ひとりの人間の生き様が歴史になる

 カルタゴの捕虜となったローマの執政官、マルクス・アティリウス・レグルスさんが、和平交渉のため特例的にローマへと戻るお話。
 歴史ものです。時代ものとは異なりあくまで歴史の一部を描いたものであるため、事実や出来事に関してはかっちり堅実な手触りではあるのですが、でも同時にウェット(というよりは情緒的)な切り取り方をしているところがとても魅力的なお話。
 キャッチである『これは、義に殉じた男の物語。』という文言の通り、〝義に殉じた男〟であるところのレグルス個人の物語であり、つまり登場人物のミクロな視点に寄せて描かれたお話です。例えば、文章そのものが一人称体である(=マゴーネさんを通して見た出来事だけが書かれる)こと。単一のエピソードを題材とした掌編だからこそのアプローチだとは思うのですが、それにしたっておそらく相当な芸当、少なくとも見た目ほど簡単ではないと思います。
 歴史上の出来事を書くとなると、現在の常識や感覚ではそもそも想像が追いつかない部分も多く、加えてどうしても大局観みたいなものに沿って書かざるを得ない部分まで発生してくる。したがって〝神の視座〟のような自由度の高い(読み手も後世の人間であるため本当に無茶が効く)書き方が必要というか、これがないと相当しんどいことになりそうな気がするのですが、でも普通にしっかり書き上げられている。彼ら個人のドラマが展開されていて、するりとその心情に乗っかっていける。とても綺麗で、なんだかため息の出るような思いです。
 そしてこの書き方だからこそ映えるというか、生々しく響いてくるのがお話の内容そのもの、つまり彼らの生き様の美しさです。これは心が震えるような英雄の物語、あるいは英雄〝たち〟というべきか、とにかく好きなのはマゴーネさんの物語でもあるところ。主人公と呼ばれるべきはあくまでレグルスさんで、視点保持者たるマゴーネさんは実はあんまりいいところがないのですけれど、でも彼は敵であるレグルスさんのことを憎らしく思う反面、その気高さをしっかり認めてもいる。この敵同士でありながらも通じ合う感覚が実に格好良いというか、その魅力がひしひし伝わってくるのは、やはり人物に寄せて書かれているが故のことだと感じます。
 人間のドラマを描きながら、それがそのまま歴史につながっていることを伝えてくれる、まさに文字通りの『歴史の息遣い』を感じさせてくれる物語でした。