エピローグ

交差点

2004年に起きた惨劇――ライブハウス襲撃事件について、知らない人間はいないだろう。『来徒教団』という団体と、『カルマ』という人物の名を知らない人間も、また然りである。


来徒教団は『人類を前世の呪縛から解き放つ』と宣言し、1980年頃から20年ほどに渡って前世主義者を粛清し続けてきた。政治家、学者、テレビ局員等々、職種に関わらず前世主義者であれば悉く粛清したという。


その狂気に満ちた思想は、世界を滅ぼしかねないほどの劇物を生み、来徒教団はそれを用いての殺戮を試みた。その取っ掛かりが、2004年のライブハウス襲撃事件という訳だ。


ところがここで、カルマにとっては予想外の出来事が起こる。来徒教団の幹部二名(教団内ではアニッチャ、ドゥッカと呼ばれていた)に反旗を翻されたのだ。


カルマとドゥッカはそこで死亡。もうひとりの幹部・アナートマンとアニッチャ、それと残党十数名は全国指名手配となった。交番にずらりと貼られたポスターは、まだ記憶に新しいのではないだろうか。


その後、2020年に再び事件は起きた。


かつてカルマであった前世の記憶を持つ男子高校生(以下、少年A)が、アナートマンらと合流し、再び人類の粛清を企てたのだ。しかし、それに待ったをかけたのが、かつてドゥッカであった前世の記憶を持つ女子高生(以下、少女B)であった。警察に通報を入れたのも、少女Bであるそうだ。


少女Bは教団本部にある地下室へと忍び込み、警察に追われて逃げ込んだ少年Aを殺害した。地下からは少女Bの遺体も発見されているが、これは自殺であると見られている。


また同時に地下からは、アニッチャの死体も見つかった。死亡してからおよそ二週間経過していたことから、事件当日よりも前に粛清されたのだろうというのが警察の見解だ。


そして、アナートマンを含む来徒教団団員はすべて逮捕され、来徒教団関連の事件は一応の幕を閉じた。なおアナートマンは、カルマを失ったショックから意思の疎通が不可能になるまでに衰弱し、獄中で自ら命を絶った。


数十年ほど前の事件ではあるが、来徒教団の残した爪痕は大きい。


来徒教団のような者たちから恨みや因縁をつけれては適わない――と、前世についての話題がタブー視されたのも2020年以降だ。かつて昭和の時代には、『政治・宗教・野球についての話題はNG』だなんて風潮があったそうだが、それに『前世』が加わったようなかたちになる。


今では、テレビやラジオは勿論、公共の場で前世について語る者はほとんどいない。来徒教団の事件が、社会の常識さえ変えてしまったのだ。


皮肉なことに、来徒教団の蛮行が明るみに出たことによって、我が国の社会は彼らが理想としていた『前世から解放された世界』に近づきつつある。


もちろん、来徒教団の行いは許されるものではない。しかし、こうして我々が前世の記憶に苦しまずにいられる背景に、来徒教団という存在がいるのもまた事実なのである。


筆者 黒須くろす文彦ふみひこ



 ■



 一通り文章を書き終えたところで、俺は椅子に思い切りもたれかかり、大きく身体を伸ばした。数時間ほど同じ体勢でいたからか、それとも歳のせいか、節々が鈍い音をたてているのがはっきりと聞こえてくる。


 ふと窓の外を見ると、太陽は既にどこかへと消えていて、辺りを照らすのは街灯の小さく淡い光だけであった。先月まではこの時間でも明るかったというのに、やはり冬が着実に近づいてきているということか。


「うわあ、おっさん臭い」


 呻きに近い声を発しながら肩を回していると、聞きなれた声が背中越しに届く。背もたれに身を預け、のけ反ったまま顔を上げると、眉をひそめながら俺を見下ろす家内――黒須くろすなぎさの姿があった。


「実際おっさんなんだよ。ほっとけ」

「やめてよ。あんたがおっさんになると、同い年の私までおばさんってことになるじゃない」

「ごめんよおばさん」

「やめろ」


 渚が俺の頭を引っ叩き、俺がけたけたと笑う。学生時代から二十年近く続けてきた、いつものやり取りだ。当時から『夫婦漫才』だなんて冷やかされてきたものだがが、実際に夫婦となったのだから人生というやつは面白い。


「今回の記事?」

「ああ。読むか?」


 渚は大きなため息をついた後、パソコンのモニタを覗き込んできた。眼球がぎょろぎょろと動いている辺り、こちらの返事を待たずしてモニタに表示された文字を斜め読みしているらしい。


「来徒教団、ねえ」

「この時期だし、ちょうどいいだろ?」

「また扱いにくいものを……」


 最後まで文章を読んだかどうかはわからないが、渚は再び大きく息を吐いた。


 彼女の言わんとせんことは、よく理解できる。来徒教団という存在は、この国においてのタブーに近い。どう言及しようとも、一波乱も二波乱も起きるのが常だ。


「しかもこれ、最後の文。今の社会があるのは来徒教団のお陰だ、なんて書いたら絶対に叩かれるわよ」

「叩かれるのは慣れたよ。世間にもお前にも」

「やかましい」


 俺が記事を書き、渚が読んでダメ出しをする。そして俺が渚の小言に対しておどけてみせて、やはり家内が俺の頭を叩く。俺たちが経営する小さな出版社では、あまりにも見慣れた光景だ。


「俺たちみたいな弱小出版社が注目されるにはさ、こういう記事を書かないと。一昔前じゃ、炎上商法とか言ったんだったか? 上等じゃないか、炎上」

「それでウチは文字通り火の車なんだけど」


 こいつは一本取られた、と笑う俺の頭を渚が叩く。

 実際のところ、この会社、ひいては我が家の家計が火の車であるのは事実なので、笑い話ではないのだが。


「まあまあ。今日はもう帰ろうぜ。明日しっかり読んで、それで判断してくれよ」


 これ以上、苦しい家計事情に愚痴を言われては堪らない。俺はそそくさとパソコンの電源を落とし、事務所の隅にかけておいたコートに袖を通しながら渚の手を握る。


 彼女の手は、冬の寒さにも負けず、相変わらず温かった。正式に交際することとなった高校時代に握ったそれと、なんら変わらない。


「はいはい」


 渚が『はいはい』と呆れて呟くのは、決まって満更でない時だ。彼女の機嫌が戻ったことに胸を撫でおろしつつ、事務所の照明を消し、施錠をして、階段を下った。


 会社の事務所は、街外れのビル、そこの三階にある。毎日それを昇り降りするのはしんどいのだが、『健康のためだ』という渚の言葉に従って、エレベータは使っていない。


 しかし、渚の手を握っていられる時間が少しでも長くなるのだから、そう悪いものでもない。


「きゃあっ」

「おっと」


 そんなことを考えながら、ビルの入り口を抜けた時だ。俺たちの目の前を、猛スピードの車が横切っていった。渚はそれに驚いて、体勢を崩してよろけてしまったが、それを何とか受け止めてやる。


「まったく。ここの交差点は運転が荒いのが多くて嫌になるわ」

「郊外だからな。交通量も少ないし、地元民はそりゃ飛ばすわな」


 既に去ってしまった車に向かって文句を垂れる渚を、何とか宥めようと試みる。しかし、彼女の怒りはそんなことでは収まらないようだった。


「第一ね。こんな辺鄙なとこ、それに交差点がすぐ目の前なんてビルを借りるからいけないのよ。もっと都心部にテナントを借りた方が便利だし仕事もやりやすいって、何度も言ったじゃない」


 そればかりか、怒りの矛先は俺にまで向けられた。


 確かに彼女が言うように、このビルの立地は決して良くはない。人の往来が少ない郊外であるのはもちろん、ビルを抜けてすぐ目の前に交差点が広がっているのだ。申し訳程度の歩道があるばかりで、先ほどのように危ない目に遭ったのは一度や二度ではない。


「渚」

「なによ。ご機嫌取りなら聞く耳もたぬ」


 渚はまるで武士のような物言いで、怒りを露わにする。長年溜め込んできたこの場所への不満が爆発したといった感じだ。


 渚の意見は、最もだ。理解もできるし、納得もできる。


 それでも俺は、この場所を気に入っている。

 むしろ、自ら望んでここを選んだのだ。



「俺ァ、人の生ってのは一本の道だと思うんだ」



 その思いを少しばかり、彼女には聞いてもらうとしよう。


「……何よ突然」

「まあ聞け」


 ぶすっとした表情を崩さない渚の手を、強く握る。

 宥めるでもなく言い繕うでもない俺の様子から何かを感じ取ったのか、渚はそれ以上何も言わず、ただ俺の顔をじっと見上げてきた。


 彼女がそうしたのを見届けて、俺は視線を交差点へと移しながら、ゆっくりと語り始めるとする。


「人の生ってのは、長い長い一本の道なんだ。振り向けばこれまでに歩んできた道、前世がある。前を向けば、これから歩む道、来世がある。まさに一本道だと思わないか?」


 交差点のずっと向こう側へ目をやると、その道の先は夜闇の中へと吸い込まれていた。その道がどこまで続いているのか、見ることは叶わない。


 人の生も同じだ。前世から現世、現世から来世へと続く、一本道である。来世の向かう先を見ることはできない。自らの足で歩んで、初めてその正体がわかるのだ。


 他人の生を生きられないのと同様に、他人が俺の生を生きることはない。道を歩くのは、いつだって自分だけだ。 


「自身の道を歩くのは、確かに自身だけだ。けどさ、自身の一本道ってのは、他の人の一本道と必ずどこかで交わっているはずなんだよ」


 けれどもそれは、孤独な歩みではない。

 目の前にある交差点と同じように、人の生は前世で、現世で、来世で、複雑に絡み合っている。渚と俺の現世が交差して、こうして肩を並べているように。


「その交わった瞬間を、交差点の上での出会いを、俺は大切にしていきたい。常々そう思ってるんだ」


 とまあ、こんな持論を有する俺だから、こんな場所に魅力を感じてしまったのかもしれない。後付けの理由と言われたらぐうの音も出ないが、とにかく気に入ってしまったのだから仕方がない。


「ライムライト、って知ってるか?」

「はあ? 何よまた急に」

「電灯が開発される前、舞台照明なんかに使われてた照明だ」


 微塵も理解できないと言いたげな表情を浮かべる渚に、俺は持論を畳みかける。彼女の口からは、白く淡い吐息が漏れている。それは感嘆の息か、それとも呆れの溜息か。恐らく、後者だろう。


「このボロっちい街灯がさ、まるでライムライトのように見えたんだ。旧世代の光が、前世からの光が、俺の舞台を淡く照らしてくれている……そんな風にな」


 そんなことはお構いなしに、俺は持論を畳みかける。傍らに立つ街灯の柱を軽く小突きながら、ゆっくりと顔を上げた。渚もそれに倣って、苦々しい顔で街灯の光に視線をやる。


「だからかね。壊れかけの街灯しかない、交差点の傍にあるこのチンケなテナントを見た時、思わずビビッときたんだよ。このライムライトの交差点が、俺の生きる舞台だって思えてな」


 交差点を照らす唯一の光は、実に弱々しい。

 だがその儚い白色光に、俺は何故か惹かれてしまった。


 人々の道が交差するこの場所を照らすのは、この光以外にあり得ないと、思えてしまったのだ。


「はあ……」

「な? な? そう考えると、魅力的な場所に思えないか?」


 今日何度目になるかわからない溜息を吐いた渚に気づき、俺は慌てて彼女を宥め始める。まずい、呆れさせてしまったかもしれない――と思ったが、彼女の表情はどこか柔らかなものだった。


「それで、こんなダサい会社名にしたの?」


 渚は嫌らしい笑みを浮かべながら、再度頭上を仰ぎ見る。彼女に倣って天を見上げてみると、三階の窓に刻まれた我が社の社名が、街灯の淡く白い光に照らされているのが見えた。



『株式会社 黒須クロスロード』



 掠れかけたその文字は、ぼんやりとした光の中で確かな存在感を放っている。それは本当にくっきりとしているのか、それとも自身の思い入れがある社名だからか。そこのところははっきりしない。


「そうそう。この会社が、色んな人間の道が交差する、交差点クロスロードでありますようにってな」

「……相変わらずあなたのセンスは理解できないわ」


 渚は何度もこの社名を『ダサい』だとか『悪趣味』だとか言ってきたが、俺は気に入っている。人と人との道が交差する、交差点クロスロード。そんな名前を冠することができたからだ。


「ちなみにこの社名、ダブルミーニングなんだぜ?」

「はあ?」


 しかし、気に入っている理由はそれだけでない。

 むしろ、こちらの理由の方が主であるかもしれない。



「この会社は、俺の人生そのものだ。俺の歩いてきた、俺の歩いていく道だ。そうまさしく――黒須くろすロード、ってね」



 大好きな言葉遊びを存分に盛り込んだ、遊び心のある名前にすることができた、という理由の方が。


「はあああ……」

「あれ、気に入らない?」

「これから冬本番だってのに、寒いこと言わないでよ」


 渚は視線を俺へと戻し、ジトっとした目つきで俺を睨みつけてくる。

 しかしそれも束の間、彼女はいつものような嫌らしい笑みを浮かべながら、俺の頭を軽く叩いた。


 いつものやり取りのはずだが、それは心なしか優しく、それでいて懐かしいものに感じられた。



「……あんたの寒い駄洒落好きは前世由来? それとも自前?」



 そして彼女は笑みを崩さずに、俺の頭をぐりぐりと小突きながら、呆れ半分からかい半分といった感じで、そう聞いてきた。


 にやにやとしたこの笑みを、俺はどこかで見たことがあるような気がする。俺を小馬鹿にするようなこの口調を、どこかで聞いたことがあるような気がする。


 その時俺は、何と答えたのだったろうか。

 いつの記憶だったか、そもそもその記憶は正しいのか、まるでわからない。


 けれども今の俺ならば、答えはひとつだ。

 彼女に負けないほどの嫌らしい笑みを浮かべながら、俺は告げる。



「さあね」




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ライムライトの交差点 稀山 美波 @mareyama0730

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