――4.来訪者

 三人目の登壇者の発表が終わり、会場は拍手に包まれた。登壇者は満足気な顔で手をあげ、それに応える。

「あの人、入会から最速でゴールド会員になったんだよ。さすが、見ごたえあったなあ」

 隣に座った男が敦子に言った。敦子は頷く。確かに、SNSサービスから取得したデータを分析し、人と人との繋がりを可視化して会員獲得に繋げていくやり方には納得感があった。しかし――

 次の登壇者が壇上に現れた。メガネをかけた痩せぎすの男だ。

「……ブラック企業で心身をすり減らしていた私を、チャイルドが救ってくれました」

 男はマイクを持ち、プレゼンテーションを始める。スクリーンにパワーポイントの画面が映し出された。

「鬱になり、仕事もドロップアウト、そんな不完全な自分を受け容れることからすべてが始まったんです。そして、完全なこの世界の中で、私は自らの役割を待ちながら……」

 敦子は話を聞きながら、心の中に沸き上がるなにかを紐解いていた。なにか、おかしい。プレゼンテーションはしっかりしたものだし、発表者の話にも説得力がある。しかし――

「さあ、新たな世界に『チャイルド』を捧げましょう」

 そう、これだ。どの登壇者も必ず、このフレーズを口にするのだ。

(チャイルドって、捧げるものなんだっけ)

 平良木に訊きたかったが、彼はこのあとの登壇のため、離れたところに座っている。首を伸ばして見てみると、平良木と目があった。小さく手を振られ、敦子も振り返す。そのまま首を巡らせると、壇のすぐ横には愛河が座っていた。熱心な目で登壇者の発表を見ているが、その居住まいはどうも、悲壮さというか、儀式に臨む僧侶のような雰囲気を感じさせた。

 そうだ――もうひとつの違和感がこれだった。登壇者の語る声は熱を帯びているというより、むしろ熱を抑え正確な手順を踏みながら、会場の空気の中に浸透しようとしているかのようだ。熱狂するというよりも、半覚醒の夢遊トランス状態に持っていかれるような陶酔感に、その場は包まれていた。それこそ、まるでなにかの儀式が行われているような――

 二人目の登壇者が発表を終え、拍手が起こった。敦子は自分も拍手をしながら、平良木の方を見た。平良木は敦子を見て、少し悲しそうな顔をした。


 * * *

 なぜか京平が隠し場所を知っている九岡の車の鍵を、勝手に拝借してレイと京平は乗り込み、会場のリゾートホテルへと向かっていた。深紅のプジョーは高速道路に乗り、海を脇に見ながら走る。既に暗くなりかけた夜空を雨雲が覆い、雨粒がフロントグラスの上に落ちてきていた。

「……どうして」

 ハンドルを握るレイが呟くように言う。

「どうして敦子さんなの?」

 京平は助手席で黙っていた。レイは口をもごもごと動かす。どうにも釈然としないのだ。

「敦子さんだけじゃない、アスカさんも……それに、あの川原って女の子も。その悪魔が彼女たちに働きかけ、『死』を生み出すのだとすれば、どうしてその人たちが選ばれたの?」

「……降りかかる現象にすべて理由がある、なんていうのは人間の傲慢な理屈だ」

 京平は前方を見たまま言った。

「たまたま出かけた先で雨に降られるようなものさ。だけど人間は古代から、そういう理不尽になんとか理由をつけてきた」

 レイは黙っていたが、京平の言うことはわかる。そうやって「物語」を見出し、理不尽で残酷な運命を受け容れようとする心性こそが、伝説や神話、宗教――最近なら自己啓発セミナーやスピリチュアルビジネスを生み出してきた。それは、世界が、他者が、運命が、いつかきっと自分に寄り添ってくれるという淡い期待だ。

「……悪魔ってのは、そういう期待に付け込んでくるものなのさ」

 人の欲望や、なにかへの執着、そして脅迫観念――それによって歪んだ物語が語られた結果、人の人生が左右される。それを見るのは辛い。

 レイがそう言うと、京平は笑った。

「その辺は見解の相違かもしれない」

「……どういうこと?」

「そういう歪んだ物語こそが、人間の営みだからだ」

 レイは横目で京平の顔を見た。その薄い色の目が冷たく乾いているような気がした。

「人は他者との間に物語を見出し、社会を営んでいく。誰かの主観に晒されている限り、ありのままの人間なんて存在しない。誰もが歪みながら、人生をやっているんんだ」

 レイは生唾を呑み込んだ。

「一体、誰がその歪みを作りだしているのか? 誰もが盲目的に、自分よりも大きな意志に従いながら、その意志の存在を理解していない。太古の昔から、人と人との狭間でその物語を歪めてきた存在……それこそが『悪魔』だ。その存在を明らかにすることだけが『ジャボー』の望みだ」

 ジャボーは京平の脳が作りだした存在のはずだ。それは恐らく、京平自身もわかっている。だとすれば、ジャボーのその思想はきっと、京平自身が自分の心を切り離し、自己の中で相対化したものなのではないか。

 特殊な感覚で世界を見る――超越知覚ハイパーセプションのような能力を持って生まれた京平が、どのような世界認識を持っているのか、どのような孤独を抱えているのか、レイには想像がつかない。しかし、ジャボーという存在、そしてその「契約」というのは、京平が世界の中に自身を位置づけるため、作り出した「物語」なのではないか――

「……京平くんは」

 レイは口を開いた。雨粒が屋根に当たる音をかき分けるように、言葉を紡ぐ。

「敦子さんが助からない方がいい?」

「そうは思ってないよ」

 京平は背もたれに深く身を埋めた。

 レイは前方に目を戻した。目的の出口がすぐ先に迫っていた。


 * * *

「それでは、本日最後のプレゼンテーションです」

 司会の女が、まるで神父のような口調で言った。

「ゴールド会員の中でも最古参メンバー。愛河先生とは旧知の仲でもあります、平良木隆文さんです。拍手でお迎えください」

 会場を包む拍手に迎えられて、平良木がステージの上に姿を現した。立ち止まり、礼をしてマイクを手に取る。

「……本日、この大役を仰せつかったことを、なにより嬉しく思います」

 平良木はいつになく厳粛な調子で話し出した。

「人にはそれぞれ、役目があるといいます。大きな流れの中で、その運命を全うすることでこそ、この不安定な世の中に生まれた意味がある。私は『チャイルド』からそう学びました」

 先ほどまでの登壇者と違い、スクリーンにはなにも映らない。代わりに、壇上に幅の長いトランクのようなものが置かれていた。

「私たちの世界が完全さを保つためには、来訪者が必要です。新たな世界から訪れてくる誰かがいなければ、この小さな世界はすぐ争いにまみれてしまうでしょう。そしてそれが、引いてはこの大きな世界の完全性を担保するものであることを、我々は知っています」

 平良木はそこで敦子を見た。敦子は会場の雰囲気に呑まれ、平良木に見入っていた。

 ゆっくりと、平良木が頷く。敦子は立ち上がった。それがあるべき姿だと、理解していたからだ。

「名もなき来訪者によって、私たちは完成し、次のステージへと向かうことが出来るのです」

 そう言って、平良木はトランクを開き、中からなにかを取り出した。それは幅広の刃を持った、一振りの大きな斧だった。


 * * *

 ブレーキ音を立てて、深紅のプジョーがホテルの前に着いた。レイと京平はドアを開けて車を飛び降り、エントランスへと駆け込む。フロントに立っていたスタッフがそれを見て、レイたちの前に立ちふさがった。

「本日の予約はもう一杯です。お引き取りください」

 冷たい表情でそう言う係員に、京平は無表情で尋ねる。

「愛河会のセミナーは?」

「関係者以外、立ち入り禁止です」

「……中でなにが行われてるか、わかってるの?」

「お引き取りください」

 取りつく島もない様子に、レイは鼻白む。他のスタッフもやってきて、レイと京平を取り囲んだ。

「京平くん、あれ……」

 レイが指し示した先には、「メイン会場」の文字と矢印が書かれた張り紙がされていた。ロビーを入った奥、その先の扉へと矢印は向いている。京平が頷いた。

「お聞き入れいただけないようですね……」

 そう言って、スタッフの男が手をあげ、迫る。レイの肩を掴み、そのまま力づくで――

「……ふんっ!」

 次の瞬間、レイの身体が鋭く回転した。男の身体が浮き上がるように躍動し、背中側に倒れる。合気道でいう四方投げ――いつの間にか投げ飛ばされた男は呆気に取られ、天井を見つめていた。

「今のうちに!」

 他のスタッフも呆気に取られている隙に、京平とレイはその場を駆け出した。反応が遅れたスタッフたちを置いて、ホールのドアに辿り着く。京平がその取っ手を掴み、大きく開け放して中へと駆け込んだ。


 会場に集まった二十人ほどの男女が、一斉に振り向いた。百人余りも入れそうな広い会場の、中央辺りに集まるようにしてパイプ椅子が並べられ、そこに人々が集まる。その真ん中には一段高いステージが設えられており、その上に女が立っていた。

「敦子さん!」

 女が、振り向いた。その手に大きなナイフを持っている。

 レイが後から駆け込んできた。京平とレイはステージへと近寄る。先ほどとは違い、虚ろな目をした人々はそれを邪魔しようとせず、ただ状況を見守っていた。

 ステージの上には、もうひとりの人間がいた。坊主頭の、大きな目をした男――その身体はステージに倒れ込み、そしてその片足が膝の下からなくなって、辺りは夥しい血に濡れていた。傍らにはまさかりと呼んだ方がいいような、幅広の大きな斧が落ちていた。

「レイ……さん?」

 ぼうっとしている敦子の口が動き、言葉を紡ぐ。レイは敦子に近づき、手に持ったナイフを取り上げた。

「まさか……敦子さんがこれを?」

 倒れている男――平良木を見下ろしながら、レイは呟く。

「いや……」

 京平が後ろから言った。

「違う。自分でやったんだ」

「…………!」

 敦子がその場にへたり込んだ。レイは男の顔を見る――片目はまだ無事だった。間一髪、間にあったのか、どうなのか――

 レイたちを追いかけてきたスタッフたちが、近寄って来た。だが、その場に立ったまま特に手を出してはこない。

「……救急車を呼ぼう、まだ生きてる」

 京平が言った。レイが京平の顔を見ると、その目はただ冷たく、平良木を見下ろしていた。その口がわずかに動くのを、レイは見た。

「悪魔が、いた……」

 そう呟く京平が、わずかに笑ったように見えた。

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