勇者史外典 第二章 芙蓉友奈は勇者でない
朱白あおい/電撃G'sマガジン
第1話「There is no time like the present.」
黄昏の空気が満ちた山頂にたたずむ鳥居。
その下に一人の少女が立っていた。
この場に立っているのは私と彼女だけだ。
彼女はどこか儚げで神秘的な空気をまとっていた。
少女は私を見て微笑む、
「待っていたよ。よく私の言葉の意味を理解し、ここまでたどり着いたね」
それが
◇ ◇
その日もいつもと同じように、朝六時に目を覚ました。
起きると汗だくになっている。七月ともなると、朝でもすさまじく暑い。
「……そろそろ夜もエアコンをつけた方がいいか」
目を覚ますため、敢えて声に出しながら言って、私はベッドから起き上がった。
部屋を出てキッチンへ行く。
香川県観音寺市に建つ古いマンションの一室。そこが私とお母さんが二人で住む家だ。
簡単に床を掃除した後、食パンをトースターの中に突っ込む。食パンを焼いている間に、冷蔵庫の中から卵とベーコン取り出し、フライパンで焼いてベーコンエッグを作った。
焼けた食パンとベーコンエッグとミルクをテーブルに運ぶ。朝からたくさん食べるタイプではないし、料理にこだわるグルメでもないから、朝食はこれで充分だ。
テレビをつけると、ちょうど天気予報を放送しているところだった。画面の中の女性が天気予報図をバックに笑顔で言う、
「天気は快晴、日中の気温は三十度を越えて真夏日となる見込みです。また、大赦の発表によれば、神樹様と海上の壁に異常はありません。今日も暑さ対策に気をつけながら、一日元気に過ごしましょう!」
テレビの声を聞き流し、食パンを口に運びながら、学校からもらった志望校調査票の用紙を見る。
志望校を書く欄は、第一志望から第三志望まで、すべて空欄のまま。
進学したいなんて思ってないんだけどな。
志望校の欄に何も書く気が起きず、とりあえず名前と日付だけ書き込んだ。
神世紀二十九年七月二日。
二年三組、
友奈。
私はこの名前が嫌いだ。
あたかも特別な存在であるかのような印だから。
でも、私は特別な存在なんかじゃない――
と、その時お母さんが自分の部屋からあくびをしながら出てきた。
「おー、おはよー、友奈ぁ」
お母さんは起きたばかりで髪もボサボサ、声も眠たげだ。
「朝ご飯できてるから、顔洗って来て」
「はいはーい」
お母さんが顔を洗って歯を磨いている間に、ベーコンエッグとトーストをもう一人分作っておく。
洗面所から戻ってきたお母さんの顔は、目の下にクマができているし、目も充血していた。
「昨日、遅くまで起きてたの?」
私が尋ねると、お母さんは頷く。
「原稿の締切が近くてねー。でも、明日で終わるから」
お母さんの職業は翻訳者だ。旧世紀の海外の文献を――小説から論文まであらゆるジャンルのものを、日本語に翻訳する仕事。
そういう仕事だから、夜遅くまで起きていることも多く、朝早く起きるのは大変だ。だから、朝食は私が作ることにしている。
お母さんはテーブルの上に置いてある私の志望校調査票に気づく。
「志望校? ふぅん、中学生にもそういうのあるんだ」
「あるよー。でも、まだ二年生だし、参考程度の調査だって先生も言ってた」
「そっか。まぁ、公立でも私立でも好きなところを目指しな。お金の心配はしなくていいから」
「……うん」
母の言葉に私は頷く。
食べ終わった食器を片付けて、制服に着替えた後、私は学校に向かった。
いつもより早く家を出たから、まだ始業まで時間がある。
私は中学校までの道のりの途中にある琴平公園に寄っていった。公園は有明浜に接している。浜辺に来てみると、朝の散歩をしている人の姿をチラホラと見かけた。
海の向こうに目を向けると、伊吹島と水平線が見える。
そして水平線の向こうに、視界の端から端まで、長い長い『壁』がそそり立っていた。
その壁は有明浜の海だけにあるのではなく、四国全体を取り囲んでいる。神世紀という年号が使われ始める前――西暦二〇一五年に、突如として海に出現して四国を取り囲んだらしい。そしてその壁によって、四国は外界と隔絶された。
二〇一五年以降、壁の外に出た人間は『勇者』『巫女』と呼ばれる特殊な女性だけだという。
ちなみに私の名前『友奈』は、その勇者の一人に倣ってつけられたものだ。生まれた時に特別な所作(具体的にどんな所作なのかは知らない)をした人間に、与えられる名前らしい。
勇者とは、今から三十年ほど前、バーテックスとかいう化け物から四国を守った英雄なのだそうだ。
私は浜辺に座り込んで、スクールバッグから志望校調査の紙を取り出した。
「はぁー…………」
ため息をついた。
進学するより、私は『力』がほしい。
その『力』ってなんだ? と言われると、私もはっきり答えられない。
多分、それは誰にも頼らず、自立して生きていける力――具体的には、お金を稼ぐ力なんじゃないかと思う。
でも、なんとなく違うような気もする。
物心ついた頃には、私の家に父はいなかった。どうしてお父さんがいないのかは知らない。お母さんは「いつか私が大人になったら理由を教える」と言うけど、それがいつなのかは分からない。何をもって「大人になった」と言えるんだろう。
とにかく、幼い頃からずっとお母さんが一人で私を育ててくれた。
一人で子供を育てるということは、きっと大変だったはずだ。どんな事情があれ、『両親が揃っていない家庭』というものに対する世間の風当たりの悪さは少なからずあっただろうし、子供を育てる経済的な大変さもあったと思う。
けれど、お母さんには『力』があった。語学が堪能で、英語、スペイン語、中国語を使いこなすことができ、翻訳者の仕事をすることができた。神世紀になって以降、翻訳者の数は激減したそうで、母の持っている『力』は重宝され、生活できる収入を得ることができた。
『力』が――お金を稼ぐ力があったから、お母さんは一人で堂々と生きていけたし、私を育てることができた。
これから先、私がどんな人生を送るのか分からないけど、『力』があれば困難な道でも堂々と歩んで、生きていける。逆に『力』がなければ、ちょっとしたことで躓いて惨めな人生を送らなければならなくなる。
私は『力』がほしい。
進学なんてしている暇があったら、私は『力』を得るための行動をしたいんだ。
「ふぅ……」
本日二度目のため息。
結局、志望校調査票には何も書く気が起きなかった。
砂浜でぼーっとしているうちに、いつの間にか学校の就業開始時間が迫っている。まあ、今日が提出期限日じゃないし、もう少し考えよう。まだ一学期だし、他の人も志望校を決めている人は少ないだろう。
私は立ち上がってスカートの砂を払い、学校へ向かった。
私が通う中学校は、琴平公園を抜けてすぐ先にある。
そういえば、四国各地の地名は、近いうちに変更されるという噂を聞く。だったら地名に基づいて名前をつけられたうちみたいな学校も、名前を変えるんだろうか。
そんなことを考えながら校門を通り、校舎に近づくと、目の前に一枚の紙が降ってきた。
「……え?」
いや、一枚だけじゃない。周囲を見回せば、散っていく桜の花びらのように、無数の紙が空から落ちてきていた。
頭上を見上げる。
校舎の屋上の縁に立った小柄な少女が、紙を撒いていた。人形のように整った顔に、少し赤みがかったブロンドヘアーが特徴的。遠目にも分かるほどの美少女だ。
しかし――
「倒行逆施! 壁と神樹と勇者にまつわる真実の深淵は、我々から遠ざけられている! 我々は目を隠された愚民ではない! 深淵を覗くか覗かざるか選択するのは我々であるべきだ! 深淵に臨む志を持つ者たちよ、我が元に来たれー!!」
言っている言葉が、その美少女っぷりを打ち消して余りあるほど、訳が分からないものだった。
なんだ、アイツは……? と思いながら屋上を見上げていると、教師二人が屋上に姿を現す。少女は小柄な体格を活かして教師の手から逃れ――ようとして転んでしまった。彼女は教師二人に捕まる。
「やめろーーー! 私は弾圧には屈しない!! 非暴力不服従!!」
少女は叫び、教師は「静かにしなさい!」と彼女を叱りつけながら、連行していった。
「なんだったんだ……」
呆気に取られながら、私は少女がバラ撒いていた紙を拾う。
そこには、
『求む! 大人たちの妄言綺語に抗わんとする者たち! 連絡は勇者部まで→070-xxxx-xxxx』
と書かれてあった。
やっぱり意味がわからない。
見なかったことにして、その紙を捨てようかと思ったけど――私はバッグにその紙をしまった。
「芙蓉さんよ、それ。今朝騒ぎになったチラシばら撒き事件でしょ?」
放課後、女子バスケ部の部活の休憩中に、部員の伊久間さんが『屋上の美少女』について教えてくれた。
「ふよう?」
「知らない? うちの学校じゃ、けっこう有名人よ。二年生の芙蓉友奈さん」
「え……友奈!?」
「そうそう。柚木さんと同じね」
私以外にも『友奈』がこの学校にいたのか。
「二年って、同じ学年じゃないか。言動はアレだし、ものすごい美少女だし、しかも友奈だし……あんなキャラの濃いヤツが同じ学年にいて、なんで気づかなかったんだ、私は」
「あはは、柚木さんも美少女だと思うよね、やっぱり」
「……遠目にしか見てないけど、まぁ客観的に見て美少女だと思う」
「言動がアレでさえなければねー。あと、柚木さんが芙蓉さんのこと気づいてなかったのも仕方ないかも。一年の時は学校にあんまり来てなかったし、その時は大人しい子だったのよ。二年になってから学校にも毎日来るようになったけど、あんな変なこと言うようになったのは、ここ一ヶ月くらいかな。『勇者部』とかいう同好会みたいなものを作って、壁がどうのとか、大赦がどうのとか言い出したの。この前も学校の緊急連絡用のアカウントを勝手に使って、全校生徒に『勇者部』のメンバー募集の呼びかけをして、先生に怒られたらしいし」
そういえば少し前に、お母さんが「緊急連絡網に変なスパムが来てた」とか言っていたことがあったっけ。もしかしてそれだったのか。
「なんなんだよ、その変貌っぷりは」
「さあ? でも、柚木さんが芙蓉さんに気づいてなかった理由って、柚木さんの性格のせいもあるよね」
「どういうこと?」
「柚木さんって、他人への興味が薄そうだもん」
「…………」
そうなのかもしれない。というか、他人への興味が薄いというより、私は自分のことでいっぱいいっぱいなんだ。どうすれば『力』を手に入れられるのか、そればっかり考えている。だから自分と同じ学年にどんな人間がいるかなんて、ほとんど考えたこともなかった。
「まぁ、私も芙蓉さんのことはあんまり詳しくないよ。友達ってわけでもないし」
「そう……ありがとう」
バスケ部の休憩時間もそろそろ終わりそうだ。
私は踵を返して体育館の出入り口へ向かう。
「え、練習していかないのー?」
背中から伊久間さんの残念そうな声が聞こえる。
「しないよ。私、バスケ部員じゃないし」
「試合にだって出てるのに」
「それはバイト。一試合千円のバイト代をもらってるでしょうが」
私はバスケ部員じゃないけど、時々頼まれてバスケ部の試合に参加することがある。試合に勝ったら、バイト代として千円をもらう密約を部長と結んでいるのだ。他にバレー部とテニス部でも、同じようにバイトをしている。
「柚木さんなら、トップを目指せる素質があるよ! それに『友奈』だし!」
「…………」
「……ご、ごめん。そんなに睨まないでよ」
伊久間さんは少し怯えたように頭を下げる。
「……ううん、私の方こそごめん。睨んだつもりはなかったんだけど……でも、そういうふうに言われるのは好きじゃないな。友奈って名前だけで特別な力があるわけじゃないしさ」
友奈は特殊な理由があってつけられた名前。だから、友奈の名前を持つ人は、特別な『力』があるはずだ。
ほとんどの人が、心のどこかでそう思っている。
勇者の活躍を実際に知っている三十代以上の人は、特にその思い込みが強いし、もっと若い人でも無意識に『友奈』の名前を特別視している。
けれど、友奈という名前がつけられる理由なんて、生まれた時にたまたま手で変な動作をしたってだけだ。特別な才能や能力があるわけじゃない。
「背が高いだけだよ、私は」
身長一七一センチという恵まれた体格。そのお陰で、私はスポーツではそれなりに活躍できる。各部活に助っ人として呼ばれる程度には。
けれど、その程度[ルビ:・・・・]なのだ。
バスケもバレーもテニスも、私より上手い人なんて、香川だけでもいくらだっているだろう。スポーツ選手としてプロになれるほどじゃない。特別な『力』じゃない。
「……あのさ、芙蓉友奈さんには、何か特別なところはあるの?」
私は伊久間さんにそう尋ねた。
彼女は腕を組んで考えた後、
「見た目がすっごくかわいいところ、かな」
ダメだ、参考になりそうもない。
私は家に帰ってから、リビングのソファーに座って、芙蓉友奈が撒いた紙を見ていた。
私と同じ『友奈』の名前を持つ女の子――
紙には「連絡は勇者部まで」と書かれて電話番号が載っているが、だいたい勇者部ってなんだ? 名前から活動内容がさっぱり想像つかない。
書いてある電話番号をスマホで入力し、発信しようとして、やめる。それを何回か繰り返していると、仕事部屋からお母さんが出てきた。
「ふぅ〜、小休止……。友奈、晩ご飯作るけど、何がいい?」
私は咄嗟に、芙蓉友奈の紙を丸めて、ズボンのポケットに仕舞った。
「……お母さん。友奈って名前の人って、たくさんいるのかな?」
「うん? そんなに多くはないと思うわよ。私もあなた以外に会ったことないし」
「うちの学校にもう一人いたんだ。芙蓉友奈っていう」
「芙蓉、友奈……? え!? それってリリちゃんじゃない!?」
「りりちゃん?」
「芙蓉・リリエンソール・友奈ちゃん! はぁ〜……同じ学校だったんだ……」
母は目を丸くして驚いている。
「リリエンソールって、何その名前? というか、なんでお母さんが芙蓉さんのこと知ってるの?」
「あー、覚えてないかぁ。あなた、まだ小さかったもんね。えーっと、年齢が二十代以上だと、ほとんどの人が知ってると思うわよ。六、七年くらい前かな、テレビで引っ張りだこだったから。子役タレントとして、ドラマ、CM、バラエティ番組とかに出てて」
「子役タレント……」
「ええ。ものっすごい美少女でね、しかも名前は友奈でしょ。ハーフっていうのも目を引いたし」
「ああ、ハーフだからリリエンソールっていうのか」
四国が壁に閉ざされる前に外国から来た人には、苗字と名前の他に『ミドルネーム』というものがある人もいるらしい。
「リリエンソールは芸名だと思うわよ。壁が出来た後に生まれた子は、みんな日本の戸籍になってるはずだし、ミドルネームはつけられないから。でも、芙蓉友奈っていうのは本名なんだって。大人気だったんだけど、一年くらいで芸能活動をやめちゃって、その後どうしてるのか知らなかったけど……すごい偶然! 同じ学校だったなんて!」
「…………」
今朝、学校の屋上にいた『変人』ともいうべき少女のことを思い出す。
有名な元子役タレント。
ハーフ、友奈、美少女と三拍子揃って、ほとんど唯一無二の存在だったんだろう。
芸能界に詳しいわけじゃないけど、きっと収入だってかなりあったはずだ。
羨ましい。
あんな変人なのに、あの子は私なんかより『力』を持っているんだ。
翌日は土曜日。よく晴れていた。
母は昨日の仕事の追い込みで徹夜したようだ。今日は夜まで眠っているだろう。
私は芙蓉友奈が撒いた紙に書かれた電話番号に、スマホで発信してみた。
数回のコール。
その後、電話が繋がった。
「あー、えっと……」
何を言おうか考えていなかった。
「あのさ、私、あんたが屋上から撒いたあの紙を見たんだけど――」
『……ふふふ、待っていたよ。この番号に電話をかけてくる人を』
たった一言だったけど、電話の向こうから聞こえた声は、普通の人の話し声とはまるで違っていた。大きな声ではないのに聞き取りやすく、まるで耳から脳へ直接響くような。そうか、この子は元々役者だったんだから、その声が普通の人より聞きやすくて、響くのは当然かもしれない。
『我が同士たらんとする者よ! 我が言葉に導かれよ。我は壁と天を睨む水神として待つ者なり。目を覆う闇を払わんとする勇者よ、我が元に――』
私は電話を切った。
「ふぅー……」
部屋の天井を見上げながら、ため息をついた。
聞き惚れるようないい声なのに、言葉の内容が曲者すぎる。危ない人間なのか、危ない人間を演じようとしている自意識過剰なのか、どちらにしろ関わって良いことは無さそうだ。
芙蓉友奈のことは忘れよう。
そんなことより、私はどうすれば『力』を手に入れることができるのか、考えないといけないのだ。
――そう思っていたのに。
数十分後、私は芙蓉友奈に会うために、汗だくになりながら七月の太陽の下で自転車をこいでいた。
「はぁ……はぁ……何やってんだ、私は……?」
芙蓉友奈に関わるのはやめようと思ったのに、結局あの後、私はもう一度芙蓉に電話をかけてしまった。
けれども、繋がらなかった。
もしかしたら、アイツが電話で言ったことは暗号なのかもしれない……と思った。まるでミステリーもののドラマか何かのように、暗号で特定の場所まで私を来させたいのだ。危ない人間を演じようとしている自意識過剰人間なら、あり得ることだ。
『我は壁と天を睨む水神として待つ者なり』。
きっと芙蓉は、海の向こうの『壁』が見える場所にいるんだろう。
あと、『天を睨む』ということは、その場所は高いところ……山の頂上とかビルの屋上なんじゃないか。
そして『水神』……これに関してはまったく確信がないけど、神というからには、神社とか神様に関連するものがある場所かもしれない。
思いついたのは高屋神社。観音寺市の稲積山山頂にあって、『天空の鳥居』とも呼ばれる鳥居がある有名な神社だ。
私はマンションを出て、自転車を走らせた。学校を通り過ぎて北へ向かい、稲積山の麓にたどり着く。
自転車を降り、坂道を登る。
歩いているだけで汗がポタポタと落ちた。時々バッグからペットボトルを取り出し、水を飲みながら進んでいく。
すぐに稲積大社と書かれた階段と鳥居が見えた。
その階段ではなく、左の脇道を進んでいくと、稲積山の頂上へ向かう道――高屋神社への参拝道がある。
ここから先は、アスファルトも敷かれていない山道だ。
私は七月の日差しに焼かれながら、山道を歩いていった。
「あー……なんなんだよ、もう……」
だいたい、芙蓉友奈に会って私は何がしたいんだ?
『友奈』仲間でもほしいのか?
友奈って名前をつけられてお互い大変だねえ、荷が重いねえ、とでも言い合いたいのか?
でも、芙蓉友奈は私よりも『特別』だし、『力』を持っている。
だったら、友奈という名前に引け目なんて感じていないかもしれない。
山道を歩いて歩いて、木々の隙間から観音寺の町を見下ろせるようになって、さらに進んでいくと、見上げるように長い階段が姿を現す。階段の一部はボロボロに壊れていて、石を並べただけのようになっている箇所もあった。
「はぁ……はぁ……」
息を切らしながら階段を登りきり――
高屋神社本宮にたどり着いた。
稲積山頂上にあるこの本宮から見える景色は、まさに絶景の一言だ。見上げれば遮るもののない夏空が広がり、見下ろせば人々の暮らす観音寺の町と、瀬戸内海を一望できる。海の向こうには四国を囲む壁も見えた。
しかし――
神社の境内を探してみても、あの小柄な少女はいなかった。
「はぁー……バカか、私は」
だいたい、芙蓉友奈が言ったことが本当に暗号がどうかだってわからない。意味深そうな言葉を、意味もなく口にしただけかもしれないじゃないか。よく考えたら、その可能性が高い。
「……もう家に帰る。今度こそ芙蓉のことなんて忘れるぞ。気にしないぞ」
自分に言い聞かせるように言って、階段を下り始めた。
その瞬間、私の携帯が鳴り始めた。
見覚えのある――芙蓉友奈の携帯番号からの着信だった。
「…………」
私は出るべきかどうか迷う。
たっぷり三十秒は迷っていたと思う。
いつまで経っても着信音は鳴り止まず、根負けして私は通話を繋いだ。
「もしもし?」
『…………君は今、どこにいるのかな』
芙蓉の声は、相変わらず心地よく響く。でも家で電話した時に聞いた声とは、何かが違う。何が違うのかはっきりとは分からないけれど――
「高屋神社にいるよ。お前が水神だのどうのこうの言ってたから、ここにいるんじゃないかと思ってさ。でも、いなかったな」
『なるほど、やはりそちらに行ってしまったんだね。千荊万棘……』
「もう私は帰るよ。お前の遊びに付き合ってるほど暇じゃない」
『……!? 待ってくれ、同志よ。一回間違えてしまったくらいで諦めるのは、薄志弱行というものだよ。君の推理は間違っていない。他にも同じ条件に当てはまる場所があるはずさ。山の頂上にある神社で、水神というところにも注目すべきだね』
「…………」
『君が来るのを待っているか――』
私は通話を切った。
待っていようがなんだろうが、知ったことか。私はもう帰るんだ。芙蓉友奈のことなんて絶対に気にしないぞ。
――と思っていたのに、なぜか私は予讃線の電車に乗って、今度は東へ向かっていた。
「何やってんだ、私は……?」
他の乗客に聞こえないよう、小さな声でつぶやく。
家に帰るつもりだったのに、なんで私は電車に乗っている!?
きっと芙蓉友奈の声に、少しだけ違和感があったからだ。
もしかしたら芙蓉に何かあったのかもしれない。
いや、アイツに何かあったとしても、私には関係ないじゃないか。私は自分のことでいっぱいいっぱいなんだ。友奈って名前が同じだけで、アイツを特別に気にかけるなんておかしい。
そんなことをグルグルと考えているうちに、電車は高松駅についた。
高松駅を出て、歩いて十分ほどのところにある高松築港駅に入り、そこから琴平電鉄[ルビ:ことでん]に乗り込んだ。
ことでんの二両編成の小さな車両は、住宅街や民家の間を通っていく。
今、私が向かっているのは三木町にある嶽山という山だ。芙蓉のヤツは、私の考えは間違っていないと言っていた。もしかしたら、山の頂上にあって海の壁が見えるという神社は、高屋神社以外にもあるんじゃないか。
山頂に神社があるという条件で、スマホで検索すると、ウェブの検索結果に出てくるのは高屋神社ばかりだ。そしてずいぶん下に愛媛の石槌山と……香川の嶽山が出てきた。
石槌山は遠いし、四国最高峰の山だ。今から行って山頂に登るのは時間的に無理だから、嶽山へ行くことにした。推理の結果ではなく、単なる消去法で選んだだけ。
学園通り駅で電車を下り、スマホで道を調べながら、南へ歩く。かなりの距離を歩いて、やっと山の麓にたどり着くいた。道の脇に小さな立て札が立っていて、そこに『嶽山登山道 入口』と書かれていた。
「マジか……」
山頂に神社があるというから、高屋神社のように他に参拝者もいるだろうと思ったが、そんなことはない。嶽山の登山道は人を拒絶するように狭くて薄暗く、そして私以外に人の姿をまったく見ない。本当にこの先に神社なんてあるのか?
とはいえ、ここまで来て引き返すのは癪だ。私は登山道に足を踏み入れた。もう日が暮れ始めている。この先に芙蓉がいなければ、諦めがつくだろう。
――諦め?
なんだ、それは。まるで私が芙蓉にどうしても会いたいみたいじゃないか。確かにアイツは私と同じ友奈の名前だから、興味はある。けど、どうしても会いたいほどの思い入れはないはずだ。今のところ、芙蓉は私にとって、見た目がいいだけの変人に過ぎない。
薄暗い登山道を進むと、やがて山林を抜け、見晴らしのいい道に出た。しかし、地面は岩を積み重ねたように険しくなっていく。登山者が転落しないよう、手で掴まるためのチェーンまで張られている。
そのうえ、道の傾斜はどんどん急になり、ついには道というより、岩壁のようになった箇所が現れる。
「マジか……」
もう日が暮れてきているし、間もなく暗くなるだろう。日没後にこの登山道に来る人がいるとは思えないから、もし転落して怪我でもしたら、助けてくれる人はいない。
私は肩にかけていたスクールバッグを地面に放った。念のために両手を自由に使えるようにしておいた方がいい。
チェーンを握り、足元に気をつけながら、岩壁のようになっている箇所を登る。そこまで長い距離ではないから、気を抜かなければ進める。
やっと急傾斜の箇所を登りきり、上から見下ろすと、崖を覗き込んでいるようだった。高所恐怖症の人間だったら、足がすくむだろう。
「こんな道、参拝者がいないのも当然だ……」
そこから少し先に進むと、『龍王神社』と書かれた鳥居が立っていた。しかし、鳥居とその先に小さな祠があるだけで、社殿も手水舎もない。全然神社っぽくない。
そして――
空気が夕日の茜色に満ちる中、鳥居の下に少女が立っていた。彼女の色素の薄い髪と肌は、夕日の朱色にうっすらと染まっている。子供のような小柄な体格と整いすぎた容貌のせいで、妖精か何かのように見えた。
芙蓉友奈だった。
やっと見つけた。
芙蓉は私を見て、口の端に笑みを浮かべた。
「待っていたよ。よく私の言葉の意味を理解し、ここまでたどり着いたね。き……君のような人が現れるのを……ま、待ってたんだからぁ……!!」
余裕のある表情はいきなり崩れ、芙蓉は泣き出して抱きついてきた。涙でぐしゃぐしゃになった顔を、私の胸に押し付けてくる。
な、なんだ、一体?
情緒不安定なのか?
「待て待て、なんなんだ! 何、急に泣いてるんだよ!」
「だ、だって……! ここに登ったはいいけど、怖くて下りられなくて……! どんどん日が暮れてくるし、ひぐっ、夜になっても誰も来なかったらどうしようかって……! うぇえ……!」
「…………」
あー……わかった。
コイツはどうやらアホなのだ。
木に登って下りられなくなった猫と同じだ。この龍王神社まで登ったはいいが、崖のような急傾斜が怖くて、下りられなくなったんだろう。
やっと芙蓉から掛かってきた電話の違和感の理由がわかった。あの時、芙蓉の声はほんの少し――ほんの少しだけ震えていたのだ。何かを怖がっているみたいに。
私は芙蓉が泣き止むまで、子供をあやしているように頭を撫で続けた。
「もうダメだぁ! 足がガクガク震えてるし、踏み外して落ちるかもしれないぃ!」
「いいから、安心して下りてこい。下を見るな! 落ちたら、私が受けとめてやるから!」
「ぜ、絶対だよ! 絶対に受け止めてくれよ!」
なんとか芙蓉が泣き止んだ後、崖のような急傾斜の箇所を、私と芙蓉は二人で下る。日が落ちて暗くなったら私でも危ないから、ゆっくりしている時間はない。
急傾斜の箇所を私が先に下りて、もし足を踏み外しても私がいるから大丈夫だと、芙蓉に言い聞かせ続けた。
悪戦苦闘の後、私たちはなんとか無事になだらかな場所まで降りることができた。
「……ふふ、感謝するよ、君のおかげで助かった。あのまま山頂で夜を明かすことになるかと思ったよ。それはとても危険だからね」
安全な場所に来た途端、さっきまで涙目でワーワー喚いていた芙蓉は、急にしゃっきりした態度で話し出した。なんというか、切り替えが異常に早い女だった。
「さて、君の名前は?」
「柚木……友奈」
「友奈!? 君も友奈なのかい? 私と同じ名前だ。同気相求! 私が撒いた紙を見て連絡してきたということは、私の『勇者部』に入りたいんだね?」
「…………」
「歓迎するよ、柚木友奈! ようこそ、勇者部へ!」
満面の笑顔で、芙蓉は私に手を差し出してくる。
けれど――
「いや、私、別にそんな部に入る気はないけど」
「……………ふええ?」
芙蓉の口から変な声が漏れ出た。
【7月×日】
昨日、屋上から部員募集の紙を撒いたことは、先生たちにひどく怒られてしまったけど、まだ一日しか経っていないのに、もう入部希望の生徒(柚木友奈という。私と同じ友奈!)から電話があった。
とはいえ、世界の真実を探求する我が部に入るには、ひらめきと行動力が要求されるのである。中途半端な者を入部させるわけにはいかない。
私は柚木さんに入部試験を課した。暗号を解いて、私が指定する箇所に来られるかどうかという試験だ。
水神という言葉は龍を表し、天を睨むということは山頂にあり、そして海の壁も見える。私の暗号は嶽山の龍王神社を指していた。←壁も見えると思って登ってみたら、ほとんど見えなかった!ギリギリ少し見えた!
私は嶽山山頂で、柚木さんを待った。果たして、彼女は暗号を解いて、そこに現れた。
想定外なことは起こったけど、私はカッコよく幻想的な雰囲気を演出して、柚木さんを迎えることができたのである。
しかし、彼女は入部を拒否してきた。入部試験をクリアしたのに!なぜだ!
人間の時間は有限である。
私の人生にどれだけ時間があるかなんて、誰にもわからない。
生死不定。電光朝露。光陰如箭。
いち早く彼女を説得して、我が勇者部に入れなければ。
勇者部の目的は、四国を囲むあの忌まわしき壁を越えることである。
そのための同志となる人間は少しでも多い方がいい。
芙蓉友奈は勇者でない 第一話 完
――――――――――――――――――――――
続きは2021年11月30日発売の単行本
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