10話

10-1. ライムライト①

 人の生とはつまり、一本の道である。


 後ろを向けば、かつて通ってきた前世の道が見える。前を向けば、これから歩んでいく来世への道が見える。


 その道を歩く者は、自分以外にはいない。自分は他人にはなれないし、他人が自分になることもない。我々は自らの道を、自らの足で、自らの意思で歩まなくてはならないのだ。


 しかし、一人の道は、決して独りにあらず。

 個々の道は、必ずどこかで交わっている。


「またお会いできると信じておりました、カルマ様」


 今から四十年ほど前、私の前世と仰木信彦の道が交わった。

 そして今、天城至の道とアナートマンの道が、再び交わった。


「それにしても、よく私を見つけることができましたね」

「2004年の冬に誕生した子供を徹底的に調べましたから」


 アニッチャを離来徒リライトした後、私とアナートマンは十数年ぶりの再会を噛みしめるよう、しばらく無言で肩を抱き合った。そしてアニッチャの亡骸をそのままにして、地上へと戻ってきた。とにかくお互いに、話したいことが山ほどあったのだ。


 私たちは本部の中にあったダイニングルームのような部屋で、しばらく感動をわかちあっていた。どこか趣のある木製の椅子に腰かけ、テーブル越しに向かい合って。


 ここは、私の記憶の中にある教団本部とは雰囲気がまるで違う。しかし、かつてのそれとは違った落ち着きがある。


「とは言っても、我々が貴方を見つけることができたのは、十年前です。前世調査のすぐ後に両親に捨てられた子供がいると聞いて、もしやと思ったのです」


 感動を言葉にし尽くしたところで、話は十年前からこれまでの回想となった。


「施設の職員や役所の人間は貴方の前世をひた隠しにしていましたが、やはり人の噂というのはどこかで漏れるものです。貴方の前世がカルマ様であると知ってから、私は貴方を見守り続けてきました。来たるべき時まで、貴方が物心つく日まで、待ち続けようと」


 かつて行った、前世調査。

 今では、その記憶もはっきりとしている。


 役所の人間からの質問に私が答えていくにつれ、両親含めその場にいた者たちの顔が青ざめていったのを覚えている。その直後、私は両親に捨てられて、明星の里へと引き取られることとなったのだ。


 アニッチャが私を襲ったのは、施設に入ってから数日後のことだ。明確な殺意と苦しみに、幼い私は耐えることができなかった。そのまま意識と記憶を手放して、今日まで至る。


「しかしその噂を、アニッチャも嗅ぎつけた。彼女は貴方を襲い、そして貴方は前世の記憶を失ってしまった。その時の私の絶望たるや……」

「まさかアニッチャが今でも私を恨んでいるとは思いませんでした」

「再三忠告したではありませんか」


 思えば、アニッチャが来徒教団の門を叩いた当初からずっと、アナートマンは『彼女に気をつけろ』と言っていた。決して彼は私とアニッチャを二人きりにさせなかったし、ドゥッカを勧誘しようと私が提案した際も、彼は最後まで反対していたと思う。


 アニッチャが轟潤一に何かよからぬことを吹き込むかもしれないと、彼女が普段使っている車にまで盗聴器を仕込んでいたほどだ。結局、彼女が轟潤一を篭絡する声しか録音されていなかったのだが。


「アニッチャはそれに気づいていたのでしょう。だから、男女の関係を持つフリをして、ドゥッカの家に上がり込んだ。我々に疑われぬよう、自身の声が我々に届かぬように。あの女は初めから、カルマ様の命を奪うことしか考えていなかったのです」


 アニッチャは私たちを欺くため、他の前徒たちを離来徒リライトし続けてきた。かつての夫を殺した人間に従って、かつての夫を殺した手段で他者を殺してきたのだ。その憤りは、筆舌に尽くしがたいものであっただろう。


 それでもアニッチャは、顔色一つ変えずに耐えてきた。それは、『カルマを殺す』という目的を果たすために、である。つくづく、人の執念とは恐ろしい。


「十六年前のあの日も、通信で我々の声を聞いていたアニッチャは、ドゥッカがカルマ様の殺害に失敗したと思い、早々に警察へと通報しました。殺害が叶わないのならば、せめて来徒教団は潰してやろうと思ったのでしょう」


 その執念は、かつて自らの母であった男までをも絡め取り、私の命を奪わんとした。結局、大規模な離来徒リライトが実行されるのに耐えられなかったドゥッカによって、カルマ殺害の計画は水泡と帰すところだったのだが。


「ライブ会場にやってきた警察の手によって、ほとんどの団員が逮捕されました。そしてアニッチャは、残存する語死カタルシスの全てを持ち去ってしまった。カルマ様も失った我々は、もう逃げることしかできませんでした」


 アニッチャの意図せぬ方向ではあるが、とにかく彼女の執念は実を結び、今日までアナートマンたちを苦しめてきた。私が想像もできないような苦労が、きっと彼らにはあったに違いない。彼の顔に刻まれた皺と傷の数々が、それを物語っている。


 数々の傷が刻まれ、目や口が大きく歪んだ彼の顔面は、自らの手で意図的にそうしたものであるらしい。確かに、彼の声や仕草を知るものでなければ、同一人物だと思わないだろう。


 アナートマンの歪んだ顔を見ていると、胸が締め付けられるように痛む。前世で犯した過ちが鎖となり、私の体を縛り付けているのだろう。


「……申し訳ありませんでした」

「カルマ様はお人好しすぎます。十六年前のあの日だって、『ドゥッカの真意が聞きたい』だなんて飛び出していって……」


 かつてのカルマが死に、来徒教団が崩壊し、アナートマンが追われる身となった、運命の日。ドゥッカは離来徒リライトを行うはずだった観客たちのところへ駆けていき、舞台上で『逃げろ』と吠えた。


 結果、慌てふためく私とは対照的に冷静であったアナートマンの言葉もあって、

我々は語死カタルシスを散布、観客たちとドゥッカは来世へと導かれたのだ。


 ところが、舞台上を撮影してたカメラ映像の中で、ドゥッカが僅かながらに動くのが見えた。奇跡的に、彼にはまだ息があったのだ。私はどうしても彼の心の内が知りたくて、アナートマンの静止も振り切り、用意していた防護服に身を包んで舞台上へと足を運んだ。


 今思えば、なんと軽率であったろう。

 私の愚行が、このような事態を招いたのだ。


「カルマ様。よいのです」

「しかし――」

「前世での行いに対して、どうして現世の貴方を責めることができましょうか」


 そこで私は、はっと気づく。


 前世で犯した罪に苛まされることの無意味さを説いてきたのは、誰であったのか。前世での怒りや憎しみを現世まで引きずることの空虚さを実感したのは、誰であったのか。その思想を基に来徒教団を立ち上げたのは、誰であったのか。


 そして、前世の呪いから彼を救ったのは、誰であったのか。


「それに、我々は貴方を取り戻すことができた。この十六年間の苦痛など、それを思えば小さいことです」


 アナートマンは笑顔を浮かべながら、私の手を握る。風貌はひどく変わってしまったものの、その表情と手の温もりは、確かに彼のものだった。


「貴方に声をかけることは、一種の賭けでした。警察を呼ばれるかもしれないし、施設の人間に相談されるかもしれない。そうなれば我々は一巻の終わりです。教団内でも、反対意見はありました」


 途端に悲しい表情を浮かべ俯いてしまったアナートマンを見ながら、『それもそうだろう』と私は思った。これまで必死の思いで続けてきた逃亡生活が、一瞬にして終わる恐れのある賭けだ。


 第一、私がいなくとも来徒教団の理想は受け継がれているはずだ。少なくとも、このアナートマンには。とすれば、私がいようがいまいが何ら変わりはないだろう。



「ですが、それでも私は、貴方を取り戻したかった」



 しかし、その考えをアナートマンは否定する。

 私の手を握る力を強めて、私という存在を求めてくれた。


「アナートマン……」

来夢来徒ライムライトの成功には、絶対にカルマ様が必要です。それとこれは私の我儘ですが、私は貴方と肩を並べて、新たな世界を眺めたかった」


 彼の言葉には、確かに魂が宿っていた。

 その魂が私の心を揺さぶって、思わず涙しそうになる。


 しかしそれと同時、かつての私が掲げた『来夢来徒ライムライト』という計画の名を聞いた途端、一つの疑問が浮かび上がった。


来夢来徒ライムライト……。ですがもう、語死カタルシスは奪われてしまったのでは?」


 来夢来徒ライムライトの成功には私が必要だと、アナートマンは言っていた。つまり彼には、来夢来徒ライムライトを実行する気があるということだ。


 しかし、来夢来徒ライムライトに必要不可欠となる語死カタルシスは、アニッチャに奪われてしまったとアナートマンは言っていた。いやもしかしたら、彼女を確保した段階で、その所在を聞き出したのかもしれない。

 

「あの事件の詳細は、アニッチャから聞き出すことができました。しかし彼女は、奪った語死カタルシスの所在を吐くことだけは頑なに拒み続けてきた」

「では、来夢来徒ライムライトは――」

「ですから我々は、再び語死カタルシスを完成させました」


 だが、アナートマンが語ったのは、予想だにしない事実であった。


「十六年前の事件以降、前世主義は以前にも増して急速に力をつけました。世間が我々のような存在を知り、『やはり反前世主義の連中は禄でもない』と思ったことがキッカケでしょう。一日でも早く、語死カタルシスを完成させねばなりませんでした」


 この十六年間、アナートマンは自らの顔を弄ってまで逃亡を続けてきた。


 しかし彼は、決して理想を諦めはしなかったのだ。再びイチから毒薬を開発し、そして完成させた。逃亡しながらも理想を追い続ける苦労は、想像を絶するものであったろう。


 再度感じるが、つくづく人の執念とは恐ろしい。


「前世主義の政治家が亡くなった事件……あれはまさか……」


 そんなことを考えていると、とある事件が脳裏をよぎった。あれは確か、現世の私とアナートマンと初めて出会った日の下校時、話題に挙がった事件だと記憶している。


離来徒リライトです。新たに開発した語死カタルシス、その最終検証も兼ねた離来徒リライトです」


 一部では、『反前世主義の人間に殺された』だなんて噂されていた事件だ。当時は何も思いもしなかったが、全てを思い出し、全てを聞いた今ならわかる。その事件には来徒教団が関わっていて、まさしく離来徒リライトであったのだと。

 

「検証は、見事に成功しました。来夢来徒ライムライトを実行に移す準備が整ったのです。あとは、貴方を取り戻すだけでした」


 アナートマンが私に声をかけてきた日にはもう、来徒教団はかつての力を取り戻していたのだ。来夢来徒ライムライトを実行しようと思えばできたはずなのに、彼は私に手を差し伸べてくれた。


 前世の記憶がないという鎖で縛られ苦しむ私を、彼は救ってくれたのだ。



語死カタルシスは完成した。カルマ様が戻られた。あとはもう、進むだけです。どうか私を導いてください、カルマ様」



 かつての仰木信彦と同じ言葉を、アナートマンは口にする。

 導いてほしいとは言うが、ここまで私を導いてくれたのは、彼だ。


「アナートマン」

「はい」


 私たちは互いを導きあって、ここまで辿り着いた。

 互いの道が交差する、この場所まで。


 互いに違う道を歩みながらも、同じ理想を抱き、同じ目的を果たさんとする私たちは今、確かに交差点の上にいる。



「私も、貴方と同じ気持ちです。貴方と一緒に、新しい世界を眺めたい」



 来夢来徒ライムライトという名の、交差点の上に。

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