「空に走る」【筆致は物語を超えるか】

れなれな(水木レナ)

空に走る~野球しようぜ!~

 詞……つかさ。

 俺の相棒。

 俺の……友。

 おまえはいつも、生意気で。

 そして明るかった。

 大砲を空に放ったような。

 俺はそんなお前を、いつも驚きとともに受け止めていた。

「骨肉腫なんだ」

「え!?」

 俺にだけ明かして、野球部をやめていった。

 生意気な奴だった。

 一生忘れられない相棒だった。

 それなのに、骨肉腫? ただちにググったさ。

 重病だ。

 手術もしなければ。

 ああ、そのための渡米だったのか。

 俺はなんの実感もわかないままに、その人を心で見送り、おしまいになった。

「嘘だろ……?」

 ヒーローだったのに。

「そんな、はずがない! こんなことがあってたまるか!」

 俺はもがき、叫んだけれど時は待ってはくれなかった。

 誰の上にも平等に訪れる眠りは、二度と詞を目覚めさせてはくれなかった。


 その年の甲子園は気合で開催しろと思ったけれど、やっぱり感染症には勝てなくて。

 その日が決定するまで、俺は利き足骨折で入院していたから、ざまあみろ! なんて半ば天に唾吐いて思ったりした。

 部活中のみんなが、狭い病室に押しかけて来た中、詞の姿だけが意味深で、俺のギブスに落書きをしていった。

 もう、いい思い出だ。

 だけど、詞。

 おまえ、持って行かなかったろう? 俺のグラブ……。

 詞ァ……俺はお前の見送りにさえ行けなかった。

 それが心残りと言えば心残りだ。

 ジリジリ照ってくる、陽の光におまえの面影が溶けてくような気がして、俺は毎日天を仰ぐ。

 ああ、絶望なんてしている暇はない。

 空っぽの教室に、おまえの姿が見えそうで、見つけられなくて焦る日々もあった。

 だけれど、じきに受験だからな。

 それなりの支度をしなくちゃな。

 どこへ行くんだろうな、俺は。

 どこへ、行ってしまったんだろうな、おまえは。


 高校の二年間、いや、一年半。

 ずっと、一緒だった。

 ずっとずっと、これからの時間、一緒に駆け抜けてくはずだった。

 セピア色に映る教室で、白々とした陽光におびえたあの日の一瞬。

 おまえがいないことに気づかされた一瞬。

 松葉づえが離せずに、部室までじっくりおまえとの約束を思い出していた。

 白球が天に打ち上げられたとき、おまえは左腕を三角巾でつっていて……入学から一か月遅れで学校へ来た。

 当然だれも、おまえの名前なんて知らなかった。

 なのに、野球部に入ってから、高校ピッチャーとして有名になっていったおまえ。

 俺に言ったよな? 次の甲子園は俺を連れて行くって。

 サードの球、おびえんなよって……だれがだよ!? おびえたことなんて一度もない、そう言ったら、おまえ、「だから葵がいいんだ」ってうれしそうに焼き鳥食った。

 憶えてるよ……。

「お前が甲子園を夢にみるなら、そのとき俺がピッチャーだ」

 おまえだろ!? 甲子園を夢にみたのは。

 巻き込んでくれたよなぁ。

 ほんと、おまえって、自己中で、人を振り回して。

 人気者だったよなあ。

 骨肉腫って難しいんだっけか。

 アメリカに行って治療に専念しないと、選手生命にかかわるって……まさか、命まで危ないとほんとに思わなかった。

 あきれるよなあ。

 ちょっとネットでググれば出てくる程度の情報なら、大したことないって思ってたんだ。

 にくいよなあ、骨癌。

 ああ、もう、でも。

 おまえはもう……。

 俺は、いつまでこうしているんだろう。

 焼け付く白い太陽、見つめながら、今日も補習授業をさぼった。

 まるで修行僧みたいに、屋上の物陰で飯も食わずに。

 もう、ため息しか出てこねえよ。

 おまえ、どこ行ったんだよ、チクショウ。

 ……部室、ロッカー片付けなくちゃ。

 まだかすかにひきずる足で、校庭を横切ると、図書館がいい感じに冷えて俺を待っていた。

 あー、すっげ癒される。

 ネクタイ緩めて、息をついた。

 このごろ自分がなにをして生きているのかわからなくて、つい関係のないことばかりしてしまう。

 はやくロッカーを、なんとかしなくては。

 思うけれど、根が張ったようにベンチから立ち上がれない。

 休憩きゅうけい。

 人生にはこんなことが、あと何回もあるんだ。

 今のうちに悟りをひらいておいてもバチは当たるまいから。

 甲子園、行きたかったなぁあ! 詞と……。

 ふと立ち上がる俺。

 実は自分で何をしたいのか、わからない。

 検索機の前に立って、適当に画面をタッチしていく。

 キーワード検索で、詞の名前を入れた。

 検索結果ゼロ。

 まじかよ。

 エゴサーチでも詞の名前くらい出てくんじゃねーの?

 なに、この図書館。

 ――詞、つかさ、ツカサ、Tukasa、

 無目的にワードを打ち続ける。

 詞にまつわるなにがしかを見つけたかった。

 だけれど、見つけられなかった。


 こんどこそ部室に向かったら、部長がいて、マネジャーからなにか受け取れって言われた。

「ウス」

 最後まであっさりとした対応だよなあ。

 こんなものか。

「新庄くん」

 マネジャーが差し出したそれは、詞からのエアメールだった。

 受け取らいでか。

 しかし、両腕がこわばった。

 死んだあいつからの手紙。

 死んだやつからだぞ? ホラーかよ! 信じられねえ。

『新庄葵様』

 あ、なんだあいつ漢字書けんのか。

「ごめんね。帰れなくなったときに新庄くんに渡してくれって、アメリカから届いたの……」

 サンキュ、マネジャー。

 泣くことないんだぜ、あいつは好きなように野球して、青春キメてったんだからさ。

 不器用に封を開きながらも、心はなつかしさに溺れてゆく。

 雰囲気感じちゃった俺、少しは泣けるかと思ったが、心は衝撃に揺れるばかり。

『空で、待ってる』

 たった一言。

「は? おまえは死んじゃったろーが!」

 どこで待ってるって……? あの、空で? まさか。

 まさか!


 一瞬の胸苦しさの後。

 俺は部室を飛び出して、グラウンドへ出た。

 整えられたマウンドが、白くしろくスポットが当たったように浮かび上がっていた。

『オス』

 詞が野球帽をきゅっとかぶりなおして、振りかぶる。

 ――う!

 っとうめいた。

 詞がいる。

 グラウンドのそこここに、詞の思い出が張り付いていた。

 陽は照り続けてるのに、サアッとスプリンクラーみたいな雨が頬を打った。

 二重に弧を描く虹の中に、詞の後姿が見える。

 詞、詞!

 おまえ、ここにいたんだなあ!

 ずっと、ずっと……。

 青い空のドームに浮かぶ垣のような入道雲が盛り上がる。

 俺は、幻の詞の背を追って、マウンドを走り、快さいを上げ続けた。

 打ち明けよう。

 俺は、甲子園に、行く!

 何度も確かめた。

 幾度も言葉にしようともがいた。

 嘘になりそうで怖かった。

 だけど、詞。

 おまえがあの空で待ってるって言うのなら、俺は駆け抜けるぜ!

 飛んでくる球なんて怖くないぜ。

 おまえの後ろは俺が守ってやるんだ。

 俺が、俺が俺が!

 なあ、一緒に野球しよーぜ!

 あの世でだってさ!

 詞ァ!


【了】

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「空に走る」【筆致は物語を超えるか】 れなれな(水木レナ) @rena-rena

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