恋人になるきっかけ

惟風

恋人になるきっかけ

 昼休みに道を聞かれて教えた、それだけのやり取りがずっと忘れられなくて、何度も反芻してしまう。

 仕事に集中しなきゃ、としばらくは頑張ってみるけど、それでもいつの間にかさっきのことを考えている。


 外は気持ちの良い青空で、秋らしい爽やかな風が吹いていて――そうだ、風が吹いて、何の気なしにそっちの方を向いたら。

 女性が立っていた。人がいるとは思わずに振り向いたから、無防備にばっちり目が合ってしまって。


 びっくりするやら恥ずかしいやらで、煙草を吸って誤魔化そうとしたら、こっちに来て話し掛けられた


 ――あの、ここに行きたいんですけど、迷ってしまって。


 スマホを持つ指が細くて、綺麗で。

 緊張しながらそこの信号を曲がったところですよ、と教えると、にっこり笑って、ありがとうございます、助かりましたなんて言って、去ってった。

 時間にして一分にも満たない。


 また会えないかな、目的地と言っていたビルの近くに行ってみようか、それはストーカーになるんじゃないのか。

 何で普通に話し掛けてきたんだろう、彼女は特に何も考えてなくて、ただあの公園に俺しかいなかっただけだからなんだろうな。


 もうずっと思考が堂々巡りだ。


 もし万が一にもまた会えたら、なんて期待して公園に来てしまった。仕事はちゃんとしたし。

 夜もまた人通りが少なくて、たとえ彼女に会えないとしても、昼間の余韻に浸りながら煙草を吸いたかった。電子煙草が主流になってきてるってのに、イマドキこんな銘柄吸ってるやつ見たことないけど。ガツン、ときて美味くて好きなんだからしょうがない。


 何の奇跡なのか、彼女がいた。

 昼間に俺が座っていたベンチで、煙草を吸っていた。意外だったけど、それはそれでグッとくる。


 今度は向こうがこちらに気づいて、何と覚えてくれていた。


 ――昼間はありがとうございました、本当に助かりました、私すごく方向音痴で……慌ててたからちゃんとお礼ができてなかったなあ、またお会いできたらなってちょっと思ってたんです、ダメ元でここに来てみて良かった、こうして会えました!


 またにっこりと笑う。昼間のように。


 ――ふふ、実は昼間お会いした時に、どんな人なんだろうなってちょっと思ったんですよね、私と気が合う人なんじゃないかなって勝手に思っちゃって。え、何でかって……そうですね、些細なことなんですけど……理由はコレですね。一本いかがですか。道を教えていただいたお礼です。


 彼女が煙草入れからチラリと見せたのは、俺と同じハイライトだった。


 通じ合う理由なんて、それで良いのかもしれない。

 まるで夢のような瞬間だった。

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恋人になるきっかけ 惟風 @ifuw

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