第7話 夜明け
「私を救う……? ごめんなさい、言っている意味が分からないのだけど……」
ドロテアは首をかしげる。
「あなたはもう何百年も魂狩りを演じ続けてきた。そのためにカオステラーと創造の力を使って、本来の肉体の寿命を無理やりに引き延ばした。もうあなたの体はボロボロのはずだ」
あの災厄の魔女も、魔法や呪いを使って本来の寿命を超えて生き永らえてきた。その結末を見ているルートヴィッヒは、どうしてもこのドロテアと彼女の姿を重ねてしまう。
「そうね。もう私の体はとっくに限界を迎えている。でもそれがどうしたというの? 私の可愛い子供たちを守るためだったらこの程度なんてことないわ」
「あなたはそうかもしれないが想区は違う! あなたが創造した物語には他国との戦争なんて運命があったのか? あなたがそうしてカオステラーといる限り、想区は歪み続ける! だからお願いだ。創造の力を使ってくれ……!」
「……ふふ」
ドロテアがわずかにほほ笑んだ。その表情に、なぜかルートヴィッヒはぞっとしてしまう。本来のドロテアなら絶対にしないような造られたような笑顔。彼女を乗せている黒馬も全身を震わせている。
「まるで泉の女神みたいな事を言うのね。もしかしてあれに何か吹き込まれたのかしら。いい? どんなに外面をよくしてもあの女神はストーリーテラー側の存在よ。個々人の想いなんて関係ない、冷酷に運命を押し付けるだけのシステム。戦争というイレギュラーが発生したのなら私が相手の国を滅ぼす。何が起きても私が全て解決すればいい。あの女神の言葉に従う必要なんてないわ」
「それは違う。キュベリエはそんな事……」
「やっぱり、あなたもそちら側の人間なのね。もういいわ。あなたなら私の気持ちを理解してくれるかもしれないと思っていたのに……。女神に穢されたあなたの魂は私が、いえ、我が? まぁなんだって構わない。あなたの魂を浄化してあげましょう」
(くそっ、話が通じない! それに魂狩りの意識が戻り始めている)
ルートヴィッヒと会った事を契機に目覚めたドロテアの人格も、しばらく時間が経てば再び沈んでしまう一時的な物だったようだ。それを知っていたのかは分からないが、早期に決着をつけようとしたキュベリエが結果としては正しかったのだろう。
そして普段のドロテアならこんな事は決して言わない。やはり長い年月がドロテアを蝕んだのか、それとも取り憑かれていないというだけで少なからずカオステラーの影響を受けているのか。今確実に分かるのは、あれはドロテアであってドロテアでないという事だけだ。
「白薔薇」
ルートヴィッヒは自分の側にイマジンを呼び出す。説得を諦めたわけではない。だが平行線の話を続けていたところでドロテアを助けられる可能性が低くなっていくだけだ。
「白薔薇ね。茨で拘束しようってつもりかしら」
「なっ……!」
(バレている⁉)
「ふふ、当たり前じゃない。私もヤーコプからグリム童話については聞いているのよ。グリム童話に出てくる登場人物、つまりあなたのイマジンについては全て知っているわ」
ドロテアの呼びかけで、黒馬が前足を地面に突っ込む。
「
黒い蝶が地面に吸い込まれた瞬間、黒馬が勢いよく足を跳ね上げた。塊となった土が前方にいたルートヴィッヒ達に襲い掛かる。
ルートヴィッヒはなんとかそれを回避、しかし目を外した一瞬の間にドロテアの姿は消えていた。
辺りを警戒するルートヴィッヒの耳にドロテアの声が響く。
「ねぇ、ルーイ。あなたの使えるイマジンの数は多いわ。でも、ファラダの突進を止められるイマジンはその中に何体いるのかしらね……?」
空気の流れがわずかに変わった。ルートヴィッヒは瞬時にそちらを向き剣で防御――。
「がっ⁉」
体がバラバラになりそうな衝撃と共に、ルートヴィッヒは壁に叩きつけられた。吹き飛びそうな思考の中、突進してきた黒馬の一撃を直に受けたのだと理解する。
メルヒェン・メイカーで防御したのが幸いした。再編の力を受け取る装置をつけやすくするために他の剣に変えていれば、今頃剣ごと粉砕されていただろう。
「ファラダ、もう一度よ。今度こそ確実に決め……」
「『ブランシュ・ローゼ・ブランシュ』‼」
突如、黒馬の周囲から地面を割り茨が出現した。ドロテアに反応する暇も与えず、茨は黒馬を拘束する。
「これは……? 白薔薇はさっき潰したと思ったのだけど」
「あなたも俺も考える事は一緒だったってことだよ」
壁に張り付いていた土塊が崩れ、中から盾を構えたヴァルトと白薔薇が姿を現した。
(そろそろだな)
城からこの訓練場を見下ろしているであろうキュベリエには、戦いが始まったら始めてくれと言ってある。レイナから放たれた再編の力は各想区にいる学院の人間を伝って、この想区に来るはずだ。
「ふふ。ファラダは封じられてしまったわね。でもあなたもイマジンを一体使えなくなった。これが等価交換だと思う?」
ドロテアが黒馬から降り、地面に優雅に着地した。その時に黒衣の裾がわずかに浮き、ルートヴィッヒはその中にあったひび割れた彼女の足を見てしまう。
「私は止まれないの、子供たちを守るために……!」
突如、メルヒェン・メイカーがかすかに震える。取りつけられた金属が柔らかい光を帯び、何らかのエネルギーが流れ込んできているのが感じ取れる。再編の力が届いたのだ。
―—今回きみの剣につけたそれは再編の力を流すための装置を改造した物だ。ある程度はエネルギーを留め置けるようにはしてあるが、それでも持って20分。それを超えれば再編の力は完全に無くなり、さらに時間をかければかけるほどエネルギーは外に流れ出ていく。その事を頭に入れておいてくれ――
(要するに速攻で片をつければいいんだろ!)
「はぁぁぁぁぁぁぁ!」
ルートヴィッヒは剣を構え速攻をかける。ドロテアの魔方陣とルートヴィッヒのメルヒェン・メイカーがぶつかり合い、その衝撃が空気を揺らした。
一度引いたルートヴィッヒはすぐさま剣を返し別方向から攻撃を加え、そこから素早く突きへと転じる。それが防がれても連舞は止まらず、多彩な剣技がドロテアに襲い掛かる。
しかし、ルートヴィッヒの怒涛の連撃をドロテアは片手で捌き切っていた。最小限の手の動きで魔方陣を出現させ攻撃の悉くを受け止める。
「この程度なの? だったら次は私の番ね」
ドロテアの手の内にある魔導書が怪しく輝く。次の瞬間、恐ろしいほど膨大な魔力が蝶となって魔導書から飛び立った。
蝶達が地面にしみこむと、ドロテアを中心に巨大な魔方陣が形成される。黒馬や白薔薇はおろか、訓練場全体にわたるほどの巨大な魔方陣から発せられる光がドロテアを照らし出した。
(まさか味方ごと……⁉)
「ヴァルト、戻れ! ツヴェルク、白薔薇を頼んだ!」
喚び出されたツヴェルクが一直線に白薔薇の下へ駆け、地面の中に消えた。それを見届けたルートヴィッヒは壁に向かって走る。しかし訓練場を覆う魔方陣からは逃げられるはずもなかった。
「浄化してあげるわ……!」
魔方陣が一際大きく輝いた直後、魔力の奔流が天を衝く。遠くからでも目視できる光の柱の中にルートヴィッヒは取り込まれた。
「ぐぅ……」
目も開けていられないほどの熱と光。体の水分が蒸発していくのが苦痛によって感じられる。逃げ場などない地獄の業火にルートヴィッヒは耐えるしかなかった。
永遠に思えた時間の後、徐々に魔力の柱は収束していく。夜が戻った訓練場に立っているのはドロテアただ一人。
「ごめんなさいね。今治してあげるわ」
ドロテアが
「ツヴェルク、白薔薇。無事か?」
「だ、大丈夫です……」
「こちらは問題ないぞ」
二人の答えに少し安堵しながらルートヴィッヒは体を起こした。
「ツヴェルクを使って地面の下に白薔薇を逃がすなんて考えたわね。なら今度はツヴェルクでも間に合わないよう、もっと深い所に魔方陣を描こうかしら」
笑顔のままドロテアがそう言う。その程度、今のドロテアには造作もない事なのだろう。いや、そもそもドロテアにとって白薔薇の拘束など問題でも何でもないのだ。その気になれば一瞬で黒馬の拘束を外すことも出来るはずだ。しかしドロテアは傷を癒しただけで拘束には手を付けていない。それはまるで子供との遊び。子供が必死に考えた戦略を大人が微笑ましく眺めているような、それほどの力の差が2人の間にはあった。
(無茶苦茶だろこんなの……。グリムノーツ全員で挑んでも勝てる気がしない……)
だがルートヴィッヒの使命はドロテアに勝つことではない。何とかして彼女に一太刀入れる事。それがこの戦いの終着点だ。
だが、一太刀入れる事、それはドロテアに勝利すると同じくらい困難な事である。前回の捨て身の作戦でさえドロテアの体に刃を入れる事は出来なかった。本気でなかった時ですら成功しなかったのに、加減を捨てた今のドロテアの不意を突くなど荒唐無稽な話でしかない。
(……いや、1つだけある。ドロテアさんの動きを確実に止められる切り札を、俺は持っている)
今までは試した事もなかった。だが、実例はこの眼で見ている。もしルートヴィッヒにその資格があるのなら、できるはずなのだ。
(ごめん、兄さん達。今だけグリム兄弟である事をやめる。今の俺は……ただのルートヴィッヒ・グリムだ)
「ツヴェルク、白薔薇、戻れ」
「あら、イマジンを戻しちゃうの? そうしたらまたファラダが動けるようになるわけだけど……。何か別の作戦でも考え付いたのかしら?」
白々しく笑顔のドロテアが尋ねる。しかしルートヴィッヒはそれには答えず、メルヒェン・メイカーを水平に構えた。
「ふぅん……。小細工は無しって事ね。いいわ、あなたの全力、受け止めてあげる」
ドロテアが魔導書を開く。その顔には依然、嘲笑うような笑みが張り付いていた。”ドロテア”なら決して浮かべない歪な表情を前にして、それでもルートヴィッヒは信じていた。まだ彼女の中の”ドロテア”が完全に侵されてはいない事を。
メルヒェン・メイカーを構え、ルートヴィッヒが駆ける。まっすぐ、一直線にドロテアに向かって。
対するドロテアは余裕の表情を崩さない。ルートヴィッヒがどのような手を使ってこようが、全て止め切る自信がドロテアにはあった。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼」
メルヒェン・メイカーが届くほど2人の距離が近づいた時、ルートヴィッヒの背後に人影が見えた。イマジンの攻撃か、そう思い魔方陣を展開しようとしたドロテアの動きが――止まった。
ルートヴィッヒの背後から現れたのは1人の老婆だった。体はみっともないほどに曲がり、顔には無数にしわが刻まれ歯が何本か欠けていて、節くれだった手で杖をつき今にも倒れそうな体を支えた……それでいて、とても幸せそうな顔をした老婆だった。
ドロテアにはその老婆が誰なのかすぐに分かった。本能が彼女を知っていた。
「あなたは……私なの……?」
一瞬の硬直、それだけで十分だった。ドロテアが我に返った時には、すでにメルヒェン・メイカーは振るわれていた。
「あ、ああああああああ⁉」
剣の腹に取りつけられた金属塊がドロテアの頬を打ったその瞬間、ドロテアの体から光があふれ出る。先程の攻撃とは違う、温かく優しい光は2人を巻き込み天へと駆け上がった。
「これは……⁉」
「再編。物語に新たな解釈を加える、あなたの隠された力だ」
黄金色に染まった夜空の下、2人は立っている。そこには黒馬も訓練場も城もない。ただ2人がいるだけだ。
「その力の使い方はもう分かっているはずだ。今度は焦る必要はない。ドロテアさんの望む結末を想えばいい」
「……そう。そういう事だったのね」
ドロテアは呟く。夜空を映し出したその目から、一筋の涙が零れ落ちた。
「ルーイ、手を貸してくれないかしら……?」
何も言わず、ルートヴィッヒはドロテアの手に自分の手を重ねる。今にも崩れそうなひび割れた手には、たしかにドロテアのぬくもりが宿っていた。
『混沌の渦に呑まれし語り部よ』
ドロテアが詠唱を始める。
『我が言の葉によりて、汝の運命を再編せし―――――――』
「ルートヴィッヒさん!」
謎の光が天を一瞬黄金に染め上げたのを見て、キュベリエとダヴィンチは急いで訓練場に駆け付けた。ダヴィンチは両脇にファラダの首を抱えているためにかなり珍妙な格好になっている。
訓練場では、その中心にルートヴィッヒがへたり込んでいた。少し離れたところで黒馬が倒れ、そしてルートヴィッヒの傍にはドロテアが横たわっている。
「うまくカオステラーを抑え込んできたつもりだったけど……。とっくの昔に私は混沌に染まっていたのね」
憑き物が落ちたような顔でドロテアが言う。
彼女はリーゼルを守るために創造を発動させカオステラーを自身のうちに閉じ込めたが、その強い思いが逆にカオステラーに付け入る隙を与えてしまったのだろう。そう考えると何ともやるせない話だ。
「久しぶりだな、私の半身」
ファラダの首が黒馬に話しかける。黒馬の体からは闇が融け落ち、本来の純白の色がその下から現れた。
「私達は少々生きすぎた。後は後輩に任せて眠ろうではないか」
『——―—』
ファラダが灰となって崩れていく。吹き抜ける風がファラダだったものを乗せ、空へと消えていった。
「ファラダ……」
「私とファラダは2つの力で延命し続けてきたわ。その力の1つだったカオステラーが元に戻った今、もう肉体を維持する事ができなくなった。当然の事ね……」
ドロテアの全身が、指の先から少しずつ灰に変わっていく。ひび割れが全身に広がり、音を立ててドロテアの形を崩していく。
「ねぇルーイ。最後に1つ聞かせて欲しい事があるの。あの私は、あなたのイマジンなのね?」
「……うん。俺の描いた、あなたの肖像画だ」
創造主の条件は「現実に存在するもの以上の存在を、この世に生み出す事」だ。それは物語でなくとも構わない。現にダヴィンチは稀代の名画、モナ・リザを自身のイマジンとして持っている。
そしてルートヴィッヒもまた、「絵で名を残した者」である。彼の描いたドロテアの肖像画は、語り手ドロテア・フィーマンの姿として広く後世に伝えられることになった。ならばルートヴィッヒのイマジンの中に彼女がいることもまた必然だろう。
「そう……。もし道を外れなければ……あんな風に私は笑えていたのね……」
「道を外れてなんかいない。あなたはただ、皆を守りたかっただけだ。その方法が間違っていたのなら、もう一度やり直せばいい。そうだよな?」
「ふふ……優しいのね。ありが……――――」
ルートヴィッヒの手の中からドロテアが零れていく。ルートヴィッヒは空っぽになった手のひらをいつまでも、いつまでも見つめていた。
「えぇ⁉ もう出発しちゃうんですか⁉」
時刻は明け方、荷物をまとめたルートヴィッヒは再建された祠から外に出る。
「今なら沈黙の霧が出てきているからな。ずっと連絡してなかったから兄さん達も心配しているだろうし」
「むにゃ……おや、もう出るのかい?」
祠の中からダヴィンチがその巨体をのぞかせる。
「そう。ダヴィンチさんはもう少しここにいるの?」
「あぁ。しばらくはここに留まって再編の力の影響について調べようかと思っている。もうこんな事が起きないよう、一日でも早く装置を実用化したいからな」
「そっか。研究が一段落着いたらグリムノーツの想区にも遊びに来なよ」
「本当に行ってしまわれるんですね……。せめて再編後の想区がどうなったかだけでも見て欲しかったですが」
キュベリエの言葉にルートヴィッヒは笑って答える。
「それは大丈夫。ドロテアさんの考えた新しい物語だったらハッピーエンドに決まっているから」
「いや、放して! 私は死にたくないわ‼」
嘘がバレてしまった侍女リーゼルは、数日牢に入れられた後、兵隊に街の外へ連れ出されます。彼女はそこで殺されるに違いないと思い込み必死に命乞いするのですが……。
「あなたは死にませんよ、リーゼル」
「パトリシア様……⁉」
そこにいたのは彼女がかつていた城で従者を束ねていた女性でした。
「王妃リーゼル様の命令であなたを連れ戻しに来ました。リーゼル様は、死罪ではあまりに忍びないからあなたを国に連れ返してくれと王におっしゃったそうです。彼女の慈悲に感謝するのですね」
こうして侍女リーゼルは元いた国に帰る事になりました。そしてパトリシアの指導の下、従者の何たるかをみっちりと教え込まれたそうです。めでたしめでたし……。
「ヤーコプ兄さん、ヴィルヘルム兄さん、帰ったよ」
長旅から帰ってきたルートヴィッヒは真っ先に兄たちのいる屋敷へと向かった。この時間ならヤーコプ達は書斎にこもって資料と格闘しているはずだ。
しかし、屋敷のどこをさがしても兄達の姿はなかった。
「あれ、またグリム童話の想区にでも行ってるのかな?」
ルートヴィッヒは気づかなかった。ヤーコプがいつも座っている椅子の下、封を切られた一枚の封筒が落ちていたことに……。
がちょう番の魔女 白木錘角 @subtlemea2
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