第伍章 人が悪いぜ

「これで近藤源助の始末はついたワケッスけど…」


「あん?」


「依頼じゃもう一人・・・・標的まとがいたッスよね?」


「ほう、よく覚えてたじゃねェか」


 三池月弥がニヤリと笑う。

 当たり前ッス――神崎延重が憮然として返した。


「近藤源助は弟さんを殴って作品を奪ったッス。けど弟さんはまだ息があったのに事件の発覚を恐れて飛び降り自殺に見せ掛けて廃ビルから落とした張本人、いや、そもそも長男を贔屓にして甘やかす一方で弟さんや妹さんを蔑ろにしてきた元凶ともいうべき存在がまだいるッス。近藤の母親はどうしたんスか?」


「それならもう終わってるよ。近藤源助が魔法少女に転生したなら母親は、だ」


 轍の軋む音に振り返ればおシンが車椅子を押してエレベーターから降りてくるのが見えた。


「その人は?」


 神崎が訝しんで車椅子に座っている人物を指差す。

 歳の頃は五十代半ばであろうか。白髪混じりの女が呆けた顔をしている。

 口の端から涎を垂らし、時折虚ろげな笑みを浮かべているではないか。


「話の流れで分かるだろう?」


 察しろと笑う月弥に神崎はすぐにピンときた。


「近藤源助の母親ッスか?」


「その通りで御座んす。この御人は既に仕掛けていたんでさ」


 おシンが二つ名の由来である錫杖の輪を独特のリズムで鳴らし始めた。


「ひいやああああああああああああああっ?!」


 突如目を見開いて叫び出した女に顔を覗き込んでいた神崎が驚いて尻餅をつく。

 暴れようとしているが拘束具を着せられている為に身をよじる事しかできない。


「も、燃える! わらわ・・・の城が燃えていく!」


「わらわって」


 おシンが差し延べた手に助けられて立ち上がった神崎は頭がもげるのではという勢いで振り回す女の姿に呆気に取られていた。


「いやあ?! 将軍の遺体が、美しいお姿が燃える! 誰が火を消してたもれ!」


「一体コイツは…」


「せがれが魔法少女になったなら、母親の方は敵の女王様さね。見目麗しい幹部達に傅かれて面白可笑しく過ごす日々の記憶と愛する将軍が殺される記憶、そして最期にテメェの城ごと滅びる悪夢を繰り返し見てやがるンだと」


「もっと詳しく云えば、幸せな五日間、恋人を殺されて悲しみに暮れる一日、終わりが炎に包まれる地獄の体験…で、死ぬと、それが夢で再び幸せな日々が始まるってぇ繰り返しで御座んすよ。ちなみに体感では一週間でやすが実際には五分で繰り返されておりやす。それが二十四時間、単純計算で288周してやすからねぇ。今頃は幸福の五日間ですら“いつ地獄が始まるのか”って恐怖の方が勝ってるでしょうや」


 しかも一日このままなら体感では五年半以上である。

 この幻術の恐ろしいところは幸せと地獄のループに陥らせる事にある。

 絶望だけではそれ以上の絶望に落とせない。希望に満ち溢れた時間が肝要なのだ。

 極楽に転生できたとしても、いずれは五衰が訪れて再び輪廻の旅に出なければならない様になぞらえて『五衰の術』と名付けた幻術の奥義の一つであった。


「では仕上げといきやしょう」


 おシンは近藤源助の母親を車椅子から降ろすと拘束具を解いた。

 暴れるかと思ったが叫ぶばかりで激しく動くのは頭のみである。


「流石は三池印の痺れ薬、時間通りに効いてきやしたね。これなら叫ぶだけで動くこたァ出来ないでしょう」


「ンな印なんざついてねェよ」


 月弥は懐からフラッシュメモリーを取り出すと彼女の近くに置いた。


「それは?」


「あの作品の作者が本当は弟さんだって証拠と弟さん殺しの証拠だ。この廃ビルは不良の溜まり場になっていてな。実はビルの持ち主は防犯カメラを入口に設置してたンだ。調べたらちゃんと頭から血を流してる弟さんを担いでるコイツが映ってたぜ。手抜き捜査にも程があるだろうよ」


「再捜査されるかは警察次第でやすがね。仮にされなかったとしてもネット中にバラ撒く手筈でさ」


 近藤源助の母親にかけた幻術は警察官と接触する事・・・・・・・・・で解けるそうな。


「廃ビルの撤収作業は終わっておりやす。肝試しの場としても有名だそうで割りと人の出入りがあるから後始末が楽で御座んすよ」


「後は通報を受けた警察がこの女を見つければ終わりって事ッスね?」


「いや、まだ標的まとはいるぜ」


「えっ?」


 神崎はじっとこちらを見詰める二人・・・・・・・・・・にたじろぐ。


「な、何で俺を見るんスか?」


「実はよ。お前のフィアンセ殿からも頼まれ事があったンだよ」


「た、頼まれ事?」


 まさか浮気がバレて報復を月弥に依頼したのか?

 神崎の背筋に悪寒が走り、冷や汗がどっと噴き出してくる。


「テメェよぉ」


「な、なんスか?」


 月弥の手が伸びて神崎の腹の肉を摘まんだ。


「人形作り、機械弄りに精を出すのも良いけどな。最近は運動不足だそうじゃねェか。案の定、腹が弛ンでやがる」


「へっ?」


 予想外の言葉に神崎の目が点になった。


「だからな、お前に運動の喜びを思い出させてやって欲しいっていう優しいご依頼さね。お前だってこのままぶくぶく太りたかァねェだろがよ?」


 いつの間にか月弥とおシンがエレベーターの中で並んでいる。


「俺らは一足先にエレベーターで下に降りるから、お前はそこの非常階段で下まで降りて来い」


「なっ?! ここはニ十階以上あるッスよ?!」


「だから良い運動になるンじゃねェか」


「そ、そんな殺生な」


「ついでに云っとくがこのエレベーターは無理矢理電源を入れて動かしてるからな。俺達が下に着いたら電源を落とすからもう動く事はないと心得ておけ」


 エレベーターの扉が閉まっていく。

 にやにや笑いながら手を振る二人が恨めしい。


「ああ、中の階段は使うなよ。途中に一カ所だけ防犯カメラがあるから映りでもしたら後々面倒になるからな」


「ああっ! 待って欲しいッス!」


「それと早くしないと警察が来ちまいやすぜ。ささ、全力疾走でやすよ」


 無情にもエレベーターは神崎の眼前で閉まってしまう。

 ランプを見ればどんどん下に降りていくのが見えた。

 すると遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきたではないか。


「ま、マジッスか?!」


 このままでは警察と鉢合わせると神崎は非常階段を駆け下りるのであった。


「非道いッス!」









「それで? 神崎を置き去りにして俺に伝えたい事があるのか?」


「流石は三池の先生、よく分かりやしたね」


「分からいでか」


 月弥はエレベーターのGに顔をしかめながら答えた。


「依頼人の親父さんなんですがね」


「ああ、今回の七面倒臭ェ依頼を出した人かい。それがどうした?」


「首括って死んでやした」


「ああん? ま、分からなくもねェ。たかが小説を奪う為に長男と女房が共謀して次男を殺しちまったンだからな」


 月弥が腕組みをして首を振った。


「いえ、それが変なんで」


「何がだよ? ああ、依頼料か? 確か依頼をするのに半分を前払いして成功したら残り半分を支払うのが作法だったっけか? つまり残り半金を取りっ逸れたワケか」


「そうじゃないんで。半金も今し方振り込まれたと報告を受けやした」


 どうやら時間指定で振り込まれていたらしい。

 つまり成否に拘わらず半金を振り込むつもりだったか、成功を信じていたか、いずれにしても自分が死んだ後でも問題無いようにしていたという事だ。


「じゃあ何が気に入らねェンだ?」


「考えてもみて下せぇ。弟さんと妹さんは近藤源助を養う為に大学どころか高校への進学すら諦めて働いていたんですぜ? しかも、そん時ゃご両親は揃って同居していたんで御座んすよ?」


「云われてみりゃおかしいな。いくら長男がプー・・だからって次男と長女を進学させずに働かせなきゃ生活が成り立たない連中に依頼料なんて払えるワケねェよな?」


 首を傾げる月弥におシンも頷く。


「まったくで。しかも調べてみれば母親は浪費癖が非道く、父親もギャンブル狂いで生活も火の車だったようでね。依頼を持って来た男と父親は似ても似つかねぇんでさ。しかも父親が首を括ったのはもう五年も前ときた」


 流石に気味が悪くなったのか、月弥の返す言葉は若干上擦っていた。


「じゃあ長女が相談した父親ってのは誰なンだよ?」


「それだけじゃないんでさ。その長女…男に騙されてカネを奪われた挙げ句に山ン中で埋められてたのが分かったんでやすよ。それも三年前に」


「お前、どこの誰とも分からないヤツから依頼を受けるような間抜けじゃないよな? 裏は取らなかったのかよ?」


「やつがれァ依頼に裏がないか、依頼料を支払う事が出来るのかが確かめられれば依頼主が誰であろうと引き受けるのがモットーで御座んす」


 この野郎、俺を担いで・・・いやがるのか。

 おシンの顔を見上げてやった瞬間、月弥は固まった。


「でもお金だけは本物ですから」


「あ、アンタ…」


 それだけを口にするのがやっとだった。

 相手・・はすっと月弥を見据えて口を開く。


「アナタのおっしゃる通り、来世では家族みんな仲良く暮らせるようにしていけたらと思います」


 ありがとう――真の依頼人、写真で見ただけの近藤源助の弟、近藤源弥はにこりと微笑むと霞のように姿が揺らぎ、やがて消えていった。


「人が悪いぜ、まったく」


 呟くと同時にエレベーターの扉が開く。

 一階ではおシンが仲間に撤収作業の指示を出していた。


「どうかしやしたかい? まるで幽霊にでも遭ったような顔をしてやすぜ?」


 問われて月弥は苦笑して、“そうかもな”と返した。


「延の字はまだか?」


「さっき十階あたりでヒィヒィ息を整えてるのを見やしたぜ」


「しょうがねェヤツだなァ。やっぱ運動不足か」


 月弥は一頻り笑った後、エレベーターへ振り返る。


「生まれ生まれ生まれ生まれてしょうの始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりにくらし」


 近藤源弥の幸福な来世を祈るのであった。

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勇者が斃した魔王を復活させた勇者の息子の物語 若年寄 @senkadou

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