卯月5日
終
季節は巡り巡って、春。
ターミナル駅から徒歩10分。繁華街から一本奥に入ったところにあるモスグリーン色の古びたビルの入り口には、『3階 言祝ぎ言語修復事務所』と彫られた案内板が掲示されていた。
道路から見上げてみるものの磨りガラスの窓はきちんと閉まっていて中の雰囲気は少しも分からない。だけどこのなかがとても居心地のいい場所であることは、よく知っている。
……少し、緊張してきた。
己を奮い立たせる為に冷たくなりかけている両手で頬を叩く。
「大丈夫。あたしには、大きな目標があるんだから」
それから満月のバレッタに触れて、深呼吸をひとつ。
吸った息を吐き出しきって、あたしはビルの中へと足を踏み入れた。1階は駐車場で2階は知らない間に喫茶店になっていた。イノルさんのスポーツカーの脇にある階段を、恐る恐る、昇る。
3階に到着すると『言祝ぎ言語修復事務所』と掲げられた分厚い扉があたしを待っていた。外と同じで磨りガラスの窓がはめ込まれていて、やはり中を窺うことはできない。
意を決して、扉を2回ノックする。
待つこと数秒、だけど永遠のように長く感じられた。
はーい、と軽妙な声がして扉を開けてくれたのは、金色のパンジーのバッジを黒衣につけたイノルさんだった。
「あれ? マーナちゃん、どうしたの? 久しぶりだね、元気だった? ……もしかして依頼?」
演技がかったへの字の眉毛とすっとぼけた言い方にあたしはありったけの大声で言う。
「ち! が! い! ま! す!」
なんだかこれ、初対面のときにも言った気がする……。
「無事に卒業して、言祝ぎ言語修復事務所に採用されたって報告しましたよね? 今日からだって連絡しましたよね?」
あたしは銅色のパンジーのバッジをイノルさんの顔につきつける。
イノルさんはきょとんとした表情になってから、堪えきれなくなったように大笑いしだした。
「ごめんごめん。待ってたよ、マーナちゃん」
それから扉を開けてくれる。
いちばん奥の席には眠ったままの言祝ぎ姫。
その左手前の席はホクトさんで、向かいは空席。空席の隣はイノルさんの書類が乱雑に積まれていて、さらにその向かい、つまりホクトさんの隣に新しい席ができていた。
ホクトさんが立ちあがって、隣の席に掌を差し出す。
「ようこそ、言祝ぎ言語修復事務所へ。新しい仲間を、事務所一同、歓迎します」
大きく深呼吸をして、あたしは笑みを浮かべる。
「今日からお世話になります、青葉マーナです。よろしくお願いします!」
了
言祝ぎ言語修復事務所インターン記録 shinobu | 偲 凪生 @heartrium
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