花と弓なら珠にも勝る
胡蝶
第一部 花から矢を得る
第1話 涼やかな布と高下駄
瞼から感じる柔らかい光。
さわさわと頬に触れるこそばゆさに瞼を開く。
黄緑色、まずそれが頭に浮かんだ。何かの植物なのだろうか、草むらの中にぽつんと立っている茶髪の少女-
背を追い越すほどに育ったそれは、前方の細い獣道の脇に沿うように生えている。
よく見ると、先端に細かい毛の生えた花穂があり、風が吹く度に大きく揺れる。
「…………ねこじゃらし?」
少し背伸びしてねこじゃらしらしき物を引き寄せる。
触ってみると見た目とは裏腹にチクチクとしていて痛かった。
成程、これが先程私を起こしたのかと、瞬時に理解する。
「それにしても、」
ここはどこだろう?と思いながら、乃亜が改めて周りを見回してみても、目の前の獣道以外は大きなねこじゃらしで埋め尽くされている。
穏やかな日光が天高くから降り注いでいる辺り、お昼頃だろうか、と空を見上げて気がついた。
「……は?!」
太陽がない。太陽がないのに明るい。
あまりに自然であった為、危うく見逃すところだった。そこには雲ひとつない空の蒼が広がるのみ。
「この空といい、ねこじゃらしといい、なんなの……?」
光源がある筈だった場所を睨みつけながら、虚空に向かって呟いていると、後ろから足音が聞こえてきた。
ハッとして後ろを振り向けば、壺装束の女性が立っている。
市女笠から垂れた薄い布が顔を隠していたが、美人であろう事は微かに分かった。
「…………あの……?」
乃亜の方を見たまま黙っている謎の女性の表情を伺う。と言っても、見えるのは涼しげに揺れる布と、その間から時折見える唇だけなのだが。その女性の纏うキリッと冴えた雰囲気に自然と緊張させられる。
穏やかな風は、あいも変わらず肌を撫でていた。
少しの沈黙の後、口を開いたのは女性の方だ。
「……そなた」
凛とした声が響く。
「まだこちらに来るべき者では無いであろう」
「………………はい?こちらとは……?」
乃亜の質問を聞かずに、その女性は乃亜の胸元に手をかざす。
ぽう……と明かりが灯ったかと思ったら乃亜の体の中に吸い込まれていった。不思議と体が暖かい。
「え……なに、、」
胸元をおさえてみても何も無い。
混乱したまま女性を見ると、私の前を通り過ぎて獣道を進んでいる。
「ついてくるとよい」
こちらを見ずについてこいと言った謎の女性をわけも分からず追うと、木造の大きな門が見えてきた。その奥には建物が連なっている。
「お上に会えば現世に戻ることができる」
門の前でやっと振り返ったその人は、それだけ言って乃亜の目の前で蒸発するように空気に溶けてしまった。
「え、えええええええ!?!」
お上って何!誰?!てか消えたけど!????結局ここどこだよおおおお!!!そんな気持ちをのせて叫ぶ。
とりあえず、ここは今まで居た世界とは違うのだろう、それだけは唯一理解出来た。
この状況を打開するためにも、門の中へ一歩足を踏み出す。踏み出した瞬間、街の賑やかな音楽や人々の声が溢れるように吹き出してきた。
建物をよく見ると、古いもの新しいもの、和風のもの洋風のもの、と様々にある。
その街は、右にも左にも永遠の如く続いているようで、奥の建物がぼやけるほどだった。太い道に沿ってお店や民家、ビルや劇場が並んでいる。
まっすぐ前を見れば、奥に石畳の階段があり、その上には紅の鳥居が厳かに佇んでいた。階段へと真っ直ぐ伸びる道は表参道ということになる。
どの道にも街の人々が居て、井戸端会議をしていたり客引きをしていたり掃除をしていたりする。大変活気のある様子だ。人々の服装もまた、洋装和装様々で時代も人種も違う。
不思議な所だが、悪い印象は無かった。
少し緊張が抜けた様子で表参道を歩いていくと、道の中央をゆっくりと進む集団が見えてきた。その集団の中に居る飛び抜けて背の高い、豪華な朱色の着物を着た女性に目を奪われる。
「…………花魁道中?」
以前SNSで見た事のある映画の様子が脳裏に浮かぶ。確か、上級の遊女が客の元へ移動する際のパフォーマンス的なものだった筈だ。背が異様に高く見えるのも、20センチ程ある下駄を履いているからだ。
(いいもの見た!けど、邪魔だし追い越しちゃお)
追い越そうと歩みを早める。すれ違いざまにチラと目線を向けると、花魁だと思われる女性と目が合ってしまった。白塗りの陶器のような肌に浮かぶ丸い瞳が驚くように見開かれ、全員の動きが止まる。
「……あれ、もしかして追い越しちゃ駄目な感じでした?」
視線から逃げるようにあは、あはは、と笑う。
花魁は乃亜をじっくりと見た後、何故か満面の笑みを浮かべ、こちらに向かってきた。同時にぽぽぽん!と子気味のいい音を立てて、周りに居た従者らしき人々と高下駄が消える。
「まあ、まあまあまあ!!!主さんまだ生きているじゃない!」
「はえ!???!生き、え!????」
「なら早くお上の元へ連れていかなくちゃ!」
「え、ちょ、私、え!???」
逆に生きてなかったのか、そう尋ねる言葉は、その花魁にぐいぐいと引っ張られて遮られる。
その花魁はと言うと、先程までの歩みが嘘だったかのようにスタスタと足早に参道を進んでいく。この世界はなんなのかと聞くと、お上が教えてくれるとだけ答えてくれた。
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