10-2. ライムライト②
どこで誰がどのようにして
その間、私が来徒教団へと戻ってきたという一報を受けた団員たちが、幾度となくこの本部を訪れた。
「貴方たちは……」
「お久しぶりです、カルマ様……!」
「こうしてカルマ様と再びお会いできることを、信じておりました……」
十六年前の事件の際、警察の手から逃れることができた面々だ。
その顔触れは漏れなく老け込んでいて、十六年という時の流れを嫌でも意識させられてしまう。それでも私たちは、こうして再び相見えた喜びを分かち合い、肩を抱き合った。
「ところで、この方は……」
「初めまして、カルマ様。お会いできて嬉しいです」
また、訪れた団員たちの中には見知らぬ顔も多くあった。どうやら、あの事件の後に加入した者たちであるらしい。
あれだけ凄惨な事件があってもなお、来徒教団の理想に共感する人間は存在するのだ。やはりというか、『前世主義が蔓延る社会はおかしい』と考える人間は少なくないらしい。
「カルマ様の理想は、確実に人々へ伝播しているのですよ」
そんな私の思考を見透かしたかのように、アナートマンは決まってそう言った。
「来徒教団はかつて、崩壊の危機に直面しました。しかし、カルマ様の理想は死ななかった。こうして教団の理想に共感する者が仲間に加わり、カルマ様がお戻りになって、再び理想が形となろうとしています」
その表情は実に満足げで、その言葉は喜びに満ちていた。
それもそうだろう。この十六年間、ぼろぼろとなった来徒教団を率いてきたのは、アナートマンである。彼は苦汁を舐め続け、藻掻きながらも前へと進んできた。その苦労が、報われようとしているのだ。
「さあ皆さん、
そうやってアナートマンは、何度も団員たちに発破をかけた。
鼓舞された団員たちは勝どきを上げ、私と握手を交わし、本部を後にする。この場所が世間や警察に知られてしまうリスクを考えて、アナートマン以外はなるべくここに留まらないようにさせたのだ。
そんなことを繰り返している内に、私が前世の記憶を取り戻してから、二週間ほどが経過した。
「皆さん。これまで、よく戦い抜いてくれました」
私とアナートマンは教団本部から一歩も外に出ず、
「
そしてついに、理想の世界を実現する計画が煮詰まった。
私はダイニングテーブルを囲う十数名の前に立ち、大きく深呼吸をし、瞳を閉じ、諸々の感情を噛みしめながらゆっくりと口を開いた。
「明日、決行します」
明日、古き秩序の世界は終わりを告げる。
そして、新たな秩序の世界が誕生する。
「ああ、長かった……」
「理想の世界が、来るのですね」
「万歳! カルマ様、万歳!」
夜の帳が降りた山奥、教団の主要団員を呼び寄せ、私とアナートマンは
それを聞いた団員たちの反応は、三者三様といった感じだ。長年の苦労が報われると感涙する者もいれば、理想が実現すると歓喜する者もいる。それでも、
夜の山は、ひどく冷える。それは屋内であっても変わらない。それでもなお、教団本部の中は確かな熱気に包まれていた。
「皆さん! カルマ様! 私は……私はこの日を……! どれだけ待ち望んでいたことか……!」
その中でも、アナートマンの熱気といったらない。
肩を震わせ、顔を覆い、涙を流し、瞼を腫らしながら感情を吐露している。その熱い感情に、心が揺さぶられないはずがない。団員たちの中にも、アナートマンにつられて涙する者は少なくなかった。
「アナートマン、貴方はよく――」
彼の肩を叩き、労いや感謝、激励といった言葉を口にしようとした、その時だった。
「……車の音?」
「遅れて来た団員でしょうか」
本部の外から、確かに車のエンジン音がうっすらと聞こえてきた。それも一台、二台といった数のものではない。エンジン音は次第に大きくなっていき、やがてタイヤが砂利を踏む音が混じるようになってきた。
「はて、私が今日お呼びしたのは皆さんだけですが」
「君、他の団員に声をかけたか?」
「いえ私は。貴方は?」
「いいや、呼んでいませんね」
私たちが困惑の言葉を口々にする中、数多のエンジン音は一斉にピタリと止んだ。音の大きさや気配から察するに、教団本部建屋のすぐ横に停車させたようだ。
私もアナートマンも顔を見合わせて、互いに首を横に振った。どうやら、アナートマンにも心当たりがないらしい。
「自分が見に行きます。カルマ様たちはここで――」
集まった団員の中で一番の年少者が席を立とうとした、まさにその時だ。教団の玄関の方から、何か重たい物がぶつかるような大きな音と、木材がひしゃげるような鈍い音が轟いてきた。
何事かと考える暇もなく、実に慌ただしい足音が幾重もこちらへと向かってくる。足音の数々はやがて我々が会する部屋の前で止まったかと思えば、途端扉を蹴破る音へと変わった。
「――――動くな!」
こちらへと倒れ込んできた扉の向こうから、怒号にも似た声が飛んでくる。扉が床へと叩きつけられたと同時、声の主たちの姿が露わとなった。
「どうして……」
「警察が、ここに……」
扉の向こうにいたのは、青服に身を包んだ警察官数名であった。
その手には拳銃が握られていて、ぽかんと空いた小さな穴の数々が、我々を覗き込んでいる。
「手を頭の後ろで組み、床へ伏せろ!」
「さもなくば撃つ! これは脅しではない! 早く伏せろ!」
何が起きているのか理解できない我々を尻目に、警官たちは銃口を小さく上下させ、脅しの言葉を飛ばしてくる。その表情は気迫に満ち、目は血走っていて、今にも引き金をにかけた指に力を込めてしまいそうな気配すら感じられた。
狼狽える団員たちと、それに銃口を向ける青服の者たち。その光景は、とてもじゃないが現実のものとは思えなかった。
どうしてここに、警察が押し寄せてくるのだ。
情報が外部に漏れぬよう、細心の注意を払ってきた。団員たちだって、数日間に渡って一人ずつ呼び寄せたのだ。車が何とか通れるような裏道から来るように念を押し、団員たちはそれに従ったはず。
それなのに、どうして。
どうして世界は、私の理想を拒むのだ。
「……うああああああ!」
非現実感、虚無感、絶望感――眩暈を覚えるほど様々な負の感情に支配されていた私を覚醒させたのは、とある男性団員の叫び声であった。
彼は雄叫びをあげながら、『地に伏せろ』という警告を無視して椅子から立ち上がる。そしてあろうことか、拳銃を手にした警官たちへと飛び掛かっていった。
「な、何をする!」
「ああああああああ!」
「離れろ! 抵抗すれば撃つと――」
それは、警官にとって思いもよらぬ行動だったのだろう。青服の銘々は面食らったような表情を一瞬浮かべた後、銃口を団員の男の方へと向け直し、再度警告の言葉を口にする。
「今だ!」
銃口が私たちの方から背いた一瞬の隙を、他の団員たちは見逃さなかった。勇気ある団員に続けと言わんばかりに、十名ほどの人間が一斉に警官へと飛び掛かる。
「貴様ら! 何をしているのかわかっているのか!」
「カルマ様! アナートマン様! お逃げ下さい!」
「理想の灯を消してはなりません! どうか私たちのことは気にせず!」
「おい離せ! 奴らを絶対に逃すな! 撃て! 撃て!」
団員たちの決死の特攻は、私たちが進むべき道を切り拓いた。団員と警官がもみくちゃになり、塞がれていた扉に僅かながらの隙間を生んだのだ。引き金が引かれ、今すぐにでも弾丸が自らを穿つかもしれないという状況だ。それも彼らは、私とアナートマンに、来徒教団の理想に、全てを託してくれた。
「皆さん……」
「カルマ様! 行きましょう!」
その勇気に、その覚悟に、涙する暇はない。
私はアナートマンに手を引かれるがまま、警官と団員たちを踏み越え、部屋の扉を抜けて一目散に駆け出した。
背後から私たちを静止する声が聞こえたが、止まる気は毛頭ない。背後から銃声と絶叫が聞こえたが、体に鞭打ってひた走る。
「外は警察に囲まれているでしょうし、どうしたら……」
「カルマ様。地下へ避難しましょう。あの地下室は、私とカルマ様以外にその存在を知りません。それは警察も同じ。我々が外へ逃亡したと判断した警察がここを離れるまで、地下でやり過ごす他ありません」
首の皮一枚といったところで逃げ出したものの、我々が既に袋の鼠であることは間違いないだろう。アナートマンの言う通り、今は何とかやり過ごすことしかできない。というよりも、やり過ごせることを願う他ない。
私たちは藁にも縋る思いで、本部の奥にある書斎に向かい、急いで地下への扉を開く。
不幸中の幸いといったところか、それまでに警察が我々を追ってくることはなかった。銃声と悲鳴が絶え間なく聞こえてくることから察するに、団員たちが文字通り必死に抑えてくれているのだろう。
「どうして! 何故! 何故なんだ!」
再び扉を閉じ、地下へと続く階段が闇に包まれたと同時、アナートマンの絶叫が木霊した。人間ひとり分の幅しかない狭い空間に、彼の声が何度も反響する。
「ア、アナートマン……」
「十六年前もそうだった! あと一歩、あと一歩踏み出すだけなんだ! そのところで、どうして邪魔をする!?」
アナートマンの怒りの声は聞こえど、闇の中で姿は見えず。それでも私は、彼が苦悶に顔を歪ませている姿が容易に想像できた。
彼が仰木信彦として生きるのを辞め、理想に殉じてからおよそ四十年が経つ。その理想が、一度のみならず二度までも打ち砕かれてきたのだ。十六年前も、今回も、あと少しで手が届くというところで、足元を掬われてきた。その絶望は、私以上のものだろう。
「ちくしょう……! 何故だ……? 何故なんだ……?」
「……大声を出してはいけません。とにかく今は、地下室へ急ぎましょう」
私は手探りでアナートマンの背を探し、肩を叩きながら彼を宥める。私たちはお互いの傷を舐め合うように、互いに互いの体を支え合いながらゆっくりと階段を下った。
「何故認めない……世界はどうして俺を拒絶する……」
地下室に辿り着いたものの、アナートマンは未だに呪詛のような言葉を吐き続けている。私は彼を抱えながら壁伝いに歩き、電灯のスイッチを探した。するとすぐに、小さな突起のような感触を指先が見つけた。それを押し込んでやると同時、天井の電気が灯る。
「アナートマン。どうか気を確かに。ここを乗り越えれば、ここさえ凌げれば、何とかなります」
地に膝と手をついて項垂れるアナートマンの肩を叩きながら、私は地下室を見渡してみる。当たり前ではあるが、銃器の数々や怪し気な薬品が所狭しと並んでいて、それらが私たちを覗き込んでいる。
「……ん?」
だがそこに、私は違和感を覚える。
本来あるべきはずのものがない、そんな違和感を。
「……アニッチャの死体がない」
地下室の奥に見える鉄格子。その中には、あって当たり前であるはずのものが、存在していなかった。
「そ、そんなはずはありません。あの日、アニッチャを
私の言葉を聞いたアナートマンは勢いよく顔を上げ、ほとんど這いつくばりながら鉄格子の方へと向かう。彼は何度も格子の奥を覗いては、『ありえない』と口にして、床や壁の隅々を調べ始めた。
私たちは二週間ほど前、ここでアニッチャを来世へと導いた。
記憶を取り戻した私と、それに感激したアナートマンは、再会を喜ぶあまり彼女の処理を後回しにしてしまった。記憶の片隅にはあったのだが、アナートマンが上手いこと処理しているだろうと、話題に挙げることすらしなかったと思う。
しかし、アナートマンもあの日以来ここを訪れていないという。であれば、アニッチャの死体はここに転がっていて然るべきだ。
「ど、どういうことですか――」
「動くな」
困惑しながらも彼を追い、鉄格子の方へと向かおうとした、その時だ。
首筋に冷たい感触が走ると同時、耳元でカチャリと重苦しい金属音がした。私の首に突きつけられたのは銃口で、金属音は安全装置が外された音だと気づくのに、さほど時間は要さない。
けれども、声の主の正体に気づくのには、些か時間がかかった。
いや、正確に言うのならば、理解するのを脳が拒絶していたのかもしれない。
「よう、天城ィ。なんだ、しばらく見なかったけど元気そうじゃん」
その拒絶を拒絶するように、音無澄佳は私の名を呼んだ。
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