第2話 上と神と紙
着物の割に大股で進んでいく花魁はどうやら鳥居の先を目指している様で、石畳の階段を登っていく。
先程の花魁道中の様子を思い出した乃亜が、お客さんの元へ行く予定だったのでは?と尋ねると、そのお客さんがお上なのよ、と微笑み返した。お上は時折この花魁とお茶をするのだと言う。
「……てっきり、遊女としての仕事をするんだと思ってました」
「普通の人はそうかもね。でもわっちは売られる前、芸者だったから。宴会で踊ったりするのよ」
少し嬉しそうに言ったその人の紅は朱色の着物によく映える。そこには確かに上級の遊女としての格調と芸者としての品の良さが同時に存在していた。
そんなやり取りをしている間に、階段の先、鳥居の前に辿り着く。街に居た時には見えなかった荘厳なお社がそこにはあった。
まるで神社のような光景に、冬の早朝のような静かで厳かな空気を感じる。実際、山の上なので空気は幾分か低い。この奥の本殿にお上は居ると言うのだから驚きだ。
「もしかして、、神様だったり……?」
冗談めかしてまさかと思った事を言ってみる。
「うふふ、何言ってるのよ主さんたら」
「ほっ……」
可笑しそうに笑う綺麗な女性に、ほっと胸を撫で下ろす。いくら不思議な空間であっても神様が居るはずがない、そう安心している乃亜を横目に縁側へ上り、本殿の襖を開けた花魁が言う。
「神様に決まってるじゃないの」
ギョッとしたのも束の間、あまりの驚きに放心状態の乃亜は、気がついたら縁側に立っており、気がついたら本殿の謁見の間へ通され、気がついたらお上と言われる神と対面していた。さっきまで傍に居た花魁は、いつの間にかお上もとい神様の傍で、お上って御神って事なのにね〜とコロコロと笑っている。
(笑い事じゃ無いんだが!??!え、神、え!?)
目の前に居る神は、頭から「上」と書かれた和紙を垂らし顔を隠している。その他は至って普通の人間だ。真っ直ぐとした黒髪を後ろで束ねていて、平安装束を着ている、少し不思議な容姿の普通の人間だ。貴女は、とおもむろに発せられた声も滲み出る威厳以外は人と同じものだった。
「貴女は、まだ生きています」
男か女か分からない声色で告げられる。
「は、はあ、まあそりゃあそうでしょうけど」
乃亜がそう答えると、神は何かを考えた後、隣の可愛らしい女性に向かって言った。
「説明していないのですか、
「だってお上が説明してくれると思ったんですもの」
悪びれずに言った花魁-菫と言うらしい、はそう言って笑う。神はそれに対して、確かに、と納得してしまった。
「つまり、この世界は死後の世界だ、と言えば分かりますか?乃亜」
「へっ?!何で私の名前……いや神様なら当然か……?てか死後の世界って」
「ここに来るまでに現世では有り得ない事が起きたでしょう?」
「まあ……」
確かに、謎の女の人の手から謎の光が溢れたり、女の人が消えたり、菫の従者や高下駄が消えたり、と普通ではまず起こらないことが起きている。現に、目の前の神も(本当に神なのかは置いといて)、乃亜が今まで居た世界では到底見えるものではない。
「え、私死んだんですか?」
「いえ、最初に言ったでしょう。生きているのです。」
「良かった……」
「そこが問題なのですが」
「えっ」
まさか戻れないのか、そんな事を思って青ざめた乃亜を見た菫が微笑を浮かべたまま神を諌める。
「まあまあ、意地悪しちゃあ可哀想よ、生きたままこちらに来てしまう事なんてこちらでは日常茶飯事じゃないの、何の問題もありはしないわ」
「本当ですか!」
「本当よ、ね、お上」
振り返った菫を見た神はしばらく黙ったあと、そうですねと言った。そして何やら従者を呼ぶ。
「戻る為にはまず、準備があります。まず、この建物の奥にある滝で体を清めてきてください」
「まさかの滝行」
神に呼ばれて出てきた従者に連れられる乃亜は、厳しくないですかぁ?と半べそになりながら廊下の奥へ消えていった。
乃亜が居なくなると、途端にその場が静まり返ってしまう。
途方もなく広いお座敷に、神と菫がぽつんと立っている。
「何を企んでいるのですか、
菫とも咲千代とも呼ばれるこの美しい遊女は、相変わらず顔色の見えない神を笑顔で見下ろす。
「ふふ、やめてくんなまし、その名はもう捨ていんした」
乃亜が震えながら巫女服を着て戻って来た頃には、もうその女の姿はなかった。
「あれ、あの人は帰ったんですか?」
「どうでしょう、そうだといいのですが」
どこか皮肉っぽく言った神を不思議に思いながら、着せられた巫女服を弄っていると、袖の中に何かがある事に気がついた。覗いてみると、紫の紙で出来た御札の様なもので、金色のよく分からない文字が書いてある。
現世に戻る時に必要なのかな、と思いそのままにしておく事にした乃亜は、袖から目を離し、神の方を見る。
神は変わらず同じ位置で座ったままだったが、いつの間に用意したのか、前には何やら文字と印が押してある和紙が置いてあった。
どこからか漂ってきたお香の香りと儀式的な雰囲気に、思わず正座する。
「この印の下に親指を付けてください」
「……はあ」
親指を紙に付けるだけでいいのか、そう思いながら押し当てる。
すると、指を当てた所から黄金の光がもれだした。驚いて指を離すと、乃亜の指紋状に金の刻印が紙に記されている。
「……すごい」
「できましたね」
「はい!」
美しい光景が未だ脳裏に残っている乃亜は興奮した様子で答える。
「では、それを飲んでください」
「はい?」
先程の余韻が一瞬でどこかへ飛んでいった。
紙を飲めと?紙は食べ物じゃないですよ!?そんな心の叫びが聞こえてか聞こえないでか、大丈夫ですよ、お米から出来た紙ですから、とよく分からないフォローをされた。
「え、本当にそれやらなきゃなんですか」
私ヤギじゃないんですけど。
やりたくなくてそう聞いても何も答えないあたり、戻る為には絶対に必要らしい。
「まじすか」
「まじです」
さあ早く、と急かされて仕方なく少し口に含む。
紙を口にした瞬間、どこからかドン、と和太鼓の音が聞こえた。そのまま、ドン、ドン、ドン、ドン、と促すように音が早くなる。
驚くべき事に、その音に合わせるかの様に紙を口に入れる手が勝手に早くなった。
ドン、ドン、ドン、ドン
米で作られたと言えど、紙は紙、口の中で溶けるのは遅い。
ドンドンドンドンドン
しかし、勝手に動く手は容赦なく紙を口に押し込めようとしてくる。
ドコドコドコドコドコ
苦しい、辛い、吐きそう、そう思ってぎゅっと目を瞑る。
すると
ドン
次に目を開けた時には、見慣れた部屋に居た。
花と弓なら珠にも勝る 胡蝶 @kochou_letter
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