宙のバイオスフィア

赤魂緋鯉

宙のバイオスフィア

「ねえ……。後どのくらい、バッテリー残ってる?」

「1時間分かな……」


 近くに一切といって良い程天体のない、とある白色矮星わいせいの約数千万キロ離れた軌道上に、後方4点にエンジンノズルがある、小さな球形の宇宙船が漂っていた。


 その乗員は2人。いずれも10代後半の少女で、身体にピッタリしたタイプの宇宙服をまとっていた。


 身長こそ大差は無いものの、片方は黒い髪に焦げ茶の瞳、もう片方は長い銀髪に濃い赤色の瞳をしていた。


 操縦席の窓からは、矮星からの非常に頼りない光が、抱きしめ合って宙に浮かんでいる2人がいる船内をかすかに照らす。


 内部の照明や操縦席のコンソールも、一切の電源が切られていて、明かりはそれだけだった。


 救難信号ビーコンの使用中を知らせる、定期的な、コーン、という音と、空気再生空調機の重低な駆動音のみがその中に響いている。


 彼女達は、とある星系の宇宙コロニーから、この宇宙船に乗って壮大な家出を敢行したが、ワープの行き先の座標を間違えてこの地点に来てしまった。


 すぐに戻ろうとはしたが、運悪くワープエンジンが故障してしまい、動けないまま地球換算で1週間目を迎えていた。


 太陽光パネルは積んでいたが、矮星の光では発電不能のため、バッテリーで空気再生空調機を最低限の出力で動かしていたが、ついに限界が近くなってしまったのだった。


「こうなるなら、やめた方が良かったのかな……」

「それは言わない約束でしょう」

「だって、わ、私だけならともかく、あ、あなたまで……」

「このくらい別にいいの。どのみち、あそこにいたところで死ぬしかないもの」

「だって……、他の生き方だって……」

「はい、泣かないの。ひどいことになるわよ。せっかく可愛い顔しているのに」

 

 絶望的な状態に置かれ限界が来た黒髪の少女に、銀髪の少女はそう言って、彼女の涙を指で拭いとった。


「あなたにはそう見えたかもしれないけれど、『下層階級』と違って、『上層階級』は生まれたときから生き方は決まっているの」

「そう、なの?」

「ええ。血が濃くならないように、1番『系統』が遠い者同士で子どもを作らなきゃならないの。……愛情なんてお構いなしに」


 彼女達のスペースコロニーは、地球から出発して数百年が経過しており、いつの間にか支配階級の『上層階級』は、血統を何より重視する様になってしまっていた。


 労働者階級の『下層階級』はそれ程でもないが、近い構成の姓を持つ者は、慣習的に婚姻関係を結べなくなっている。


 ちなみに階級名は、そのままそれぞれの階級の居住区に由来する。


「私はね、そういうのが嫌なの。あなたとみたいな、きちんと愛情がかよったのがいいの」


 そうできないなら、生身で外に出た方がマシよ、と顔をしかめた後、


「だからこれでいいの。ここであなたと宇宙うみ藻屑もくずになるのが、ね」


 手をつかんだまま身体を少し反らし、状況とは正反対の穏やかな笑みを浮かべた。


「でもそれに、王妃の座を捨てるまでの価値が、本当にあったの……?」


 少し低くしたささやき声を出して、そんな銀髪の少女へ訊ねる。


「私には、王妃の方に価値を感じてないもの。だって、遺伝子系統が1番遠いだけなのよ?」


 穏やかな表情のまま、黒髪の少女が抱く危惧をそう答えて否定した。





 彼女達の出会いは本当に偶然で、銀髪の少女が気まぐれに訪れた、労働者階級区域にある図書館の、その1番奥のエリアにある書庫で、同じ作者の本を読んでいた事だった。


 慣習で、髪をお互い被り物で隠していたため、身分の違いを全く意識することなく、3ヶ月で非常に親密な仲となった。


 そんな中、不審に思った銀髪の少女の親が、こっそり調べ上げて黒髪の少女を特定し、彼女の親に今後関わらせない様に、と通告した。


 軟禁状態にされる前に2人とも逃げ出して、引き寄せられる様に、最初に出会った場所にやって来ていた。


「あなたって、そんな身分だったんだ」

「ごめんなさい。だますつもりは無かったのだけれど」

「それは良いけど、どうしよう……」

「そうね。まずこのままだと、確実にもう会えないわね」


 2人ともすでに、引き離されてもしょうが無い、となれる程の浅い関係ではなく、


「いっそ、ここじゃない所に逃げましょうか?」

「うん。……でも、外宇宙まで行ったことなんて……」

「まあ、何とかなるわよ」

「そう、だね」

「じゃ、早速行きましょ。全部手配してあるわ」

「……へっ?」


 どうやって船を確保しようか、と考える間もなくそう言われまばたきを繰り返す。


 お互いに宇宙船操縦の初等教育は受けていたため、勢いに任せ、銀髪の少女の実家が所有する宇宙船でコロニーから脱出した。


「すごい……。本当に追いかけてこない……」

「下手に殺すと責任を押しつけられるもの。あの人達はそういうことになると、腰が凄く重たくなるのよ」

「へえ……」


 銀髪の少女が王妃であるため、軍もうかつに攻撃出来ず、そこまではまんまと成功していた。


「ま、そんな事はもう良いわ。とりあえず、銀河道に乗って行ける所まで行くわよ」

「了解。ところで船長は誰にする?」

「ふふ。そういうのは止めにしましょう?」

「だね」


 開放感からの少しの不安と、それを上回る高揚感を抱いて、少女達は大宇宙おおうなばらに飛び出した。


 しかし、にわか知識で行ける訳も無く、あえなく今に至っていた。





 お互いの愛を確かめ合う様に会話し、抱きしめあったり、お互いの髪や身体を触れあったり、とスキンシップをとっている内に、


「もう、おしまい、ね……」


 1時間近くが経過し、バッテリー残量がごく僅か、という警報が鳴りはじめた。


 黒髪の少女はその間に覚悟が決まって、感情の揺らぎはほとんどなぎになっていた。


「……ねえ、空気がなくなっても、あなたと息を交換しあえば、少しは持つかな?」

「多分、ほんの僅かの間だけれど」

「じゃあ、ゼロになったらそうしよう」

「そうね……。ふふ、あなたを感じながらの最期、なんて良いわね」


 それより一足早く、2人が口づけを交わそうとしたそのとき、


『おーい! まだ生きてるかい!?』


 長らくオフになっていた無線機から、酒焼けした中年女性の声が響き渡った。


『幻聴じゃないよ! 生きてるなら返事しな! おぅい!』


 最初は信じられなかった2人だったが、窓の外に浮かんでいる、大型トラック型の輸送船の姿と、その荒っぽいがどこか優しさを感じる呼びかけに、


「生きてはいるわ!」

「でももう電力がギリギリです!」

『了解! 急いで供給すっから、それまで頑張んなよ嬢ちゃん達!』


 それが現実である、ということを認識した2人は、パッと表情を明るくして叫んだ。


『もう少しだよ!』


 呼びかけてきた女性は、アームを使って自分の船からケーブルを伸ばし、少女達の船に接続した。


 その電力供給で船内の照明と重力発生装置が作動し、空気再生空調機も通常通りのパワーに戻った。


『よし、これで一安心だ』

「あ、ありがとうございます……」

「でも、あなたの船は大丈夫なの?」

『あっはは! 心配いらないよ。こいつは核融合炉エンジンさね!』


 崩れる様に、すっ、と床に降りてペタンと座った2人に、女性は豪快に笑って自慢げに言う。


『で、どうすんだい? 何なら私の船に乗っけてもいいよ』

「出来れば乗せて欲しいけれど、あなたを信用して良いのか分からない」

「ちょ……」

「もちろん悪意がなさそうなのは分かってるわよ。でも、外宇宙は実質無法地帯じゃない」

『うんうん。良い心がけだね。信用を証明することは船乗りの鉄則さ』


 警戒心の強い銀髪の少女を、女性は気分を害した様子もなく褒め称えた。


『これでいいかい?』


 女性がそう言うと、船のフロントガラス前方に、大手配送会社の業務委託免許証が立体投影された。


 そこにはバーバラ・ストローマンと表記されていて、その横にある写真と、運転席でサムズアップしている女性の顔が一致していた。


「ええ。問題ないわ」

「でも、私達はどうすれば……」

『あー、あんた達はいいよ。そんな機銃も付けられない船で、外宇宙に出るみたいなおマヌケさんは『海賊』にはいないし』

「えっ、そんな雑で良いんですか?」

『なんならガキンチョ2人、外につまみ出せる位には腕が立つからね!』


 バカ真面目な事を言う黒髪の少女に、バーバラはまたガッハッハ、と高笑いしてそう言った。


『それにあんた達、名前を聞かれたら困るだろ? どう考えても訳あり家出少女ってナリだし』

「まあそう……。そうね……」

「うん……」


 的確に当ててこられたので、2人は顔を見合わせて驚き、無意識の内にお互いの腕をたぐる。


『いや、アタシも似たようなもんだから分かるってだけさ』

「なるほどね」


 警戒させたと思ったバーバラは、そう見抜いた理由を伝えて安心させた。





 2人を船内に迎え入れたバーバラは、彼女らが乗ってきた船をアームで荷台に回収した。


「しっかしまあ、気持ちの良いバカだねえ、あんた達。愛のために全部投げ捨てるなんて、なかなか出来たもんじゃないよ! 気に入った!」


 その後、助手席とその間の席に少女達を座らせたバーバラは、そうじゆうかんを握ってワープ空間を走らせながら、2人の話を聞いて上機嫌に笑う。


「あのう、似たようなもの、っておっしゃいましたけど、もう1人の方は……?」


 そんなバーバラに、黒髪の少女は恐る恐る訊く。


「ああ、旦那は事故って先に逝っちまったよ。ほら、そこに遺影あるだろ?」


 その配慮を後目に、なんてことも無い様にさらっと答え、ダッシュボード上の写真立てを顎で指した。


「引きずってはないよ。船乗りってのはそんなもんだからね」


 しんみりしすぎた空気になるのを嫌って、バーバラはかなり軽い調子でそう言った。


「あんた達も後悔しないようにしなよ。オバチャンからのアドバイスさ」


 深みのある笑みをにじませながら、彼女はそう言ってウィンクした。


「まあアタシの事はいいとして、これからどうする気だい? 行くアテがあるなら良いんだけど」


 詮索を防ぐように、バーバラは2人の行き先の話を振る。


「無いわね。この子と一緒にいることしか考えて無かったもの」

「です」

「熱いわねえ」

「えへへ……」

「ふふ」


 ぎゅっ、と指を絡ませあっている様子を見て、ヒュウ、とバーバラが口笛を吹いた。


「じゃあ、アタシの船の船員やらないかい? ちょうどそろそろ人手が欲しくてね」

「私達にとっては渡りに船ね」

「良いんですか? その、もしかしたらトラブルとか……」

「良いんだよ。船乗りは助け合いするものさ」


 じゃあそういうことで、となったが、


「で、あんた達の名前だけど、前のは無理なんだし、新しく決めてくれるかい?」


 いつまでも名無しでは不便なため、バーバラは一心同体、といった雰囲気を漂わせる2人にそう提案する。


「ふふ。どうしましょうか」

「自分の名前をつける、なんて変な感じだね」


 しばらく個々で頭をひねって考えていたが、せっかくだから、お互いに相手の名前を考える事になった。



                    *



 1年後。


「ガーネットお疲れ」

「ええ。何とか間に合って良かったわねアンバー」


 銀河道のワープ装置が不調でかなり遅れが出てしまい、荷下ろしを急ピッチで終わらせて、2人は輸送船の休憩室で並んでだらだらしていた。


「あんた達もずいぶん慣れたね。こっちも楽できてありがたいよ」


 そう言ったバーバラが、メシ買ってくるけど何が良い? と訊くと、


「お任せで」


 銀髪の少女・ガーネットと黒髪の少女アンバーは、指を絡ませる様に手を握りながら、そうほとんど同時に言った。

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宙のバイオスフィア 赤魂緋鯉 @Red_Soul031

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