人になったゴジラの話

あさねこ

人になったゴジラの話

 彼女は、人類が誕生するより遥か太古から存在していた。人類がそれに気づいていなかっただけだった。


 西暦20XX年、7月のある日。彼女は東京湾に姿を現した。人類は漆黒の鱗に覆われた二足歩行恐竜のようなその巨体に絶望した。


 首都を襲った未曾有の事態に、日本政府は世界中に応援を要請するとともに自衛隊による迎撃を開始した。


 誰だろうか。その圧倒的な暴力に対し、畏怖の象徴として、神の化身――Godzillaゴジラと呼び始めたのは。


 米軍の応援も甲斐なく、東京はゴジラの放射能火炎によりあっけなく陥落した。


 人類の歴史もこれまでか。世界はゴジラ襲来の恐怖に支配された。


 が、ゴジラと呼ばれた巨大生物は一晩のうちにその姿を消してしまった。日本という国の首都に甚大な被害を残して。




 少女は自分が何者なのか全く理解できていないまま、灰燼に帰した皇居の中央に立っていた。

 目の前には自分と同じくらいの背丈の、髪と瞳が眩しいほどに青白く輝いている女が立っていた。周囲を包み込む高熱と高い放射線の中で、彼女は防護服などは着ていなく、少しくたびれた白衣を着ているだけだった。

 笑顔の彼女は言った。

「今夜はうちに泊まるといいよ、ゴジラさん。」

 もちろん、少女はその言葉を理解できていなかったが。


 東京都青梅市。その林の奥にポツンと建っている、決して広くはない一戸建ての民家に、新しい住人がやってきた。

 彼女は、やや長めのさらさらした黒髪で、その瞳も深い黒色をしていた。

 その家にもとから住んでいた住人は、何やらおかしな薬を作っているらしい、とか、見たことのない昆虫が庭に居た、とか、怪しい噂には事欠かなかった。そのため、今更スーパーで買う食料が人一人分増えたとか、その程度では誰も気にしなくなっていた。

 また、その家はかなりの僻地にあったため、誰も見に来ないということもあり、その少女の存在は誰にも気づかれなかった。ゴジラが突如消滅したというニュースでそれどころではなかったし。

 少女を家に連れ込んだ主犯であるその家の主は、「博士はかせ」と呼ばれる女だった。実験で失敗したときに染まったと噂される、金属光沢のように光を反射する銀色の髪と瞳で、もともとは巨乳だったが実験に自分の胸の脂肪を使ったためだと言っている(多分嘘)貧乳で、自称マサチューセッツ工科大学卒(これは本当かもしれない)の25歳・独身である。

 365日24時間白衣を身に着けている博士は、バックトゥザフューチャーのデロリアンのような空を飛ぶ車を家の庭に停めると、その中から「ゴジラさん」と新しい住人を呼びながら一緒に出てくる。博士は彼女の手を取って家の前に連れて行く。

 博士は嬉々として言った。

「ここが、私たちの家だよ。」

 二人の同居生活が始まった。


 国会議事堂がゴジラによって破壊されたため、立川に移転した日本政府では、突如として消えたゴジラについての専門家会議が開かれていた。

 「空想物理学者」という肩書の中年男性が興奮したように言う。

「あれだけの質量が一瞬で消えるなんてことを説明できるのはこれしかありません。ゴジラは質量とエネルギーの等価性によって莫大なエネルギーの塊になり、エネルギー体として存在しているのです!」

 それに対して反論したのは「超自然生物学者」という肩書の女性だった。

「ゴジラといえども生物です。そんなことができるはずがありません。ゴジラは小さくなってどこかを逃げ回っているんです!」

 そんな専門家会議を横で見ていた総理大臣は溜息をついた。

「本当にこの人選で良かったのかなあ。」

 官房長官が答える。

「まあ、未経験の事態ですから、正解は分かりませんよ。」


 博士はまず、その少女に日本語を教え始めた。

「言葉が通じないと何も分からないからね。まず、ハ・カ・セ。言えるかな?」

「……?」

「ハ・カ・セ。」

「……は……か、せ?」

「おお!偉いぞ~!じゃあ次行ってみよう!」


 ゴジラさんの学習速度は素晴らしいものだった。具体的に言うと、博士が日本語を教え始めて一週間ほどで流暢に日本語を話せるようになったくらいだ。まあ、博士は自分の天性の教師としての才能が開花したんだとか言っていたが。

 やがて、言葉もまともに話せなかった少女は逆に博士の面倒を見てやる側にまでなっていた。

「ほら博士、早く起きてください。ご飯冷めちゃいますよ?」

「ん……。」

「もう、着替えくらい一人でやってください。赤ちゃんじゃないんだから。」

「ゴジラさんに面倒見てもらえるなら赤ちゃんでもいいかな。」

「……!何言ってるんですか、ほら、ご飯片しちゃいますよ!」

「分かった分かった。……ああ、明日あたり買い出しに行こうと思うんだが、一緒に来てくれないか?いつまでも私のおさがりを着させてあげてるわけにはいかないからな。」

「一緒に……ですか?」

「ああ。君は初めての外出だからな。心の準備をしておいてくれ。」

 博士が研究室に閉じこもったあと、彼女はしばらく鼓動の高鳴りが収まらなかった。

(デート……?博士と初めてのデートだ……!)

 その日1日、少女はニヤニヤが止まらなかった。


 いよいよ、その日がやってきた。

 少女は手持ちの服で一番おしゃれなやつを選んで着る。鏡の前でくるくる回って自分の姿を確認し、博士の反応を想像して微笑する。

 博士の声が聞こえた。

「おーい、準備はできたか?」

「はーい。」

 小走りで部屋から出てきた彼女を見た博士は言う。

「私のおさがりをこんなにかわいく着こなすなんて、何か才能があるんじゃないか?」

 少女は、うれしくて飛び上がりそうだった。


 例の空を飛べる車で、普通に道路を走ってショッピングモールに向かう。空を飛ぶのはかっこいいしロマンがあるけれど、燃費がすごいらしい。博士が残念そうに言っていた。

「なにしろ東京都心一帯が吹き飛んだからね。今は落ち着いたみたいだけど、物価が2倍じゃ済まないくらい上がって、出費が怖いよ。」

 博士が何気なく言ったその言葉が、少女の心の中には、長く、深く残った。


 ショッピングモールに着いた。博士は車から降りるとき、自然な流れで手を取ってエスコートができる人だ。こういうところは、この世界のどんな人よりもかっこいいと、少女は思う。

 ずっと博士の家で暮らしていた少女にとっては、物心ついてから初めての人里だった。たまに来る配達員の人くらいしか他の人間を見たことがなかった少女は、初めてこんなに人が密集したところを見た。

「私の手を放すんじゃないよ。迷子になられちゃ困るからね。」

 少女は博士の手を握り締める。柔らかくて、暖かい手だった。


 まず、本題の洋服を見に行った。博士の白衣と、ネット通販で買ったファッション誌しか知らなかった少女の目には、たくさんの洋服は宝の山のように見えた。

 宝の山から一つだけを選ぶなんてできない、そう思った少女はこんなことを申し出た。

「博士が、選んでくれませんか?」

「私でいいのか?洋服のセンスなんて皆無だぞ?」

「博士に、選んでほしいんです。」

「……そうか。」

 博士はうんうんと唸りながら洋服を選んでくれた。小一時間ほど悩んだ博士が選んでくれたのは、シンプルな白いワンピースだった。少女の目にはそれはどんなおしゃれな服よりも自分を輝かせてくれるものに見えた。そして、それをずっと大切に着ようと決めたのだった。


 そのあと、二人はショッピングモール内を歩いて回る。人里の活気を知らなかった少女には、それはまるで砂糖の飽和水溶液のような濃密な時間だった。


 そんなとき、ふと少女の耳にこんな言葉が入ってくる。

「ゴジラが現れてから今日で1か月が経ちました。」

 そこは家電コーナーだった。その片隅のテレビで、女性アナウンサーが無感情でその台本を読み上げていた。

 その言葉に、強力な接着剤を足の裏に塗られたかのように歩みを引き留める。

「あの日、たくさんの人々の生活がたった一つの存在によって奪われました。死者・行方不明者合わせて30万人以上のこの大災害に対し、日本政府は……」

 音が消えた。博士が自分を呼ぶ声さえ耳に入らない。

 テレビ画面で火の海と化した東京都の中心地を練り歩いていたのは、白亜紀末期の北アメリカに君臨していたと言われる二足歩行恐竜の、その旧タイプの復元図のような見た目の巨大生物だった。その画面の右上には、「中央区を歩くゴジラ」と表示されている。

 これが、自分だったのか。自分がしたのは、つまりはこういうことだったのか。

 強烈な吐き気がして、近くのトイレに駆け込んだ。


 博士は、ゴジラさんが駆け込んだトイレのドアをノックしては尋ねる。

「大丈夫か?もう帰るか?」

 トイレの中で、少女は胃の中のものを全て吐き出した。

 トイレの水面に垂れる水滴で、自分の顔が涙と鼻水で酷いことになっていることに気付く。

 恋する少女は、こんな顔は見せられない、と強引に顔を拭う。

「大丈夫……です。」

 トイレから出てきた少女の目元は、真っ赤になっていた。

 博士は言う。

「今日は、もう帰ろう。」

「……はい。」


 帰り道は、雨の中だった。

 後部座席で横になっている少女をミラー越しに見ながら、博士は聞く。

「すまない。私の配慮が足りなかったばかりに……。」

「博士は悪くありません。」

 明らかにいつもよりトーンの低い声だった。カブトムシの幼虫のように丸まったまま、獣の唸りのような低い声で呟く。

「悪いのは、全部私だったんです。」

 雨脚は強まりつつあった。


 家に帰った少女は、疲れからか部屋のベッドで毛布にくるまってしまった。

 雨が窓を打つ籠った音だけが聞こえる薄暗い部屋には、重く、濁った空気が溜まっていた。

 部屋のドアをノックする音が聞こえた。

『入っていいか?……入るぞ。』

 重いドアを開けて博士が入ってくる。ギイ、と錆び付いた蝶番の動く音がした。

 部屋の隅にあった椅子の背もたれを引っ張ってベッドの横につけると、博士はそこに座る。

 しばらく口を開いたり閉じたりしていた博士は、ようやく、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。

「……私の想定が正しいのならば、多分……そうだな、君は怪獣『ゴジラ』だったときのことを、覚えていない。……そうだろ?」

 少女は、毛布の中でモゾリと動く。

 博士が続けて言う。

「従って、君は東京を破壊した記憶はないはずだ。……私は、君が考えていることを、完全に理解することはできない。私と君は違う存在だから。でも、推測することならできる。……君は、記憶がないことは免罪符にはなり得ない、自分は罪を背負った存在だ、とか考えてるんだろう。君は優しいからね。……もちろん、これは私の勝手な想像でしかない。だが、もしも君がそんなことを考えているのなら、そんなことは……そんな考え方は、ただ勝手に罪の意識を抱えて自己嫌悪する、言ってしまえば……馬鹿馬鹿しいことだと、そう私は考える。」

 毛布を捲って、少女が目を覗かせる。

「怪獣『ゴジラ』がしたことは許しがたいことだ。でも、今の君は何も覚えてないんだろう?であれば、そんな君に責任を追及することはできない。私が正しければ、君の人格はゴジラのそれとはまったく違うはずだ。君とあの怪獣を同一視することは、私にはできないよ。」

「でも、」

 少女は目線を逸らしながら言う。

「それでも、私を憎む人はいるかもしれないんですよ?」

 博士はそれを聞いて笑った。声を上げて笑ったのだ。

「ははは、そんなの無視したらいいさ。君はあのゴジラとは違うんだから。そんなの無責任な責任転嫁でしかないさ。怪獣『ゴジラ』は私の開発した薬で消えたのさ。そして、君が生まれたんだ。君はそんなものを気にしていないで、図太く生きればいい。」

「そ……う、なのかな……」

「そうさ。頼むから、いつもの元気な君に戻っておくれ。私はそんな君が好きなんだ。」

「……!博士はずるいです!」

 少女はまた毛布を被ってしまった。

 博士は小さく溜息をついて呟く。

「女心は難しいなあ。」

 雲間から太陽が顔を覗かせていた。


 数日後。ゴジラさんはすっかり元気になっていた。

 ただ、

「ゴジラさん、そろそろ離れてくれないかい?その……これからやるのは精密な作業だから、ね?」

「嫌です。」

「……。」

 一日中この調子で博士にくっついているのだ。寝るときくらいしか離れてくれない。ご飯も、お風呂も、トイレでさえ、一日中博士と一緒なのだ。さすがにトイレまでくっつかれるのは恥ずかしいので離れてほしいのだが、離れてほしいと直接は言えない、よく言えば優しい、悪く言えば気弱な博士なのであった。

 そんな生活が10月中旬ほどまで続いた。


 しかし、このところ――今日は10月30日――は一日中は引っ付いてこなくなり、むしろ、なにやら作業をしているらしい彼女の部屋の中に入れさせてもらえなくなった。

 ずっとすぐ横にいたので、急にいなくなられると寂しくはある。もとはずっと一人だったから、一人でいることには慣れっこだと思っていた。でも、ゴジラさんと過ごしているうちに自分も変わったのかな、と博士は考える。

 それにしても、隠し事をされると気になるものだ。そこで、その日の夕食時に博士は聞いてみた。

「ゴジラさんは、毎日部屋に籠って何をしているんだい?」

「……秘密です。」

「いいじゃないか、ちょっとくらい教えてくれても。」

「んー、明日になったら分かるんじゃないですか?」

 茶化すようにそう言った彼女は、残りのご飯をさっさと平らげてまた部屋に籠ってしまった。

 まあ、楽しんでいるようだしいい傾向か。鼻歌も歌っていたし。それにしても、明日なんてなんかあったか?うーん……。

 博士はハロウィンという文化をよく知らなかった。


 10月31日。博士が目を覚ますと、目の前には魔法使いのコスプレをした不機嫌そうなゴジラさんの顔があった。

「……えーっと、その、なんで……私のお腹の上に乗っているんだい?」

「博士はいつまで寝てるんですか!」

「え?」

「これ見てください!」

 その手には、博士のベッドの枕元に置いてあった時計が握られていた。その時計が示す時刻は、

「午後……6時?」

「なんでこんなに起きれないんですか!」

 ゴジラさんは泣きそうになっていた。

「今日はハロウィンだから、博士との初めてのハロウィンだから、だから、コスプレ用衣装自分で作って、デートのプランずっと考えてたのに!起きてきた博士を驚かしてやろうって考えてたのに!なのに、博士が起きてこないから……起きるの待ってたらこんな時間ですよ?おかしくないですか?」

「ああ……その、ごめん。」

「せっかく準備したのに……」

 少女の涙が博士の頬に落ちる。博士は彼女の頬に手を当て、親指の腹で彼女の涙を拭う。

 嗚咽する彼女に、博士はこう言う。

「すまなかった。私のせいで。……でも、まだ次があるじゃないか。来年だ。来年は寝過ごさないようにするからさ。……だから、泣くのをやめてくれないか?君の涙には弱いんだ。」

 少し黙ったあと、強引に腕で涙を拭った少女は言う。

「博士だから、特別に許してあげるんですからね?……来年は、ちゃんと起きてくださいね。」


 その日は、二人でハロウィンのごちそうを食べた。博士も無理やり魔法使いのコスプレをさせられた。一緒にお風呂に入り、一緒に寝た。これからも、こうして一緒でいるんだろうな、と少女は思っていた。


 クリスマスイブがやって来た。

 冷え込む町は、赤と緑の装飾で覆われている。そんな街を歩く二人の女がいた。

 一人は長い黒髪で、暖かそうなブラウンのダッフルコートを羽織った少女だ。この寒いのに、下半身はミニスカートに生足である。

 もう一人は、金属光沢を放つ銀色の髪に、これまた銀色の瞳の女性だ。こちらは、黒くて丈の長いトレンチコートを着ている。そして、なぜかその下には白衣を着ている。

 白衣の女は、黒髪の少女に右手を引かれるようにして歩いていた。二人が今いる街は、ゴジラに破壊された跡地の再開発エリアである。今この瞬間も、ゴジラに破壊される前よりさらに発展するかのようにたくさんのビルが建設され続けている。

 彼女らが向かったのは、そんな新しく建設されたビルの一つだった。ここは、たくさんの店が入っているデパートだ。今日の晩御飯から高性能CPUまで、100円ショップから高級宝石商まで、手広い商品をカバーしている。

 今日の目的は、言わずもがな、クリスマスデートである。ゴジラさんの立てた今日のプランはこうだ。

 まず、二人で映画を見る。

 その後は、フードコートでお昼ご飯。

 そして買い物をしながら時間を潰し、夜は中央広場にある巨大クリスマスツリーを眺めながら濃密な聖夜を過ごす。


 映画を見て、ご飯を食べて、そして夜。その間は特にメシウマな事件は起きなかったので、省略させてもらう。


 二人が見に来た巨大クリスマスツリー。このツリーは、白と黒の一対の星の装飾があるということで、自然に縁結びのパワースポットとしてネット上で有名になっていた。現代っ子のゴジラさんはネットでこれを知り、これは行くしかないと決めたのだった。


 ツリーの下に着いた博士が言う。

「おお、すごいな。なんというか、やたらとイルミネーションが眩しいな。」

 こういう、変に馬鹿なところは嫌いだ、と少女は思った。

 博士がツリーに見入っているところで、本題を切り出した。

「博士、このツリーの下でキスをしたら、そのカップルは結ばれる……って噂があるの、知ってますか?」

「……へえ。……え?」

 想定外の言葉が飛び出し、博士は思わず横に居た少女のほうを向く。

 振り向いた博士の唇は、

「……ッ!」

 突然の予期せぬ事態に、顔を真っ赤にした博士は後ずさる。

 俯く少女は掠れた声で言う。

「おかしい……ですよね。同性に、しかも同じ人間ですらないのに、こんなこと。」

 博士は、頬を赤らめたまま呟く。

「それは、私も同じだ。」

「今、なんて?」

「なんでもないさ。……ただ、私の気持ちを述べさせてもらうなら、私を一人にしないでほしい……かな?」

 すこし開けて、少女が答えた。

「これからも、私と一緒に居てくれますか?」

 そう言った少女の目には涙が浮かんでいたかもしれない。

「……まだ、君と一緒に居たいとは思うよ。」

 博士は、どこか遠くを見るように言った。


 何事もなかったかのように、以前のような日常が戻ってきた。いつものように朝ご飯を作り、博士は研究室に籠り、晩ご飯を食べ、寝る。そうこうしている間に、大晦日がやってきた。

 年の最後の晩餐は、シンプルな年越し蕎麦だった。

「私が思うに、こういうのはやたらと手をかけるんじゃなくて、最低限の工程をいかに丁寧にできるかだと思うんだよ。」

 蕎麦を啜りながら博士が言う。

「蕎麦について語るのはいいんですけど、話すのは口の中のお蕎麦を全部飲み込んでからにしてください。汁とかめちゃくちゃ飛んでますよ?」

 蕎麦を飲み込んだ博士は続ける。

「例えばだな、このどこにでも売っている市販の蕎麦があるとする。たいして高級でもない、安物のやつだ。」

「市販の安いやつですみませんね!」

「ただ、このありふれた蕎麦は、いくつかの要素によってそのおいしさを引き立てられている。一つは、それぞれの工程を惜しまずに作られたこのつゆ。そして、もう一つが、」

「……?」

「一緒に蕎麦を食べる、君の存在だ。」

 耳まで赤くなった少女は思う。博士は困ったものだ、と。

 雪がちらつく中、年の終わりの夜は更けていく。


 初日の出。あと一秒とかわめく博士を無理やり布団から引きずり出して眺めた日の出は綺麗だった。

 ずっと布団にくるまっている博士を無理やり着替えさえ(やっぱり白衣)、初詣に連れていく。

 やっぱり神社は混んでいた。人の流れにもっていかれそうになる。

「博士、ちゃんとついてきてくださいね。」

「なんだか、こんなことが前にあった気がするな。」

 人混みを抜け、拝殿に辿り着く。二礼、二拍手、一礼。今年も博士と一緒に居られますように。

「博士、おみくじ引きましょうよ。」

「いや……私はそういうのは信じないたちでな。遠慮するよ。」

「いいじゃないですか、一回だけ引いてみましょうよ。」

「……今回だけだぞ?」

 二人でおみくじを引いた。結果は……

「はは、『中吉』だってさ。一番反応しずらいやつだ。君は何だったんだい?」

「……凶。」

「……ああ。」

 一番上に大きく「凶」と書かれたその籤の「恋愛運」の場所には、「運命の者すぐ近くにあり。見失う恐れあり。失くさぬよう努めるべし。」とあった。

 博士は慰めるように言う。

「こんな非科学的なモノ、信じることないさ。」


 やがて、冬が終わり、春が過ぎ、夏がやってきた。バレンタインデーには博士に秘密で作ったチョコレートを渡し、ホワイトデーには博士からのお返しのぐちゃぐちゃのチョコレート。時間は驚くほど速く過ぎ去っていった。


 7月7日、七夕である。

「そういえば、今日は七夕か。……君が来たのも、これくらいの時期だったな。一年経つまで、あと一週間もないのか。」

 晩御飯の片づけをする少女は茶化すように言う。

「そしたら、もうすぐ私、一歳の誕生日ですかね?」

「ああ、そうなるな。誕生日プレゼントを考えておかないとな。」

 片づけを終え、少女は天の川を眺める博士の隣に行く。

 街から離れたこの家からは、星がはっきり見える。博士がこんな場所に住んでるのは、人間社会が嫌いなのが理由だけじゃないのかも、とぼんやり考える。

「……博士は、なんで私をこの姿にしたんですか?」

 口に出してしまったあとで、ハッとした。この核心とも言える問いを長いこと放置していた自分に気付いたのだ。

 博士は俯き、少し考えてから、こう答えた。

「仲良くしたかったのかな。人間と。」

「普通に、街の人間と友達になっても良かったのに。なんで、私みたいな怪獣を選んだんですか?」

「君は、怪獣なんかじゃないよ。」

 博士は即答した。

「確かに、君を構成する素粒子は、もしかしたら、以前は怪獣『ゴジラ』を構成していたものかもしれない。でも、少なくとも今の私は、エプロンを身に着けてご飯を作ってくれたり、少々お節介なくらい私の面倒を見てくれたり、そして、私に好意を向けてくれたり。そんなところはどんな人間よりも人間らしいと、そう思うけどね。」

 そんな言葉を、銀髪に星空を反射しながら言ってくれた博士に、少女は確信したのだ。私は、この人をずっと守ってあげたい。ずっとこの人と一緒に居たい、と。


 ゴジラ襲来から一年がたった。

 東京都はかなり復旧が進んだ。と言っても、放射能汚染レベルが高い中央区・千代田区・港区・江東区は未だに立ち入り禁止区域である。

 しかし、幸運にも、ゴジラの放射性物質は半減期が短く、10年ほどで完全に復旧する見通しである。

 東京という街は、江戸と呼ばれていた時代から何度も破壊されては復興という歴史を歩んできた。そして、その度に以前よりも発展して復興してきた。

 今回もそうだった。破壊されたのをこれ幸いと、東京は新たに練り直された都市計画による最新技術の街並みに生まれ変わりつつあった。

 そんな時だった。新たな怪獣が東京に来襲したのは。


 それは、遥か遠い宇宙からやって来た。

 竜を思わせる3つの頭と、それらを支える三本の長くしなやかな首。中世の怪物、ドラゴンに似た胴部。そこから延びる蝙蝠のような一対の巨大な翼。全身を覆う黄金に輝く鱗。それを見た人類は、多頭竜という意味でGhidorahギドラと呼んだ。

 航空力学を完全に無視したその巨体で、当然の権利かのように遥か天空、宇宙の彼方から飛翔してきたそれは、東京湾の中央に巨大な飛沫をあげて着水した。東京湾沿岸地域は、その破壊力の余波とも言える高波で大きく抉り取られた。東京湾に存在していた人工島はことごとく押し流されたのだ。


 博士は、その緊急速報を見るや否や、「ヤバい」と言って立ち上がった。

「……博士?何をするつもりですか?」

「今すぐあいつを何とかしないと、地球は滅びる!」

「だから何をするつもりで……」

「私の推測では、君に使った手法であれも少女の姿に変えることができるはずだ。君の場合は放射能火炎を吐き終わったあとの隙に薬を投入できたが……」

 ギドラは断続的に高波を発生させながら東京湾を泳いでいる。

「今回は近寄るのは難しそうだ。」

 少女はチャンスだと考えた。博士に恩返しするためにも、人類への贖罪のためにも。だから彼女はこう申し出た。

「私に薬を渡してください。私が、ギドラに薬を与えます。」

「それはできない。」

 博士はきっぱりと言った。

「な……なんでですか!やりたいんです!こんな時くらい私が頑張らないと申し訳が立ちません!」

「……すまないが、私にはできない。……君を、危険に晒したくないんだ。」

「そんなの私だって同じです!せめて……せめて一緒に行かせてください!」

「……ごめん。」

 博士は胸ポケットから取り出した装置を少女の胸元に当て、スイッチを入れる。少女は、そのまま意識を失った。


 どれだけ気を失っていたのだろうか。少女がゆっくりと目を開くと、テレビでは「ギドラが上陸」という速報が流れていた。テレビの画面で大々的に流れる中継映像の中では、ゴジラに破壊された後の残る中央区の街並みの中で、稲妻のような光線を吐きながら歩くギドラの姿があった。

「……行かなきゃ。」

 少女は家の外に飛び出す。


 やはり、博士の車はなかった。今から走っても間に合うわけがない。私は博士を守れない。

 ……そんなことないじゃないか。私は世界を恐怖のどん底に叩き落した怪獣だ。博士が言うことには、そのエネルギーはまだ体内に存在するはずだ。青梅の僻地から中央区に向かうのなんてわけない。

 でも、そんなこと本当にできるのか。考えたことすらないのに。でも、やるしかない。少女はその体内エネルギーを自分の細い脚に集中させる。

 本当に、少女の体内にはゴジラのエネルギーがあった。爆発的なエネルギーは、音速を超える速さで少女を走らせた。住宅街を跳び越え、ビル街の隙間を駆け抜ける。


 やがて、ギドラの頭部が高層ビルの隙間から顔を覗かせる。奴はゴジラ襲来による立ち入り禁止区域を抜け、住民が生活しているエリアまで侵入していた。

 新陳代謝を高速化し、細胞の構造を変化させることで、一瞬にして柔らかい人間の少女の肌を固い怪獣の鱗へと変化させた。裸足の裏と掌でアスファルトを擦り、一気に速度を落とす。このエネルギー、応用できる範囲は思ったより広いみたいだ。

 まずは博士を探さなくてはいけない。と言っても、都心はそう狭くない。しかも瓦礫が散乱した状態であり、かつ巨大な怪獣が現在進行形で暴れまわる状態だ。こんな中から一人の人間を見つけるのは簡単なことではない。

 ギドラが歩いた跡は、高熱によってビルが焼け落ちていた。アスファルトの地面は赤熱し、半ば液化している。まともな人間がこんなところに居て無事なはずがない。それでも、なぜか、博士はどこかでまだ生きている気がした。単なる希望的観測に過ぎないかもしれないが、それでも確信していた。

 その脚は、ある一点へと引き寄せられるように動く。勘でしかないはずなのに、この先には博士がいるという確信があった。その方向には、ギドラも向かっているようだった。少女は脚を早める。

 

 高速で走っていた少女に向かって、ギドラの光線が飛んできた。

 ビルの壁を駆け上るようにして避ける。その足元が、高熱によって赤く輝き始める。少女は咄嗟に横に飛んだ。直後、赤熱していたビルは青白く輝く。チェレンコフ放射だろうか。だとしたらギドラは莫大な放射能の塊を吐き出している可能性がある。

 そんなことを考えていた少女の身体に、直後、二本目の光線が直撃した。空中にいたため、避けることができなかったのだ。

 数百メートルの距離を吹き飛ばされ、あるビルの窓を突き破って転がり込む。

「ああああああ!」

 激痛が少女の身体を嬲る。衝撃の直前に腕と脚に硬化を展開できたものの、その衝撃は内臓を強打し、額に亀裂を作った。のたうち回る少女に、声をかけてきた人間がいた。

「あ……あの、大丈夫、ですか?」

 彼女は、このビルの会社のOLらしく、スーツを着ていた。多分逃げ遅れたんだろう。ほかに人はいない。

「今すぐ、逃げてください。早くしないと、怪我をしなくても、被爆するかもしれない。」

「あなたは、逃げないんですか?」

 彼女はそんなことを言った。

「なんで、私のことを心配してくれるんですか?どう見てもまともな人間には見えないでしょ?」

「え……心配だっただけなんですけど。」

 それを聞いた怪獣少女は考えたのだ。人間は、素晴らしいものなんだと。私は、こんな人間を救いたいのだと。

「私は、ギドラを止めに行きます。博士を見つけて、止める術を見つけなければいけません。私が必ずギドラを止めます。あなたは今すぐ逃げてください。」

「で、でも、そんな大怪我じゃ……!」

「私は、大丈夫です。……ゴジラ、と言えばわかりますか?」

「……え?」

 少女は、後悔などなかった。いつかは話さなくてはいけないことだったのだから。これで、恐れて逃げるようだったら、それで十分だ。

 しかし、OLが返した反応は想定外のものだった。

「道理で……。」

 彼女は、むしろ、安心したような表情を浮かべていた。

「……怖くないんですか?私のこと。ゴジラと言ったら、たくさんの人を殺した厄災ですよ?」

「いえ、なんか、ゴジラがどうなったのかとか分かってすっきりした、というか。かく言う私の両親も、ゴジラで死んだんですけどね。」

「だったら、どうして……!」

「ゴジラは怖いけど、でも、あなたはいい人な気がするんです。もうたくさんの人間を殺めたりしない、そんな気が。あのゴジラが味方に付いてくれるなら百人力ですしね。」

 彼女は、そう言って笑っていたのだ。

「……とにかく、早く逃げてください。私は行かないといけないので。」

「頑張ってください。私、応援してます。」

「……ッ」

 善意に慣れない少女は、振り向くことなく博士の捜索の戻った。


 ギドラに見つからないよう、ビルの陰に隠れながら走った。そして、少女は見つけた。

 乗り捨てられた博士の車があった。そこからは、赤い液体が線状に点々と地面に付着していた。

 その液体の滴る先を辿る。それは、ギドラに近づこうとするように続いていた。ギドラの吐いた光線のせいか、赤熱する地面でそれは途絶えていた。

 その真っ赤になった地面の真ん中、クレーターのように凹んだ場所の中央に、少女は見つけたのだ。

「は……か、せ?」

 こんな反応になるのも、無理はない。彼女のトレードマークとも言える白衣は、高熱で燃え尽きていた。しかし、身体は無傷のままであり、身に着けていたものを全て失くした状態で倒れていた。そして、体毛は青白く輝いていた。それはちょうど、チェレンコフ光のような光だった。

 少女の身体は高熱をものともせず、博士のそばまで歩いていく。その日少女が着ていた、博士が選んでくれた服は高熱で焼け落ちてしまった。

 少女は博士の身体を抱き起こす。

「博士?」

 博士の目が、ゆっくり開く。あたりを見回して、博士は言った。

「はは、見られてしまったな。これで分かったろう?私はまともな人間じゃないんだ。……怪獣を止めるのに犠牲になるのは、私みたいな怪獣だけで十分だ。」

「博士は怪獣じゃありません。」

 博士の手で人間になった少女は言った。

 自分の脚で立ち上がることすらできないのか、博士は少女の腕に体重を預けたままだ。そんな博士が低い声で言った。

「君は、なぜ怪獣がこんな短いスパンで、しかも同じ場所にやってくるのかという疑問を抱いたことはないかい?」

「……」

「私だよ。私のこの身体が、怪獣たちをここの呼び寄せているのさ。」

 博士は、怪獣についての全てを語り始めた。


 私は、自己満足的に科学というものを研究していた。その中で、私は物理法則を超えた現象の存在に気付いた。

 もちろん、そんなことは学会からは認められず、主張し続けた私は学会から無視されるようになった。

 しかし、もともと人間社会が嫌いだった私は、これ幸いと自ら学会と決別し、街外れの家で一人研究をするようになった。

 そんな中、私は物理法則を超越した巨大生物が存在することを突き止めた。こんなことを考えたんだ。物理法則を超越した存在であるこれを呼び出せば、自分の言っていたことを認めてもらえるかもしれないと。言ってしまえば、まだ人間社会に未練があったんだな。

 怪獣を呼び出すための方法を考え始めた。

 私が見つけた方法はこんなものだった。私の身体を、怪獣を呼び出すためのエサにする。君が私に好意を持ってくれるのは、これのせいだろう。その過程で、私の体毛と瞳は金属光沢を帯び、放射線に反応してチェレンコフ放射に酷似した光を発するようになった。また、私の身体は怪獣化した。人体を遥かに超えた熱耐性、放射能耐性、そして小さな傷なら一瞬で回復する治癒力を手に入れたんだ。

 そして、私はやってきた怪獣を人間の姿に変化させる薬を開発した。結局、私は人と供に生きたかったらしい。

 そして、君……ゴジラがやってきた。私は、計画通り薬品によって君を人間にした。

 私の唯一の誤算は、宇宙からもう一体の怪獣を呼び出してしまったことかな。


「……これが、私がやってきた全てだよ。友達が欲しいくて、事故承認欲求を満たしたくて、私は『怪獣』という禁忌に触れてしまったんだ。軽蔑してくれ……といっても、私がこの身体である以上、君は私に好意を持ってくれるだろう。私は、ずっと君の好意を弄び続けていたんだ。」

 全てを知った少女は、それでも、

「私が博士を好きなのが、そんな程度だと思われちゃ困ります。そんな体質なんて関係なく、私は博士のことが、好きなんです……!」

「……困るな、君、に……泣かれちゃ……」

 博士の身体から、力が抜けた。

 博士が握っていた右手から、一つのカプセルが転がり落ちた。

「これが、人間にする薬品?」

 少女は、そのカプセルを手に取る。人の姿になったゴジラは、決意した。


 博士は薄く目を開いた。

 どうやら、車の中に横にされているらしい。

 ぼやけた視界の中で、黒髪の少女の後ろ姿を確認する。

 待ってくれ、と腕を伸ばそうとする。しかし、ダメージが溜まっているのか、口も身体もうまく動かせない。

 ただ、黒髪の少女が振り返った気がした。そして、「必ず帰ります」と聞こえた気がした。

 博士は、安心して、夢の中に落ちていった。


 ギドラは博士にかなり近づいてきていた。しかし、博士には流れ弾の一つでも当たるのは許せない。

 ゴジラは、ギドラとの決戦を始めた。

 少女の右手の中には、5センチメートルほどのカプセルがあった。これをギドラに飲み込ませれば、ギドラも人間になるはずである。

 脚にエネルギーを込める。一気に音速まで加速した。


 そのまま、ギドラの中央の頭に飛びつく。


 もちろん、ギドラは稲妻のような光線を吐き出し応戦してくる。


 対するゴジラは、掌から放射能火炎を噴射して対応する。さらに、足の裏からも噴射することで空中での移動を可能にした。


 何本ものギドラの光線を丁寧に捌き、空中を飛び回る。


 ギドラはその巨大な翼をはためかせ始める。

「まさか飛ぶ気⁈」


 ギドラの巨体が、重力に反して浮かび始める。


 その巨大な翼が生む莫大な浮力は、巨大な風のうねりを発生させる。少女の小さな体はいとも簡単に風に流されてしまう。


 火炎の威力を微調整し、なんとか空中での体勢を立て直す。


 一安心する間もなく、ギドラはその巨体を迫らせてくる。


 しかし、少女は逃げたりはしない。

「飛んで火にいる夏の虫ってこういうことですかね⁈」


 足裏からの放射能火炎の出力を上げる。中央の頭にカプセルを投げ込もうとする。


「ッ!」


 ゼロ距離でギドラの光線が放たれた。


 避けるのは間に合わない、そう判断すると、腕から盾のように怪獣の鱗を展開し、光線を受け止める。


 ギドラが真上に向けて放った光線は、少女を大気圏外まで吹き飛ばした。


 ギドラは追うようにして同じく大気圏外まで飛んでくる。


 反射的に「まずい」と思った。ギドラは宇宙から襲来した怪獣である。宇宙空間は奴のホームグラウンドだ。このまま宇宙まで持っていかれたら圧倒的に不利な状況に置かれてしまう。


 早く決着をつけなければいけない。

 一か八か、大きな賭けに出た。


 ギドラは、もう一度光線を吐くために三つの頭の口を開く。

 少女は、その中に飛び込んだのだ。

 高熱で、長く、暗い、ギドラの首の中を飛んだ。ギドラの胃袋に辿り着いた少女は、そのままカプセルを投げ込んだ。


 地表では、星の寿命の終わりに見ることができるような明るい光が確認できた。


 地表から1000キロメートル上空。

 黒髪の少女が、その真空空間で裸で浮遊していた。

 少女の向かいには、もう一人、金髪の少女が、こちらも一糸まとわずに浮遊している。

 黒髪の少女が口を開いた。しかし、真空では言葉を交わすことができないことに気が付き、金髪の少女の手を握って、そこを介した特定の周波数のエネルギーの流れによって意思の伝達を始める。

『あなたはギドラ。一人の人間。』

 ギドラから言葉が返ってくる。

『まず、あたしらがどういう状況か、説明してくれる?』

『あたし「ら」?』

『うん。あたしと、あと二人の意識がこの体の中にあるみたい。もう一人は、』

わたくしで、あとは、』

『えっと……わたし

 またややこしいことになったな、とゴジラは思った。

『とりあえず、地球に戻ろっか。』


 日本政府は、またもや置いてけぼりだった。

「だから、あの光見たでしょう?ギドラはエネルギー体に変化したんですって。」

 そう言うのは、「日本政府空想物理学専門官」という名札を胸に着けた男性だった。

 それに、「日本政府超生物対応専門官」というネームプレートを首から提げた女性が反論する

「ですから、ギドラちゃんをそんなヒカガクにしないでください。ギドラちゃんは、見えないところで小さくなって元気に飛び回っているんですって。あの光は、ギドラちゃんの『暴れてごめんね』の光なんです!」

 去年と変わらない面子の「専門家会議」を眺める総理大臣は、こっそり溜息をつく。

「この二人を任命したの、絶対間違ってたよね……」

 そんな総理のぼやきに、隣に座っていた官房長官は答える。

「あんな意味の分からない生物の対応に、正解も不正解もありませんよ。」


 それから数か月後。

 青梅の街外れの家には、一人……いや、三人の住人が新たに増えていた。

「ギド、あなたでしょ?このドーナツつまみ食いしたのは。」

 黒髪の少女がリビングのほうに向かってそんなことを言う。

 ビクッと肩を震わせたのは、リビングでゲームをしていた金髪の少女だった。その長い髪は、三本に結ばれている。

 金髪の少女はゲームをしながら言う。

「お嬢、頼んだ!」

 直後、少女は全く違う口調――お嬢様口調で話し始める。

「あらあら、ギドちゃんはまた逃げるんですの?」

 また先ほどと同じ口調に戻った少女は言う。

「ドラ嬢まであたしの敵なのかよ!」

 さらに、今までの二つの口調とはまた違う口調――オドオドした、オタクのような口調になるとこう言う。

「ギドさんも、ドラさんも、あんまり体動かさないでください。ミスしちゃうんで……」

「ラギは黙ってて!」

「ヒエ……」

 そんな一連の独り言は、まるで自分自身と会話しているかのようだった。


「ただいまー。」

「「「「博士!」」」」

 一人と三人は声を合わせて出迎える。

 帰ってきたのは、白衣を着た銀髪の女性だった。

「いやー、政府での仕事は疲れるね。君たちが私の心の支えだよ。」

 彼女の胸には、「超自然巨大生物対策委員長 朝倉麗理華りりか」というネームプレートがあった。

「私の計算によると、まだまだたくさんの怪獣がこの世界には存在するはずなんだ。そんな怪獣はいつまたやってくるか分からない。そんな時、君たちの力を借りることになるのかもしれない。その時のために、これからもずっとよろしくね。」

「「「「はい!」」」」

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人になったゴジラの話 あさねこ @asa_neko

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