放課後の小さな問答、対話の裏で擦れ合う思惑と思惑

 人のいない放課後の教室、少し風変わりな高校生ふたりの、雑談のような討論のような日常のひとコマ。
 独特の手触りを感じる作品です。描かれている光景そのものは日常的なのに、どこか浮世離れした雰囲気の対話劇。ジャンルは現代ドラマ、キャッチには『普通とは何かを考える物語』とあって、確かにその通り、と思うと同時に、ふと「自分ならどんなジャンル/キャッチがありえただろう?」と考えさせられました。心の中の書庫の、どのジャンルの本棚に置くか? POPなり読書メモなりつけるとしたら、そこにどんな説明を書くだろう? この辺の答えがなかなか出ない、ピタリと言い表す語を見つけるのが難しい、そういう意味での〝独特の手触り〟。
 実際、結構不思議な(あるいは尖った)構造をしているように思います。個性的なふたりの人物が出てきて、双方の心理を仔細に描きながら、でもごくごく短い会話だけでお話が成立している。下手を打てばただのキャラ見せだけに終わってしまいかねないハイリスクな博打を、でも危なげなくしれっと物語させちゃうこの手腕? ていうか奇跡? まあとにかく、すごいです。かなり稀有な技術なのでは。
 もちろんただの構造、構成に限った話ではなく、というか読んでるときはそんなのほとんど気にしないわけで、だからこの作品の個性はむしろその内容にこそあります。特にふたりの関係性、容易に名前を付けられない独特の距離感のような——例えば「友人関係」とか「昔なじみ同士」とかでも間違いではないのだけれど、でもそれだと大事なところが全然言い表せていないと思わせる——つまりは〝このふたり〟以外に言いようのない関係が大変に魅力的でした。ふたりだけの教室。終業から一時間、人知れず発生する特別な空間。ある種の聖域のようなその空間を、作中に組み上げた時点でもう勝ちみたいな感覚です。
 友情だけど友情じゃない、ましてや恋愛では——いやはたから見てるだけの野次馬的な立場からなら「お似合いじゃーん」くらい言えちゃいますけど、まあ違いそう。少なくとも当人たちにとっては。実際スキスキ感あふれる恋愛感情的なものは見えなくて、でも最初に出てきた「私たち付き合ってるんだって」という誤解は、正直さもありなんという気がしなくもない、というこの感じ。
 だって少なくとも今現在、この物語の時点ではきっと、お互いに替えの効かない唯一の関係。最後まで読み終えてみればある種の執着や依存の芽くらいは読み取れなくもなくて、でもそれは決してベタベタひっつくような至近距離ではない。危うくも安定した、いや安定しているのに十分危なっかしい独特の関係。この距離感そのものをひとつひとつ、ヒントをもらうみたいな形で文章の端々から受け取っていく、その読書感覚がもうなんでしょう、無性に楽しいというか気持ちいいというか。例えば「友情」とかあるいは「愛」であるとか、それらの概念に該当する関係であったとしても、その一語では到底表しきれない細部を得ていくことの快楽。という、あってますよねこの読み方で?(急に不安になった)
 そして、それによって描き出されているもの。彼らの距離感や〝その関係を作らせるもの〟がとても好きです。相手に望むものというか、作中では「愛」なんて言われたりもしている部分。そのまま読むと凛くんの方が上手というか余裕があるというか、状況のイニシアチブを握っているような感じですけれど。願わくば、というかただの個人的な願望として、案外そうでもなかったら嬉しいな、と思います。例えば飛鳥さんが思い通りに飛んだり閉じこもったりしてる分にはいいけど、もし自分の想定してない選択肢を取ったりなんかしたら、露骨に不機嫌になるとかキレるとかして欲しい。絶対似合う。というかそれ以外に解釈のしようのないラスト。好きすぎる……。
 いやもう、なんか好き勝手言ってしまっていろいろ申し訳ない感じですが、でもそういう妄想を誘発させるだけのエネルギーを持った、静かながら高火力な作品でした。最後の一文が最高に好き!