拝啓、無人駅から

兎蛍

拝啓、無人駅から

 人が少ないから、という理由でその駅に降りた。僕以外に立ち上がる者がいなかったので、近くに座っていた女子高生が物珍しそうな顔でこちらを一瞥した。

 快適に保たれた車内の温度と、外の気温差に僅かな眠気も覚める。

 日差しが強くて、水色だけで彩られた空。うっすら遠くに見える海。入道雲が似合いそうな景色だ。


 その駅のホームは僕が知るどの駅のよりも短く、見える自然の壮大さには、人間が住んでいることを疑いかけるほどだった。

 ここは、無人駅だ。

 小さな木造の駅舎の中に、季節に合わせた温度の飲み物が並んでいる自販機があった。その向かいのベンチに座る。ひやりとした感触が伝わってきた。


 自宅の最寄り駅から大学のそばの駅までの間にある駅で、無人なのはここだけだ。僕は感傷に浸りたい時、よくここに来る。

 狭い空、無限に感じる人の波に目まぐるしく回る日々。ここに来るとそんな、情報量の多い現実から抜け出せたような気分になる。

 入口から見える、彩度の高い空を眺めていた僕は、すぐ傍に人が来たのに気付かなかった。


「あなたは、誰?」


「おわあ!?」


 いきなり聞こえた声に、恥ずかしいくらいの音量で返してしまう。振り返れば中学生くらいの女の子が、思ったよりかなり近くにいたのでさらに驚いてしまった。

 それをうるさいと感じたか、少女はベンチから離れて僕の正面に立つ。


 白いワンピース、そして裸足。お転婆にしてもそれはないだろう、と思った。

 大きな黒目と長い黒髪に、一瞬友達の姿を重ねてしまう。


「お兄さん、こんなところで何してたの?」


「いやちょっと、考え事を……」


 答える間も俯きながら、チラチラと彼女の顔を伺っていたら「どうしたの?」と聞かれる。


「ごめん、なんか君、友達に似てるから」


 好奇心を詰め込んだような大きな目と、真っ黒い長髪だけが共通点だったが、僕はあの日以来、心の底に焼き付いたように頭から彼女の顔が離れないのだ。


 高校の時、示し合わせたわけでもなく、同じ大学を受けた友達がいた。社交性の低かった僕にとっての、数少ないありがたい存在だった。


「君がいないと退屈だよ」


 彼女の口癖だった。

 結局、僕はその大学に1度落ちて、彼女だけが受かっていった。

 浪人すると言うと、彼女は寂しそうに笑った。


「待ってる。早く来てね」

「すぐ行くよ」


 最後に交わした会話だった。

 合格発表の日に、彼女が半年前に自殺したと聞かされた。一浪の末大学に入ったのも、虚しく思えた。将来、やりたいことなんかもそれなりにあったけれどそれも全部どうでも良くなった。僕は今年で大学を辞めようと思っている。

 あてもなく底の見えない夜を散歩したり、無人駅でこうして放心したように何時間も居座るようになったのはいつからだったか。ここの駅に来るのは、久しぶりだったけれど。


「また考え事してる」


 声に意識を引き戻される。いつから自分は座っていたのか分からなくなった。

 この子はなんなんだろう。


「君はいつからここにいたの?」


 不思議な存在だった。1人でいたい俺を邪魔してきたのに、それが不快じゃない。


「ずっといるよ」


 何だか会話が噛み合わない。そもそも僕はずっと入り口を見つめていたのに彼女がここに来たことに気付かなかった。僕が来る前からいたのだろうか。


「寒くないのか、その格好」


 ノースリーブの白いワンピースに裸足。それはどう見ても異常だった。

 今は12月だ。水が凍るような今日の気温には合っていないどころの話ではない。まるで真夏の格好だ。


「寒くないよ。お兄さんは、息苦しそう」


 着込んだトレンチコートを見つめられる。その言い方ではこちらがおかしいみたいだ。


「寒くないって、嘘だろ」

「本当だよ」


 彼女は僕の手を取った。氷みたいに冷たかった。少女は消えそうな声で呟いた。


「あったかい」


 僕は彼女が人間ではないことに薄々気付いていた。それを口に出せば何もかも崩れるような気がして、言わなかった。


「これ、君にあげるね」


 そうだ、と前置きして彼女がポケットから取り出したのは青いビー玉だった。

 あいつも青が好きだったな、とぼんやり思った。

 ここから見える空と海を閉じ込めたみたいな、淡い存在感を放つビー玉を手のひらに乗せる。


「……ありがとう」


「退屈になったら、覗いてみて。今日のこと、覚えていてね。私、久しぶりに話せて楽しかったよ」


 ───君がいないと退屈だよ。

 もう何年も聞いていなかった懐かしい口癖が、走馬灯のように蘇った。


夜光やこう?」


 少女は線路のある方に出ていく。待てよ、と言っても歩みを止めない。


「夜光なんだろ!?」


 泣きそうな声になったのが情けなかった。

 彼女を追いかけて駅舎を飛び出した。

 彩度の高い空と人気ひとけのない田舎風景が広がるばかり。人の声を知らないような静けさに覆われる。

 夏でもないのに、身体は熱くて仕方なかった。



 駅舎の天井。肺を刺すような冷たい空気。僕はベンチに横になっていた。

 あぁ全部夢だったのか、と少し虚しい気分になってベンチの外に放り出す形に下ろしていた左腕を持ち上げた。

 手の中に違和感を覚え開く。小さなものが顔の横に落ちてきて重い音を立てた。

 それは青いビー玉だった。思わず触ってその存在を確認する。

 冷えきった自分の手より冷たくて、氷のようだった。


 それからまたしばらく横になったまま、現実を咀嚼する為に目を閉じ物思いに耽った。今日の出来事が頭の中を駆けていく。傍から見ると死んでいるように思えたかもしれない。

 日が暮れかけているのに気付いたのは数分経ってからで、慌てて飛び起きた。

 緩くなっていたマフラーを巻き直し、ビー玉をコートのポケットに入れて駅舎を出る。随分弱くなった日差しに、朔風が身にしみた。少し迷って、ホットココアを自販機で購入した。


 電車に乗る前に、1度だけ振り返った。

 無人の駅。もうここには来ないかもしれない。あてもないまま夜を歩くことも、大学を辞めることもなくなるだろう。

 それでも。ポケットから青い硝子玉を取り出した。

 彼女との思い出が、いつでも寄り添ってくれる気がするから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

拝啓、無人駅から 兎蛍 @usaho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ