最終話 さようなら。お嬢様。

エリーナ先生とのやり取りが終えた俺は家に帰宅している。

それも、僅かながら手を交えたばかりのエリーナ先生の車(助手席)に乗りながら……。

「………………」

「………………」

かれこれ五分間は沈黙状態。

たかが五分といえど、狭い空間の中、隣でずっと黙っているというのは居心地が悪いものだ。

スマホゲームでもして気を紛らわそうと思ったが、そういう気分でも無い。

だから俺は、寝ているフリをする事にした。

「ふふっ。今度は寝ているフリかしら?」

……ったく。この先生は何処まで見抜いてやがる。

「眠いんですよ……。本当に」

これは本当だ。本当に体が疲れている。

今思えば、入学してからの短期間で物語の主人公かよってぐらいにハプニングがあったな。

もしかして俺、不幸体質なのかしら……。

いや、そこまで不幸という不幸でもなかったのかもしれない。


お嬢様と本音をぶつけ合い、自分の進むべき道が見つけられた事。

アリサの想いを晴らす為にギルドと正面からぶつかり合い、打ち解けた事。



––––––何より一番大きかったのはお嬢様との『出会い』だろう。



去年失った『アリサ』に似ていたのだから何かの縁だったのかもしれない。

アリサが導いたのか。それとも、諦めきれなかった俺の想いが仮初となって叶ったのか。


それとも、ただの偶然なのか。



どれにも考えられる候補に、明確な答えなど無いと結論付けた俺は思考を切り替える。



––––––お嬢様に、どう別れを告げようか。



     ★



「……ただいま戻りました」

屋敷に戻って帰りの挨拶をすると、最初に迎えてくれたのは数名のメイド……ではなく、『お嬢様』だった。

「……遅かったわね」

「……申し訳ございません」

「今、何時だと思っているの?」

俺は腕時計に目をやる。

「……十九時ですね」

夕食は十六時に食べ始めるので、普段の生活からしたら大分ロスをしてしまった。

「もう、夕食は食べ終わったのですよね?」

「……まだよ」

「えっ」

「別にアンタを待っていたわけじゃないけど……そう! ただでさえぼっちのシノンを一人で食事させるのは可愛そうと思っただけ! ほんっと! 食事相手になってくれる私に感謝しなさい!」

別に孤食は慣れているので先に食べてて良かったのだが……。

でも、お嬢様の言うとおり、食事は一人より一緒に食べた方が美味しいと言うのは経験から理解している。

な? アリサ。

「ありがとうございます、お嬢様。––––––ところで、顔が随分と紅いようですが熱でもあるのですか?」

「はっ、はああっ!? べ、別に熱くなんかないわけじゃない気がするようなしないようでもないけれどっ……だ、暖房が効きすぎているのよ!」

おかしいな。設定は二十四度のはずなんだけど。

まぁ取り敢えず、体調不良なわけでは無さそうだ。

ガーガーピーピーうるさいのはいつも通り。

それはつまり、いつものお嬢様という事。

うむ。相変わらずポンコツの雰囲気も漂っている。

「では、直ぐに食事の支度をしますね」

「あ、私も手伝うよー。––––––わあっ!?」

キッチンにスタスタ向かって行く俺を追って、とてとてと小走りで付いて来るお嬢様。

そしてすぐさま、綺麗に前方に向かってベターンと転んでしまう。

何かに引っ掛かったのだろうか?

俺はスッと振り向き、倒れているお嬢様の所まで歩いて行き、手を差し伸べる。

「お嬢様は何もしない事が手伝いです」



     ★



お嬢様と『最後の食事』を済ませた俺とお嬢様。

その後は食器を片付け、各自部屋に戻って自由時間を過ごしている。

いつもなら趣味のスマホゲームして寛いでいるのだが、そんな自由時間も『今の俺』にとって自由と言える程穏やかな時間ではいられなかった。

「行くか……」

俺は覚悟を決め、重い足を何とか動かし、ドアノブを握った。

べっとりとした手汗と吐き気がするような緊張が、収まる事は無かった。



     ★



一段一段と、階段を登る俺の足は相変わらず重かった。

いつもなら一瞬で着くお嬢様の部屋への道のりは、何処か近いようで遠く感じた。

いつもなら平気でノックせずに入れるはずが、今回ばかりは躊躇させられた。

恐怖と後悔が入り混じったような嫌な感覚にさせられる。

それでも俺は、一歩を踏み出し、この扉を抜けなければならない。

扉の先にいるお嬢様と、今度は俺が真正面に向き合わなければならない。

覚悟を決めた筈なのに、いざ本番となるとメンタルの弱さを自覚する。

確か執事の採用面接も似たような気持ちだったなぁ……と思い出に浸る。

その一瞬の心の隙を利用して、俺はドアを二回ノックした。


コンコンという擬音が、終わりの告げに感じた。



     ★



「どうぞ」

「……失礼します」

「あら、シノンがノックなんて珍しいわね」

「まあ……そうですね」

ぎこちない返事に疑問を感じたのか、早速お嬢様は怪訝そうな顔を向けてくる。

「……どうしたの?」

俺は一呼吸をゆっくり置いた後、エリーナ先生との決断を話す事にした。



     ★


「今の……本気で言っているの?」

「はい……」

「…………」

まだ結論だけしか言っていないのに、既に空気はこれ以上ない重いものへと変わっていた。

そして話がややこしくならないよう、エリーナ先生が絡んでいる事は伏せておいた。



「本当に……『この町から引っ越す』のね?」



そう。俺は『ここでも本当の事は言わない』。

今日の帰り道、エリーナ先生に『再確認だけど、私の執事として全うするという事で良いのよね?』と尋ねられ、それに対して俺は頷きながら承認した。

言葉の表面上、互いに契約は結ばれたのだ。


––––––もちろん、嘘だ。俺はエリーナ先生の執事にはならない。


きっとあの場で断れば、エリーナ先生は容赦無く様々無手段を用いて俺を無理やり手中に収めようとしてくれるだろう。

お嬢様である以上、それを実行出来るほどの財政は持ち合わせている筈だ。

元々、俺には拒否権などなかったのだ。


じゃあ、どうするか。簡単だ。



『誰にも周知せずに、この町から引っ越せば良い』。



エリーナ先生は言っていた。


エリーナ先生の執事になって忠実に業務を全うしてくれれば、一生困らない報酬を与えてあげると。


俺はこの言葉を利用して、エリーナ先生には『学校は辞めて、エリーナ先生の執事として一生雇わせてください。報酬だけ守ってくださいよ?』と。


その後、俺は真実味を漂わせる為に自然にスマホゲームの画面を見せ付けた。

スマホゲームに課金したいので、と思わせる為だ。

人の嘘を見破る事に長けているエリーナ先生にはこうでもしないと嘘を隠せない。


嘘というのは、真実で覆い包むからこそ信憑性が増すのだ。


結果、エリーナ先生は疑う事なく、すんなりと承諾してくれた。

俺の嘘は、無事成功。

後はこの町からこっそり姿を消し、存在を特定されなければ俺のミッションは終了となる。

流石に一人の執事を雇う為に、全国捜査まではしないだろう。

したらしたで、その時に考えれば良い。

今はとにかく、『この場から消え去る』というのがベストな答えなのだ。


––––––そして暫くは……当分は……もしかしたら二度と……。この町に出向く事はしないだろう。


嘘というのは便利なものだなと、初めて実感した気がする。

これから先、俺は『あの時、嘘をついてしまった』という罪悪感を持って一生を過ごして行く事になるのだろう。

癒える事のない。消える事のない。深い傷跡を残したまま……。


「急なご連絡で申し訳ございません。どうしても、祖父母の世話をしなければなくなってしまって……」

お嬢様には引っ越す理由として、祖父母の体調が悪化し、一日中世話をしなければならないと伝えた。

勿論、これも嘘だ。

祖父母は悲しくも他界していて、一人っ子の俺を貧乏ながらも懸命にここまで育ててくれた両親も……祖父母と共に行ってしまっている。

お嬢様にも言いたい事は山程あるのだろうが、これに関してばかりは何も言えない事だろう。

他所の家庭に口を挟むのは失礼に当たるし、何より人の命が関わっている。

無責任な事は言えない筈だ。

だからお嬢様は。

「……………………………………………………わかった、わ」

今にも泣き崩れてしまいそうな、くしゃっと顔を険しくするお嬢様。

その顔を、俺は見つめる事が出来なかった。……見つめられるわけがない。

本音も言えず、嘘の色で塗り替えた俺の言葉をお嬢様は真摯に受け止めていて……自分で考えて、自分で言っておきながら、自分で傷ついてしまう。


もしかしたら……。ポンコツなのは––––––俺の方だったのかもしれないな。


今にも潰されてしまいそうな重たい空気が長く続くかと思っていたが、俺が一か八かの賭けみたいに立ち去るも、お嬢様は引き止めようとはしなかった。



     ★



お嬢様に話を告げ終えてから二日後。


俺は手にキャリーケースを引き、お嬢様は俺の背を見届けている。

俺は何となく振り返り、お嬢様と最後の顔合わせをする。

お嬢様は何処となく覚悟を決めたように澄んだ瞳をしていて、それを見た俺は何故だか安心してしまう。

「では、短い間でしたがお世話に––––––」

「ちょっと待って」

「?」

頭を下げようとしたのその時、お嬢様は一歩俺に近づく。


「––––––!」


俺の額に、二層の柔らかい感触が伝わる。


「おっ、えっ、あっ……えぇッ!?」

「かっ、勘違いしないでよ! これはアリス家の特別な挨拶というか、そういうのだから!!」

「そういうのは、普通手にするものじゃないのか?」

「ああんもう! いいの! 大人しく受け取っておけばいいのよ! バカ! バカシノン! バカ! バカ! バカァ!」

「えぇ……」

最後の挨拶だというのに、バカの連呼だとは……。まぁ、お嬢様らしいったらお嬢か。

ある意味、これで良かったのかもしれないな。

「では今度こそ。短い間でしたが、お世話になりました」

真っ直ぐと向き合い、見つめ合う。

「ええ。こちらこそ、大変お世話になりました」

互いに、微笑み合う。

「では、またどこかでお会いしましょう」

「ええ。いつか会える日を、楽しみにして待っているわ」

もう一度、微笑み合う。

これが最後の顔合わせとなった。

でも、もう大丈夫。

お嬢様の真っ直ぐな瞳は、しっかりと焼き付けた。

あれだけ強ければ、俺なんていなくても大丈夫だろう。

俺はもう用済みだ

後は、信頼出来る友達が一人出来れば言う事は無い。

今度会ったなら、紹介してもらう事にしよう。美少女だったら良いな〜。

おっと、いけない。こんな下心満載じゃ、お嬢様にまた暴力による制裁が加えられてしまう。

––––––……そうか。そうだった。もう俺は、お嬢様の執事ではなくなったんだ。

「……またな。アリス」

そう呟いた時には既に、お嬢様の姿が視界から映らない所まで進んでしまっていた。

見えるのは、住宅街によっても僅かに頭が隠し切れていない屋敷の屋根だけ。

歩みを進める度に、どんどん距離が離れて行き、姿も小さくなっていく。

最寄り駅にたどり着いた時には、屋敷の姿は完全に消えたのだ。


駅のチャイムが終わりの合図と同時に、始まりの合図のようにも感じた。



     ★



––––––三年後。


私の名前は『アリス』。今日から大学生となる可憐なる美少女だ。

今日はそんな大学生のスタートともなる、入学式でもある。


––––––ピンポーン。

「え、もう来たの!? 待ち合わせまで後二十分もあるんだけど!?」

私は慌てての残りの身支度を済ませ、すぐさまに玄関を出る。

「おっはよー! アリスー!」

「おはよう。リサ。ちょっと来るの早くない!」

「えへへっ。緊張して早く来ちゃった」

「何よ、それ」

ププッと小さな笑いが起こる。

「ま、遅刻するよりマシね。では、行きましょうか」

「うん!」

そう。この子の名前は『リサ』。

見ての通り金髪ロングの美少女で、スタイルも抜群。

胸の発達も順調そうで、服が適度に盛り上がっている。これは男子も釣られてしまう事だろう。悔しい。

リサとの出会いは、シノンと別れてから一週間足らずで出会った。

元々同じクラスメイトなのだけど、やっぱり最初は緊張して話し掛けるのが難しかったみたい。

そんなある日、体育の時にペアを組んだのが本格的に関わるきっかけとなった。

話してみて思った事は、彼女は何処か……シノンが言っていた『アリサさん』に似ているなぁという所。

大雑把な部分しか聞いていないからそう決めつけるのはどうかと思うかもしれないけど、シノンが言っていた特徴には全て当てはまっている。

たまに天然な部分もあるけれど、性格もお人好しで、芯が強くて、人望も厚い。

ちょっと、憧れちゃうな……。

「あっ、アリス! みてみて! ウチらの大学が見えてきたよ!」

子供が初めて遊園地に来たかのようにテンションが高くなり始めるリサ。

「分かったから。そんなにはしゃがないの」

「えー? だって、念願の志望大学生になれる時が来るんだよ? こんなのテンションがあがっちゃうでしょ!」

「まぁ、そうね」

そう。ここ『桜花大学』は、偏差値は高くも低くもなく中間でありながら、施設の充実さや綺麗さ、学費も全国的に比べて安いというのもあり、大変人気で倍率が高い大学となっている。

そして何故か、美少年美少女が集まるという謎の現象もあり、それを狙って受験する男女も少なくはない。ってか、男に関してはそれが大半だ。

「でも、リサも気をつけなさい? 桜花大学は噂じゃ、男子は性欲溢れる猛者が多いらしいわよ?」

「大丈夫大丈夫。私にはアリサがついているもん。きっと、男子は近づくのを躊躇うと思うよ?」

「それ、褒めているのよね?」

ん? リサちゃん? ん? こっちを見なさい?

「あ、噂をすれば……かな?」

リサが前方に指差して言う。

そこには正門付近で一人の女性をナンパしている一人の男性だった。

男性はぐいぐいと女性に話し掛けていて、女性は戸惑いながらも誰かにヘルプを求めているような感じだ。

どちらも正門を潜り抜けて進んで行く為、桜花大学生だと見える。

「––––––––––––––––––。はぁ〜……。ちょっと止めに入ってくるわ」

「おっ、さすがアリサ! 行ってら!」

私は駆け足で男性の所まで向かって行く。

足に迷いが無い。不思議だ。今なら、何処までも走って行けそうなぐらい全身が喜んでいる。

やがて距離が近づいて行くと、足音に反応したのか、男性が顔だけこちらを向いた。

やっぱりそうだ。間違いない。

「このっ、バカあああああああああ」

「え?」



––––––バチン。



そんな高い効果音が、桜花大学だけではなく、晴天の青空にまで響いていった。



     ★



私はアリサから二人の話聞いた。

何でも二人は、短い間ながらもお嬢様と執事の関係を隠して高校生活を送っていたらしい。

アリサがお嬢様というのは本人から聞いたけど、まさかこの人がアリサのお気に入りであり、『初恋』の人だなんてびっくりだ。

二人の話を側で聞いていると、何だか心が擽られるような感覚にさせられる。


そして、この『シノン君』と言うイケメンの男性は女性をナンパしていたのではなくて、たまたま一人で歩いていた女性に大学校舎内について尋ねていただけらしい。

つまり、アリサの早とちりと言う事。ぷぷっ。



二人の話を聞いて私は思った。


二人の関係柄は––––––。




––––––ポンコツお嬢様と世話役執事だな、と。

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ポンコツお嬢様と世話焼く執事 御船ノア @kiyomasa_eiyo

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