たぶん、現代の、特にこういう小説投稿サイトでは、前提知識は必要なければないほど良い。良いというか、好まれるんだろう。難解な言葉とか概念を多用するようなものは好まれない。それは、小説サイトを利用する層の年齢の若さとか、色々な要因があるのだろうと思う。ここでは、別にそういったことを議論したいわけじゃない。問題としたいのは、難解な小説にそれでも取り組もうとする読者がどれくらい居てくれるのか、というところになる。
僕が難しい概念に触れた体験の原点は、本を読んだとき、特に小説かなんかだったと思う。昔の僕は本当に本の虫というやつで、家にあった本を片っ端から読んでいた。そのうち、小学校低学年とかだった僕が読めるような本はなくなった。そこで、少しレベルが高い本に手を出し始めたんだと思う。小学校でも高学年くらいからが対象であろう文庫本とかだった。そういう本を読んでいるうちに、自然と色々な漢字を読めるようになっていったし、色々な語彙に触れることができた。小説というと国語のイメージが強い、というかその存在自体が文学というか。だが、その内容には歴史とか、文化とか。文系の内容に限らず、生物学、化学、物理学。有名なのだと、僕は「博士の愛した数式」で初めてオイラーの式に出会ったと思う。(少しネタバレかも、ごめんなさい。)要は、小説と一口に言っても、歴史学から数学に至るまで、凄まじく幅の広い世界との出会いが存在していて然るべきなのだ。
少し自分語りをさせてもらうと、僕は物理学という学問が好きだ。だから、物理学、とくに相対性理論とか量子力学とかの知識に積極的に触れながら生きている。だから、この辺の知識については社会一般の人とは、特にこういう小説投稿サイトの読者層の若い人たちとは乖離があるのだと思っている。これは、先日投稿した小説でなんとなく察せるかもしれない。僕が物理学を好きなポイントはいくつかあるが、ここで触れたいのは、世界の見え方が変わるという点について。物理学は、端的には、世界の動き方について学ぶものだ。世界はこういうルールで動いている、この現象はこういう規則のもとで再現される。ところが、とくに量子力学が明かしてきた世界の描像は、我々の直感的な世界への認識と大きく異なる。細かいところはここでは語るつもりはないが、世界は確率で与えられるとか、直感的な意味での実在が存在しないとか。意味が分からなくてもいい。分からない方がいい。こういうことを認識したのをきっかけに、僕は世界の見え方が全然違ったものになってしまった感覚がある。
だが、世界の見え方が変わるという点については、小説……に限らず、色々な体験で得られるものだと思う。僕は、色々な世界を見てみたい。だから、小説を読むことや物理学を学ぶことで世界の見え方が変革する感覚が好きなんだと思う。ここで最初の話に戻ると、こういう小説サイトの読者は難しい言葉や概念に対して忌避感を持っている人がそれなりの数が存在しているのだと思う。それでも、小説を通して新しい概念や言葉に出会う体験を重ねて欲しいと思う。
小説のために小説を書いている人は、読者のことをまず考える。想定したい読者像をまず明確に形にして、そういう読者が多そうなら、そのタイプの読者に刺さるような書き方の小説をつくる。異世界転生ものの小説が乱立したものだが、これは、異世界転生というテンプレートに慣れた読者がたくさん生まれたことに起因する。読者の多くは異世界転生に慣れているから、慣れ親しんだ異世界転生ものがウケやすい。そうして生まれた異世界転生ものを読んだ読者は異世界転生のテンプレートに慣れて、そうして生まれた異世界転生に親しむ読者に向けて、新たな異世界転生が供給される……。一例として転生ものを挙げただけで、別にこれの限りではない。別に異世界転生ものの量産をやめろ!とかの思想を語りたいわけじゃないので、そこは勘違いしてほしくない。一番わかりやすい例がこれだ。
要は、慣れ親しんだタイプのものは簡単ということだろう。僕だって、新しいことをするのはいつも億劫だ。慣れ親しんだ場所で、慣れ切ったことだけで帰結していたい。でも、新しいことを知る、新しい何かに出会うという面白さもあるはずなのだ。僕が新しいことを拒否していては示しがつかないけれど、それでも読者には、少し難しくても、知らない言葉が出てきても、それですぐに放棄してしまわないで考えてみて欲しい。このサイトを見に来るのに使ったその端末で、検索してみてほしい。それから、この文章を読むのに使ったその頭で考えてみて欲しい。押しつけがましいかな、押しつけがましいね。長々と説教くさい文章を失礼しました。