――3.再コンパイル

 京平はジャボーと向き合い、立っていた。紅く燃えるようなジャボーの目と、薄い紅茶のような京平の目が交錯し、お互いの思念がぶつかり合う。

『少々、入れ込んでいるようだな、少年』

「……そうかい?」

 京平が答えると、ジャボーは顎の先を指で撫でる。

『あの女が気に入ったのか?』

 京平はなにも言わなかった。ジャボーは口を歪ませ、笑う。

『欲は力、衝動は意志。求めたければ求めるがよい』

「……そんなんじゃないよ」

 京平はため息でジャボーに応じる。

『だが、忘れるなよ、少年。お前は我と契約したのだ。それがどういう意味か』

「…………」

 京平が黙っていると、ジャボーはまた笑った。おかしくて仕方ないといった風だ。

『お前は世界から自分を切り離すことで、世界を彩る力学をその目にしているのだ。それがお前と我との契約。人との関わりなど、求めれば不幸になるだけよ』

「……わかってるさ」

 それは確かに、京平がジャボーと交わした契約――その存在を世界に受け容れたことで、京平が背負った枷だ。生まれ持った力――レイが超越知覚ハイパーセプションと呼ぶその力を、行使するために捧げた、それは代償だった。

 京平は顔をあげ、周囲を見た。閑静な住宅街の中に、ぽつんと取り残されたような緑地。斜めに交錯する坂道が結界のように作り出す三角形の中に、京平は立っていた。

「京平くん」

 背後から声をかけられ、京平は振り返る。レイが緑地に歩いて入ってきたところだった。

「……メッセージ見たよ、レイ。ありがとう」

 京平が言うとレイは頷いた。

「平良木って……パーティのときに京平くんが話してた男ね」

「そうだ。あのパーティの重心・・はあいつで正解だったな」

 京平はレイの送って来たメッセージを思い出す。平良木隆文――「ヒノカミ講」の指導者であった平良木隆史の孫。そして、前身である学生のボランティアサークルから、ずっと愛河会に身を置いている古参メンバー。

「……ある集団において、文化を形作るのは誰か?」

 不意に京平は言った。

「……その集団のリーダー?」

 レイの答えに、京平は首を振る。

「リーダーだって、集団の作る大きな流れには逆らえないんだ。言い方を変えれば、逆らうヤツはリーダーになれない。ある流れに一番うまく乗った奴こそがリーダーと呼ばれるんだよ」

 そして京平は、「ならば」と付け加える。

「……その流れとは、なにか?」

 レイは黙っていた。京平はゆっくりと振り返る。

「この世界システムの中で人間たちの間に漂い、目に見える世界のバックグラウンドで物事を操作している処理機構プロセス――組織の構成員がその中で行動を決定するための目に見えない仕様プロトコル。そいつのことを『超自然力学デーモン』っていうんだ」

「デーモン……?」

 京平は頷く。

「そして時にそれは悪魔デーモンとなって、人間に牙を剥く。悪魔にそそのかされた人間は、自らの頭で考えることをやめる。集団内の流れに従って簡単にその手を汚し、命を奪う」

 恐らく、その仕様プロトコルの基礎部分を作り出したのは、祖父の思想を受け継いだ平良木や、その仲間の愛河たちなのだろう。しかし、そこに合流した他のメンバーたちがそれに影響され、相互に影響しあい、閉じた集団の中で極度に先鋭化した仕様プロトコル典礼プロトコルと化し、集団を支配した。それはいわば、召喚の儀式だ――降臨した悪魔デーモンの意志に、平良木や愛河でさえ知らずうちに飲み込まれた。

 京平はまた、元の場所に目を戻す。その視線の先に、遺体が横たわっていた木の根元があった。そこに沸き立つようにして揺らめく「色」を、京平は今や、鮮明に認識している。

「……俺はかつて、ジャボーと契約した。力の代償として、他の悪魔を見つけ出すこと……その存在に形を与え、この目であきらかにすること」

 少し離れたところに立ち、レイは黙って京平を見守っている。

 京平が生まれ持っていたこの力――自分の世界の見え方が、他の子どもとは違うということに、気がついたのはいつだっただろうか。親にも、他の大人にも、京平の感覚は理解されなかった。子ども特有の妄想だと思われ、笑われ、時には「遊びに付き合って」話を合わす大人もいた。そのことが、京平をより孤独にしていった。

 小学校に上がるころには、もはや京平は他の人間との相互理解を諦めていた。自分にだけ見えるもの、理解できるものがある以上、自分の世界は他人と交差することはない。自分は自分の見える世界を通して、社会と関わっていくより他にはないのだ。表面的な社会性をいくら身につけたところで、世界に対する仕様プロトコルを他者と共有しない京平は、どこへ行っても来訪者だった。自分の意思でなく、他者と共有する典礼プロトコルによって行動する他の人間たち――それが不思議でならなかったし、見下すと同時に羨ましくもあった。

 京平が脳内の「ジャボー」と契約したのは、そんな自分が世界との繋がりを保つために必要なことだったのだろう。そして、典礼プロトコルによって世界を支配する悪魔デーモンの意志を見つけ出すことを使命として自らに課すことになったのだ。

 ジャボーはその長い爪で顎を掻きながら、裂けた口の端に笑みを浮かべていた。

情報リソースは充分……役目を果たすとしようか、少年』

 京平は息を吸い、両腕を軽く広げた。ジャボーがその身体に重なり、その視界がジャボーの目となる。そして世界が、その様を変える――

 視界を彩る様々な色がその意味を変え、さらに別の次元が展開される。世界がその薄皮を剥がされ、その裏を見せる――

 ジャボーが頭の中で問いかける声が聞こえた。

『この悪魔はどこにいる?』

 京平は記憶野ライブラリをジャボーに関連付けリンクする。

「こいつはずっと、この世界に存在していた」

『いかにして存在していたか』

「形を変え、幾度もその姿を現し、人が依り代となって、それを伝えて来た」

 ヒノカミ講から、大紋道へ、そして愛河会へ。恐らく「スミスの隣人」へも。また恐らく、それ以前の時代から。神話として、伝承として、事件として。人と人との間のうつろに、それはその身を宿してきたのだ。

 ――こっちを見ろ

 京平の視線の先に、なにかが現れた。木の根元から「色」が立ち上り、形を成す。

 ――俺はここにいるぞ

 そいつは片方の目で京平を、ジャボーを見る。もう片方の目は、果てしなく闇の底へと沈む。三本の脚のひとつで立ち、こちらへ向かう。

「……同じ人間が、何度も殺された」

 京平は呟いた。もしも、そんなことが事実、あったとしたら――

「……ならば、お前は被害者ではない・・・・・・・

 加害者が被害者に働きかけ、「死」が生まれるのが「殺人」のはずだ。同じ人間が何度も死んでいるのだとすれば――答えはひとつ。死んだ方が加害者で・・・・・・・・・殺した方が被害者だ・・・・・・・・・

 京平はその口を開き、言葉を紡ぐ。

「姿を現せ、悪魔」

 片足・片目の男の姿が、弾けた。

 無数の次元を持った世界の中に、それは広がる。過去へ、未来へ、人の心の奥底へと、記述された存在コードが露になる。人がそれを伝え、そこに身を委ね、そしてその記述に従い行動した、それは悪魔の力学だ。世界システムの中に、「死」という結果を生み出すための構造アーキテクチャ。自らを再生産する死という現象。何度も生まれ続ける死。

『汝、世界の排泄物よ』

 ジャボーの声が響く。

『人に取り憑き、自らを殺させる卑しきものよ。そなたが今、何処へその身を宿さんとするか』

 儀式は既に執り行われている。ならばきっと、次なる「死」は――

 片目の悪魔は笑った。


 世界がその彩を取り戻し、京平の視界が平べったい三次元空間を認識した。眩暈を感じて京平はその場にしゃがみ込む。

「……京平くん!」

 レイが駆け寄り、京平を助け起こした。

「だ、大丈夫!? えっと、近くの病院に……」

「いや、俺はいい。それよりも……」

 京平は立ち上がり、レイを見た。

「敦子さんに連絡とって。すぐに」


 * * *

 敦子は電話を切り、ホールに戻ってきた。平良木がそこへ声をかける。

「どうしたの? 旦那さん?」

「いいえ、知り合い……友だち、かな」

 電話はレイからだった。今どこにいるのか、と聞かれ、合宿に来ているとは答えたが。

「なんか変に焦ってて、すぐに会えないかって言うの。無理に決まってるのに」

 平良木は笑った。

「ここまで来てもらったら? 敦子の友だちなら歓迎するよ」

 いつの間にか平良木は敦子を呼び捨てにしている。それには気が付いていたが、それもまた心地よいと敦子には思えた。

「でもたぶん……あの人はこういう集まり、苦手かも」

 敦子はレイの顔を思い浮かべる。周りに流されるのを良しとしないあの性格――それを以前は羨ましいとも思っていたけれど、今にして思えば愚かだとも思う。きっと彼女は、大きな流れに乗り未来に向かう勇気がなかったのだ。

 敦子はホールに集まる「愛河会」の会員たちを見た。昨夜のディスカッションも楽しかった――時代の変化、その中で自分がやるべきこと、人との絆、他者への貢献。

 この思想を他の人にも広めるのは「良いこと」だ。その対価としてお金を貰えば、自分も幸せになれる。自己犠牲ではない、ウィンウィンの関係。持続可能性の再生さんこそが未来を創る、という思想。

 会員たちは皆で力を合わせ、次の催しの準備をしている。お互いに笑い合いながら、誰一人サボるようなこともなく、皆がきびきびと動いていた。

「……仲いいよね、みんな」

 敦子は平良木に言ってみた。

「こういう集まりだと、どうしてもはみ出したり、和を乱す人が出るでしょう?」

「まあ、みんな元々はみ出してきた人たちだからねえ」

 そう言って平良木は笑う。

「……それに、僕らが目指すのは全人類がひとつになることだから。理想論だって思うかもしれないけど、本気で目指してるよ。そのためには、これくらいの集団で誰かを排除するなんてあっちゃいけないし、外に敵を作って内部の結束を固める、なんてのもやりたくないんだ」

 平良木は敦子の目を見た。

「古代の村社会でも来訪者は大切にされた。閉鎖的なイメージがあるけど、それは実は近代になり、村だけで生活が完結するようになったからなんだ。それ以前はむしろ、来訪者が訪れることで村の生活サイクルは保たれていた」

「なるほど」

「君みたいにゲストを呼ぶのもそのためだ。来訪者を受け容れることで、常に俺たちは前進することができるんだ」

 敦子は大きく頷いた。先ほどのディスカッションでも似たような話を皆が語っていた。ここの人たちは全員が、「世界の全人類が平和で幸福になる方法」を本気で考えているのだ。しかもそれを皆が実践している。

 平良木に促され、敦子も作業に加わる。今夜の大プレゼンテーション大会が楽しみだった。


 * * *

「……ダメだ、敦子さん今、遠出してるって」

 レイがスマートフォンを耳から離して言った。

「遠出……?」

 京平は訝しむ。レイは頷いた。

「なんか、合宿だとか言ってたけど」

「合宿って」

 京平がレイを促すと、レイは「あ」と声をあげ、ポケットから名刺サイズのカードの束を取り出した。

「……あった、これだ」

 レイはその中から一枚を抜き出し、覗き込む。そこには「愛河会・スーパー合宿セミナー」とあった。

「……日程は?」

「今、まさにやってる」

 頷きながらも、京平の視界はそのカードに浮かぶ濃い「色」を認識していた。あのとき平良木はなんと言っていただろう――

『世界の外から来たものを、受け入れることで世界は前に進んできた……であったか?』

 ジャボーが記憶野ライブラリからそれを掬いあげる。

 アスカは愛河会に部外者として来訪し、「スミス」を殺した。

 川原充瑠は大紋道のビルを訪れ、そこで「スミス」を殺した。

 だとすれば――

「……レイさん、車運転できる?」

「え? あ、うん」

「すぐに行こう。車は九岡さんのを借りる。急がないと……」

 京平の隣に立つジャボーがニヤニヤと顎を撫でた。

『手遅れになるかもしれない、か?』

「ジャボー、お前は黙ってろ」

『なに、我としては獲物にありつければそれでいいのでな』

 京平は頭の中に響くジャボーの声を無視し、レイを急かして歩き出した。

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