太陽に嫉妬して

七海けい

第1話:太陽に嫉妬して



*マツバユリ(Amana edulis)

……別名アマナ。ユリ科の多年草。日当たりの良い草地に自生する。二〇センチの茎の先に淡い赤紫色の花を1コ開く。鱗茎は甘く、食用となる。


*ワカバグモ(Qxytate striatipes)

……クモ目カニグモ科に属する蜘蛛。体色が透き通るような若葉色をしていることから、この名前が付いた。体長は12~13ミリメートルで、主に植物の葉の上を徘徊する。網を張らず、小さな虫を待ち伏せて捕える。



***



 ここは、ユリの国──フルーダリス王国の辺境。

 ユリを食い荒らす害虫たちから、少女たちの植生コロニーを守るための防衛線だ。


「眩しい……」


 本日は晴天なり。思わずそう呟きたくなるような青空の下。

 緑髪の少女が1人、目を細めながら、大草原を歩いていた。


 彼女は、甲虫の外骨格を加工した胸甲や手甲で身を固め、蟷螂の手斧を加工した双剣を腰に差していた。


「……あの」


 緑髪の少女は、丘の南斜面で寝っ転がっている1人の女性に声を掛けた。


「……ん。…………君は?」


 白髪の女性は、上体だけを起こして首を傾げた。彼女の長髪が、早春の温い風になびく。彼女は紫色の鎧の上に、藤色の外套を羽織っている。

琥珀の如き薄黄色の瞳は、未だ微睡みの中にいる。


「ワカバと言います。ワカバグモ族の、ワカバです」

「わかば、わかば……。ぁあ、頼んでおいた益虫傭兵さんだね。私は、マツバユリ族のアマナだよ。よろしく」


「よろしくお願いします。……敵は、どこですか?」

「まぁまぁ、そう焦らずに」


 アマナは、また草原に寝っ転がった。

 ふぃーっと、全身から力と雑念を抜くように、彼女は息をはく。


「ぁの……」

「敵さんはこっちの都合で動いてくれるわけじゃないからね……。日向ぼっこでもして、のんびり待ってるのが正解なんだよ~」


 アマナは、傍らの地面をペンペンと叩いた。


「? ……」

「鈍いなぁ。……ほら。お隣どうぞ?」


 アマナは、無邪気な目口で微笑んだ。

 ワカバは、無表情の裏で溜息を付く。


「……遠慮しておきます。敵が来たとき、機敏な対応ができなくなりますから」

「ワカバちゃんはカタブツなんだね……。そういうコ、好きだよ」


 無表情なワカバを余所に、アマナは微笑んだ。


「……偵察に行ってきます」

「行ってら~」


 ワカバは、小丘を越えて巡回に出た。

 背の高い茂みが、微風そのかぜに揺れている。


「……っ」


 ワカバは足を止めた。

 そして、双剣を抜く。右手は順手に、左手は逆手に構える。


「来る……」

 ……コソコソコソ


 茂みの中から、1匹のユリクビナガハムシの幼虫──というか幼女が飛び出してきた。黒のエプロンドレスに、若草色のリュックサックという出で立ちの彼女は、外見こそ愛らしいが、その「食欲」は旺盛だ。あっという間に、百合を「食って」しまうのだ。蝋でできた鎧で身を守り、強靱な手足と「口」で襲い掛かってくる。

成虫──というか年頃の娘になると、オレンジや赤、ベージュといったイケイケな格好をするようになり、ヒヨヒヨと触角を左右に動かすようになる。


 両者は睨み合いの末、互いに一歩も引く気がないことを理解した。


 ……ッ!

「……いざ!」


 ワカバと敵は、ほぼ同時に踏み出した。ワカバは敵の突進を左の刃で軽くいなすと、上段から右手の一太刀を振り下ろした。痛烈な一撃が、敵のひたいえる。


 ……ムキュウッ!

「ふぅ──」


 ワカバは、──まだやりますか? という風に敵をにらみ付けた。


ムムム……


 敵は頭をさすりながら、茂みの中に退散した。



「──見事なお手前だね」



 ワカバが小丘を見上げると、そこにはアマナが立っていた。そよぐ白髪を抑える華奢な右腕。膝頭や脛を紫色の防具に守られた、伸びやかな美脚。藤色の外套から覗く、すらりとした腰上。


 ワカバは、不思議な胸の高鳴りを覚える。


「……」

「……どうしたの?」


 ボッと立つワカバを見て、アマナは肩をすくめた。


 ──あの程度の戦闘で、息が上がるわけがない。と、ワカバは思い直す。


「……ぃぇ。あの程度の敵。者の数ではありません」

「ワカバちゃんは照れ屋さんなんだね。百合ひとが誉めてるときくらい、少しは可愛いところ見せてよ」


「可愛いところ。……ですか?」

「そうだよ。──天を流れる青い空。風に泳ぐ白い雲。そして、どこまでも広がる大草原。最後に必要なものは、美少女の笑顔だよ!」


 アマナは両手を広げ、高らかに言った。


「……美少女ごっこなら、一人でどうぞ」


 ワカバは溜息混じりに、双剣を収めた。

 ──ドライに答えて、放っておいてもらおう。そう、ワカバは考えた。


「んっ。てことは、ワカバちゃんの目には、私は美少女に見えるってことだね?」

「……」


 ──つくづく面倒めんどっちい人だ……。と、ワカバは心の中で肩を落とす。


「ぃやー、素直に嬉しいなー! 私を美少女扱いしてくれる女の子なんてそうそういないから……」


──……ガゥー!

──……コソコソ、

──……コソコソ、


 アマナの声を遮るように、ワカバの後ろ──背の高い茂みの中から、3匹のユリクビナガハムシが突っ込んできた。

 友の敵討ちに来たのか、黒服ランドセルの幼女たちは、一様に殺気立っていた。


「しまっ……」


 ワカバは反応が遅れた。

 彼女が双剣に手を掛けた頃には、敵の指が背中に触れていた。


 ワカバは覚悟を決めた。

 その時。


 ワカバの両脇を、衝撃波のような光の筋が過ぎ去っていった。


 否。それは、殺虫成分を含んだ水鉄砲の弾道だった。ワカバの目が、刺激で少しだけ潤む。


……ウシュ!

……ヒャウッ


……グヌヌ


 2匹は飛び跳ねながら、茂みの奥へと逃げていった。残された1匹は、体を低く構えて威嚇する。


「これは、……」


 ワカバは、アマナを見上げた。


「──いたずらはダメだぞー!」


 アマナの頭上には、二つの同じ形をした魔法陣が展開していた。それは、一部の百合の戦士たちが使う攻撃魔法──フェニトロチオン・バレットだった。ユリクビナガハムシは勿論、胴長のアザミウマや、重武装のカメムシといった大型の害虫、そして、ワカバのような益虫にも効力を持つ、強力な技である。


 ……ンッ


 ユリクビナガハムシは、首にげた笛を吹いた。

 ──ピーっ! という高音が、草原に鳴り響く。


「仲間は呼ばせないよ。……──」


 アマナは不敵に微笑むと、敵の足下に魔法陣を開いた。


……ッ!


 噴水の如く吹き上げた殺虫光線は、敵の軽い体をいとも容易く吹き飛ばした。

 敵は、茂みの遙か向こう側に消えていった。


 草原には、いつもの平和が戻ってきた。


「よーし、ミッション・コンプリート!」

「……」


 アマナは、丘の斜面を滑り降りてきた。


「どうどう、私って結構強いでしょう?」

「……む」


 ワカバは、そっぽ向いた。


「ぁれ。ひょっとして……、少し不機嫌?」

「ぃぇ。……」


 アマナは身を屈め、拗ねるワカバの顔を下から覗き込んだ。


「ワカバちゃん……?」

「……そんなに強いのなら、どうして私を呼んだんですか?」


 露骨に口を尖らせたワカバを見て、アマナは目を輝かせた。


「その顔、すっごく可愛いよ」

「真面目に答えてください!」


「ムキになったワカバちゃんも可愛い!」

「……」


 ワカバは、羞恥と不平から頬を染めた。


「いや、ね? 攻撃を待ったのもね、ワカバちゃんが焦ったり怖がったりする顔が見たいなーって思ったからでね……」

「…………っ!」


 ワカバは、アマナの背に蹴り入れた。


「痛っ! ぁはは、ごめんごめん……」


 アマナは背中をさすると、コロンと斜面に寝転んで、青空を仰いだ。


「ぇーっとね。……真面目に答える前に、ワカバちゃんに1つ、見て欲しいものがあるんだ」

「……?」


 アマナは、傍らの地面をパンパンと叩いた。

 ワカバは、渋々、彼女の隣に腰を下ろした。


「ワカバちゃんはさ。お日様って女の子だと思う? 男の子だと思う?」

「……? ……今まで、深く考えたこともありませんでしたけど。……」


「私はね、とーっても綺麗な女の子だと思ってるんだ」


 アマナは、どこまでも澄み切った目で語る。


「暖かいし。良い匂いもするし。眩しいし。たまーに雲に隠れちゃうところとか、気まぐれ屋さんって感じで、ポイント高いんだよねぇ」

「そうですか……?」


 ワカバはアマナに倣って、天上の太陽を仰いでみた。

 さんさんと輝く太陽が、ワカバの体を温めてくれる。


「……」


 陽の匂いに乗って、甘い香りも漂ってきた。


「良い匂いでしょ?」

「……」


 心の奥底をくすぐるような、しっとりとした芳醇な香りは、多分、アマナの香りだった。香り一つで、この百合への印象が変わるものか。ワカバは、何だか悔しい気持ちになる。

 でも。それ以上に、惹かれる気持ちもある。


「……でもさ。お日様って、ズルいんだよね」


 アマナは、声音を曇らせた。


「……どういう意味ですか?」


 ワカバは、アマナの方に首を傾げた。


「お日様ってさ、優しいから。……みんなを照らしちゃうんだよ。私がこうやって寝っ転がってる間にも、私の知らないどこかで、他の誰かを勝手に照らしている。きっと、あの子は世界一の浮気者なんだよ」


 アマナは、本当に不満げな顔をしていた。

 彼女の黄色い瞳は、危うげに揺れていた。


「……私だけのお日様が、欲しいな」


 アマナの呟きは、薄暗い色を帯びていた。


「私の力ってさ。……強いじゃん?」


 アマナは、また語り始めた。


「あの魔法があれば、何だって殺せる。何せ、殺虫光線だからね。寄ってくる蟲を何匹でも殺せちゃう。浴びせすぎると、同族でも枯らせちゃう。だから、その気になれば、一人きりになれちゃう。……お空に太陽が一つしかないみたいに、一人になれちゃう」

「……アマナさんは、一人になりたいんですか?」


 ワカバは問うた。


「一人になったら、私も、お日様になれるかな?」

「……どうでしょう。……」


 ワカバは、もう一度青空を仰いでみた。

 太陽が纏う射し込むような光りは、よりいっそう眩しく見えた。まるで、太陽が自らの不義を必死で誤魔化しているかのようだった。


「お日様になったら、あの子の気持ちを、分かってあげられるかな……?」

「……」


 ──何て答えるのが、正解なのか。

 ワカバが思いつくよりも先に、アマナが答え合わせをする。


「……。多分、分かってあげられないんだろうな。……だって。私が、孤独が嫌いだから」


 アマナは、はぅ。と、息を漏らした。


「さっきは、あんな距離で魔法を撃ってごめんね。おめめ、痛かったでしょう?」

「こちらこそ……、使いたくない魔法を使わせて、すみませんでした」


 ワカバは、アマナの方に首を傾げた。


「ワカバちゃんのためなら、何回でも使うよ。……いっそ、二人きりになるまで」


アマナの目は、空を向いていた。

まるで、空っぽの恋文を送りつけるような、微睡まどろみの中に、一筋の針を忍ばせたような、そんな声を、彼女は空に告げた。


「……なんて、ね。……」

「……」


 ワカバの想いを余所に、アマナは微睡み始める。


 ──アマナの誘惑は、その蠱惑的こわくてきな香りと同じくらいに甘美で、魅惑的みわくてきで、強引で、恐ろしい。


 ──彼女の満たされない独占欲は、温かな日差しに焼かれ、心の底に焦げ付いていくばかりで。

──嫉妬にも似た諦めと、諦めにも似た羨望せんぼうが満たす毎日を、この百合ひとは独りで過ごしていて。


 ──孤独が嫌いな独占癖は、二人きりの孤独を求めていて。


 ──よりにもよって。お日様の下で、それを迫ろうとする。


「……ねえ、ワカバちゃん」

「はい」


「……ワカバちゃんは、傭兵えきちゅうさんなんだよね」

「はい」


「……時間が来たら、……またどこかに行っちゃうんだよね」

「はぃ。テ…」


 百合から百合へ渡り歩くのは、ワカバグモ族の定めである。


「……でも。今は、アマナさんだけの私ですよ」


 ワカバは、うっかり呟いてしまった。


 太陽の光りに、そそのかされたのか。

 アマナの香りに、誘われすぎたのか。


 でも。それが、何だか心地よかった。


「ほんと……?」

「はぃ」


 二人の目が合った、その刹那。

 春の微風そよかぜが、2人の肌を優しく撫でていった。


「……ぁりがとう」


 アマナの手が、ワカバの頬にそぅっと触れた。

 ふんわりとした甘い香りが、ワカバを抱いた。




 草原のざわめきが、2人を優しく包み込んだ。
























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