水無月5日

25

『♪』


 寝ないで2時を待つつもりが、いつの間にかうとうとしてしまったらしい。着信音に起こされて、消えてしまったディスプレイを再び開く。

 ワインレッド色の重厚なカーテンの前に国旗が掲げられていて、その手前に濃い赤色をした演台が置かれている。フロアの椅子には記者たちが座っていて満席となっていた。

 数時間前となんら変わらない様子の首相が登壇する。状況はどうなっていて、どれくらい変化したんだろうか。言祝ぎ姫たちの安否は伝えてくれるんだろうか。

 息を呑んだ、そのときだった。


『手を挙げろ』


 首相の右脇に立っていた警護官が突然守るべき相手に銃口を向けた。

 動じる様子もなく首相は小さく両手を挙げる。

 警護官が鈍色のマスクを被るとそれを合図にするかのように場にいた黒服の男たちは全員マスクを被り、整然と演台を取り囲む。


『既に制圧は完了している。諦めることだ、君たちに援護は来ない』


 映し出された空間には鈍色マスクが10人以上。いつの間にか出口にも立っていて、首相どころか記者たちの逃げ場もない。混乱する記者たちが映し出される。


『中継を続けてくれたまえ。国民すべてにこの映像を見続ける義務がある』


 銃口をつきつけられたまま首相は国旗の前まで歩かされる。

 そして、代わりに演台の前に堂々と立ったのは新たな登場人物。

 中背で、他のメンバーと比べなくても肉体派には見えない。


『初めまして。我々は秘密結社・巨人討伐会と申します。これまで騙され続けてきた国民の意識を覚醒させるのが我々の活動目的であります。さて、皆さんにはこの国の中心にそびえたつニムロドが何に見えますか? 選ばれた我々にはあれが巨人に見えています』


 巨人討伐会、という言葉に心臓が跳ね上がる。


『そもそもニムロドという名前は、旧世界では反逆者という意味もあるそうです。ここにすべての答えが集約されていると思いませんか。万が一巨人が目覚めてしまえばこの国は滅びの一途を辿るでしょう。そうなる前に巨人を殺さなければなりません。国民の皆さん、我々と共に平和な世の中を守りましょう!』


 機械のざらついた音質とはいえ、とても雄弁だった。


『ということで戸塚首相。あなたにお尋ねしたいのは、あれの真実についてです。知っていることをすべてお話ししていただきます。さもなければ、ここにいる記者共を、1時間ごとに1人ずつ殺していきます』


 記者たちがさらにざわつく。


『我々は本気です。何故ならば、東日本言語修復センターを襲撃したのも我々だからです。さあ、首相。何の罪もない人間を、あなたは何人殺しますか?』


 ばちっ。

 あたしは乱暴にディスプレイを消して立ちあがった。

 カーテンを閉め忘れた外の色はまだ真っ暗闇だ。

 廊下に出ると冷えていた。忍び足で、電気をつけず手探りで歩く。玄関は施錠されているだろうけど、勝手口は簡単な鍵しかかかっていないから外に出られる筈だ。

 サムターンを回して外に出る。

 空を見上げると少し欠けた月が光っていた。朝になる前に戻ってこられるかは分からないけれど、後のことは後で考えればいい。


「マーナ」

「!」


 不意に呼ばれて背筋が正される。

 柵の前にすっぴんでパジャマ姿の寮母さんが仁王立ちで立っていた。


「まさか首相官邸へ行くつもりじゃないでしょうね?」


 いつものんびりしている寮母さんの口調が強い。


「ど、どうして」


 言い当てられて心底びっくりする。


「3年近く見てきたんだから、あなたの行動パターンは大概分かるわ。危ないからやめなさい」

「寮母さんには関係ないじゃないですか」

「なんてこと言うの。わたしは、あなたの母親代わりなのよ?」


 突然の言葉に、全身に電流が走る。

 母親、だって?

 どうして今になってそんなことを言い出すというのか。

 どうして。今。


「ただの女の子があんな危ない場所へ行っちゃいけません」


 ……急に何も言えなくなってしまう。

 そこへ、急に眩しい光が射した。


「何っ?」


 乱暴な音を立てて柵の外に1台のスポーツカーが停まり、運転席の窓が開く。


「ただの女の子じゃないよ。特別な力を持った女の子だ」


「イノルさん!」

「湊くん! どうして!」


 したり顔でイノルさんが親指を立てる。


「僕もマーナちゃんなら絶対に寮を飛び出るだろうって思ったから。だったらこう、騎士役としてマーナちゃんを守っちゃおうかな、みたいな?」

「お願いしますっ」


 あたしは寮母さんの脇をすり抜けて、イノルさんのスポーツカーの助手席に乗り込む。

 寮母さんが呆れたように大きく溜息を吐き出した。


「もう、あんたって昔っからそうよね。女の子には甘いんだから」

「君にだって甘かったからね」


 イノルさんがウインクを投げる。それを寮母さんははねのける仕草で応えた。

 もしかして、ふたりは知り合いなんだろうか。


「罰はあとでいくらでも受けます! 今は見なかったことにしてください」

「じゃあ行ってくるね!」

「……危ない目に遭わせたら、許さないから」

「絶対に守るから大丈夫だよ」

「きゃっ!」


 急発進するスポーツカー。座高が低いので座ったまま猛スピードで地面を走っているようだ。


「ちゃんと掴まっててね! ギリギリのスピードで攻めて行くからっ!」

「はっ、はいー!」



「大丈夫だった?」

「な、なんとか……」


 車酔いというよりスピード酔いで頭がくらくらする。カーブもありえない急角度で曲がっていたし、明らかに安全運転とはかけ離れていた。

 国会議事堂の近くには立ち入り禁止のテープが至るところに貼られていて、警察官が立っている。テレビ局のアナウンサーも増えてあちらこちらで速報を読み上げていた。

 それぞれの照明のおかげで真昼のように明るい。


「しまった。何も考えずに来ちゃったけど、一般人は立ち入り禁止か」


 スポーツカーから降りるとつかつかとイノルさんが歩いて行って、警察官に何かを話しかけてすぐに戻ってくる。


「だめだってさ。いや、まぁ、たしかにそうだよね。僕たちは民間人なんだし。どうしようか」

「ノ、ノープランだったんですか」

「人聞きの悪い。マーナちゃんだってノープランで飛び出そうとしてたでしょう」


 イノルさんが時間を確認する。


「犯行声明から45五分。あと15分しかない」


 何の罪もないひとが殺されてしまうかもしれない。

 だけど仮にあたしたちがその場に辿り着けたとしてもできることなんてないのだと、冷静になって、途端に恥ずかしくなってきた。

 結局、あたしには何もできないのか。

 イノルさんがディスプレイを空中に浮かせてニュースを表示させる。


「……! マーナちゃん、見て!」


 すると、ちょうど新たな登場人物が現れたところだった。


『月め。ここで現れるとはな』


 拘束されてもなお強気のままの首相が毒づく。

 その場に現れたのは長い銀髪の男性。手にはワインボトルを持っている。


「どうして、月の王が……」


 ほんとうに巨人討伐会の一員だというの? どうしても信じたくなかった。だって。日記を。真実を。託して、くれたのに。

 イノルさんが苦虫を噛み潰したような表情になる。


「くそっ。万事休す、じゃないか」

『紹介しよう! 我らの偉大なる協力者だ!』


 会のリーダーが両手を大きく広げる。いつの間にか鈍色のマスクたちは、ワイングラスを片手に持っていた。

 ゆっくりと月の王がカーテンと同じ朱色の液体を注いでいく。壇上に上がると、最後の一滴までをあますところなくリーダーのワイングラスに注いだ。


『我々の革命に乾杯!』


 満足そうに彼らが飲み干すのを黙って月の王は眺めている。

 グラスが空になり、会のリーダーが両手を大きく広げた。


『さぁ、真実を白日の下に晒そうではないか!』

『いや』


 画面に月の王が映る。

 

『残念ながらあれの正体を話すことはできない』


 淡々と、だけど力強い否定だった。

 次に映し出されたのは会のリーダー。

 わずかに露出している口元の部分が、え、と動いた。そして鈍色のマスク全員が、首を押さえながらその場に崩れ落ちた。そのままぴくぴくと痙攣している者もいる。かろうじて立っているのは、会のリーダーのみだった。


『何故だっ、……』

『かつて君たちに飲ませたのは不老不死を約束する薬ではない。優秀な製薬研究者がとてつもない昔に創造した、病気や傷をたちまち回復させる代わりに寿命を削っていく、矛盾を孕んだ薬だ。本人は絶対に使いたくないと言っていた』


 月の王がボトルを演台に置く。


『そして今与えたのは、私が植物から抽出した単純で強力な毒薬だ。さて、回復させようと体内で反応が起きた結果は、どうなると思う?』

『う、裏切ったというのか』

『勘違いしないでほしい。私が君たちの仲間でいたことは、一度もない』


 会のリーダーが力を振り絞って月の王へ向かって右手を伸ばす。伸ばしきったところで、がくんと落ちた。


『最も傷つけてはならない人間を傷つけた報いを受けるがいい』


 ゆっくりと月の王がしゃがんで、マスクをはぎ取る。


「……!」


 巨人討伐会のリーダーの素顔が露わになる。


 信じられないことに、その顔にあたしたちは見覚えがあった。


 イノルさんが引き笑いを浮かべる。


「いやいや、嘘だろう?」


 泡を吹き白目を剥いていたのは、東日本言語修復センターのセンター長、金澤さんだった。

 ばちん。その光景を最後に中継が中断された。


「だから、あたしに」


 質問してきたんだ。ニムロドが何に見えるかを。

 剣に見える、と答えてしまったから、事務所を狙って新型爆弾が送られてきてしまったんだ。あたしじゃなくて言祝ぎ姫が犠牲になりかけたけれど、治る筈もないと思っていたから、杖が修復されて驚いていたんだ。急に納得してしまって、悔しくて唇を噛む。

 すると何かを察してくれたのか、イノルさんがぽんぽんと頭を撫でてくる。


「どうしようか、これから……」


 そのとき。


「お待たせしました」


 呼びかけてきた声が信じられなくて、ふたりで顔を見合わす。

 瞳にめいっぱい涙を溜めているイノルさんは、意外と涙もろくて情に熱いタイプなんだろうなとどこか冷静に考えている自分がいた。視界から外れたイノルさんは、黒衣をまとったホクトさんへ一目散に走って行き、聞き取れるのがやっとなくらいの小さな声で勘弁してくださいと言った。

 あたしも立ちあがって、深く礼をする。

 お待たせしましたと言ってくれたのは、ホクトさんじゃない。


「おかえりなさい、言祝ぎ姫。ホクトさん」


 ロリータ服にツインテールの特級言語修復士は、両手で杖を手に、しっかりと立っていた。


「行きましょうか、皆さん」



 4人で首相官邸へ向かう。会見室へ入ると、誰もが今しがた起きたことを受け止めきれずに、場は沈黙が支配していた。

 真っ先に月の王が言祝ぎ姫に気づく。

 そして、満足そうに口元に笑みを浮かべた。


「……意識を取り戻したのか」

「優秀なインターン生と言語修復士たちのおかげです」

「それはよかった」


 無機質な会話のようだったけれど、そうじゃない。

 この場で気づいていたのはたぶんあたしだけ。いちばん関係のない筈なのに、なんだか泣きそうになっていた。

 くるりと月の王があたしに顔を向けてきた。


「ありがとうございます。がんばりましたね」


 ぶわっ。堪えていたものが一気に溢れ出す。イノルさんとホクトさんが、背中をさすってくれる。

 あたしは月の王へ近づいて行って、両手で日記を返す。

 受け取ってくれた月の王が、細長い指でぱらぱらとページをめくった。


「『悲しみの大きな塊を丁寧に磨いていくと、そこにはわたしだけの愛が隠れていました。小さいけれど光り輝く、美しいものでした。それを守ることがわたしの生きる意味だと思いました』」


 そして天井を見上げて、じっと、何かを考えているようだった。


「いつの間にか悲しみばかりが肥大化して、人間が生きていくうえでひとりならば、誰も傷つくことはないし悲しむことはないのにと考えるようになっていた。かつて幽閉した御方と同じような道を辿ろうとしていた」

「だけど、気づいたんですね」


 涙を拭って声を上げる。


「悲しみがあるからこそ、自分は自分と定義されて、輪郭ができる。そうすることで、愛するひとに触れることができるって。だから、あたしに日記を託してくれたんですよね」


 真実は知らない。だけど、ヒカリさんたちが亡くなった5年前の事件で、きっと悲しみに飲みこまれていた月の王は気づいたんだろう。

 ほんとうのことは分からないから、あたしは勝手にそう思うことにする。

 月の王はじっと耳を傾けてくれていた。それから、向き合っていた言祝ぎ姫の頬に、そっと手を伸ばした。

 身長差には少し屈んで、言祝ぎ姫と同じ目線になる。

 その手を、言祝ぎ姫は拒否しなかった。


「やっと見てくれましたね。……おかえりなさい」


 ——これがきっと、ふたりの愛なんだろう。


「こほん」


 首相のわざとらしい咳払いに全員の視線が集中する。


「あー。申し訳ないんだが、こんなところで公然といちゃつくのはやめてくれないか。いろんな意味で腹立たしいし、とりあえずテロリスト共を救急搬送しないと」


 解放された首相はいつの間にか、泡を吹いて倒れているセンター長に水を飲ませていた。


「月、お前なぁ。単純で強力な毒薬って言ったけど、死なない程度にギリギリのやつを用意しやがったな。そういうところ、嫌いじゃないぜ」

「……お前に好かれてもうれしくない」

「馬鹿。そういう意味で言ってるんじゃない。とりあえず救急は手配させたから全員運んで、治療やら取り調べだな。記者諸君におかれましてはこの件は一定の戒厳令を敷かせていただくので宜しく頼む。それから、言祝ぎ。よくぞ無事で」


 てきぱきとした指示に、にわかに場が忙しくなる。


「ご心配をおかけしてすみませんでした」

「インターン生の大金星だな。数年前に月からニムロドが剣に見える子どもがいるって聞かされたときは半信半疑だったが」

「へ」


 急に話を振られて固まる。

 最初から、すべて織り込み済みだったということ……?


「そうですね」


 くるりと、言祝ぎ姫があたしに向き合う。


「青葉マーナさんに問います。あなたにとって、【愛】とは何ですか」


 全員の視線があたしに集中する。


「【愛】……」


 インターンを始めるまでは知らなかったこと。気づけなかったこと。何を感じたのかを言葉にすることが、中断されたインターンの最終試験。

 イノルさん。

 ホクトさん。

 首相。

 言祝ぎ姫。

 それから、月の王。ひとりずつ視線を合わせてから、満月のバレッタを髪から外して両手のなかへ。


「……絶望と、希望です」


 言祝ぎ姫が頷いて、いつの間にか離れていた月の王を見上げる。

 月の王の口元に満足そうな笑みが浮かんだ。初めて会ったときよりもしっかりと、あたしのことを見て、はっきりとした声で宣言する。


「今回のインターンは、百点満点です」

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