義務について
結局。レグルスの大演説に心打たれたローマの元老院諸氏は、戦争の継続を決定した。私の任務は失敗した。どの面下げてカルタゴ議会に報告したものか、と思うが、それより許せないのはレグルスのことである。
私はレグルスが逃亡するつもりなのだと思った。ローマ人は尚武の気風を尊ぶなどというが、実際には人の好意を虚仮にした挙句、まんまと逃げおおせるのだろう。そう思った。
だが、そうはならなかった。討論の最後に、レグルスの一身について少し話が出たのだが、当然これはカルタゴ大使 (私のことだ)にそのまま委ねられる、とローマ元老院は結論した。それを聞いたレグルスは顔色を変えるかと私は思ったのだが、全然平気な顔をしていた。そして、言った。
「マゴーネ殿にはご迷惑をおかけすることになりますが、これがローマの将軍というものの在り様ですので。では、帰りましょうか、カルタゴへ」
「貴様……あんな真似をしておいて、なおカルタゴへ戻るつもりなのか」
「勿論です。そういう約束でしょう。それは忘れてはおりませんよ。ああ、最後になるかもしれませんから、もう一度申し上げておきましょう。妻と最後の数日を過ごさせていただいた件については、心から感謝しております」
「おのれ……!」
帰りの船はローマ市を流れるテヴェレ川の上に用意してあった。それに乗船する際、マルキアが姿を現した。
「あなた。もう、お帰りにはなれないのですよね」
「そうだろうな」
「ローマにとどまられるつもりは、本当にないのですか」
「何度も説明しただろう。わたしは義を果たさなければならない。栄光あるローマの
「あなた……ああ、あなた……!」
それでも泣いて縋ろうとするマルキアを、腕を取って止めたのはローマ側の人間だった。
「うう……ううっ……」
マルキアのすすり泣く声は、船が出てからもしばらくは聞こえていた。レグルスは、いつまでもいつまでもその方向を見ていた。
さて、テヴェレ川はイタリア半島の西、ティレニア海に注いでいる。河口に港町があり、そこで船を乗り換える。正直、私は既に縄目を受けているレグルスを甲板から一思いに蹴り落して帰りたい気持ちで一杯であったが、流石にそれはカルタゴ議会に対する越権行為となるのでやるわけにはいかない。
カルタゴに帰着した後、レグルスの処刑方法を巡って(処刑するかしないか、という議論をする必要は誰も認めなかった)
その後。戦争はさらに十年近くも続いたが、最終的にはわがカルタゴはローマに敗れ、シチリア島を喪失する講和を呑まざるを得なくなった。今思い出しても不愉快な話ではあるが……
レグルスは、ローマ市民としては全く、正しいことをしたのだろう。今なお憎い相手ではあるが、それだけは私も認めざるを得なかった。
新たな戦争 (今度は内戦だ)が起こったために、私は戦勝祈願のためバール・ハモン神の神殿を詣でることにした。そこで、たまたま出会いがしらに子供とぶつかってしまった。
「これは、このハンニバル・バルカ、失礼をばいたしました」
その子は礼儀正しく一礼した。利発そうな少年であった。願わくば、カルタゴの未来を彼のような者たちが担ってくれるとよいのだが。最近、めっきり老いを感じるようになったわが身を顧みながら、私はそんなことを思うのだった。
一枚の銀皿 きょうじゅ @Fake_Proffesor
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