第6章

――1.巡礼

「……愛河登は逮捕、平良木は入院し、その後に逮捕ってことになるみたい。他の会員も全員、重要参考人として連行された」

 レイはスマートフォンの画面を操作しながら言った。愛河会の事件はニュースになり、常軌を逸したその内容から、狂信的集団の起こした自殺集会事件として、ニュースサイトの恰好の餌食になっている。警察は余罪もあるとみて、追及を続ける方針らしい。

「余罪……」

 レイはそれを読んで暗澹とした気分になった。もしかしたら、過去の合宿でも同じように自ら足を切り落とし、命を落とした会員がいたのだろうか。

「読んだよ、あんたの記事も」

 京平の声に、レイは顔を上げた。赤いビロード地の張られた「燈火」のソファに座って、京平がバナナパフェを食べながら言う。

「突然、怪談の当事者になり、世間から叩かれて命を絶った女性は、狂信的集団の起こした事件の被害者だった……見事な『供養』だった」

「……あれで、供養になったのかどうか」

 レイはため息をついた。

「謎の殺人鬼として無責任な憶測に晒されるよりは遥かにいいよ。少なくとも、この世界にはあんたの語った彼女の『物語』が残る。それが精いっぱいだ」

 京平はそう言って、パフェに刺さったバナナを手で抜き、口に運ぶ。

「……わかってるよ」

 そう、それくらいが自分にできる限界だ。それはわかってはいるが――既に起こってしまったことを考えるとやるせない。敦子にだって酷いトラウマが残ってしまうかもしれないの。

 レイは自分のバナナパフェをつついた。しかし、そのまま結局口にせず、また口を開く。

「これってさあ」

 レイが声をかけても、京平は反応しない。レイは気にせず喋ることにした。

「あの平良木ってやつも、同じDNAなのかな……その、他の『殺されスミス』と」

 京平は手を止め、顔を上げてレイを見た。その口が動く。

「……いや」

 短くそう言って、京平はまた目を落とした。

「たぶん、あれは別人だよ」

 京平は視線をバナナパフェに落としたまま、答える。

「それじゃ……」

 レイは身を乗り出す。

「アスカさんが殺したのは、誰?」

「……わからないな。同じように『儀式』をやったのかもしれない。無戸籍の人間を連れて来て、被害者役をやらせたとかね」

「駒込の遺体も?」

「そうだね。そっちは大紋道が」

「それじゃ」

 レイは眉を寄せて京平を見た。

「……どうしてその二つの事件で、被害者のDNAが一致したの?」

 大紋道、そして愛河会。「ヒノカミ講」の唱えた思想に従い、新しきを受け容れて完全なる世界を保つため、内部に「死」を作り出す。穢れを排除するのではなく、意識的に作り出すことによって、世界を更新するという思想。

 京平がスプーンを持つ手を止めた。

「……DNAの一致なんて、きっとただの間違いだよ」

 顔を上げ、色素の薄いその目をレイに向ける。

「常識的に考えて、そんなことがあるわけないじゃないか」

 京平はそう言って笑い、またバナナパフェを食べ始めた。

 レイは眉を寄せ、しばらく京平を見ていたが、ため息をついて自分のパフェを食べ始めた。

「古の昔から、ある神がこの世界に存在していた。その神は自ら人間に殺されることにより、世界の均衡を保つ役割を果たしてきた。歴史の中に何度も、その神は現れ、殺され続けてきたのだ……」

 最近、アップされた「スミスの隣人」の最新動画、「都市伝説・殺されスミスの恋人 最終回」はそう語った。

 紅茶を啜る京平の隣で、ジャボーが顎を撫でる。

『……契約は果たされた』

 裂けた口を開き、ジャボーは笑う。

『我が同胞の姿形、確かに見たり』

 京平は無表情のまま、紅茶を飲み干した。

 レイは顔をあげ、店の中を見渡した。平日の夕方という時間帯に、他の客はない。老婦人がカウンターに肘をついているのが見えた。


 * * *

 救急車で運ばれて入院し、精密検査やカウンセリング、そして警察の取り調べを散々受けたあと、敦子は解放され、家へと向かっていた。罪に問われることもなさそうだ、というのが警察の見解らしい。他にも参考人が大勢いるから、というのもあるのだろう。これからも何度か事情聴取があるらしいが、それは仕方がない。どちらかといえば――

 タクシーを降り、自分の変えるべき家であるマンションを見上げて、敦子はため息をついた。戻って来てしまった――この家に。

 こんなはずではなかった。私は新しい人生を掴んだはずだったのに。なにかの力に支配されているかのようなあの家を抜け出し、自分の思うままに、幸せを追い求めるはずだったのに。

 敦子は合宿のことを思い出した。マイクロバスでホテルに着き、仲間と過ごしたあの日は、楽しかった。敦子の内なる「チャイルド」が喜び、正しい道を歩いていると実感できたのだ。それなのに。

 大体、敦子の夫、彰は病院に面会にも来なかった。警察から連絡が行き、事情聴取もされているはずなのにだ。つまりはそういうことなのだ。

 一旦、帰っては来たものの、敦子はすぐにまた家を出るつもりだ。退職金の通帳は自分が持っているし、このままどこか知らない土地に行くのも悪くはない。少なくとも、あの男と子どもを作り、暮らすなんてこと――

 エレベーターを降り、玄関へと向かう。自宅の前の外廊下に、猫の死骸が落ちていた。

 ――ああ、また落ちてるな

 敦子はそんな風に感じながら、ドアの鍵を開け、家の中に入った。

 なにも言わず、靴を脱いで玄関に上がる。開きっぱなしになっている襖から居間を覗くが、そこに夫の姿はない。テーブルの上に、サリンジャーの文庫本が伏せて置いてあった。

 敦子はそのまま、夫の部屋の方へと行く。

「……彰?」

 開け放しのドアから中を見ると、PCデスクの前の椅子をこちらに向けて座っている彰の姿があった。

「お帰り。待ってたよ」

 彰が声をかけた。いつになく優しい声だった。

「……本当に、ずっと待ってたんだ。今、そこにいる君のことをね」

「……彰?」

 彰は真っすぐに敦子を見つめていた。これまでのように、どこか別の誰かを見るような目ではない。出会ったばかりの頃のような――真に心が繋がっていたと感じられた頃のような、目に見えない絆をその目で見ているような目だ。

「巡礼の旅はどうだった?」

「巡礼……?」

 彰に見つめられて、敦子はお腹の奥が熱くなるのを感じた。これは――「チャイルド」?

「必要なことだったんだ。これは君のため、そして僕らのためだったんだよ」

 彰の言うことはよく理解できなかったが、不思議と敦子は不安を感じなかった。ゆっくりと、夫の下へ近づいていく。

 ふと、PCの画面が目に入った。それは動画サイトの――管理者画面?

 そのとき、敦子は気が付いた。

 その画面に表示された動画投稿用のアカウントは「スミスの隣人」。

「……こっちを見ろ」

 彰が言った。敦子は思わず、夫の顔を見る。

「目を逸らすなよ……俺はここにいるぞ」

 ああ――敦子は思わず、息を漏らした。ようやく、出会えた。自分がかつて、恋焦がれた男の顔に。

 それは、片目の悪魔の顔――ボーイスカウトのキャンプで見た、あの死体の顔。敦子の初恋の相手だった。

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