンジ色に染まり、その中でキラキラと鱗も同じ色に輝いている。

笹川は呪われてしまった。

恋をされるがゆえに恋をしてしまった。

夢で見たと言う女性。彼女が人魚ならば、笹川は断り続けることができるのだろうか。

関口は笹川の腕を握る。

反対の腕を中村が握っているのが見えた。


そして1ヶ月間、笹川は海に入っていない。

海の家は夏季限定なのでもう閉まっている。

店長が好きな夏の海は終わった。

やはり笹川は朝や昼はいつもどおりなのに夕方が近づくとフラフラと砂浜に来ている。

1ヶ月も繰り返していると流石に疲れが見えて、教室で寝ていることが多いと笹川のクラスメイトに教えてもらった。

もう冷たくなった浜辺で笹川は今日も気を失う。

それを2人がかりで抱えて笹川の家に連れて帰るのが日課になっている。

笹川は一人暮らしだ。

関口達は笹川が目を覚ますまで笹川のそばに居た。

笹川が見つめていた小瓶の中の鱗は虹色から変色し赤へ、そして今はもう黒に近い色になっていた。

この変化が悪いものならば笹川が連れていかれるのではないかと関口達は心配でならなかったのだ。

誰かに伝えようにも海の家の店長はもう居ない。

2人は慣れた様子で笹川の部屋の机の前に座り、受験勉強を始める。

今週末に中間試験がある。集中なんてできっこないが勉強をしなくてはいけない。

笹川は眠ったままだ。

だいたい2時間ぐらいで起きるのだが今日は嫌に長い。

「てゆーか、笹川も受験生なのにな。」

「一緒の大学行けるといいが」

ポツポツと雑談を交わす。

1ヶ月前までは3人で受験勉強をしていたのだ。

少ししんみりとした空気が流れる。

関口の鞄には1ヶ月前の週刊誌が入りっぱなし。

中村の鞄からカードゲーム類が消えてもう数週間が経っている。

友達がこんな状態なのに何もできない自分たちがもどかしかった。

カリカリと問題集に滑らせるシャーペンの音だけが聞こえる。

関口と中村は声を出さない。

たまに笹川の様子を見て起きてないか確認するだけだ。

ふいにパリンと小さな音がした。

耳を澄まさないと聞こえない様な、喋っていたら聞こえなかったであろう音。

一度だけの音を頼りに場所を特定するのは無理ではあったが明らかに変化したものが一つあった。

それは笹川の枕元に置かれた小瓶。

「あ....」

「鱗....」

真っ黒に染まった鱗は粉々に割れて水に溶けていた。

笹川が少し呻く。2人はそちらに目をむけた。

「ごめん....君の...気持ちには....」

小さな声は確かに告白を断る声だ。

笹川は涙をホロホロと流す。

「応えれ....ない....」

そういうとまた寝息を立てて眠ってしまう。

関口と中村は体から力が抜けるのを感じた。

全部終わったのだ。

きっと全部終わった。

今のは夕焼けが終わる瞬間だった。

人魚の恋は闇に溶けて終わったのだ。

小瓶の中の水は真っ黒で、それは夜の海に似ていた。

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人魚と夕陽 鷹宮悠くん @Miya_28O

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