水無月10日

26

「本当にこれが最後のお願いです。これ以上は何も言いません。宜しくお願いします」


 電話を切って、すぐに別の番号にかける。


『もしもし』

「もしもし。マーナです」

『どうしたの? 自分から電話をかけてくるなんて』


 電話の向こうから驚きが返ってくる。次の相手は、児童養護施設の施設長。


「特例でインターンが満点として認められたので、ご報告をと思って」

『えっ。……よかったわね、おめでとう。皆で心配してたのよ』


 今度はすすり泣いているようだった。いちいち感情の忙しい施設長だ。


「……ありがとう、ございます」


 上手に言えただろうか。

 伝わって、いるだろうか。


『みんなー! マーナから電話よー!』

「いや、全員と話すつもりはないんで切ります」


 通話を強制的に切って、あたしは瞳を閉じる。それから深く息を吐き出した。


「電話、どうだった?」


 振り向くと寮母さんが立っていた。


「喜んでました」

「よかったじゃないの。ほんと、それにしても特例だらけの寮生は最初で最後でしょうね」

「すみません」

「いいのよ。でも、無茶はしないでね? いってらっしゃい」


 寮母さんが薄い箱を渡してくれる。


「はい。ありがとうございます」


 受け取ったのは、ビジューのついた薄水色のパーティー用ワンピース。寮母さんが若い頃に着ていたという、一張羅ってやつだ。

 部屋で着替えてから、寮の外に出る。

 ニムロドは今日もあたしの瞳には剣として映っている。あれがただの電波塔だなんて『そのとき』が来るまでは絶対に納得できないだろう。


 乗ったことのない路線の電車で、行ったことのない場所へと向かう。

 電車に揺られて窓の外を眺めながら考える。

 ……中継が途絶えた後の首相官邸での出来事は、警察が突入して解決したと伝えられたのみ。びっくりするくらい報道されなかったので、あたしがあの場にいたのを知っているのは当事者以外には寮母さんだけだった。寮に戻ってきたあたしはいろんな緊張から解放されたのか高熱を出して3日間寝こんだ。元気になったときには概ねの問題が解決していて、巨人討伐会は全員一命を取り留めて取り調べが始まるところだった。


 ——だけど、月の王はまた行方を眩ましてしまった。


 イノルさんは、次に月の王と会ったときは必ずヒカリさんの事件の真相を話してもらうと言っていた。たぶんホクトさんも同じ考えだろう。ほとんどのことが解決したけれど、解決していないことだってある。

 それはだいたいが人間の感情の問題だ。

 あたしだってそうだ。

 電車を降りて、目的地へと向かう。着飾った人々で溢れている。

 きっと今夜の目的は皆同じだ。


「ここだ。記念フォーラム」


 照明を受けて艶めく乳白色の四角い建物群。広場の隅を、表示を頼りに進んでいくとひときわ大きなディスプレイがあった。


『ホールA 本日の催し:歌姫ルリハ 引退コンサート』


 広場の隅まで届く大音量でアナウンスが流れる。


『……間もなく開場いたします。チケットをお持ちの方は……』


 ゆったりとした流れではあるものの、観客たちは確実に建物のなかに吸いこまれていく。あたしはまだ外の広場に立っている。

 いつの間にか日が暮れて、空は夜の色に変化していた。

 瞬く星を見上げていたらひと筋の光る線が走った。流れ星だと気づいて咄嗟に両手を組む。


「どうか、来てくれますように」


 やがてあたしの周りには誰もいなくなる。端末で時間を確認すると、開演まで5分を切っていた。


「やっぱり、だめか……」


 諦めて中に入ろうとしたときだった。


「飛行機の当日券ってなかなかないんですね」


 優しい雰囲気を纏った声がして顔を上げる。


「お待たせしました」


 目の前に、ふんわりとした黒いワンピースを着たアオイさんが立っていた。

 願いが届いた。


「……わたしも意地を張りすぎていたところがありました。だけど苦手なチョコレートは食べられないのにがんばって食べてみようとしちゃうし、気づけば彼女の歌ばかり聴いてしまうし、もうこれは白旗を上げなきゃいけないなと思いまして」


 想いが、伝わった。鼻の奥がつんと痛む。


「チケット、頂いてもいいですか」


 勢いよく頷いて、1枚のチケットを差し出す。アオイさんが両手で丁寧に受け取ってくれる。


「先に行っててください。あたしも後から入ります」


 アオイさんは頷くと駆け出した。

 だけど建物の入り口の前でぴたっと止まって振り向いて、両手をばっと挙げた。


「マーナさん、ごめんなさい。そして、ありがとう!」


 そして建物の中へ入っていった。

 あたしは全身の力が抜けてしまってその場にしゃがみこむ。

 ふっと空を見上げると、ひとつ、またひとつと、星が流れていた。どうやら今晩は流星群の日みたいだ。

 大丈夫。すべての願い事は、ひとつ残らず叶う。

 そうやって誰かに言ってもらっているみたいだった。

 もう一度両手を組んで、額につける。瞳を閉じる。

 あたしの大事なひとたたちの願いが、叶いますように。


 Let’s meet at meteor shower night.

 Everyone blesses our love.


 歌姫の歌を、口ずさむ。自然と覚えてしまっていたみたいだ。

 なんだかおかしくなって、自然と笑みが零れた。



「えええええ、マーナちゃん? 何でこんなところにいるの!」


 はっと我に返るとあたしは広場に倒れていた。傍にイノルさんとホクトさんが立っていた。ふたりともぴしっとスーツを着ていて、ホクトさんは髪の毛もきちんと結んでいてピアスが見えている。

 顔を合わせるのは首相官邸以来なので、ずいぶんと久しぶりに感じた。

 思わずくしゃみが出る。体が少し冷えていた。

 イノルさんの瞳がいっそう動揺する。


「ま、まさかずっと外に?」

「えっ?」

「コンサート、終わっちゃったよ」

「……どうりで隣にいないと思いました。連絡すべきでしたね」


 体を起こす。まだ本調子ではないみたいだ。自分でも信じられないけれど1時間半ほど意識を失っていたらしい。

 周りには満足そうな表情をした人々の姿が見える。


「あの、アオイさんは」

「来てくれたよ。もうね、すごかった。大号泣。そのまま控え室に行くって言うから別れてきたけど」

「よかった……」


 ホクトさんとイノルさんが顔を見合わせて頷く。何か通じるところがあったらしい。

 それからイノルさんはしゃがんであたしに視線を合わせてくれた。


「もうひとつマーナちゃんにお知らせすることがあるんだ。次の昇級試験、受けることにしたよ。僕は上級言語修復士になる」


 あたしはびっくりしてイノルさんを見返した。

 菫色の瞳はとてもきれいな光を湛えて澄んでいる。


「かといって言祝ぎ言語修復事務所から出て行くつもりもないけど。所長が特級の事務所なら、上級がふたりくらいいてもいいかなって」


 イノルさんは、こんな風にまっすぐな自信を持って笑うひとだっただろうか。


「そう思えたのはマーナちゃんのおかげ。ありがとう」


 それからすっと立ちあがって両腕を組む。


「それに上級に上がった方が姉の真相も突き止めやすくなるだろうし」


 ホクトさんが小さく頷いた。


「落ちるっていう心配はないんですね」

「だって、この『僕』だよ?」


 ぶっ。思わず噴き出してしまう。


「マーナちゃん、ひどーい。笑うことないじゃないか」

「すみません。イノルさんらしいなって思って」

「もう。しょうがないなぁ、今日だけは特別に許しちゃう」

「……ふたりとも、積もる話もあるだろうし晩ご飯でも食べに移動しませんか? 近くに美味しいカレー屋さんがあるんですが」

「行きます!」


 あたしは立ちあがってワンピースについた草を払う。ちゃんとしたお店でクリーニングに出してから寮母さんに返さなきゃいけない。


「カレーは人生、ですもんね」


 満足そうにホクトさんが首を縦に振る。


「えー。お気に入りのスーツにカレーの匂いが。……いやなんでもありません」


 空を見上げるともう流れ星は見当たらなかった。

 視線を自分の掌に落とす。

 結局あたしの特別な力というのは何だったのか。

 次に月の王か言祝ぎ姫に会うことができたら尋ねてみよう。


「……ううん」


 掌をぎゅっと握る。そうじゃなくて、自分で考えてみよう。そうしたら、きっと、……。

 

「置いてくよー!」


 あっという間に先を歩いているふたりが呼ぶ。あたしは大きな声で叫ぶ。


「待ってくださーい!」

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