――2.殺されスミスの恋人
「……それで、敦子さんは?」
悟郎が問いかけると、小野田は首を項垂れた。
「夫の彰さんが、片足を切られ片目をえぐり取られた姿で発見されて……それから行方が知れません」
小野田は憔悴した顔で語った。
「警察の話では……状況的に、彰さんを殺したのは敦子……秋山さんで間違いないだろうって言うんですが、証拠は見つからないらしく。切られた足の先も、行方が知れないみたいです」
悟郎は少し迷って、録音していたスマートフォンのアプリを停止した。そして小野田に向かい、また問いかける。
「失礼ですが……敦子さんとはどんな関係だったんです?」
「……愛人でした。いや、愛人と呼べるほどでもなかったというか」
小野田はため息をつき、首を振る。
「同じ職場で……うちの職場は厳粛な空気で。その抑圧から逃れるように、関係を持ちました。学生が隠れて煙草を吸うような楽しみというか……」
小野田は落ち着きなく指を動かしながら、淡々と話を続ける。
「ただ、あの関係があったから、僕らの職場は上手くいっていたとも言えるんじゃないかと……」
と、小野田はそう口にしたあと、ため息をついて首を振った。
「……いや、それは都合のいい解釈だな」
悟郎は黙って話を聞いていた。小野田がまた口を開く。
「僕はあの人の愛人にも、ただの同僚にもなれかなかったけど……少なくとも、友だちです。それはきっと間違いない。なのに、なんであんな……」
小野田は唇を噛みしめた。涙を我慢しているようにも見えた。
大柄な店員が、カウンターの中でグラスを拭いていた。他に客はいない。悟郎は小野田を見た。
「なにか一杯、飲みますか?」
「……いただきます」
悟郎は大柄な店員に目で合図をした。店の外から、カラスの鳴く声が聞こえてきていた。
* * *
繁華街の雑踏に身をゆだね、一晩中明るいまま揺らめき続ける街の中を揺蕩っていると、その耳には様々な音が聞こえて来る。騒ぎながら歩く男女の声、客引きの声、外国語でなにごとか交わすやり取り、車の音に、けたたましく響く店のBGM。
酒と性と吐瀉物にまみれた街から、見上げる清潔な高層ビルの姿は、美しい秩序でこの世界を支配しているように見えた。街の灯りに照らされた夜空に、頼りなさげな月が浮かんでいる。
人々が作り出す生命の奔流の中では、立ち止まることさえ許されない。大きな流れに呑み込まれ、倒れそうになると、これではいけないと誰かが言う。流れに負けず、歩もうとすれば、少し休めとまた誰かが言う。
渦を巻くような光と音の海に、身を隠す場所はない。誰もが誰もの顔を見て、そして目のない顔の中に、埋もれていく。
――こっちを見ろ
なにかが囁く声が聞こえた。
――俺はここにいるぞ
顔をあげれば、街を覆うようにして蠢く人間たちの、その間に死があった。
「……見つけた」
敦子は笑った。
雑踏の中、こちらを見ている片目の男の顔。
敦子はその男を追って、歩き出した。そうだ、今度こそは間違えない。あの人が私の中に残してくれたもの、その声に従い、正しい道を行くのだ。
そう、すべては大きな意志により、導かれた巡礼の旅だった。すべての出会いには意味があり、すべては必然だったのだ。彰が、アスカが、愛河が、平良木が――そして大紋道が、ヒノカミ講が。それ以前にも数多の人々が。連綿と伝えて来た形なきものを、ついに私が受け継いだのだ。
――ああ、と敦子は声を漏らす。
人生とはなんと甘美なのだろう。自らの心のままに、この子宮が疼くままに。
そうだ――敦子はコートの中に、隠したナイフを握りしめる。
ようやく、私は私を理解した。
恋をするため、私は生まれてきたのだ。
私こそが、「殺されスミスの恋人」だ。
雑踏の波間に消えた片目の男の影を追いかけ、敦子は人ごみの中に姿を消していった。
〈了〉
反復殺人:the HyPerceptions 輝井永澄 @terry10x12th
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