10-3. ライムライト③

「あ、貴方――」

「おっと、それ以上近づくなよアナートマン。口も挟むな。一歩でも近づいてみな、天城の頭がザクロになるよ」


 何故、これまで音無の存在を忘れていたのだろう。

 彼女が来徒教団と何らかの繋がりがあると知ったから、私はこの教団本部を訪れたのではなかったか。


「お、音無……」

「天城ィ。まさかあたしのこと、忘れてたわけじゃあないよな?」


 音無は私の首元に突き付けつけた銃口を、更にぐいと押し付ける。


 彼女の言う通り、私は忘れていた。いや、忘れてしまったというよりも、前世の記憶を取り戻した途端に天城至としての記憶や経験は、どうでもよくなってしまったのかもしれない。


 それもそうだろう。かつてのカルマが掲げた理想に比べれば、一端の高校生であった記憶など、些細なことだ。私には使命があって、私を長年待っている人がいて、成し遂げなければならないことがあったのだから。


「だから、あたしは言ったじゃんか。前世の記憶なんて碌なもんじゃないってさ」


 背中越しに、低く重い声が聞こえてくる。

 いつも明るく快活で、あっけらかんとした彼女からは考えられない、ひどく落胆したような声だ。


「あたし、言ったよね。前世の記憶も関係く、私は天城至って人間が好きなんだって。この感情は、現世の私だけのものなんだって」


 音無は、私に思いを告げてくれた日と同じ言葉を口にした。

 初めてのデート、夜の公園、彼女の温もり、彼女の言葉、唇の感触――どれも鮮明に思い出すことができる。それはどれも、眩いばかりの思い出たちだ。


「お前の前世がカルマだからって、関係なかった。だって、カルマなのはお前の前世で、現世では天城なんだから。あたしの前世を知った明星の里の奴らが、あたしと天城が仲良くするのを訝しんでたけど、関係ない。前世は前世、現世は現世だ」


 暗い落胆の声の中に、明確な怒りが混じる。首元に突き付けられた銃口が小さく震え、更に押し付けられていく。


 一方で私は、音無が今こうして私に敵意を剥き出しにする理由について考えていた。確かにかつての私は、『前世なんて関係ない』と言って彼女の思いを受け入れたと思う。来徒教団のカルマとして振る舞う私を見て、裏切られたと思ってしまうのは理解できる。


 しかし、わからない。


 音無の口ぶりから察するに、彼女は私の前世がカルマであることを知っていたらしい。そして彼女の前世は、カルマに関係していると言う。そのような人物に、どうしても心当たりがなかったのだ。


 言うまでもなく音無は、今の私と同い年だ。つまり前世では、私と同じくあの事件で亡くなったのだろう。


 となれば、ライブ会場にいた観客の一人だろうか。いや、それはない。彼女の口ぶりから、前世の私たちはある程度の深い関係にあったのは明らかだろう。私は、団員たちの顔を思い浮かべては消していく。結局、そのような女性団員に心当たりはない。


「音無……君の前世って……」

「話は最後まで聞こうよ天城ィ」


 それを問おうとしても、首元にかかる圧が増すだけだった。


「天城が『前世の記憶を取り戻したい』って言った時、あたしは悩んだよ。カルマの記憶を取り戻したら、またとち狂ったことを始めるんじゃないかって。それでも、天城なら前世は前世だと割り切ってくれるはずだって信じた。だから、『十年前の事故について調べろ』だなんてアドバイスをした訳だしさ」


 そう言われて、はっとする。

 思えば、すべての始まりは音無の言葉だったのだと。


 彼女の助言に従って、十年前の事故について調べた。そこに違和感を覚えたところで、アナートマンが『あれは事故ではない』と告げてきたのだ。そして、今に至る。


「ま、その信じる気持ちは、こうして裏切られたんだけどさ」

「カルマ様。この者の言葉なんて聞いては――」

「アナートマン、黙ってろって言わなかった?」


 私の背後にいる音無が、今どのような表情を浮かべているかはわからない。けれども、目の前のアナートマンがひどく青ざめていることから察するに、彼女の目には確かな殺意が宿っているのだろう。


「……前世のあたしはさ、そりゃもう酷かった。色々とやらかしたってのもそうだけどさ、どっちつかずというか、あっちにフラフラこっちにフラフラで。そんな報いを受けて死んじゃったんだけど」


 アナートマンが息を呑んで黙り込んだのを見届けて、音無は続けた。


「だからあたしは、前世のことは断ち切って、『音無澄佳』として生きると決めた。だから、天城の前世がカルマだろうが関係なく近づいたし、それで天城を好きになった」

「音無……」

「なのにお前は!」


 音無に『好きだ』と言われて、思わず動揺してしまう。その動揺を掻き消すように、彼女は地下中に轟くような怒号を発した。


「カルマとしての記憶を取り戻した途端! 口調も思想も全部前世に飲み込まれて! どこに行ったんだよ!? あたしの大好きだった天城至は、どこに行ったんだ!?」


 怒りの込められた叫びに、やがて悲しみが混じる。


 愛する者を失ってしまったかのような悲痛な叫びに、胸が痛まないではない。その叫びは、彼女が天城至という人間を真に愛していたからこそのものだと、理解できたからだ。


「……音無。カルマという名は、『不廻名まわらずな』と言うんだ」

「知ってる。あんたにしちゃ駄洒落染みてないネーミングだなと思ったよ」

「名付け親はアナートマンだからね」


 それでも私は、進まなくてはならない。


「魂に刻まれた、幾度の輪廻を経ても変わることのない不変の名だよ。私の魂には、『カルマ』という名が刻まれている。それがある限り、理想は失わない。前徒を来徒へ導くという理想は、不変なんだ」


 音無が私を止めようと、世界が我々を拒もうと、この理想だけは失わない。来夢来徒ライムライトを達成し、人類を前世から解き放つという理想だけは。


「……もう、わかった」


 私は今の言葉に、『もう天城至という高校生に戻るつもりはない』という意思を込めた。それを察したのだろうか、音無の語気が弱まって、その声量もたちまち小さくなる。


「……前世の記憶から人類を解放するのが、来徒教団の理想であり使命なんだっけ?」

「ああ」

「ふうん」


 既に音無の声には、感情が込められていない。

 ただぶっきらぼうに我々の理想を確認した後、実に興味のなさそうな相槌を打つ。 



「今、誰よりも前世の記憶に縋ってるのは、お前だろ」



 その無感情な声に、私の感情はひどく揺さぶられた。


「そ、それは――」

「もういい。もう、いい」


 確信を突いた音無の言葉に、私は思わず言い淀んでしまう。だがそのことにすら興味がないといったような感じで、彼女は私の言葉を遮ってくる。もうすべてを諦めてしまったような、落胆しきったような、声色だ。


 私はこれまで、『前世の記憶なんて関係ない』と説いてきた。前世は前世、現世は現世として歩むことこそ幸福なのだと。前世の記憶という鎖から解き放たれようと。


 けれども今の私は、前世の記憶を頼りに行動してはいないだろうか。カルマという前世を振りかざし、カルマという前世の記憶に縋り、カルマという男の理想に縛られている。


 それはまさしく、前徒のそれではなかろうか。


「理想だの使命だの、結局はあんたらの我儘なのよ」


 首元の冷たい感触が、頬から耳元を伝い、こめかみの辺りまで移動していく。音無はもう既に、覚悟を決めたのだろう。カルマという前徒を殺すという覚悟を。


「気に食わない前世主義者を殺して、挙句には自分らの言うことを聞かなかったアニッチャを殺して。前世なんて関係ないって言ってる団体のトップが、こうして前世の記憶に囚われて」


 私が命の危機を悟り、音無がアニッチャの名を口にしたその瞬間、走馬灯のようにかつての記憶が自身の中を駆け巡った。



『んで、最後にはとんでもない悪党と関係を持っちゃって、終いにゃ犯罪に手を染めて。その報いを受けて殺されちゃったって訳よ』



 それは、かつて音無が自らの前世について語ってくれた時の記憶だ。異性を弄んでは捨て、犯罪にまで手を染めたという前世について、彼女は語ってくれた。そして確かに、最後は『殺された』と言っていたはず。


 そこまできてようやく、一人の人物に行き着いた。


 前世で私と深い関係を持っていて、最終的に殺された人間。その者は確かに、前世の記憶を断ち切るため、様々な異性と関係を持っていたと言っていた。あの者ならば、教団本部に地下室が存在することを知っていても、なんら不思議ではない。


 そして何よりも、音無はあのフレーズを口ずさんでいたじゃないか。



「今のお前、ロックじゃないんだよ」



 今まさに、音無の現世の牙が、私に突き立てられようとしていた。



「ドゥッカ――」



 乾いた音が響き渡ると同時、私はゆっくりと崩れていく。



 ぼやけた視界の中で、目と口を大きく見開きながらこちらへ駆け寄ってくるアナートマンと、悲しそうな瞳で私を見下ろす音無が微かに見えた。


 仰木信彦、轟潤一、そして天城至。

 三人の人生は、来夢来徒ライムライトの交差点で重なった。


 私は一足先にそこを抜け、来世へと続く道を歩き出す。

 延々と続く一本道を、進まなくてはならない。


 それでもきっと、再びどこかで私たちの道は交差するに違いない。その時は、今よりも長く、交差点で立ち止まっていたいものだ。



「さようなら。来世でまた会おう」



 薄れゆく意識の中で、そんなことを思った。

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