そしてこの関係の写真だけが残った

ラーさん

そしてこの関係の写真だけが残った

 あたしが住んでいる部屋から、線路を跨いでむかいのアパートにその女性は住んでいる。

 走る電車が好きなのか、彼女はよく開けた窓からカメラを構えて行き交う電車の撮影をしていた。

 名前は知らない。年は自分より若くて大学生くらいに思えた。きっと良い人なのだろう、たまに窓を開けたときに目が合い、あたしが手を振ると、彼女も振り返してくれる。反対に彼女の方がカメラをむけてきて、それにピースを返したりした。それだけの関係だった。

 ある日、そんな彼女があたしの部屋を訪ねてきた。


「引っ越すので、おむかいにも挨拶をと思いまして」


 菓子折りをもって訪れた彼女は、少し緊張した口調で来訪理由を告げる。


「これはご丁寧に、どうも」


 こちらも緊張してしまい、当たり障りのない挨拶を交わすだけになってしまい、少し微妙な空気になってしまう。

 彼女を知ってからもう一年以上過ぎていたが、意外と面とむかってしまうと話すこともないものだなと頭を掻いていると、彼女が写真を何枚か取り出してきた。


「その、こちらの写真なんですが……」


 あたしが映った写真だった。彼女の部屋から戯れに撮られたあたしの写真。彼女からはこんな感じに見えていたのかと、写真をめくっていくと、横顔だったり後ろ姿だったり、撮られた覚えのない写真が何枚か出てきた。


「すみません……。これを謝りたくて……」


 彼女は両手を握り合わせて、窺うような目であたしを見上げた。その肩は少し震えて見えた。もう一度、写真に目を落とす。あたしの横顔の写ったその一枚はとても綺麗に撮られた写真で、撮った人の気持ちが溢れてくるような、そんな輝きを感じる写真だった。


「いい顔が撮れてるね、この写真。あたしってこんなに綺麗だったけ? 謝る必要はないわよ」


 あたしは彼女の不安げなまなざしに笑いながら答え、


「伝わったから」


 最後にそう告げると、彼女は驚いたように目を丸くして、それからわずかに寂しげな顔で微笑んだ。


「良い人ですね」

「あなたも」


 それからしばらく談笑した。思った通り彼女は大学生で、春の就職に合わせて引っ越すのだという。また彼女はやはり鉄道好きで、あの部屋は「窓から電車が見える部屋」をわざわざ探して選んだのだという。


「もちろん次の引越し先も同じ条件です」

「それは筋金入りね」


 打ち解けて、晴れやかな笑顔を見せるようになった頃、彼女は言った。


「この写真、差し上げますね」

「そう、ありがとう」


 写真の束を丁寧に封筒にしまってあたしに手渡すと、彼女はすっきりとした顔で微笑んだ。


「また、どこかでお会いしましょう」

「そうね、どこかで」

「さようなら」


 手を振る彼女が玄関から見えなくなるまで見送り、扉を閉じた。


「また、どこかでか……」


 そんなことがあるとは、たぶん彼女も思っていないだろう。これはそういう距離の関係で、だから近づいても離れても、そこで終わる関係だった。

 あたしは線路側の窓を開けた。

 もう線路のむこう側に彼女の姿はなく、あたしの手元にかつて彼女が見た、この関係の風景を写した写真が残るだけである。

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そしてこの関係の写真だけが残った ラーさん @rasan02783643

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