死を呼ぶクロコ
遠藤孝祐
死を呼ぶクロコ
彼女はクロコと呼ばれていた。
ぼさぼさの黒髪は無造作に放置され、太いフレームの黒縁メガネをかけている。
いつも俯き、陰気な空気をかもしだしている。
ほとんど他人と会話もせず、淡々と己の仕事をこなしていく。特に目立たないが、そこにいるだけで陰惨さが周囲を包む。そんな女性社員だった。
クロコには奇妙な噂があった。
彼女の黒い一面を見てしまった者は、体はやせ細り魂が奪われたような最後を遂げる。
「いや、そんな噂は絶対に嘘だって。彼女はきっといい子だよ」
暢気さの伺える、どこかつるっとした白澤は笑いながら言った。
「マジなんだって。なまじ可愛いからって、お近づきになろうとする奴はお前意外にもいたんだ」
噂好きな軽部は、わざと深刻そうな声色で言った。
「そうなのか? まあ暗い雰囲気ではあるけど、確かに色々整ってるもんな」
「そこがクロコの怖いところなんだって。営業の青澄はノイローゼになって仕事を辞めたし、経理の赤穂なんか体重が二〇キロも落ちた挙句、鬱になって休職中だ」
「マジか」
「マジだ。だからお前も、クロコに近づくのだけは止めた方がいいぞ」
白澤は神妙に頷いた。
それから、白澤は出来る限りクロコを避けて仕事をしていた。
食堂で一人で食事を摂っている姿。誰とも馴染まずに一人きり。
まるで世界から取り残されたように思われて、白澤の胸は痛んだ。
ある日、曲がり角でクロコとぶつかった。
クロコは転び、持っていた書類は床に散乱した。
「大丈夫か?」
「触らないで」
クロコを起こそうとしたが、返ってきたのは強い拒絶。
「私の噂は知っているんでしょ。私に触ると、ひどい目にあうわよ」
怯えたように揺れる瞳。
セリフはとても言いなれたようにスムーズだった。
噂されていることを、本人も気づいているようだ。
きっと、彼女は噂のことを気にしている。誰かを巻き込まないように、わざと相手を拒絶したり、強気な言葉を吐いているのかもしれない。
そう考えた時、白澤は確信した。
クロコはきっと、本当は優しい子なのだ。
白澤は、クロコの手を握って立ち上がらせた。
クロコは心底驚いた表情をしていた。
「あり、がとう。でもあなた、私が怖くないの?」
「怖くないさ。本当の君は、優しい子だと思うからさ」
子供のように笑う白澤を、クロコは一心に見つめていた。
「それじゃあ、書類を片付けようか」
「はい」
クロコは呪いの儀式を行う魔女のように笑った。
一緒に書類を拾っている間も、クロコは白澤のことばかりを見ていた。
その後、白澤とクロコの距離は縮まっていった。
白澤が出かけると、なぜかその先にクロコがいた。偶然だというセリフを、白澤は全く疑わなかった。
視線を感じることが多くなった。職場や帰り道だけでなく、家にいても誰かから見られているように感じた。けれど、白澤はまるで気にしなかった。
なぜかクロコから、時々お弁当を貰うようになった。
時々噛み辛い何かがあり、白澤は顔をしかめた。
その表情を見るたびに、クロコは怪しく笑っていた。
「消化し辛い物があるかもしれないから、ゆっくりと食べてね」
「ああ。クロコは優しいなあ」
「そんなことないよ。うふふふ」
クロコが笑う姿は魅力的だなあと、白澤は暢気に考えていた。
こうして、白澤とクロコは付き合うようになった。
初デートを終えた時、祖父が亡くなった。
遠出して旅行をした際には、大嵐に見舞われた。
両親への挨拶を済ませた後、カラスと黒猫の大群に礼服を汚された。
それでも、白澤は幸せだった。
そして、二人は結婚した。
クロコが頑なに拒むので、愛を確かめ合う行為はしてこなかった。
けれど、今日は結婚初夜。もうなんの気兼ねもない。
外では、異常気象で霧が発生していた。それもちょうどいい。霧に隠されて、二人だけの時間をより楽しめるというものだ。
「ごめんなさい。私、初めてじゃないの」
心底申し訳なさそうにクロコは言った。
白澤はあっけらかんと笑った。
「そんなことは気にしてないよ。俺にとって愛しい人は、君だけだからさ」
クロコは、安堵のためか涙を流した。
人を寄せ付けないとげとげしさは消えて、宝石のように輝かしい笑顔。
「はい――あなた」
白澤はクロコの服を、順序を追うように脱がせた。
クロコの生まれたままの姿を眺め、綺麗だと感嘆を漏らした。
大事な部分に愛おしく愛撫を重ねる。
二人が一つに繋がる接着点。
そのわずか上にたたずむ、印象的な星型の黒子。
「どうしたの?」
「なんでもない。綺麗だよ」
白澤は気付いた。彼女がなぜクロコと呼ばれているのかということについて。
二人は激しく愛し合った。
白澤が三回果てた後も、クロコは離してくれなかった。
その後、白澤は搾り取られてやせ細っていった。
そして、七人の子供と十四人の孫たちに囲まれて死んだ。
『ああ噂は本当だったんだ』と、白澤は思った。
意識が途切れる瞬間、白澤はとても満足そうな笑みを浮かべた。
死を呼ぶクロコ 遠藤孝祐 @konsukepsw
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