ただ好きだっただけ

和泉

第1話

「よいしょ、林さんちもOK。あと一軒!」

 だいぶ新聞配達のバイトにも慣れてきた。朝に強くなったし担当範囲もちゃんと覚えた。林さんちが終わったら残りはあと一軒だけ。それにあと一軒は特別な家だ。想像するだけでペダルを踏む足にも自然と力は籠る。

「あっかい!」

「よぉー美咲みさきぃ」

 その家とは俺の想い人、美咲の家だ。美咲は新聞配達を始めた俺のために毎朝5時に起きて家の前で待っていてくれる。ふふ、かわいいだろ? 言うまでもないが俺は美咲が好きだ。告白はしてないものの割と脈ありだと思っている。ああ、いけないいけない、顔がニヤケちまう。

「はい、これ今日の新聞なっ」

 あくまで冷静さを保ちつつ朝刊を手渡す。

「ありがとう、毎日お疲れ様。麦茶飲んでく?」

 新聞を手渡すと美咲は俺を労ってコップを渡してくれる。

「ありがとう」

 キンキンに冷えた麦茶を一息に飲み干す。あぁ……乾いた喉に染み渡る。ここまで自転車を漕いできた疲れなんて一気に吹き飛んだ。

「……それなんだけど、私も喉渇いててちょっと飲んじゃったんだ」

「……!!」

 飲んじまったぞ!? まじか! ……まじか!! まじか!!!

「そ、それじゃ! お、お、俺はもう行くから!!」

 動揺しすぎて美咲の顔は見れない。コップだけ返して大急ぎで自転車にまたがりペダルを全力回転させる。その疾きこと風の如し。逆風が体を冷ますが頬だけは熱い。

「美咲のやつ……くぅ……かわいい」

 俺は本気で美咲が好きだ。ただ告白したいと思ってもどうしても一歩を踏み出す勇気がない。これって普通だよな? 俺はヘタレなんかじゃないよな? そうさ、俺よ、全国には俺のような考えの人が大勢いるに違いない。

「あっ、海君! ちょっと聞いてよ」

 俺が帰り道を走っていると傍から声をかけられる。それはさっき朝刊を渡した林のおばさんだった。

「あれ、林さん? 抜け落ちでもありました?」 

「ううん、まだ新聞は読んでないんだけどさ、ちょっと聞いてよ。さっき言おうと思ってたんだけど私ったらうっかりしてて言うの忘れちゃってぇ」

 手振りをつけて話し始める林さん。この人は話が好きでしかも話が長いと有名だ。嫌な人に捕まっちまったなぁ。

「言い忘れていたこと? なんですか?」

 でも顔には出さずに対応する。

「それがね、隣町の金田の奥さんから聞いた話なんだけどね、なんでも今新配達員を狙った事件が起きてるらしいのよ」

「新聞配達員を狙った事件ですか?」

「ええ、でも別に怪我や死亡なんてことはないの。ただ新聞が盗まれていたりヘルメットが盗まれたり。でも、その犯人はまだ見つかってないんですって。なんか不気味じゃない?」

「そうですね」

「それで、その犯人の噂が立っているのよ。あの戸蘭さんの家が関係してるんじゃないかって」

 戸蘭家といえば美咲の家だ。確かに美咲の家の窓には一年中ずっと黒いカーテンがかかっていたり、たまに変な呻き声が聞こえたりするから、不気味がられているのは知っている。でも、そんなことで犯人だと思うのは間違っている。

「だから、海君も気をつけてね」

「忠告ありがとうございます。事件は気を付けます。けど、美咲の家は関係ないと思います」

「そうかしら……でもあんまりあなたも関わらない方がいいわよ。過去にあそこで殺人が起きたっていう噂もあるのよ?」

「それはただの噂ですよね。ではもう行くので」

 根も歯もない噂を口にする林のおばさんに腹が立った俺は、無理やり話を断ち切り自転車に乗る。そして怒りのままに自転車を漕ぎ、早々に新聞配達本部に戻った。だがそこでバイトリーダーからもさっき聞いた事件の話を告げられた。


 半信半疑だった俺は一気に現実味を帯びたその事件に少し不安を抱いた。だが、それ以来隣町からも事件の噂はパッタリ途絶えた。どうやら事件は大事にならずに終わったらしい。




 そして数日後、その日もバイトリーダーの待つ新聞配達本部に行き配達分の朝刊を預かる。そして配達用の自転車を取りに裏手の駐輪場へと回り込む。が。


「は……??」


 俺は絶句した。俺の自転車にスライム状の何かが覆い被さるようにとろけている。赤黒いそれはあろう事かウネウネと動いている。

「じ、じ、自転車を……取り込んでる……?」

 鉄製の自転車をいとも簡単に溶かして体に取り込んでいくスライム状の何か。いやそんなはずはない。きっと幻覚だ。こんな化物がこの世界にいるはずがないッ!

 俺は目を擦り、一歩その赤黒い化物に近づいてみる。その瞬間その赤黒い化物は頭のような塊を形成しこちらを振り返った。あまりの早さに俺は動く事が出来ない。その塊に凹みが形成され、そして。

「おm……が」

 化物が喋った。

「き、気持ち悪いッ」

 林さんの言っていた事件が思い出される。に、逃げなくちゃ……。

 その化物はこちらをジロジロと見つめるように近づいてきたが俺はそれを見た瞬間駆け出した。全力で地面を蹴って命を賭けて疾走する。何度転びそうになっても後ろは絶対に振り返らずに必死に走る。

「あれ、海どうしたの?」

「美咲!! 逃げろ!! 今すぐ逃げるんだッ!!」

 気づけば俺は美咲の待つ戸蘭家の前まで来ていた。

「ど、どうしたの!? 何があったの? 話してみて」

「いやそんな事してる暇はないんだ! 早く逃げようッ!!!」

「えぇ!? ど、どうしたの? 顔真っ青で私心配だよ。一旦落ち着こう? ね?」

「落ち着いてられるかっての!!!」

 俺は無理やり美咲の手を掴んで走り出そうとする。

「何があったかだけでも教えてよ!! 訳がわからないまま連れ出されるなんて私怖いよ……」

 ハッと、美咲の顔を見ると酷く怯えている。掴んでいた手を離しすぐ謝る。

「わ、わりぃ。一旦落ち着いてから話す。でも、時間がないんだ。すぐにでも逃げよう」

「わかった。で、何があったの?」

「それがな……化物がいたんだよ! 赤黒い化物がッ!! 俺の自転車を飲み込んでたんだ!!! こう自転車をぐちゃって」

「……ぷっ! ハハハハハハハハッ!! 海、焦りすぎ、見間違いだよそんなの」

 美咲は笑い出し全く信じてくれない。

「違うッ!! 俺はこの目で見たんだ、ハッキリ!」

「普通に考えてそんなのこの世に存在するわけないでしょ? 何? ドッキリ?」

 美咲はそう言って楽しそうに笑う。俺の話なんか微塵も信じちゃくれない。

 なんで信じてくれないんだよ。この目で見たんだ、自転車が溶かされる所を。

「そんなに言うなら他の人に聞いてみたらいいんじゃない? そんな化物を信じる人なんていないと思うよ」

 ころころと笑いながら美咲はそう言う。確かに他の大人に知らせないと。

「他の人に教えて来る。これは本当だからなッ!! お前も早く逃げろ!!」

「いってらっしゃ〜い」

 俺に手を振る美咲を尻目に俺は走り出す。それから俺は片っ端から家を回った。

 でもみんな信じてはくれなかった。俺がどれだけ化物がいたか主張しても、説明しても、どうやっても信じては貰えなかった。

「は? 化物? ……とりあえず迷惑なんで帰ってもらえる?」

「悪いけど、そう言うの流行らないよ」

「え、頭大丈夫?」

「その冗談はちょっと度がすぎてるんじゃないの? 実際被害に遭った人もいるんだしさ」

 みんなそんな言葉を投げかけてきた。

 なんで、みんなそんなに世界に化物がいないって思ってるんだよ。一目見れば信じてくれるのに。




「ね、言ったでしょ? みんなは自分の常識から外れた事は信じてくれないんだよ」



 ……美咲?

 声の方を振り返るとそこにいたのは美咲だった。


「それどころか貴方がおかしいと言って弾圧するのよ」


「なんで、美咲がここに?」


「私はそれを伝えに来たの。海なら私を分かってくれるって信じているから」


「……どういう事だ?」


「あの化物、あれは私が召喚したの」



「は……?」



 何を聞いたかわからなかった。あの化物を召喚した……?


「結構頑張ったんだよ。隣町で練習もしてね」


 意味がわからない……。


「知ってた? 私の家系は代々妖術師なの。あれは私が召喚した妖怪」


「…………ちょっと待て、全然頭が整理できない」


「私の家系はね、妖術師としての血を濃くするために近親婚を繰り返してきたんだって。でもね、でもね、だけどね、だからかな、私、死体が好きなの。ねぇ、海、死体って綺麗だと思わない?」


「………………?」


 美咲が怖い。顔に浮かべた微笑も今は不気味に見える。殺される。このままじゃ殺される。俺は後退りする。


「――ッ」


 後ろの石に気づかず躓いた。後ろ向きに手をつき尻餅をついて地面と衝突する。美咲はッ――


「ねぇ、海、わかるでしょ? 世界は少数を押し潰すの」


 美咲は覆いかぶさるように俺を押し倒し顔を極限まで近づけてきた。


 俺は恐る恐る頷く事しかできない。こんなの異常だ。美咲が怖い。怖い。気持ち悪い。


「じゃあこれを飲んでよ、一瞬で死ねるから。私ね、海のことが大好きなの。でも私がもっと大好きなのは海の死体。ねぇ、これっておかしいのかな? ふふふ」


 美咲が白い小さな錠剤を取り出し口に近づけてくる。なんなんだそれは……殺される。間違いなく美咲に殺されるッ!!


「やめろッ!! やめろォォォッッ!!!」


 必死に振り解こうとしても体はびくとも動かない。見るとさっきの化物が何体も俺の腕と足を押さえつけていた。声にならない悲鳴を上げる。その隙に美咲が俺の口に得体の知れない錠剤を入れた。


「これが私の愛」


 舌で溶けていくのと共に体の異変に気付いた。即効性の薬か。俺は死ぬんだ。不意に頬が湿る。


 …………あぁ、大変だったんだな。


 遠のいていく意識の中で美咲の震える声が聞こえる。

「ねぇ、海、普通ってなんだと思う? 私はね、自己欺瞞だと思うんだ。みんな同じだよねって声を揃えて言ってるよ。バッカみたい。みんな他人との共通点なんて一つもない癖に共感者のフリして自分を安心させてさ、少数を叩きt……」


 そこで俺の意識は途絶えた。まだ美咲は何か言っているようだったが聞き取れなかった。ただ、暖光に包まれ俺は深い眠りについた。

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