彼女の為にイヂワルから魔王へとクラスアップしたお話
不貞腐れた恐竜
第1話
水上桃花は、気さくな女の子であった。
若干17歳にして、某有名プロダクションからアイドルとしてスカウトされるほどの美貌を持っている。
だが、彼女はそれを断固として拒否した。
「気さく」の通り何事にも縛られるのが嫌いだからだ。
彼女の周りには、常に彼女の友人が集まっている。
休みの時間になると、その塊が動き出すのである。廊下で行き交う人を虫、彼女を砂糖に見立てて、肘をつきながら、ぼんやりと眺めていた。
僕はその輪に入る事はなく、只々、傍観者としてそこにいた。
僕は、そこまで孤独が好きではなかった。
ただ、彼女を見ていると、言葉に出来ない感情が心に渦を巻くからだ。
決して嫉妬や愛情なんかじゃない、何度もそれを示す言葉を辞書で引いたが、答えは出なかった。
ある日、いつもの様に部活の練習をしていた。日差しが身体を刺す。
水分補給のために、僕は日除の付いたベンチに座った。
なんだか落ち着かない、奇妙な視線を感じるのだ。
後ろを振り向くと、黒髪のロングヘアーで、制服姿の女子生徒がこちらを見ていた。
そう、水上桃花がうらめしそうにテニス部員達を眺めていたのだ。
そこで僕は、なけなしの勇気を出した。
「えーっと、水上桃花さん? 誰かに用事ある?」
「あ、いや、あのー、なんでもない!」
そう言って彼女は、開けた襖も閉めない速度でテニスコートを後にした。
だが僕は見逃さなかった、彼女の不自然な走り方を。
翌日僕は、新作のライトノベルを買うために近くの百貨店にある本屋を訪れていた。
「カバーはお付けしましょうか?」
「この本にだけお願いします」
学校でライトノベルは読まない。
周りの目を気にして損するタイプなのだ。
「1220円となります」
財布を見ると、千円も百円も数枚ある、だが十円だけがなかった。
(出る前に怠った罰だな)
千円一枚、百円三枚を出して勘定しようとする。
突如横から手が伸び、百円一枚を摘んだ後に十円玉が二枚、音を立てて置かれた。
横を見ると、水上桃花であった。
「えっと、ちょうどお預かりします」
ほんの少し誇らしげな顔で、僕の財布に百円を戻し、にへっと笑った。
ここはショッピングモールの空きスペースだ。自販機と椅子だけが残っている白い空間。その場所で本を読むこともしばしばあった。
ジュースを二本買い、椅子に座って待っている彼女に一本渡した。
「ありがと」
「水上さん、度胸あるんだね」
うにゅ? と変わった返事をしてこちらを見てきた。
「普通、他人の為にわざわざ二十円を置かないでしょ」
「他人じゃないよ、クラスメイト」
(う、覚えてくれたのか)
「な、なんかありがと...」
「良いって良いって〜」
彼女は、手に持ったペットボトルのキャップを開けようと踏ん張る。
「開けようか?」
「ごめ〜ん、なんか手がぬるぬるしちゃって〜」
「もしかして多汗症?」
「うーん、そうかも」
僕は難なく蓋を開けたが、多汗症である事は違う様だ。
蓋に湿り気は無い、ふと見えた彼女の手も湿っぽくは無い。
開けたジュースを彼女に渡し、一つ質問をした。いや、二つになるか。
「1人でここに来たの?」
「うん、抜け出して来ちゃった」
「抜け出したって、何を?」
「しがらみ、ってやつなのかな?」
「君に真面目に話す気が無いのは理解できたよ」
「アハハ、ごめんごめん、けど今は言えないんだ、クラスメイトの皆んなにも」
純粋に、気になった。
つまりは、彼女と親しい間柄の人がそのことを知っているという事だ。
「しりたい〜?」
歯を、い〜っとして顔を近づけてくる。
学校での綺麗な面影は無いが、気さくと言うこの場が彼女を体現していた。
「いいよ、僕は君と親しい間柄じゃ無いし、君は僕を詳しくは知らないでしょ?」
「異性で、クラスメイトで、名前と名字、好きな本も知ってるよ」
彼女はいつの間にか僕の本を奪って読んでいた。少しエッチなシーンのある小説。
ほんの少しドキリとしながらも、急いで本を返してもらおうと近付いた。
突然、彼女の手から本が落ちた。
それを逃さず、傷がつかない様にキャッチした。
何やらただ事じゃ無いのは理解できた。
落とし方に不自然さは感じれなかったからだ。
先程の事が気になった。
ペットボトルの蓋。
そして昨日の走り方。
すかさず彼女の手を握った。
彼女の手には、温もりはあるものの、全くと言っていいほど力が入っていない。
「お、だいた〜ん」
「もしかして、しがらみって」
「うん、私ALSっていう病気なんだ」
ALS:筋萎縮性側索硬化症
「次第にね、体が動かなくなるんだ」
心の奥底でショックを受けた。
だが、顔に出す事はなかった。
「•••、そっか」
彼女が驚き、叫んだ。
「え!? それだけ? もっと慰めないの!?」
「声が大きいよ...」
あ、と言って口を両手で塞いだ。
「どうせ、慰め慣れてるでしょ、こういう時の特別扱い程、惨めな事は無いって僕は心に思ってるから」
「なーんだ、てっきり親に報告されるかと思ったよ〜」
「そんな勇気、僕には無いよ、君の人生を束縛してまで君を思いたく無い」
「かっくいーねぇ〜」
戯けたその表情が下に回って来た、その美貌に思わず顔を赤らめた。
「こ、これが正解だと思ったからさ」
「じゃあ、このショッピングモール回ろうよ! その勇気はあるでしょ?」
「気の召すままにどうぞ」
やったぁ、と言って彼女は喜ぶ。
僕は彼女の目の前に立ち、手を差し伸べた。
「何? 君ってそんなに人を喜ばせるの得意なの?」
「これが正解だから」
椅子から立ち上がる事さえ、彼女には困難なのだ。
自分から手を繋いだものの、彼女に先導されるがまま店舗に向かった。
「どう? 可愛い?」
ピンク色の可愛らしいスニーカー。
彼女なら、何を着ても似合う気がするが。
身体が動かなくなる彼女が、スニーカーを買う、それだけで心が締められる。
「君は僕を困らせるのが得意なんだね」
「そう? それも才能かな? けど可愛い服だって私も着たいよ」
「着るな、なんて言ってないんだけど」
「君は私を喜ばせるのが得意なんだね」
にへっと笑って靴を履いた。
僕は、上手く乗せられたと思い、口を押さえて視線を逸らした。
「じゃーん!」
青のドレスにハイヒール。
私服が出て来ると思っていたが、何故かコスプレ大会が始まっている。
「もしかして今から、やりたかった事をするつもり?」
「悪い? いや君は拒まないだろうからこれを着てよ」
突き出されたのは黒のタキシード、彼女は擬似的な結婚式をするつもりだろう。
何も言えずに服を脱いで着替えた。
「おお〜! 君は何でも似合うね!」
「君には遠く及ばないよ、そのドレスも良く似合ってる」
「ありがと、ここで一枚」
パシャ、と音が鳴り彼女のスマホに思い出が保存された。
はしゃぎすぎじゃないか、と思ったその時に、彼女はバランスを崩した。
後ろから腕を差し伸べ、お姫様抱っこをする形になった。まだ首に力は入る様だ。
「独りよがりじゃなくて、僕も頼ってくれていいんだよ」
それを聞いて彼女は、微笑んだ。
「君も度胸があるね、みんな見てるよ」
周りを見ると、店員や客が目を丸くして2人を見ている。
それもそうだろう。
まるで新郎新婦の2人がイチャイチャしているのだ。
小恥ずかしくなり彼女を立たせた。
「ふへへ、君は弄りがいがありそうだ」
両手をわきわきさせて笑った。
2人で次の場所に行く途中、声をかけてくる存在がいた。
「おっ、桃花じゃん、何してんの〜?」
クラスメイトのギャルだ。
関わりといえばノートを集めるときぐらいか、あまり好きな人間では無い。
そのギャルが、2人が手を繋いでいる事に気付いた。
「あ、そう言うこと〜?」
その為に繋いでいる訳では無いのだが。
「そ! 彼氏だから」
僕が えっ? と反応しても、無理やり彼女は僕の腕に抱きついた。
「クラスメート君、桃花を泣かせたら怒るからね」
と、言って肩を叩き、すぎていった。
あの人はきっと桃花の事を知ら無いのだろう。
「もしかして冗談って思われたかな?」
「もしかしなくてもそうでしょ、って、何で僕が彼氏って事になってるの?」
「それも、もしかして冗談って思ってる?」
顔を赤くして答えた。
「願っても無いよ」
にへへと笑って歩みを進めた。
バン バン バンと銃声が鳴り響く。
「ちょっと! 左の敵は君が撃つって言ってたでしょ!?」
本来、このゲームを選んだのは彼女だ。
僕の体力は9割残っているが彼女は3割程度だ。
「ゲームが下手なんだね、画面の8割は僕がカバーしてるよ」
筋肉が弱くなっている事に、差し支えない様に言った。本を持つ事すらままならないのだ、引き金をずっと引けるほど、力は無いだろう。
「もー、イジワル」
足元のペダルを踏んでリロードをする。
「ほら、グレネード使って」
左手に銃を持ち換え、彼は彼女を右手で寄せ、抱きつく様に銃を2人で持った。
グレネードは使えたものの、彼女は顔を赤くしてそこから撃つのをやめた。
元々2人専用のゲームのため、幾ら彼が得意でも1人で攻略するのは無理だった。
すぐにやられてしまいコンテニュー画面が出される。
「あ、やられちゃったね、どうする?」
彼女は銃を抱きしめて黙る。
「どうしたの?」
突如動き出して財布から二百円、ゲーム機に入れた。
「もう一回!」
「え?」
画面が切り替わって先程の続きが始まった。勿論、グレネードも復活している。
「もう一回!」
「も、もう始まってるよ」
「もう一回!」
もう一度グレネードを使わせる様に、わざと体を寄せる。
「え、えぇ?」
彼は、熱中しすぎて気付いていなかった様だ。
フードコート
昼間とあって人が多い、なんとか場所をとって荷物を置いた。
「何がいい? 好きなのがあったら買ってくるよ」
その場所には、牛丼やうどん、ちゃんぽんやカレーに定食、飽きないほどの店舗が立ち並んでいる。
「皿うどん!」
その言葉を聞いて彼が席を立つ。
左腕に彼女が抱きついた。
「椅子を確保するって言う役目があるけど?」
「1人は嫌なの」
それは、僕にもよくわかる。
「分かったよ、じゃあ行こう」
椅子に置いていた荷物を持ち、2人で列に並んだ。
すぐさま、ほかの客がその椅子を占領した。
支払いを済ませ、彼女の分の皿うどんを持った。
あたりを見渡すと、人でごった返していた。
「まさか、一つも席が空いてないなんてね」
余っているのは、立ち食いのスペースだ。
椅子が無く台も高いため、彼女の為にはならない。
「わがままいってごめん〜」
「いいよ、食べれないってわけじゃ無いし」
彼はそのまま一つ余った椅子に手をかけた。
「すいません、この椅子使いますか?」
その台に座っている3人組に声をかけた。
見たところ3人のみで、あと一つの椅子は使わなさそうに見えたからだ。
「い、いえ」
「ありがとうございます」
彼は椅子を一つ取って、彼女を座らせた。
子供用のスペースに置いた事で、彼女でも程よい高さで皿うどんを置くことができた。
彼は、立ちながらちゃんぽんを食べ始めた。
「君と居ると心の底がゾワゾワするよ、いい意味で」
「君の身体に触らなければ幸いだよ」
皿うどんを食べ終えた後、彼女は薬を飲んだ。その事に触れず、僕は彼女と皿を戻しに行った。
「かわいい〜!」
彼女と2人でペットショップに向かった。
疲れて寝てしまっているゴールデンレトリバーを、ガラスに張り付く様に凝視する。
「ペットは飼ってないの?」
「うん、お父さんがネコアレルギーで、お母さんが犬アレルギー、私は何も持って無いんだけどね」
哀しそうな顔で言う、その表情を変えようと少し考えた。
確か、こうすればいいって聞いたな。
「犬と猫どっち派?」
「それを最初に答えるのは君だよ」
ばれてた、先の回答に、答えを合わせるはずだったんだけど。
「どちらかと言えば、猫かな」
「あ、それ私も、これ本意だよ!」
寝ていた犬が起き、彼女を見て近寄る。
「君が、生まれてきて1番美しいと思ったのは何?」
「う〜ん、桃の花かな」
「偉く自分に自信があるんだね。僕にとって、君は桃の花だ」
「なにそれ、キザだね〜」
「先祖代々伝わる口説き術かな、取り敢えず褒めとけって言われてるから」
「嘘、今考えたでしょ」
「ごめん」
「じゃあ君が生きてて美しいって思ったのは何?」
「青いドレスを着た君かな」
「私もそう思う、これ、先祖代々伝わる口説き術ね」
彼は少し考えてハッとした。
「きっと違う先祖かな」
「どうだろ〜?」
ランジェリーショップ
「ほらほら! 君も見てよこれ! 可愛くない〜?」
白い下着を持って、こちらに手を振ってくる。
周りの目が恥ずかしくて知らん振りをする。
「か、彼女さんですか?」
店員が大胆な彼女の行動に引いているようだ。
「まぁ、そうなりますね」
「お元気ですね」
「彼女、僕を困らせるのが好きみたいです」
「どうでしょう、側から見たら、貴方が好きみたいですが」
「そう、ですか」
彼女は支払いを終えて出てきた。
「見て見て! ほらこんなに可愛い...」
ゆっくりと袋から下着を取り出そうとするが、彼が勢いよくその手を押さえた。
「出さなくていいから」
「にへへ」
2人は歩き疲れて通路の椅子に座った。
「君のライン、クラスのグループから申請しておいたから追加お願い!」
「いいけど、君はこれから遊ぶ事を許されるの?」
「ダメなら抜け出すまで! 遊べるうちに遊んでおかなきゃ」
ごもっともだ、症状を緩和する為に家に引き籠るのなら、それを緩和とは言えないだろう。
「桃花!」
声のする方向を見ると、中年の女性がいた。
「あ、あ母さん、見つけるの早いねー」
「真美ちゃんに教えてもらったのよ、ほら早く病院に戻るわよ」
ゲームセンター前に会ったあのギャルか。
彼女の母は、僕に気付いて声をかけてきた。
「あらぁ、君が桃花の言ってた子ね、この子ったら」
「言ってた子?」
彼女が顔を赤くして母親を引っ張った。
「分かった分かったから! 車に乗るから早く、ね?」
彼女の母は「はいはい」と言って押されている。
「今日はありがとね! また遊べたら遊ぼう!」
「あ、うん」
彼女とその母は、そのまま人混みに紛れてあっという間に視界から消えた。
(前にテニスコートに来たのって、僕に近寄る為に来たのだろうか)
そう思うとなんだが恥ずかしくなった。
来週
彼女は学校に来ず、それを不思議に思ったクラスメイトたちが話し合っている。
(心配なのは分かるが、そこまで集まらなくてもいいだろう)
そのうちの1人、一昨日にあった真美と言うクラスメイトが近寄ってきた。
「あんた桃花が今日休んだ理由知らない? せんせーも知らないっぽくてさ」
「先生が知らないのなら、生徒間で話し合っても誰も答えなんて出せないよ、話が飛躍して損を受けるのは水上さんだと思うけど」
真美は怪訝そうな顔をしたが、それもそうかと言って輪の中に戻っていった。
「いやー、俺も狙ってんだけどなぁ、恋路は厳しいぜ」
その輪から、話し声が聞こえる。
「何言ってんだよお前、桃花とやる事しか頭にねーだろ」
「そーかもな笑」
吐き気がする。
今彼女がどう言う心境で病気に立ち向かっているのか知らない彼等が、自分勝手な欲を振り撒くのが許せなかった。
そして
彼女を知った気になっている自分にも怒りの矛先を向けた。
(放課後、見舞いに行こう)
その日の授業は長く感じた、一分一秒、刹那でさえ彼女に会いたいと考えていた。
丁重に部活の顧問に適当な理由をでっち上げ、彼女が喜びそうな物を選んだ。
彼女に連絡すると、心良く快諾してくれた。病院の場所も教えてくれた。
病院で受付を済まし、彼女の病室へ向かった。ドアを開けると、椅子に座って外を眺める彼女がいた。
夕陽に照らされて顔が赤く見える。
「こんばんは、見舞いに来たよ」
彼女が車椅子ごと振り向いた。
弱々しく動く腕を見て心が痛い。
「ありがと、その中身は何?」
包装を解くのさえ困難な彼女の為に、僕は代わりに破った。
「おお〜! もしかして君私の事詳しい?」
何気ない、中くらいのぬいぐるみだ。
可愛らしい猫のぬいぐるみ。
彼女はそれを膝の上に乗せて、またにへっと笑った。
「病気は、どうな...」
「外で話そっか、お庭とか行って見たいし」
言葉を遮られた。
聞かれたくない事だっただろうか。
僕は彼女の車椅子を押し、ナースさんに一言断って外に出た。
夕日が沈みかける頃、庭にある花や木々が艶めしく彼女と僕を囲んだ。
「綺麗だね、暁に照らされる可憐な花と君、絵になる」
「絵なんて描くの?」
「描かない、カッコつけただけ」
「なにそれ笑」
2人で談笑した後、静寂が訪れた。
それを切り裂く様に、彼女が言葉を発した。
「昨日と今日で、結構進行しちゃってね〜、歩くのは厳しいから車椅子だって」
「そう、なんだ」
「あーあ、私って処女まま死ぬのかなー」
唐突なその言葉にむせてしまった。
「きゅ、急に変なこと言い出すんだね」
「変じゃないよ、志半ばで死にたくないだけ」
そう言われれば、そうなのだろう。
「てっきり、もう経験してるって思ってたよ、学校でもどこでも、モテたでしょ?」
「学校か、正直友達なんていないよ、皆んな損か得を選んで付き合いしてる人ばっか、誰も私を友達として見てないんだから」
「今日、皆んな集まって君が居ない事に騒いでたよ」
「話の内容は?」
あの下衆な会話が思い浮かんだ。
だが、ここで言うべきではない。
「心配してたよ、皆んな話しが飛躍するくらいに」
「本当の事言って、傷付かないから」
嘘だ、いつも接しているクラスメイトから言われたと知ったら、誰でも傷つくだろう。
だが、それは彼女の為ではないと思えた。
「今日君が居なくて、君を狙ってた人達が悔しがっていた、やりたいだとか、そんな話を恥じらいも無く話す彼等に、やるせなさを感じたよ」
「そう...」
また、この静寂だ。
彼女が椅子を半回転させ、僕の方に向けた。
「君、私の処女に興味はない?」
少し、理解するのに時間がかかった。
ゴホッ、と咳払いをして恥ずかしさを紛らわせた。
なぜ僕なのだろう。
「他に、いい人が居るんじゃない?」
「今から探して間に合うと思う? 君が1番なんだよ」
「で、でも」
「病気なんて持ってないし! 暴れたりしないから! お願い!」
「う、うーん」
「あ、答えは、明日の夜が良いな、来てくれたら、嬉しいな、なーんて」
そう言うと彼女は、自分の住所を僕のラインに送った。
正直、モヤモヤする。
かつてこれほどまでに軽い約束があっただろうか、内容が内容なだけになんとも言えない。
病室に戻ると、彼女の夕食が届いていた。
白米に味噌汁、それに肉の野菜炒め。
「ほら、あーん」
彼女が箸を持ってお肉を食べさせようとする。
「い、いいよ、これは君のだし」
「違うの! お肉は食べるとき飲み込みにくいの、だから私の苦労は君が背負わなきゃ」
それも、ALSの特徴だ。
運動ニューロンのみが影響を受け、喉の筋肉が全く動かなくなり飲食が困難となる。
「まるで牧師さんみたいな事を言うんだね」
「にへへ、まぁ...望むならそれが良かった...かな...」
その言葉の重みを理解し、そのお肉を食べた。彼女は満足げに笑い、僕は思ったりも美味しかったそのお肉に興味が湧いた。
「あ、また食べたそうな顔してる」
「僕はそんなに顔に出る?」
「顔に浮かび上がってくるよ、目の前の女の子可愛いとか」
「精度はよろしくないみたいだね」
「イヂワル」
面会時間ギリギリまで、彼女と他愛もない話をした。思ったよりも早く時が過ぎ、あっという間に21時になりかけた。
「今日はありがと、この縫いぐるみ大事にするね、いや、大事にするのは当たり前だから肌身離さず持っておくね!」
「それも当たり前にしてくれたら、僕はこの上ない喜びだよ」
「じゃあこれを君に見立てて毎日話しかけようかな!」
「ふふ、ありがとう、じゃあ、またね」
初めて彼が笑い、彼女がそれを見て唖然としたが、彼はそのまま帰ってしまった。
「ふへへ、笑ってくれた、キャー!」
1人ベッドの上で、縫いぐるみを持って力なく転がり暴れた。
翌日、僕は自分に合うスキンを選んで彼女の家の前に着いた。
彼女の両親は家にいなかった。
家に居るのは彼女だけなのだろう。特別に許されたのか、それとも抜け出したのか、それは定かではない。
きっと彼女は、彼女なりに残りの動ける時間をどう過ごそうか考えたのだ。
翌日に答えが知りたいと言ったのは、退屈な時間を減らす為だろう、僕が拒まない事を知っているくせにね。
インターホンを鳴らすと、持っていたスマートフォンから連絡が来た。
あまりに早い返事だったから、多分こうなる事を予測して先に打ち、インターホンが鳴るのを心待ちにしていたのだろう。
——空いてるよ、二階の正面。
その文字を確認し、靴を脱いで家へと上がった。階段を一段一段踏みしめた。
この足音さえ彼女は心待ちにしているのだろう。
ゆっくりとドアを開けると、ベッドに横たわっている彼女がいた。
身体の上に一枚薄い掛け布団があり、彼女は恥ずかしそうにそれを握りしめていた。
「僕がここに来たのは君の喜ぶ事?」
わざとらしい質問だ。
「知ってるくせに、悪魔」
意地悪から悪魔へとグレードアップだ。
僕は彼女の上にかかった布団をめくった。
寝巻きでもなく、下着姿だった。
妖艶なそのスタイルに、手入れの届いた髪、薄らと化粧をしており、着ていた下着は前に、彼女が僕を連れて買った物だった。
行為自体、少々厄介だった。
彼女は自分で足を開くこともできず、殆ど僕の手助けのもと行為を行った。
何度も肌を重ねても、小さな口から漏れる喘ぎ声さえも、僕の心は満たされなかった。
彼女が遠くに行くと実感してしまったからだ。遠くに行っても見つけれる様に、必死に彼女を汚した。
本心は嫌がってるはずである彼女を
何度も何度も、汚したのだ。
行為にひと段落付いた、これ以上するつもりは無い。だが、心は満たされない。
腕枕をし、隣で横になる彼女を見つめた。
「そんなに悲しまないでよ、私も哀しくなるからさ」
ゆっくりと目を開けて、彼女とおでこを当てた。
「僕は、君にもっと早く会えればよかった」
「私も、勇気を出していればよかった」
ここは懺悔室、僕と彼女だけが慈しみ合う場所だ。
目が窮屈になるのを感じた。
それと同時に目がシワシワになる感覚に陥った。
僕は無様に、彼女の胸の中で泣いた。
「う、うぅ...、桃花...」
彼女はそれを享受し、泣き噦る弱虫な僕の頭を、か弱い手で撫でた。
その後、僕と彼女は一緒にお風呂に入り、丁寧に彼女の身体を洗った。
一時の快楽だった様だ。
汚した彼女の身体が浄化されていく。
優しく彼女を撫でて感傷に浸った。
僕は彼女に寝巻きを着せた。
歩く事すらままならない彼女をおんぶした。
「本当は、お姫様抱っこしてあげたかった」
「すればいいじゃん、私は構わないよ」
「君の首に負担がかかると思ったからさ、この病気は、僕の選択肢も奪っていく、幸せになれる選択肢も」
彼女は僕の顔に頬を擦り、こう囁いた。
「幸せだよ...、私は...」
何も言えなかった、彼女に負担のかからない様、階段をゆっくりと踏み締めた。
彼女を綺麗にしたベッドの上に座らせて、薄い掛け布団をかけた。
「お休み、桃花...」
「うん、願うなら君の夢が見たいよ」
彼女は例のぬいぐるみを抱きしめて、目を瞑った。
静かに扉を開けて、涙を流す彼女を尻目に部屋を出た。
その涙を止めてあげたかった。
翌日、僕の家の固定電話に電話がきていた様だ。母がそれに出て隣で僕が話を傍聴した。
微に聞こえるその言葉に戦慄した。
——息子さんの、優しいお見舞いに感謝します。
そうだ、何かがおかしかった。
歩く事すら、自分で身体も脚も動かせない彼女は、一体どうやってあの場所で待っていたのだろう。
あの細い脚で家を歩き。
あの細い腕でおめかしをして。
あの細い身体で服を着た。
そんなはずがない。
起き上がる事すら困難な筈の彼女が、一連の行動を取れるはずがない。
では誰が?
誰が彼女の髪をとかし整えて、
誰が彼女をおめかしして、
誰が彼女に下着を着せた?。
それがわかって、嗚咽とはいかないが不意に涙が溢れた。
隣にいた母が僕を見て少し驚いた様だ。
僕は部屋に戻り、ベッドに蹲って彼女を思った。
そこから時は飛んだ。
2年も時が過ぎると、彼女の病状は悪化し、機械に囲まれていないと生命の維持が困難になる程だ。
一切身体を動かさず、反応がない。
俗に言う植物状態と、なんら変わらない。
彼女の手に触れ、反応を確かめた。
「本当に、ぴくりともしない」
初めて来た時はショックを隠せなかった。
だが、慣れとは怖い物だ。
機械を彼女の一部として見てしまっていた。
僕だけが知っている事を、一つ言おう。
学校ではあんなにいた彼女の友達は、最初は大勢来ていたものの、卒業式間近になると誰も足を運ばなくなった。
彼女の言っていた損得は、本当だった様だ。薄っぺらいだけの関係だ。
ふと、彼女にプレゼントしたぬいぐるみを持つと、違和感が感じ取れた。
中に何かが入ってる。
紙の擦れる音がして、強引に指を突っ込んで中身を取り出した。
一枚のメモだった。
内側に閉じられたそのメモを開き、2年間彼女の為に音読していた癖で、そのまま口に出しながら読んでしまった。
私を喜ばせてくれる君へ
最初に言う事は、ごめんなさい。
私の人生に君の運命を巻き込んでしまって
本当に申し訳が立ちません。
だから、これは、最後の、
君へのイヂワルになります。
私を喜ばせてくれる君は、
その名の通り私を喜ばせてください。
私の喜ぶ事は、君がこれから私に干渉せず、
自由に人生を謳歌することです。
君と遊んだあの日を思い、
私はこの身体と向き合います。
わがままな私を許してください。
君を困らせるのが得意な私より
涙が手紙の鼻先に触れた。
文字が滲み、感情が伝播する。
「なんだよ...わかってるじゃないか...僕は、桃花を喜ばせる事が出来るんだ...」
止めどない涙が手紙を濡らした。
彼女の耳元に行き、囁いた。
「僕は、あの日の桃花が喜ぶ事を、する事にしたよ」
彼女は、閉じた瞳から涙を流した。
あれから、だいぶ時が過ぎた。
3年くらいだろうか。
彼女は、今も闇と闘っている。
機械に繋がれて延命されている彼女に、僕は何がしてあげれるか考えた結果、彼女が動かなくなったあの日から僕は、毎日彼女の隣で本を音読している。
それと同時に、身体のマッサージも施している。常に寝ている状態の彼女が、いつ起きても動きやすい様、丁寧にサポートした。
彼女の両親が出来ない用事があるとき、僕がその代わりを務める。
「桃花、痛かったらごめんね」
そう言って足を上げさせて、屈伸を繰り返した。筋肉の無くなった脚は簡単に折れてしまいそうだった。
いくら語りかけても、返事は来ない。
彼女ともう一度話したい。
ふと、言葉が漏れた。
「ありがとう桃花、君に会えて僕は幸せだよ」
桃花は、この数年一度もありがとうを言われた事が無いんだ。
何も行動できず、寝ている存在に誰もありがとうなんて言わない。だが僕は彼女に対しては感謝しかない。
バッグから徐に本を取り出して、しおりの続きを読んだ。
「そこでカーテンを開けると、予想だにしない景色に息を呑んだ...」
だが無性にやるせなさが僕を襲うのだ。
本を閉じて彼女の手に触れた。
触られた、と気付いてはいるのだろうが、もう反応することはない。
「あの日が、凄く天国に思えたよ」
涙を流しながら、彼女の手を両手で握った。
「だけど僕は、今も天国にいるみたいだ」
優しく、彼女の手を押した。
「だけど...裏を返せば地獄だ...」
手を目の前に持ってきた。
「こんなに近くに君がいるのに、手の届く距離に君がいるのに、僕は君の望む事すらわからない」
僕は、彼女の腕の中で泣いた。
「君の痒いところすらわからない...ッ!」
僕は無力だ、ひたすらに無力だ。
彼女はきっと、これから何年も闇の中で話す事が出来ず、僕の音読を心待ちにしているのだろう。
そう思うと、心が締め付けられた。
これが僕の、物語だった。
5年後、既に彼は今年で27歳を迎える。
あれから10年、毎日彼女の元へ赴き、本を数ページ読んでは彼女に語りかけた。
病院内では名物になっている様だ。
病室前で屯する見物客に挨拶をして、ゆっくりとドアを開けた。
「今日はやけに人が多いな」
だが、これは見世物じゃないんだ。
「すいません、集中したいので」
そう言ってドアを閉めた。
見物客は蜘蛛の子を散らす様に逃げて行った。
「桃花、今日は雲一つない青空で、桜の花が咲いた、今朝僕の家にツバメが巣を作ったんだ。今は...9時27分だ」
日差しを取り入れる為カーテンを開け、彼女の手を摩った。
本をバッグから取り出し、しおりを挟んである箇所から読み始めた。
「そこで私が彼に聞いた、犬と猫どっち派? その答えは...」
その本を最後まで読み終え、彼女に話しかけた。
「今日はここで帰るよ、明日はオススメの本を持ってくる」
取手に手を掛け、ゆっくりとドアをスライドした。
突如、隣から風が弱く吹く音が聞こえた。
10年越しに聞いたその音は
「君の、夢、から、覚めちゃった」
彼女はうっすらと目を開けて、こちらを覗いていた。
月明かりに照らされて、彼女を寝かしつけたあの日と記憶が重なった。
その姿に驚きつつ、微笑みながら声をかけた。
「目覚めはどう?」
「知って、る、くせに、魔王、さん」
「ふふ、おはよう、桃花」
あの夜から、もう10年だ。
ああやっと、やっと10年越しに君に目覚めを伝えられた。
頬に涙が走り、僕は幸せを享受した。
彼女の為にイヂワルから魔王へとクラスアップしたお話 不貞腐れた恐竜 @kyouryuu_futekusa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます