2巻 第29話 鍋で女子会 ~実食編~


 嘉穂の家は、美月の部屋とそう変わらない単身者用のアパートだった。

 違いがあるとしたら、キッチンもそこそこの広さがあるところだろうか。そういう意味では美月の部屋より広いのだが、そう感じられないのは、部屋の四方に本棚があってぎっしりと本が詰まっており、収まりきらなかった本があちこちに積んであるからに他ならない。

 他にもゲームやドラマ、映画、アニメのパッケージなども多く、貴美も美月も、部屋を見回して「うわあ」と揃って声を上げた。

「何よ、普通でしょ、このくらい。美月さんの部屋に服がたくさんあったのと何も違わないわよ」

「えーと、あたしの部屋と比べられても、これはレベルが違うっていうか」

「でも、作家さんの部屋だーって感じで、ちょっと感動ですね」

「いいから、さっさと野菜切るのを手伝って」

 材料を切って、鍋に入れて煮る。

 それだけで完結するのが、鍋のいいところである。これが店で提供するとなると、出汁や割り下にこだわるなどの手間がかかるのだろうが、家で自分たちの食べるものを作るということになると、楽な料理である。

 材料をカットして、皿に盛り、カセットコンロと鍋をフロアテーブルに並べたら準備は完了、あとは酒を楽しみながら材料を投入し、煮えるのを待つばかりである。

「お酒は、この前見学に行った酒造さんの純米吟醸と純米酒を用意したんですけど、まだ冷えてませんかね? 切るだけだったから、思ったより準備が早く終わっちゃいましたし」

 貴美が用意した日本酒は、到着と同時に冷蔵庫に直行している。

「まあ、今の季節なら気温も低いし、冷蔵庫に入れた時点でもそんなに温くなかったとは思うけど……。どっちから飲む?」

「最初は純米吟醸ですかね?」

「あたしはどっちでも」

 嘉穂はキッチンへと行き、そして純米吟醸の瓶と一緒に、筒状の何かを持って戻ってきた。

「あ、嘉穂さんもそれ、買ったんですか」

「ええ。あまりに便利そうだったから。『も』ってことは、貴美さんも買ったの?」

「えへへ、はい……」

 以前、美月の家で女子会をしたときに美月が披露した、保冷剤を筒状に繋いだようなボトルクーラーである。

「これがあると、家飲みが捗りすぎて危険なのよね……」

 言いながら、嘉穂は純米吟醸の瓶にすっぽりとボトルクーラー被せた。ラベルが隠れてしまうのが玉に瑕である。

「わかるー」

「家で飲む機会が多いなら便利ですよね」

 貴美の言葉に、嘉穂も美月もうなずいた。

「まあ、冷やすだけなら日本酒をロックにするのも最近は流行りみたいだけど、私は氷が溶けて薄まるのはどうかなって思っちゃうかな。蒸留酒みたいな度数の強いお酒ならそれもいいんだけど」

「徳利にお酒とは別の場所に氷を入れて、お酒冷やす酒器もありますよね。この前、ネットで見て、これ考えた人頭良いなー、って感心しちゃいました」

「え、そんなのもあるんだぁ」

「酒器は探し始めると面白いものがいろいろ出てくるわよね」

 言いながら、嘉穂は三人分のグラスに純米吟醸酒を注いだ。

「それじゃあ、まだ少し今年は残ってるけど、一年間お疲れ様でした」

 家主である嘉穂の音頭で、乾杯。女子会が始まった。ほどなく、いい感じに鍋からもぐつぐつと食欲をそそる音が立ち始める。

「あ、豚肉、すき焼きの味でも美味しいですね」

 美月が買ってきた豚肉を最初に食べて、貴美が言った。

「豚ですき焼きって普通にある料理だもの。すき焼きは牛より豚の方が好きって人も結構いるわよ」

 生卵を割って、かき混ぜながら嘉穂が言う。

「え、そうなんですか?」

「鶏のすき焼きもあるわよねぇ」

「そうね。だからすき焼きにしよう、って言ったのよ。割り下の味も濃いから、食材同士が多少ケンカしてもねじ伏せてくれそうだったし。まあ、本来はどの肉を使うかでそれ専用の味付けがあるとは思うけどね」

「そこはまあ、家でやる飲み会の雑な料理ですから。うちの鍋なんか、昨日の残りとか冷蔵庫の中にあったものとか、お母さんが鍋にどんどん入れちゃうから普段からカオスになりがちですよ」

「お鍋ってそれで充分美味しいしねぇ」

 うんうん、と三人してうなずき合う。実際、味などは二の次で、こうしてワイワイと鍋を囲んで酒を飲みつつ話すのが楽しいのだ。

「鍋一つで牛も豚も鶏も楽しめるって、考えてみれば贅沢な話ですよね」

「こういうネタ企画をやってこういう偶然が起こらないと、普通はやらないわよね」

 三種類の肉が入った鍋、というのは、冷静に考えるとなんだか頭が悪い。まるで小中学生が考える最強論のようでもある。

 しかし、気の合う仲間で集まっての酒の席、という特別な場では、ギリギリ許容できる、そんな鍋だ。

「すき焼きって、私、最近春菊がすごく好きなんですよ」

 実際に春菊を取り皿に取りながら、貴美が言った。

「あ、それわかる。あたしも中学生くらいまで春菊は苦手だったんだけど、最近は春菊がないすき焼きとか物足りなすぎて」

「大人の味よね。春の山菜なんかも、美味しさがわかってくるのはお酒飲めるようになってからかも」

 一説には、年齢とともに味覚が鈍ることで苦みに対する忌避感が薄まるからだという話だが、楽しめる味わいが増えるのならば老化もまたよし、である。

 味が染みた白菜。

 茶色に染まっていく豆腐。

 割り下がよく絡むしらたき。

 肉厚で肉にも負けない食べ応えの椎茸。

 肉の脂をよく吸ったネギ。

 春菊以外にも、すき焼きの脇役たちはどれもが光っている。

「新年会は、いつもの『竜の泉』で鍋飲み会にしましょうか」

「あ、いいですね! やっぱり、プロの鍋料理も食べたいですよね」

「じゃあ、新年会は何のお鍋にするか、本格的にちゃんと決めなきゃねぇ」

「あのお店の鍋って、予約は必要だったかしら……?」

「どうでしたっけ。でも、どのみち、年末年始は混みますから、予約しないと入れない可能性も高いですよ」

「忘年会と新年会のシーズンは、人気のお店は混むもんねぇ」

「あの店、常連の中には、忘年会や新年会が終わった後で『じゃあ来年の予約を』って言い出す人も多いって話よ」

「一年前から予約をしちゃうんですか!?」

「人数によっては、この時期は半年前でも予約が取れないことがある、ってあたしも訊いたことあるかも」

「うわあ……。まあ、味を知ってるからそう言われても納得ですけど」

「だから、鍋新年会は早くても一月の半ばから下旬になっちゃうわね」

「こればっかりは、しかたないわよねぇ」

「じゃあ、その前にもう一回くらい家飲み女子会やります?」

「いいわねぇ。今度はおんなじ感じで材料を持ち寄って鉄板焼きでもやる?」

「あ、それ、面白そうね。まあ、実際にはホットプレートだけど」

「それなら、材料の相性が悪くても混ざるわけじゃないし、変な組み合わせになっても悲惨なことにならないですよね」

「貴美さん、甘いわね。それがお好み焼きなら?」

「なんで嘉穂さんはアクシデントを起こそうとするんですか!?」

 そんな二人のやりとりにけらけらと笑いながら、美月は、

「なんかもう、あたし、二人と一緒に飲んでるときが一番楽しいかも」

 と上機嫌で言った。

 嘉穂も、そう思う。貴美も、おそらくは同じことをずっと思っていただろう。

 のみならず、今年は、長年なかなか打ち解けることができなかったやよいとの距離を縮めてくれたのも酒だったし、貴美も居酒屋で杜氏の青年と出会ったり、美月もおでん屋のお婆さんと出会っていろいろあった、という話も聞いている。

 酒は、人と人の距離を近くする。

 居酒屋という空間は、予想外の出会いをもたらしてくれることもある。

 もちろん、それがトラブルを生むこともあるだろう。しかし、嘉穂には、とてもよい出会いをもたらしてくれた。

 ──いい文化よね、お酒って。

 そんな、先人たちが残してくれた、今もそれを受け継いでブラッシュアップを続けている人たちがいる文化に感謝を捧げつつ──、

 嘉穂は美味しい日本酒を口に含み、鍋と雰囲気を肴にその味を楽しむのだった。

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居酒屋がーる(1)(2) おかざき登 @noboru-okazaki

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