第肆章 秘蔵宝鑰
「でも流石は
「何がだよ?」
のんさんとは
友人の誰かが『お月さん』と呼び始め、その内に月を表す『のんのさん』さんとなり、詰まって『のんさん』となったのだ。
「近藤源助に自分が魔法少女に転生したと思い込ませた事ッス」
「その事かい」
「細身ではあるけど決して小柄ではない近藤にどんな魔法を遣ったんスか?」
「簡単だよ。あの野郎はネットサーフィン中に寝落ちする癖があるからな。まず寝入ったのを見計らって取っ捕まえたンだ。で、
「痺れ薬が伝わる家って何スか…」
頬を引き攣らせる
「引く事か? 家は戦国時代から続いてンだぜ。剣術から火術、投薬術に投毒術、何でも御座れだ。近藤のとっつぁん坊やに飲ませたのもその奥義さね」
「何しろ調合の配分、投与量を調節するだけで性別、体格に左右されずに狙った通りの効果を得られるというのが三池流投毒術のおっかない所でさ。今回の場合もね、体は痺れて口も利けなくなるにも拘わらず意識だけはしっかりとしてると来てるから驚きだ。その上、痛覚と温覚は通常よりも倍加されてるってンですからオソロシイ話で御座んすよ」
毒を操る事に引く親友に憮然としている月弥の言葉をおシンが引き継いだ。
怖いと云ってはいるが顔を見れば愉しげにニタニタ笑っている。
「
その後、目が覚めた近藤は最終巻の梅木らいかと同様に全身を激痛と凄まじい熱に襲われるという訳だ。
ろくに動けない近藤は抱きついてきた
「近藤源助からすれば痛みと熱で混乱している事もあるが視界も狭いからな。かろうじて全身包帯まみれになってる事しか分からねェ。目まぐるしく動く状況の中で“あなたは梅木らいかという女の子なのよ”と云われりゃ頭ン中は空っぽになるだろうよ。そこへ駄目押しに魔法少女に変身して空を飛んで見せれば“俺は魔法少女に転生してしまったのか?”って思い込むって寸法さね。ま、昨今のエンタメにゃ転生の概念が浸透しているからよ。思い込む為の土壌が出来上がってるのもあったかもな」
変身の仕掛けも単純で、近藤に強烈なスポットライトを浴びせて目が眩んでいる内に歌舞伎の早着替えの要領で魔法少女コスチュームに着替えさせただけである。
後はドローンで吊って空を飛ばせるだけだ。
多少の不自然さはあったが視界の利かない近藤を騙すには十分である。
「それにしても延の字もなかなかの役者だったぜ。ボロを出さない為に名前を
「いやぁ、何もかも必死で冷や汗だらけだったッスよ? 心臓はバクバクいうし演技はニ度と御免こうむるッス」
事実、神崎の仕事は人形を能品した時点で終わりのはずであったのだが、いきなり台本を渡されて、“今日中に覚えておけ”と演技の指導をされたという経緯があった。
「そうか、演技映えする良い顔なのにもったいねェが本人が嫌がるンじゃしょうがないか。無理は云わねェよ」
この場は引き下がったが、これからも神崎延重を演技を必要とする仕事に駆り出さす事は月弥の中で確定していた。
(次は取り引き先の不興を買った不始末のケツ持ちしてやった貸しを返して貰うか)
「のんさん、
「気のせいだろ」
月弥は顔を隠すように煙を吐いたものだ。
「それにして不思議なのはクスリで動けないはずの近藤がまるで幽霊を見たかのような悲鳴をあげて逃げ出した事ッス。おシンさんが幻術遣いなのは知ってるッスけど
おシンは常に錫杖を持ち歩いている事から“錫杖”のおシンという異名もあった。
先端の輪を鳴らした音や光を反射させて相手を眩ませて幻術に落とし込むのだ。
「相手に幻を見せる方法は錫杖のみならずで御座んすよ。近藤には既に幻術を仕込んでいたんでさ。テメェの罪を思い出すごとに弟さんの声が聞こえるようにね。どうも近藤源助は自分が悪い事でも人のせいにするようなヤツでして、単に弟さんの幽霊を見せただけじゃ開き直るだけだと思ったんでやす。現に小説が打ち切りになると執筆していたのは弟だと思い込んでいたようでやすよ」
「本当に救いようの無い男ッスね。そういや近藤のパソコンやスマホを探っていたらSNSで『魔法少女らいかちゃん』をディスってたッス。自分の作品をよくもまぁ、と思ったものッスけど、打ち切りになった途端にあの作品は弟さんの作品になっていたんスね。作品を返したと云えば聞こえは良いッスけど、要は失敗したから自分のじゃないって事ッスよね」
呆れると同時にそこまで自己愛が深く思い込みが激しい近藤源助の心理状態に戦慄を覚えて神崎は震えて二の腕を擦った。
「追い込まれていたとはいえ走って逃げただけ大したもんだぜ。俺の予想では這ってって逃げようとする近藤をお前らが支えてエレベーターに蹴り込むはずだったからな」
どの階のボタンを押しても屋上に出るように細工したエレベーターに乗った近藤はついに屋上にて三池月弥と対峙する。
身の丈は105センチメートルという矮躯であり顔立ちも幼く、どちらかと云えば女顔の月弥ではあったが、近藤源助は彼を侮る事はなかった。
魔法少女と思い込んでいたこともあるが何より月弥の佇まいは社会に出た経験が皆無の男にすら感じ取れる程の貫禄を備えていたのだ。
「弟に対する謝罪や罪を認める発言があれば依頼人は家族として許すつもりだったンだがなァ…頭の潰れた弟さんを見てもテメェの弁護ばかりだったぜ。挙げ句にこの期に及んで弟さんを“中卒”って侮辱してやがった」
「俺も人形越しに見ていて不快だったッス。目を覚まさせる為に何度も弟さんの声で呼びかけてたんスけど、近藤源助には呪いの声でしか無かったんスね」
神崎は怒りよりも悲しさが込み上げてきて目を伏せた。
「やつがれも近藤の最期は予想できやせんでしたぜ」
「まったくだ」
近藤の心を占めていたのは恐怖と怒りばかりだったようだ。
一握りでも罪悪感があれば謝罪の言葉が一つくらい出ていたであろう。
結局、近藤が状況を打破する為に取った行動は
近藤源助は月弥達の思惑通りに魔法少女に転生したと思い込んでいたが、どうやら効果は覿面過ぎたようである。
目線の高さも自分の野太い声も
「次に
奇しくも弟が落とされた場所に落ちた近藤源助は弟を象った白線と同じ体勢となっていた。
「生まれ生まれ生まれ生まれて
弘法大師空海上人の教え『
自分はどこから生まれどこへ死んでいくのか。生まれるとは何か、死とは何かという一大事を、人はなおざりにして何も考えずに人生を送っている。
生まれては死に、死んでは生まれ、何度も輪廻転生を繰り返すが、何度、生まれ変われば命の真実を悟れるようになるのだろうかという嘆きではあるまいかというのが月弥の解釈だ。
また新たな命へ生まれ変わろうとする魂への手向けの言葉に相応しかろうとも思っており、三池月弥はこの言葉を好んで遣うのであった。
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