――2.くだん

「まさか君が来ると思ってなかったからな」

 研究室の机を借りて本を積み重ねるレイの前に、コーヒーのカップを置いて山本が言った。

「インスタントしかないけど」

「ありがとうございます、先生」

 そう答えながらも、レイの視線は本に落ちたままだった。山本は苦笑し、自分の分のコーヒーを持って応接用のソファーに座った。どすん、と音がして、その豊かな腹の肉が震える。

「それで、今回はどんな都市伝説を追ってるわけだ?」

「んー……っと」

 レイは本から顔を上げ、山本の方を振り返る。

「『くだん』ってわかります?」

「ああ、あれだろ。『アマビコ』の仲間だろ。ちょっと前に流行った……あっちはアマビエだったか」

「そう、そのアマビコ」

 山本はコーヒーを啜って言った。レイは頷き、言葉を返す。

「あれが三本足になったのって、いつ頃なんでしょうね?」

「あれ、元々は中国の妖怪だろう? 三才図会の白澤はくたくっていう……」

「そうなんだけど」

 レイは少し考え込んだ。

「片脚の欠損っていうのは、世界的にも鍛冶神の特徴として語られていて……ふいごを踏み続けて片足が萎える、製鉄民族の職業病がその由来だとも言われていて」

「それがアマビコにまで繋がると?」

「うーん……」

 レイはアスカが殺したという神泉の遺体のことを考えていた。片目が抉られ、片足が切られた遺体。切られた片足の先は結局、見つからなかったのだという。そしてそれは駒込の事件でも同様だった。

 どうして京平は今さら、こんなことを調べるように言ったのか。それはつまり――レイは広げていた民俗学の本に目を落とした。

「……人体の欠損は神に近づくものとする風習が日本にはあった。それは神格化された製鉄民族の姿だとも言われている」

 片足だけではない。「片目」というのもまた、鍛冶神の特徴だ。それは、長年炎の色を片目で見続けるため、片方を失明するという製鉄民の職業病が反映されたものだとする説がある。

 レイはコーヒーをひと口飲み、口を湿らせた。

「日本神話の鍛冶の神、天目一箇神と同一視される金屋子神は穢れを好み、タタラ場に動物の死骸を吊るすと喜ぶ、だとか、村下むらげの死体が神体として扱われた、とか……とかく日本の鍛冶神って物騒というか、死に近いんですよね。もしそれが『アマビコ』に繋がるものなのだとしたら、予言を告げてすぐ死ぬっていう『くだん』の伝承も、ここから起こったものかもしれない」

「面白いな」

 山本は白髪交じりの頭をぼりぼりと掻いた。

「柳田國男の仮説、知ってるかい? 『ひとつ目小僧』の話だ」

 もちろん、レイもその話は知っていた。民俗学の中で語られる、極めて不穏な話のひとつだ。

 「ひとつ目」というのは此の世ではなく、神の領域にあることの証。そのため古来より、神に捧げる魚は片目を潰す風習があったり、神域の池に棲む魚はみな片目であるとする言い伝えもある。

 そして柳田はその風習について、実は人間にまで及んでいたのではないか、と論じる。つまり、元々は神に捧げる贄として人を殺す風習があり、贄に選ばれた人間が逃げられないようにその片目を潰し、片足を折っておいた、というのだ。

 贄に捧げられるのは名誉なことであり、贄となった人間は神に近づくと考えられていた。そのため、片足、片目は神の姿に近いものとされるようになった――というのが、その論旨である。

「……でもそれって、柳田本人も胡乱な話だって認めてるでしょう?」

「まあそうだ。だけど観点としては面白いじゃないか?」

 山本はコーヒーを啜り、言葉を継ぐ。

「そもそも鍛冶神に限らず、ひとつ目の神は世界中にいる。二つ目に比べれば一種の身体障碍であるそれがなぜ、信仰の対象となったのか?」

 山本はまるで講義をするときのような口調になった。

「ひとつの見方としては、そうした障碍者など、身体的に劣った者を社会に受け入れるためだったのではないか、ということだな。彼らに生産とは異なる役割を与えることで、文明の多様性を担保したわけだ。可能性を多く残すことは、人類の進化における重要な生存戦略のひとつだからな」

「なるほど……」

「だからなのだろう。不具者は現世と神界を繋ぐ媒介と見られて来た歴史がある。単一な価値の連続する時空の中に、不連続な存在を持ち込んで『変化』をもたらし、可能性を担保する……だから、文明を展開させ得る製鉄技術の神にそれが仮託された、と見ることもできる」

「それはわかる」

「それだけではないぞ」

 山本はカップを置き、身を乗り出した。

「外界からもたらされた変化は、共同体の秩序として再構成される必要がある。そのために必要とされたのが贄だ。異邦人殺しの伝承などを見れば、外から来た旅人を殺し、その富を奪ったというその土地の長者が、結果的に『穢れ』を引き受ける形で共同体の秩序を回復させたということが見て取れる」

「……というと?」

「基本的に、人は変化を嫌がる。だが、外からもたらされた文明に適応しなければ生きてはいけない。だから誰かに貧乏くじを引かせ、『あいつのせいで仕方なく変化した』という物語を作るのさ。私に言わせれば、その『くだん』というのも、災いを伴う社会の変化を受け容れるためのこうした『穢れ』ではないかと思えるね」

「うーん……」

 学生時代にも聞かされた山本の持論であり、レイもまた似た考え方を持っていた。口裂け女や人面犬、花子さんのような都市伝説だって、清潔な物質社会が発展していく中で後ろめたさを抱えた人々が「穢れ」を仮託したのではないか。

「……おっと、そろそろ行かないと」

 山本が気だるそうに腰を上げた。レイは声をかける。

「出かけるんです?」

「教授会だ。いいよ、君はここにいて」

「そうします」

 山本は頭を掻きながら自分のコーヒーカップを片づけ、部屋を出ようとしてそこで少し立ち止まり、もじもじとし始めた。

「あー、その、なんだ」

 咳ばらいをひとつして、山本はレイに声をかける。

「響谷はもう大学には戻らないの? ここじゃなくても、別のところでも……」

「……今のところは、まだ」

「勿体ないよ、君ほどの人がさ」

「ありがとうございます。そのうち考えるかもしれません」

 山本は手を振って、部屋を出て行った。

「教授会、か……」

 レイはため息をつき、部屋を見渡した。山本はレイが博士課程にいたころ、まだ准教授だった。一見ぱっとしなかったはずが、いつの間にか教授になり、個室まで与えられている。それが羨ましいと思わないでもない。だが、古い慣習が根強く残る大学の研究室という世界において、レイに居場所はなかったのだ。このがらんとした教授室にとって、レイはただの来訪者でしかない。もちろん、それは自分の問題だ、と言われればそれまでだが。

 まあ、いい――レイは気を取り直してまた本に向かった。山本にコネができ、こうして文献を参照しに来れるだけでも、あの時間に意味があったと思いたい。

 レイはインターネット上で論文を検索しながらその出典を遡り、研究室の中の書棚を何度も往復した。

 山本は民俗学関連の文献を数多く所持し、また調査記録なども独自にまとめている。その中から記述を探し、その出典を追っていく。地道な作業ではあるが、元々研究者だったレイにとってそれは楽しい時間でもあった。とはいえ、悠長に楽しんでいる場合でもないのだが――

 と、レイはあることに気が付いた。

「……もしかして、これも?」

 メモをしていたノートの記述と、PCのディスプレイとを見比べる。メモを見返し、何件か前のものを調べ直す。

「やっぱり、これもだ……」

 レイは呟いた。先ほどまで、それぞれの伝説が語られた原典がどこかを辿り、まとめていたのだが――その途中・・の方に、レイは気が付いた。

 原典の方は江戸時代に残されたものや、明治時代の新聞・雑誌の記述、またはフィールドワークによる聞き取りを記録したもの。そのほとんどが、複数の文献で引用・紹介されている。しかし、中には出所の怪しい伝承もあった。それら、出所の怪しいものを蒐集した文献に、たびたび登場する名前が――

「……火之上ひのかみ書房……?」

 聞き覚えのある名前に、レイの思考がつまずく。ヒノカミ――そうだ、それは確か昨日聞いた名だ。

 PCに向かい、火之上書房について検索するが、ホームページが出てくるわけもない。図書館情報データベースにアクセスして出版情報をあたると、どうやらそうした話を蒐集し、編纂することを専門に手掛けていたようだ。戦後すぐからの一時期だけ、活動していた様子が見て取れる。

「……よお、悪い悪い」

 後ろからかけられたのんびりとした声に、レイは振り返る。

「そこの書類が必要だったんだ。取ってくれないか」

 そこには、出かけたはずの山本が頭を掻きながら立っていた。

「山本先生! これ……これ知ってます?」

 レイは山本の言うことに構わず声をあげた。

「ん? これってどれ?」

「この、火之上書房っていう……」

 山本はPCの画面をのぞき込み、ああ、と頷く。

「ここな、宗教系の出版社だよ」

「宗教系……?」

「確か、関西の方の……ヒノカミ講っていう団体が母体になってるんだ。変な拾遺話集を編纂してて面白いんだが、偽書もかなり混じっててな……どうも思想色が強いんだな」

 そう言って山本は、本棚の裏に回った。

「たしか、この辺に……ああ、あったあった」

 山本は一冊の薄い古書を取り出し、レイに見せる。レイはそれを受け取り、ページをめくった。「くだん」や「アマビコ」について、他の文献でもお馴染みの記述が多数現れる。恐らく、これは同じ史料を参照したものだろう。だが、そのほかにも様々な伝承が掲載されており、そのどれもが、「ひとつ目」、「片足、または三本足」の存在が「死ぬ」というものだ。それらの話の出典はかなり怪しい。

 ヒノカミ講――そう、それは宗教結社・大紋道の母体となったグループだ。そこが版元となり、出した本。なるほど、それは確かに、大紋道の教義に通じる内容であり――そして、「殺されスミス」の都市伝説そのままの内容だった。あとの方にはキリストの記述まで載っている。

 レイは本をひっくり返し、奥付を見た。そこに記載されている名前が目に入る。

 発行者:平良木隆史

「……平良木……?」

 レイの記憶に、その名前が引っ掛かった。


 * * *

「会場のリゾートホテルは俺が選んだんだ。前に企業研修のお手伝いをさせてもらったときに知った場所でね。そこの社長さんも愛河先生のファンなんだよ」

 隣のシートに座った平良木の話を、敦子は頷きながら聞いていた。二十人ほどを乗せたマイクロバスは高速道路に乗り、海を横目に走っている。車内では愛河会の会員たち――それも、ゴールド会員以上という一握りの優良メンバーたちが、和やかに談笑していた。

 平良木から聞いた話では、ゴールド会員になるためには情報商材の販売や新規会員の勧誘で一定額の実績をあげることのほかに、口頭諮問などのテストに合格する必要があるのだという。

「でも、そういう人たちだから話すと絶対楽しいよ。例えばあの人なんか、あんなラフな格好なのに会社を3つ経営してて……」

 平良木の説明や近くの席の会員たちの話を聞いていると、敦子はまるで自分がそうした華やかな世界の一員になった気がしていた。


 ホテルに到着すると、会員たちはそれぞれ荷物を手にバスを降り、ロビーへと集まる。敦子もまた、自分の荷物を持って平良木と共にホテルに入った。自然に囲まれた場所に広々と面積の取られた、コンベンションホールや会議室も備えた宿だ。

「このあと、早速セミナーがあるんだ。そのあとはレクリエーションもある。参加は自由だけどね。夜の食事もなかなかだよ」

 バッグを担いだ平良木が言う。

「だけどなんと言っても、本番は二日目の夜だ。参加会員がそれぞれ、自分の活動についてプレゼンテーションをするんだけど、これが毎年すごくてさ。人生変わるからマジで楽しみにしてて」

 そして平良木はその後に、「俺もプレゼンするから」と付け加え、笑った。


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