オカアメフラシのポンバ-巨大ゴーストと魔女鍋
@11N01346
オカアメフラシのポンバ-巨大ゴーストと魔女鍋
アメフラシのポンバは丘(おか)の上からぼんやり町のひろばをみおろしていた。大きな岩によりかかっている。本来(ほんらい)、アメフラシは海にいるものだが、ポンバは「おかアメフラシ」といって陸(りく)にいるタイプなのだった。
ひろばでは、こどもたちが「しっぽタッチごっこ」をしてあそんでいる。ほかの子のしっぽをさわる遊びだ。
ちびパンダはほとんどしっぽがないのに、「きゃーきゃー」さけびながら、ひっしに逃げまわっている。
レインボーとかげの子がしっぽをさわられるしゅんかんに、自分でしっぽを切った。「ずるい ずるーい! 」とみんな、とかげをゆびさして口々にさけんでいる。スカンクはふさふさのしっぽをタッチされそうになると、ぷう!とおならをした。毒ガスみたいなおならがあたりに漂っているのだろう。みんな「うわあ」とさけぶと、顔をしかめて倒れてしまった。
ポンバも手をのばして自分のぬめぬめしたしっぽをつかんでみた。「つかまえたっ」とさけぶ。それからしっぽをはなし、またつかんだ。あまり、いやぜんぜんおもしろくなかった。
いっしょに遊びたいのに、ポンバはなかなかひろばにおりていくことができない。みんなあまり、ポンバとなかよくしてくれないのだ。
「ぐねぐねぶよぶよしてきもちわるい」、「のろくて、なんかいらいらする」という人もいた。
たまに遊びにいれてくれてもあまりうまくいかない。たとえば、鬼(おに)ごっこのときはすぐにつかまって、いつも鬼だった。
そして鬼になっても、逃げる子をぜんぜんつかまえられないので、いつまでたっても鬼のまま。そのうち、だれかが、「とろオニ、ポンバじゃつまんなーい」と言い出すのだった。とろ鬼、とはとろい、つまりのろくさい鬼ということだった。それでやっぱりあまりさそってもらえなくなるのだった。
そんなことを思い出して、ポンバはためいきをつき、うつむいた。
すると、ううん、ううんとうなる小さな声がきこえてきた。あれ、どこだろう、ポンバはきょろきょろあたりを見まわした。けれど、声の主はみあたらない。「ん」ようやく、あしもとの地面からきこえてくることにきづいた。
それはいっぴきのアリだった。左側の触角(しょっかく)が右側より長く、へなっとまがっている。
アリは、なにかをけんめいに、はこぼうとしている。しゃがみこんでよく見ると、それはチョコレートのかけらだった。アリには大きすぎるようだった。
アリはうーんとうなってひっぱっては、手を放し尻(しり)もちをついている。そのうちとうとうあきらめて、ねころがってしまった。ポンバはアリがかわいそうになった。
チョコレートをもっと小さく割ってあげようかとも思ったが、ポンバは力がないし、やわらかいぐねぐねの手ではとても割れそうにない。歯がほとんどないので、かみくだいてあげることもできなかった。
でもポンバはいいことを思いついた。アリに向かいやさしい声で、
「ねえ、それ、どこに運んでいくの、てつだってあげるよ」といった。
チョコはこびに夢中になっていたアリは、びっくりしてポンバをみあげた。ポンバはほほえみながらアリの前に手のひらをさしだした。二本の触角がうたがわしげに、ぴこぴこと、せわしなくうごいている。
ポンバはもう片方の手で、チョコレートをかかえたアリをそっとつまんで手のひらにのせた。それから、
「どこにもっていくの」とやさしくたずねた。
アリは、短いほうの触角をぴんと伸ばして、二メートルほど離れた背の低いずんぐりした木をさししめした。
ポンバはいそいでその木に向かった。けれど、その動きはのろく、けっこう時間がかかった。だがようやくたどり着くと、その木の根元の地面に穴があいていることに気が付いた。どうやらアリの家のようだ。
ポンバはそっと穴のふちにアリをおろした。アリは、触角をふって、ていねいにおじぎをした。それからチョコレートのかけらを何とかひきずって、穴の中へと落ちるように入っていった。
「よかったね、きょうはみんなでごちそうだね…」
明るい声でいうと、ポンバはのろのろと、また岩のところにもどっていった。
そしてこどもたちがあそんでいる広場をみおろした。
「しっぽタッチごっこ」は終わって、みんな、輪になって地面をみつめている。ここからでは小さくてよく見えないけれど、輪の中にはいろいろな色や形の木の実や小石が並べられているようだった。それらに自分がもった木の実や小石をぶつけて、うまく当たればもらえる遊びだろう。
そのときだった。
何者かが、すごいいきおいでみなの輪にむかって走ってきた。こいぬのメルくんだった。あっというまに輪にとびこむ。そしてカバガエルのコムトムくんにとびついて、いきなり顔をべろ、べろーんとなめた。
「わあ、くすぐったい!、やめろよ、メルくん」とコムトムくんはさけんだが、その顔はうれしそうだった。メルくんは今度は隣の水玉カンガルーのモルアちゃんにとびついて、ぺろぺろーん、その顔をなめた。モルアはきゃーきゃーさわいで、ぴょんぴょん、とんでにげまわる。あっというまに楽しそうなおにごっこがはじまった。
すごいな、とポンバは思った。こいぬのメルくんは最近、この町にひっこしてきたばかりだ。でもすっかりみんなの中にとけこんでいる。
なあるほど、とポンバは思った。ああいうふうにべろーんとお友達の顔をなめればいいんだ。ポンバはゆうきをふりしぼって、よたよたと丘をおりていった。「ぼくだってべろはけっこう長いんだぞ」ポンバはけっこう急坂の丘をおりながら、青紫色のべろを出したり、ひっこめたりしてみた。
ひろばについても、だれもポンバにきづいたようすはなかった。ポンバはたてがみラクダのピートンくんによじのぼると、べろをせいいっぱい出して、びろーんとその顔をなめた。
「ひゃああっ!」、ピートンくんは大声をあげると、顔からポンバをひっぺがして、ほうった。いきおいよくとばされたポンバは、水玉カンガルーのモルアの顔にぺたりとはりついた。
反射的にポンバは、その子の顔もなめていた。「きゃああああっ!」彼女もすごい悲鳴をあげた。ポンバはびっくりして彼女から飛び降りた。モルアはぴょんぴょんと逃げていった。
「わあ、顔がべっとりで、くさくなった!、うえ、ぺっ、ぺっ」ピートンはしきりに顔をこすったりつばをはいたりしている。
「おいおい、どうした」
そのとき、ひろばに低い声がひびいた。サソリ熊のビーダンスケがあらわれた。いまにもはちきれそうなこげ茶の高級ジャケットのそでからは、ごわごわの真っ黒い毛でおおわれたふというでがのぞいている。その先にはくろびかりする巨大なハサミ。しっぽの先には、まっくろい毒針がぐねぐねと大蛇のようにうごめいている。
いつも家来みたいにサソリ熊をとりまいている、かっぱきづねのギザやうろこぶたのウフォもいた。
「こいつがぼくらの顔をいきなりべろーんとなめたんだ!」とたてがみラクダが顔をしかめながら、ポンバをゆびさした。
「病院に行かなくっちゃ!」と水玉カンガルーも金切り声をあげた。
サソリ熊ははさみをのばすと、ポンバをつまみあげた。
「おまえ、ひとさまを、なめるなんて、まったくなめるなよ」
爆発するみたいな笑い声が起こった。ギザとウフォが身をくねらせながら笑っている。
「おっ、ばかにするという意味の「なめる」とべろで「なめる」をかけたんですね、さあっすが!」
かっぱきづねがもうれつないきおいで手をたたいた。
「す、すごいユーモアのセンスだ、さっすが、ビーダンスケさまだっ!」とうろこぶたも叫ぶようにいった。
「な、な、なめたら、いけねえよぉー、な、な、なめたらおしおきよぉーっ、イエッ!」
サソリ熊は、ポンバをかかえたまま身をゆらし、とじたはさみでポンバのあたまをリズムよくたたきはじめた。ぺちぺちとけっこういい音がひびいた。
ギザとウフォもリズムにあわせて手拍子をとり、足を踏み鳴らした。
「いい音出すねえ、アメフラシィっ」ビーダンスケがたたくリズムにあわせて、ギザが歌うように言った。
「からっぽあたまはいい音よおっ」ビーダンスケが続けた。
「楽器みたいだ、さっすが、ポンバッ! ビバ、ポンバババ!」とウフォも音にあわせて、ふとったからだをくねらせた。
サソリ熊は調子にのって、もっと強くポンバの頭をたたきつづけた。ペンぺン、ペチン、ペチチチン…
「ぷふっ」と、ギザががまんしきれないようにふきだした。つられたようにウフォもわらった。
サソリ熊はダンスするみたいに、大きなからだをゆらし、楽器みたいにかかえたポンバのあたまをリズムよくたたきつづける。
すると笑い声はひろがって、最後には、広場にいたみんながおお笑いしたようにポンバには感じられた。
ポンバはおどろいた。自分を見てこんなに大喜びするひとたちを見たのははじめてだったからだ。ポンバはよかった、と思った。頭はいたかったけど、こんなにみんなが喜んでくれるのだから…。
そのとき、
ぶおん、ぶおん…
深くひびくふしぎな音が聞こえてきた。みな動きを止めた。音は上のほうから聞こえてくるようだ。みんなは空を見上げた。巨大な銀色の飛行船がぽっかりと、真っ青な空に浮かんでいる。鏡みたいに太陽の光を反射して、まぶしくて見ていられないくらいだった。
わああっ、みんな歓声を上げて飛行船をおいかけだした。サソリ熊もポンバをほうりだすと、かけだした。ギザとウフォもあわててあとに続く。「いてててて…」ポンバは顔(かお)をしかめて地面にぶつけた腰をさすった。
飛行船から、なにかがぱらぱらとたくさん、落ちてきた。散る桜の花びらみたいにひらひらと明るい空を舞う。よくみると、紙のようだ。
ポンバはよろよろと立ちあがり、みんなのところに行こうと思ったが、とても追いつきそうになかった。
みんなのすがたはどんどん小さくなって、ついに野原のはてに見えなくなってしまった。
「あれ…」ちかくに紙が落ちていた。飛行船から落ちてきたものだろう。風にのってここまで漂ってきたようだ。
ポンバは地面からメロンみたいにうすい黄緑色の紙きれをひろいあげた。それにはおどるような元気なきれいな赤い色で大きな文字が書いてあった。ポンバは首をひねった。彼はあまり字が読めないのだ。紙切れのはしっこのほうには、なにかわっかのようなものやカップのようなものが描かれている。「なんだろ…これ…」
しばらく大きなぶかっこうな頭をひねっていたが、どんなに考えてもわからないので、その紙をパッチワークの上着のポケットにつっこんだ。パッチワークといってもおしゃれな感じはなく、いろいろな古い布を適当につぎあわせて自分でつくったものだった。
ポンバは丘をのぼり、家に帰ることにした。
そんなある日の午後のことだった。丘の上のいつものお気に入りの岩によりかかってうとうとしていると、なにやらそうぞうしい音が聞こえてきた。目をこすりながら、立ちあがって見わたすと、広場の先に広がる草原に大きなトラックやトレーラーが何台も入ってくるところだった。トラックが止まると、作業服をきたおおぜいのひとたちが、なにやら大きな金属の棒や板のようなものをおろしはじめた。それらの中には赤やオレンジ、ブルー、黄緑…きれいな色で模様(もよう)や絵が描かれたものもたくさんあった。
ごおごお音がひびいて砂煙があがり、トラックの数はさらに増えていった。
つぎの日から工事がはじまった。きのうおろした巨大な板や棒を組み立てている。ポンバは目をぱちぱちさせて、それを見ていた。
「なにをつくっているんだろう…」
しばらくして、その正体がわかった。それは遊園地なのだった。草原に、半円しかない観覧車や鉄骨がむきだしの恐竜らしきもの、途中までしかないジェットコースターのレールなんかが並んでいる。「あっ」ポンバは、ポケットに手をつっこみ、くしゃくしゃになった紙を取り出した。この前、飛行船がばらまいていた紙だった。紙を広げてしわを伸ばす。わっかだと思っていたのは、観覧車、カップは、中にベンチがついてくるくる回るコーヒーカップのようだった。
ポンバは両手でもってまじまじと長方形のうすいグリーンの紙をみつめた。「遊園地の宣伝だったんだっ!」
ポンバは思わず大きな声をあげた。
工事は進み、観覧車、ジェットコースター、コーヒーカップ、メリーゴーラウンドなどが次々に草原に現れた。
「わあ、すごい、楽しそう…」ポンバが丘から身を乗り出すようにして草原をながめているときだった。
うしろのほうで、がさがさっ! と音がしかたと思うと、ポンバの短い足になにかがぶつかった。ひっくりかえってしまう。しりもちをついたまま、ふりむくと、そこにはまっくろいボールみたいなものがころがっていた。背後のしげみからとびだしてきたらしい。(なんだ、こりゃ)と思っていると、それはもぞもぞと動いた。
ボールから顔がのぞいた。大きなとがった耳、こぶたみたいなぺしゃんこの鼻、口の端からは小さくてもするどい牙がのぞいていた。
きらきらしたまるい目がポンバをみあげている。
しばらくして、それがだるまこうもりだと気づいた。
羽や足がみじかく、まんまるで、なにかだるまみたいだから、そう呼ばれているのだった。ちいさくて、まだこどものようだ。このあたりでは見かけたことがなかった。
「や、やあこんにちわ、おちびさん…」ポンバは、ねとねとした片腕をあげた。
「どこからころがってきたのかな…」くびをかしげて、ちびだるまこうもりを見た。だが、だるまこうもりはきょとんとした顔でみつめかえすだけだった。
どうしていいかわからずポンバは、ぺちぺちと自分の頭をたたいてみせた。われながらけっこういい音がした。けれども、ちびだるまこうもりはまったくの無反応だった。まんまるな目でじっとポンバを見上げるだけだった。
ちびだるまこうもりは、よちよちと歩き出した。そして、いつもポンバがよりかかっている岩のあたりにくると立ち止まり、じっと草原を見やった。大きな目がきらきらと輝いている。
「あ、もしかしたら…」
とポンバは声をかけた。
「遊園地に行きたいのかな」
すると、ちびだるまこうもりは小さくうなずいたようだった。ちびだるまこうもりは、よちよちと丘をくだりはじめた。でも、足がとてもみじかくとっても遅(おそ)い。のろまのポンバより遅いくらいなのだった。これだといつ遊園地につくかわかったものではない。それにまた何かの拍子でころがってしまったら、どこまでも止まらなくて、危ないのでは、と心配になった。
「よし、ぼくが連れて行ってあげるよ」というと、ポンバはちびだるまこうもりのところに行き、やさしくだきあげた。ポンバは力がないので苦労したが、なんとかちびだるまこうもりをおんぶすることができた。
「ねえ、きみのなまえは何というの、ぼくはポンバっていうんだ」
とせなかのだるまこうもりに向かって言うと、こうもりはちいさい声で、ポンバの耳元にささやくように言った。「ギビマル…」
「へえ」、ポンバは微笑んだ。「ちょっとおもしろい名前だね、でもかわいい名前だよ…」
そして、ふたりは丘をゆっくり下っていった。午後の光にかがやく遊園地はしだいに大きくみえてきた。
ずいぶん時間がかかったが、ようやくひろばについた。こどもたちの歓声がひびいている。
ひろばの向こうに広がる草原には、巨大なサーカスのテントを囲むように観覧車やジェットコースター、メリーゴーラウンドなどが並んでいる。手前のひろばには、ポップコーンやホットドッグ、フルーツあんみつなどを売るきれいな色のかわいい屋台が並んでいる。ポンバはギビマルをせおったまま、立ち止まり、ぽかんと口をあけて、遊園地を見渡した。
ひろばではカラフルなパッチワークの背広をきたオレンジ猿のバンドマンたちが、思わず踊りだしてしまいそうな、にぎやかでたのしい音楽を演奏している。バンドマンたちをのせたミニステージは下に車輪でもついているのか、そこらをぐーん、ぐいーんと動いている。トランペットを吹くたびに、その先からは炎が噴き出し、ドラムはたたくたびに火花が散った。
まっしろな顔に真っ赤なまるい鼻のコアラピエロが数え切れないほどの色とりどりの風船の束を抱えている。よく見ると、ピエロの足は地面から浮いて、ふわふわと漂っている。早く売って風船の数を減らさないと、そのうち風にさらわれて飛んでいってしまいそうだ。
ポンバはギビマルをゆすりあげると、広場をよこぎって野原に向かった。
「わあ、たのしそうだね、どれからのろうか…」ポンバは声をはずませた。
そのとき、大きな影がちかづいてきた。
「わ、なんかくせえ、と思ったら、ポンバじゃないか」と野太い声。サソリ熊のビーダンスケだった。黒くひかるハサミに巨大なアイスクリームをはさんで、ぺろぺろなめている。
「うわ、ほんとだ。どぶ川みたいなにおいだ」
ビーダンスケの後ろにいたうろこぶたがひしゃげた鼻をつまんだ。
「くさった雑巾みてえ」かっぱきづねもきぃきぃ声をあげた。
「おい、何しにきやがった」とビーダンスケが怒鳴った。
ポンバのせなかで、ギビマルが固くなったのがわかった。
「あ、いえ、べつに…」ポンバはうつむきながら小さな声で言った。
サソリ熊がさけんだ。
「おまえなんかがすわったら、ジェットコースターとか、メリーゴーランドとかの椅子がみんなべちょべちょになっちまうじゃないかっ。」
(ちゃ、ちゃんとズボンはいてるからだいじょうぶだよ)といいたかったけど、こわくて言い出せなかった。
「しかも、においつきになっちゃうよー!」と鼻をつまみながらかっぱきづねが叫んだ。
「うわあ、おええっ」うろこぶたが、胸をおさえて、吐(は)くまねをした。
「あれ、こいつのせなかに何かついてるぞ」とサソリ熊はふといまゆをしかめて、するどいはさみをポンバにつきつけた。
かっぱきづねのギザがポンバのせなかのほうにまわりこんだ。
「うわ、なんだ、こいつっ」ギザはとびすさった。「こいつ、真っ黒いけだまのおばけをしょってるぞ」かなきり声をあげる。
「ちっこいけど、悪魔みたいな顔してやがる」うろこぶたのウフォも顔をひきつらせた。
「うわあ、ばけものが、ミニばけものをつれてきたっ!」ギザは大声をだした。
サソリ熊はのっしのっしとポンバにちかづいた。ポンバは足がすくんでしまって、身動きができなかった。
「ほんと、へんなやろうだな」サソリ熊はギビマルを覗き込んで顔をしかめた。「だけど、こいつまるっこくてボールみたいだな」ビーダンスケはポンバのせなかに手をのばし、はさみでむんずとギビマルをつかんだ。
「わ、そんなきもちわるいのさわれるなんて、さすがビーダンスケさまだっ」
すかさず、かっぱぎつねが叫ぶように言った。
「前にもゲームセンターにイボツノヤモリやろうが入ってきたとき、むぎゅとつかんで外に放り出してくださったぞっ」うろこぶたも尊敬のまなざしでサソリ熊を見上げた。
「おい、こいつでキャッチボールしようぜ」
ビーダンスケはギビマルを片手で放り投げると、もう片方のはさみで受け取った。
「あ、はいっ」といってうろこぶたはずずずっとさがるとしゃがんで、両腕を前に構えた。ギザもウフォの後ろに回る。
サソリ熊は太い腕を大きくふりかぶると、ウフォに向かってギビマルをなげこんだ。
「ストライークっ!」
ギザは叫ぶと右腕をつきあげた。
「す、すごいコントロールだっ」と、ギザはおおげさに叫んだ。
「それにすごいスピード、球が重いっ」キャッチャー役のウフォはふうと息をついてグローブみたいな手を振ってみせた。
「よしっ、今度はもっとすごい球いくぞっ」サソリ熊は豪快に笑って、ギビマルをつかんだ腕をぶんぶん回した。
「やめて、やめてよー!」ポンバは必死にビーダンスケにかけよった。でも、サソリ熊のところについたときにはギビマルは、すでにうろこぶたのところに放られていた。「やめてーっ!」ポンバは今度は、うろこぶたにせいいっぱいの速度で向かった。でもギビマルは再びビーダンスケに投げ返されるのだった。ギビマルは声をあげることもできずに、手足を縮こませ、眼をぎゅっとつぶっている。
「やめろーっ!」
ポンバはビーダンスケとウフォの間をいきおいよく飛び交うギビマルを目で追いながら、叫び続けた。
ついには、「ギビマルが死んじゃう、やめろー!」と叫びながらビーダンスケのけむくじゃらの太い足にしがみついた。でも、サソリ熊に足をひとふりされ、ふっとんでしまった。
「野球しながら、サッカーもしろっていうのかよっ」ビーダンスケがわざと顔をしかめていうと、ギザとウフォは大笑いした。
ポンバはどうにか立ち上がったものの、どうすることもできなかった。
そのうち、ポンバはサソリ熊がキャッチボールをしながらちらちらと、ある方向に視線を向けていることに気がついた。ポンバがそちらのほうを見ると、サソリ熊たちのキャッチボールを見ているひとたちの輪から少し離れて白い姿があった。かがやくような真っ白いつばさをもつユキヒョウだった。すらりとしたしなやかなからだに長い手足…。
サソリ熊は、気づかれていないつもりかユキヒョウのほうをけっこうな頻度(ひんど)で横目で見ながら、ますますいきおいよく、ギビマルを投げた。ギザは「きゃー、すてきーっ、かっこいい!」と女の子のまねをし、ウフォは「プロ野球選手も真っ青だ!」と声を張り上げた。ほかのひとたちもなかば仕方なさそうに、力なく手をぱちぱちさせたりしている。
だが、ユキヒョウは無表情のままだ。いやかすかに眉間にしわを寄せていた。ビーダンスケはあせったように、ますます力をこめて、ギビマルを放った。しばらくしてユキヒョウはぱっと白く輝くつばさをひろげると、どこかへ飛んでいってしまった。
それでもギビマルのキャッチボールは続いた。
「やめろーっ!」ポンバは、また叫びだした。
心のなかではとても後悔していた。
(ああ、自分がここに連れてきさえしなければ、ギビマルがこんな目にあうことはなかった…)
「だれかたすけてーっ!」
ポンバは精いっぱいの声で叫んだ。
サソリ熊たちはそんなポンバの様子を完全に無視していた。
「肩慣らしはできたし、さあ、こんどはバッティングだ。バットをもってこいっ」とサソリ熊は大声で命令した。「はいっ」といってギザとウフォは走り出した。しばらくしてふたりはもどってきた。ふたりがかりで黒光りした長い棒をかかえている。そう、サソリ熊用の金属バットはひどく大きく重いのだった。
「よしっ、特大ホームランを見せてやるっ」
ビーダンスケは毛むくじゃらのふというでをまくった。
でも、ふと横を向いて、「え」という顔をした。
ユキヒョウの姿はなかった。とっくに飛び立っていたことに気づいていなかったのだった。
しばらくぽかんとしていたビーダンスケだったが、
「あっ、あっ」といって奇妙な動きをしだした。身をよじって、まるでへんてこなダンスでもしているみたいだった。
「いててててっ!」そのうち、サソリ熊は悲鳴をあげだした。倒れて地面をころがりまわる。おそるおそる、ポンバはもだえ苦しむビーダンスケに近寄った。
びっくりしてポンバが見ているうち、熊の手足を覆う毛皮がもぞもぞと動いていることに気がついた。ポンバははっと息をのんだ。よく見ると、何百、いや何千匹というアリがサソリ熊の全身にたかっているのだった。サソリ熊の体とジャケットの色が黒っぽいので気がつかなかったのだ。
「わああっ!」ビーダンスケは立ち上がると、大きなはさみの手でからだじゅうのアリをふりはらった。でもアリたちはすぐにまたはいのぼってきて、小さいけどするどい顎でかみつくのだった。アリたちはおろおろと見守る子分たちにもとりつき、かみはじめた。
「うぎゃあああ!」「きょいいいいいっ!!」ギザとウフォの悲鳴がひびきわたった。
「あれ」ポンバは目を見開いた。
皆の先頭に立つようにサソリ熊ののどぶえにくらいついているアリの触覚は片方だけ長く、途中から曲がっていた。
「もしかして…」とポンバはつぶやいた。
「このまえのアリさん…」
ポンバは、チョコレートのかけらをもったアリを家まで運んであげたことを思い出していた。
「アリんこさん、ぼくたちを助けにきてくれたんだねっ!」とポンバは叫んだ。
地面にはアリの行列が黒い川のように続いている。サソリ熊たちにたかるアリの数はさらに増えていった。
「しりあいかっ」とサソリ熊は身をよじりながらさけんだ。
「なんて、ひきょうなやつなんだ。たったひとりのおれに、こんなおおぜいのアリやろうをけしかけるなんて」ひっしに両腕の巨大はさみをふりまわしながらビーダンスケはわめいた。
「そ、そうだ、ひきょう、ひきょう菌(きん)っ」
ギザも身もだえしながら叫んだ。
「こ、こいつにさわったら卑怯菌がうつるぞーっ」
ウフォはポンバをゆびさしながら叫ぶと、走り出した。
「ウルトラスーパーひきょう菌っ、うつるぞ、にげろーっ」
ギザもアリを振り落とそうと、ぴょんぴょんはねながら後をおった。
「おい、こら、まて、おまえらっ!」
ビーダンスケもふたりをおって走り出した。アリにひどくかまれたのか、ときどき「ぴいっ!」というような、かんだかい声をあげながら、はげしく飛び上がった。普段のどすのきいた低い声とは大違いだった。
彼らの叫び声と姿は小さくなっていき、やがて、見えなくなった。
ポンバは心のなかで、(アリさん、ありがとう…)とつぶやいた。
それから、「ギビマルっ、だいじょうぶっ」ポンバはサソリ熊が放り出したギビマルにかけよった。
「平気、平気…」とギビマルは地面に横たわってぐったりしていたが、かぼそい声で言った。
ポンバはギビマルをかかえると背中におぶって、町の病院に向かった。
幸い、どこにも異常は見られなかった。でもさくら牛のお医者さんは、「念のためきょうは安静にしていなさい」と言った。
ギビマルは「もう元気になった。歩いてく…」といったが、ボンバは、ギビマルを背負って、丘の斜面をのぼっていった。ギビマルの家は丘の向こうの森の中にぽつんとあった。小さな黒っぽい小屋だった。うすぐらい小屋の中にはだれもいなかった。「おとうさんもおかあさんも、シゲンに働きにいってるの、いつも遅いんだ…」といった。
「シゲン」のことはポンバも知っていた。町のはずれにあるごみがたくさん集められるところだった。「サッソリクーマ・リサイクルパラダイス」。にこにこわらったサソリ熊のイラストがついた大きな看板が立っている。ビーダンスケの親の持ち物と聞いたことがある。
この町の人たちは、ほとんどといっていいほど、ビーダンスケの親が経営している会社とか店に働きに行っているのだった。
ポンバはギビマルをしきっぱなしのふとんに横たわらせた。
ポンバはギビマルのことを心配していたが、次の日、ギビマルは、丘の岩のそばにいたポンバのところにやってきた。
ちいさな声ではあったが、とつぜん、後ろから「ばあ」といって、ポンバはびっくりしてとびあがった。へんてこなみどりの顔がすぐそばにあった。よくみると、ギビマルが大きなはっぱを顔にくっつけているのだった。目のところだけくりぬいて、仮面かなにかのつもりらしい。茎をひもにして顔につけているのだった。
「うちゅうじんだどっ! 」ギビマルは短い黒い羽根をばたばたさせて、かんだかい声でさけんだ。「地球をわたすのだっ!」
さいしょのころは何か一言しゃべるたびに、ポンバのからだをよじのぼって、みみもとでささやくようにしていたのに、いまではずいぶんと大きな声で話すようになっていたのだった。
仮面ごっこが好きなようで、ギビマルはくるたびごとに大きなまるっこい葉っぱや、ふちにぎざぎざのある葉っぱだとかいろんな葉っぱを顔につけてやってきた。
仮面ごっこにあきると、その葉っぱで船をつくって小川や池に浮かべたりした。
ほかにもいろいろな遊びをした。石をどれだけ高く積めるかとか、木につかまってミンミンとかジージーとなく「せみごっこ」をしたりもした。
そんなある日のことだった。ポンバは食べ物となる山芋やキノコ、木の実なんかをさがしに森に入っていた。
突然、近くでざざざっと大きな音がした。はっとしてふりかえると、枯れ葉に覆われた斜面にまっしろい生き物が倒れていた。「いたたた…」うめく声がした。そちらに向かうと、ユキヒョウだった。どうやら斜面で足を滑らせてしまったようだ。
「あ、あの、だいじょうぶ?」ポンバは枯れ葉の海を泳ぐようにして、せいいっぱいのスピードでユキヒョウのもとにかけよった。
ユキヒョウははっとしたようにポンバを見あげた。「あ、アメフラシ…」
「あ、はい、ポンバです…」
ユキヒョウは腰のあたりまで枯れ葉に埋まっていた。
「葉っぱの下に穴があったみたいで…」ユキヒョウはもがいたが、なかなか立ち上がれない。
「つかまって」ポンバはかたわらの木をつかむと、もう片方の手をさしのべた。
ユキヒョウは彼の手をつかむと、「えいっ」と気合をかけながら、ようやく分厚くつもった枯れ葉から抜け出て立ち上がった。
「ありがとう、あたしはミア、よろしくね」とポンバとつないだままの手を振った。
ミアは、「空はけっこう得意なんだけど、こういうごちゃごちゃした森の中はね…」とあたりを見回しながら照れ臭そうに笑った。それからもう一度、「ありがとね…」といって、からだじゅうについた枯葉を両手ではらい落とした。
「けがはない?」ポンバは心配そうに聞いた。
「だいじょうぶよ、このくらい…」ミアはすらりとした足をちょっと振ってみせた。
「あんたこそ、こんなところで何してるの」
「あ、ええと…」
ポンバはちょっといいよどんだ。
「た、食べ物を探しに…」
ミアはポンバが肩からさげているよれよれの布のかばんに目をやった。ふたのはしからは、木の実のついた枝がのぞいていた。
「ええと、あまった分は町で売ったりもしているんだ…」と付け加えた。なぜかいいわけみたいな言い方になってしまった。何も悪いことをしているわけではないのに…。
「ふうん…」
「ミアさんは何しに来たの」とポンバは聞いた。
「ええと…」ミアは下を向いた。これまで森でユキヒョウを見たことはなかった。
「パピヨーゼの花をさがしに…」ゆっくりと枯れ葉の散り敷いた地面に腰をおろしながら静かに言った。
「パピヨーゼ?」ポンバはくびをかしげた。
「知らないの? とってもめずらしい、きれいな花…このへんに咲いているってきいたんだけど…」
「どんな花?」ポンバはミアのとなりに腰をおろしながら聞いた。
「藤色でまるでちょうちょうみたいな花…」
ミアはうっとりした目つきでつぶやくように言った。
「ちょうちょうみたいな…」
ポンバはぼんやりと繰り返した。それから目を輝かせ、手をたたいた。
「あ、そういえば、あるよね…めったに見ないけど…」
ミアはおどろいた顔でポンバを見た。
「知ってるの…」
「うん」ポンバはうなずいた。
「たしか、あっちのほうで見たことがある…」ポンバは後ろを振り向いて、うっそうとした森の奥を指さした。
「あたし、どんなにさがしても見つからなかったんだけど…」
「うん、大きな木の陰とかにひっそりと生えてるから、なかなかわからないんだよね…」
とポンバは言った。
「ミアさんは、お花が好きなんだね。やっぱり女の子だね…」と思わずポンバは言った。ミアはきっと彼をにらんだ。「やっぱり? それ、どういう意味よ」
「あ、いや」ポンバは懸命に手をふった。首も横に振った。なんとなく男っぽく、ぶっきらぼうに見える、とはとても言えなかった。
ポンバはあわてたように立ち上がった。
「ねえ、その花、探してるんでしょう、ぼく案内してあげるよ」
「え、ほんと」とミアもうれしそうに言って立ち上がった。
ポンバは枯れ葉を踏みしめ、森の中を歩き出した。ミアはその後に続いた。木々の間を透き通った太陽の光が差し込んで、森をまだらに染めている。二人の枯れ葉を踏みしめる音と、ときおりあがる鳥の澄んだ声だけが響いた。
ポンバは大きな木の陰などを覗いたが、蝶に似た花はなかった。
森に来るときは、けっこう、目のすみでぼんやりと見ていたような気がするのに、改めて探してみるとなかなか見つからなかった。
「たしか、こっちのほうにあったような…」
ポンバは記憶を頼りに歩き続けた。
森の奥に進むにつれ、木々は大きくなり、太い枝を伸ばして空を隠した。夕方みたいに薄暗くなってきた。
でも、いくら森の中をさまようにように進んでも、パピヨーゼは見つからなかった。
「あ、あれ、おかしいな」ポンバは必死にあちこち覗き込んだ。
心のなかでため息をつく。(やっぱり、ぼくはどじだな。ろくに知らないくせに、花のあるところに案内しようとなんかして…。ぜんぜん見つからないで、きっとミアさんは、いらいらしているに違いない…)
そう思うと、体が固くなって、さらに、かえって探すスピードがのろくなってしまった。ぎこちない動きでポンバは前に進んだ。
「ええと、こういうごつくて大きな木の根元なんかに…」
黒くごつごつした木の周りの地面に目をちかづけ、丹念に見た。その木の反対側に回ろうとしたときだった。
「ひっ」突然、足元の地面が消えた。ひゅうっとおなかの底のあたりに冷たい感覚が走る。自分の体がどうなったのかわからなかった。気がついたら、ポンバは枯れ葉が散り敷いたうえに転がっていた。
「ねえ、大丈夫?」澄んでりんとした声が、上から降ってくる。見上げると、崖の上からミアのしろい小さな顔が見下ろしていた。ポンバはようやく自分が崖から落ちたのだと分かった。崖ぎりぎりのところに、あの黒黒とした大きな木は立っていたのだ。
ポンバはゆっくりと起き上がった。特にひどく痛むところはなかった。小さな崖だったので助かったのだった。でも、体中、土やら葉っぱや木の実だらけだった。体がねちょねちょしているので、やたらくっついてしまったのだろう。
ざざざっと音をさせてミアが崖をすべりおりてきた。
「ねえ、大丈夫、葉っぱのおばけみたいになってるよ」とミアが言った。
ポンバは口の中に入った泥をはきだしてから、片手をあげた。
「いや、ぜんぜんだいじょうぶです…」
そのときだった。近くにあった倒れてこけむした大きな木の陰にぼおと光るものが目にはいった。
「あれ…」
ポンバは葉っぱだらけのまま、よろよろとそこに向かった。横たわった木の下に隠れるようにして、薄紫にぼおと光る花が一輪咲いていた。ひっそりと咲くその花の形は羽をひろげた蝶そっくりだった。
「え」ミアも、その木の根元に駆け寄った。
「ねえ、これ、ええとなんだっけ…」ポンバはミアを振り返った。
「パピヨーゼよ…」とどこか放心したみたいにミアは言った。
「かわいい…」ミアは花のかたわらにしゃがみこんだ。
ミアは、しばらく何もいわずにじっと薄紫色の花びらを眺めていた。あたりはしんとしてときどき、風が木の葉をゆする音がするだけだった。
彼女は小さくため息をつくと立ち上がった。
「ごめん…」とミアは唐突に言った。
ポンバは、ぽかんとして彼女の顔をみあげた。
「ほんとはあたし、べつに花が好きなわけじゃないんだ…」視線を宙に漂わせ、独り言みたいに言った。
「この花はね…薬になるの…」
そよかな風にちりちり震える可憐な花をじっと見ながらミアが言った。
「薬?」
ポンバはミアの横顔を見た。
ミアはそれには答えず、またしゃがみこんだ。
花びらをやさしくなでながら静かに話した。
「カスカルパークってあるでしょ…」とミアは右足首をさすりながら言った。さっき斜面で滑り落ちたとき、やはり少し足を痛めたのかもしれない、とポンバは思った。
「うん、知ってる。カルゴラ火山のそばにあるところでしょ」とポンバは答えた。
「そう、あそこはビーダンスケの親が経営している鉱山なんだけど、そこであたしのお父さんとお母さんは働いているの」
「へえ」とポンバはうなずいた。
「うちはびんぼうだから朝から晩までお母さんたち、働いているんだ…」とうつむいたままミアは言った。
「山の下にあけた深いトンネルにもぐって、ゼットリウムっていう石を取るの。とっても高く売れるんだけど、お父さんたちがもらえる、おかねはとっても少ないんだって…」
ミアはため息をつくとつづけた。
「そこでお父さんたちは、いつも顔と体じゅうを真っ黒にして帰ってくる。ふたりとも『疲れた、つかれた…』って夜おそく、ぐったりして帰ってくるんだ…。
だから、あたしが手伝えば、少しは楽になるかなって思ったんだけど、子供は危ないからって、鉱山にはつれていってくれない…」
ミアはなかば独り言みたいにいった。
「でも、この前、お父さんがとうとう倒れちゃった。ずっと熱が下がらなくて、すごくせきをして…」
「そ、それは心配だね…」
ようやくポンバは口をはさんだ。
「でも、病院にはいけない。うちにはお金がないから…」
ミアは唇をかみしめた。
「だから、薬がいるんだ…」
ミアは蝶みたいなうすい花びらをそっとつまんだ。
「この花はね…薬になるの…」そよかな風にちりちり震える藤色の花をじっと見ながらミアが言った。
あたりはしんとしてときどき、風が木の葉をゆする音がするだけだった。ミアはじっと動かない。かすかにため息をついた。「やっぱりとれないね…」そういうと、立ち上がった。「とったらかわいそうだもんね…」
「え」
ポンバは彼女の顔を見上げた。
「で、でもお父さんの病気が…」
そのときだった。ポンバの視界のすみで、なにかが動いた。
ポンバは花に目をやった。藤色にぼおと光る花びらがゆっくり動いていた。風になびいている動きではなかった。まるで本物の蝶が羽根をゆっくり上下させているように…
それからはばたきが早くなったかと思ったら、ふっと浮き上がった。
「えっ」「あっ」ふたりは同時に声をあげていた。
花は茎から離れて飛んでいた。ひらひらと。いや、蝶がというべきか…
うすぐらい森のなかで、蝶はほのかに藤色の光をふりまきながら、ふたりのまわりをひらひらと飛び回った。はじめて空を飛んでうれしくて仕方がないといった感じだった。
「え、こういうことだったのね」
やっと、声を取り戻したといった感じで、ミアが言った。
「この花の鱗粉を煎じて飲めばどんな病気も治るってきいていたの…」
ミアは息せき切っていった。
「花なのに、花粉じゃなくて鱗粉っておかしいと思っていたんだけど…本物のちょうちょうになるってことだったんだ」
蝶はひらひらと舞い、ユキヒョウの頭の上にとまった。
ポンバはミアの頭をゆびさして、あはは、と笑った。蝶は頭の上から離れない。
ミアはそっと蝶を両手でかこうと、胸の前まではこんだ。それからそっと手を開く。
「さあ、やっと地面から解放されたのよ、自由に飛んでいきなさい……」
やさしく手のひらを振った。蝶はかろやかに舞った。が、しばらくそのあたりを飛び回ると、彼女の肩にとまる。
「きみのこと、すっかり気に入っちゃったみたいだね…」とポンバは微笑んだ。
ミアは、「もう帰らなくちゃ。じゃあね、ばいばい」と手をふって歩き出すと、蝶もついてきた。
結局、山をおりてくるあいだ、ひらひら飛んだり、ミアにとまったりしながらついてきてしまったのだった。
木々の間から斜めに差し込む夕方の陽光に蝶はうつくしく輝いた。じゃれるようにミアにまとわりつく。
「はねがある同士だから、最初からなかよくなれたのかもしれないね…」とポンバはミアと蝶をやさしく見ながら言った。
森から出ると、ミアと蝶はかえっていった。
あいかわらず、ギビマルは毎日のように、ポンバのところに遊びにやって来た。
日々、いっしょに遊んだけど、ギビマルはときどき、丘のはしっこに行ってじっと広場を見下ろした。
丘の下の広場からその向こうの草原にかけては、カラフルな遊園地の光景がひろがっていた。にぎやかでたのしそうな音楽がきこえてくる。その音楽にあわせてギビマルがからだをゆすっていることもあった。
(遊園地に行きたいんだな)とポンバは思った。でも、また丘をおりていけばいじめられてしまうかもしれない。そう思うと、こわくてとても広場に向かう気にはなれなかった。
でも…となおも考えた。ぼくと遊んでいたってそんなにおもしろいわけがない。遊園地に行ったらきっとよろこぶぞ…地面にころがった小石をみじかい羽の先でちょんとはじいてはまた戻しているギビマルをみおろしながらポンバは思った。
ポンバは決心した。ギビマルのまるっこい肩に手をあてると、「遊園地、行ってみよう!」と言った。
ギビマルは大きな丸い目をかがやかせて大きくうなずいた。
眼をこらしてじっくりと広場を見渡したけれど、サソリ熊と子分たちはいないようだった。ポンバはいったん家に帰ると、肩かけかばんにおかしとジュースをつめこんだ。それからギビマルをおんぶすると丘を下り始めた。
一歩、いっぽ坂道を踏みしめながら、頭のなかでは、サソリ熊があらわれたらどうしよう、と気が気ではなかった。
(そうだっ)。とポンバは思った。(ビーダンスケにもし会ったら、あたまをつきだしてみよう。そしたら、ギビマルをいじめないで、また、おもしろがってぼくのあたまをたたいてくれるかもしれない…)
おかの斜面にきざまれた小道を進むにつれ、広場の観覧車やサーカスのカラフルなテントなんかがどんどん大きくなってくる。大きなテントのてっぺんについている旗がばたばたはためいていた。
広場につくと、にぎやかでたのしげな音楽があふれていた。すごく高い一輪車にのったピエロが、ぐるぐると輪を描きながら走り回っていた。「プラリンション、プラリリンショーン!♪」ふしぎな掛け声をかけながら、一輪車をすごいいきおいで走らせている。しかも、たくさんの光りかがやくカラフルな玉をおてだまみたいに高く投げあげている。一輪車はときどきすごく傾いたりしている。「わあ、たおれちゃうよー!」とおもわずポンバが大声を上げると、「あぶなーい!」ギビマルも叫ぶ。
でも、ピエロは玉を落とすこともなく、すぐに態勢を立て直し、走り続ける。
ギビマルが手をたたき、せなかでぴょんぴょんとはねた。
ポンバもギビマルにあわせて、ジャンプしたかったが、気を引き締めて、広場のあちこちを見渡した。サソリ熊たちの姿はどこにも見えなかった。
グレープハリネズミやアップルハリモグラたちが走っている。その先には大きなわっかがいくつかたてに並んでいた。ぴょーんとジャンプしてグレープハリネズミがわっかをくぐる。とたんに、ぱんっ! 輪がはじけた。どうやら風船でできていたらしい。見ていたひとたちからどっと笑いが起こる。あたまをかいたグレープハリネズミは真剣な表情をつくって、また猛然と走り出した。つぎの輪をくぐりぬけようとするが、またしても針が風船わっかにふれ、はじける。
ギビマルはかんだかい声をだして笑った。
それからふたりは、観覧車やメリーゴーラウンドにのった。ギビマルはシートの上でとびはね、羽をばたばたさせて喜んだ。それから短い羽をせいいっぱい伸ばしてゆびさした。そのさきには、ゆらゆらうごめく痩せてねじ曲がった木々に囲まれた、ぼろぼろのお寺みたいな建物があった。
「おばけ、おばけ!」とギビマルは叫んだ。
「あ、おばけやしきだね…」
ポンバは作り笑いをして言った。(こわいのは苦手なんだけど…)と心の中でつぶやいた。おばけやしきを覆う不気味な木々は枯れた枝をおいで、おいでをするように揺らした。
ポンバは背中のギビマルをゆすりあげて気合を入れると、屋根が崩れ、黒ずんだ建物に向かった。木々の間からわらが混じった薄汚れた土壁がのぞいている。よく見ると、その壁からは苦しそうにゆがんだり、ひきつったりした腐りかけた手が何本も突き出てうごめいている。
ポンバはへなへなと腰がぬけてしまいそうになった。だが、背中のギビマルは張り切っていきおいよく、からだをゆらしている。
「ゴースト寺」と荒々しく乱れた筆文字で書かれた看板の横に入口があった。ポンバは震える足で、その底知れない洞穴みたいに、あいた暗闇へとおそるおそる入っていった。
自分から行くといったくせに、少し進んだだけで、ギビマルは「きぃーきぃー!」とさけんで、ポンバのせなかにぎゅっとつめをたててしがみつくのだった。
暗がりから、突然、ひたいから一本のつのをはやしたまっさおな顔のパンダのゴーストが出てきた。「ひゃあっ!」ポンバは飛び上がった。必死に逃げたが、足がのろいので追いつかれて、うしろから冷たい手でつかまれるのではないかと、思った。
でも、ポンバはなんとか逃げ切った。
それからも七色に輝くレインボーガイコツや、全身がとげでおおわれたトゲざるなどがとびだしてきて、ポンバとギビマルはそのたびごとに悲鳴をあげた。ポンバは何度もころんでしまいそうになりながら、なんとか進んでいった。
がんばって、だいぶん中のほうに進んでいったときだった。
うしろのほうから、「るりゃー。どりゃー!」とすごい声がきこえてきた。それからいきおいよく、どしどしと足音がせまってくる。ポンバはこわごわ振り返ると、おもわず「ひょえー!」と叫んでしまった。さっきの角パンダや、レインボー骸骨、とげざるなんかのゴーストたちがおそろしい顔ですぐうしろにせまっていたのだ。やはり自分たちを追いかけてきていたのだ。
でもゴーストたちは後ろを振り向くと、「きょええええーっ!」「ぶぎょおおおっ!」と叫んだ。ゴーストたちの顔は恐怖でひきつっている。彼らのうしろから、現れたのは…サソリ熊とその子分たちだった。そう、ゴーストたちはポンバたちを追いかけてきたのではなく、サソリ熊たちから逃げてきたようだった。
「おまえ、何歳だ」突然、うすくらがりの中にサソリ熊の太い声がひびいた。
「え、えと、来月で、千五百二十三歳になりますが…」と黄緑色にぼおと光るあごをかくかくさせながらレインボーガイコツは答えた。
「千五百何歳だって…」とつぶやいた後、ビーダンスケは「じゃあ、おれをおどかそうなど、千五百年はやいんだーっ!」とものすごい大声で怒鳴った。
「は、はいーっ!」と叫ぶように答えながらガイコツは飛び上がった。あまりにもいきおいよく飛び上がったので、天井に激突し、ガイコツはばらばらになって色とりどりの骨が地面に飛び散った。
「ビーダンスケさまをどなたとこころえる。ビーダンスケさまは、この町を支配するサッソリクーマ・グループを率いる王者さまのご子息、つまり王子さまであられるぞーっ!」と かっぱきづねのギザは声を張り上げた。
「ははーっ、すいません、すいません」と頭をさげるゴーストたちを見渡して、ビーダンスケは満足そうに太い腰に手を当てると豪快に笑った。だが、ふと口を閉じて真顔になった。ゴーストの向こうにいたポンバたちにじっと視線を注ぐ。
「お、おまえはっ」サソリ熊は押し殺したような声を出すと、身を固くした。うろこぶたのウフォは「あのときの、アリ使いだっ!」とさわぎ、身構えた。ギザも「あのときはよくもおれさまっ」と叫んだあと、「じゃなくて、ビーダンスケ様を」とあわてて言い直した。
「きさま、またアリをけしかけるつもりだなっ!」ビーダンスケはとげとげしい声で言った。
「こいつ、あのぼろかばんにきっとアリ軍団をしのばせているぞっ、ぱんぱんにふくれてるじゃないか」ギザは金切り声を出してボンバに指をつきつけた。ウフォは「アメフラシじゃなくて、アリフラシだっ」とポンバをにらみつけた。
「大量のアリを雨のようにふらすつもりだぞっ」ギザはかんだかい声を張り上げた。
サソリ熊は二人の子分をおさえるように巨大ハサミの手をあげた。
「だーけど、今度はこのまえみたいにはいかないぜ」サソリ熊はにやりと口のはしをゆがめた。
ビーダンスケはジャケットの内ポケットからゆっくりと何かを取り出した。
それはスプレー缶のようなものだった。
「こいつは超スーパー強力殺虫スプレーだぜ」缶をかるく振りながらにやにやした。
「世界でいちばん強力な。アリどころか、ドラゴン象やゴリライオンだって、これを吹き付ければいちころだ…」
ビーダンスケはポケットに手をつっこむとマスクを取り出してつけた。子分たちも同じことをした。
「おれの会社の一つにつくらせたんだ」とビーダンスケは胸を張った。
「ビーダンスケさまは、おまえとでくわしたら、ふきつけてやろうと、いつもスプレーを持ち歩いておられたのだ」とかっぱきづねがまじめくさった顔でおごそかに言った。
「なんと用意のよろしいビーダンスケさまだ」とうろこぶたも尊敬のまなざしで手をあわせながら言った。
そのときだった。レインボーガイコツがバラバラになった体をそっと組み立てながら、サソリ熊の足元を通って逃げようとした。だがサソリ熊のけむくじゃらの足に触れてしまった。
そのとたん、「ぎゃーっ、でたーっ!」ビーダンスケは、すごい声でさけぶととびあがった。
「ア、アリですかっ」ギザが震える声で叫んだ。「アリリーっ!」ウフォも悲鳴をあげる。
ビーダンスケは超スーパー強力殺虫スプレーを掲げると、あたりかまわず、ふきかけた。ぷしゅーーっ!。ゴーストハウスはたちまち、スプレーの霧がたちこめた。
「うわっ、」強烈な刺激臭がして、ポンバはおもわずしゃがみこむと、口やのどをおさえた。「ギビマルっ、鼻や口をおさえてっ」背中に向けて叫ぶ。
スプレーはゴーストたちにもかかったらしく、あちこちで悲鳴があがった。むせて、せきこむ音や、もがき苦しむ声が、迷路のようなうすぐらい通路に響いた。
ばたん!、と近くで激しく倒れる音がした。つのパンダだった。まともにスプレーをあびてしまったのだろうか。
うつぶせになったつのパンダはまるで死んでしまったかのようにぴくりとも動かない。
「え…」ポンバはつのパンダをみおろしたまま固まってしまったみたいに動けなかった。
だが、しばらくたってから、「ぐええええええ」と地の底から響くような大きなうめき声がつのパンダの青白いからだから発せられた。
それはスプレーをまともにくらって苦しんでいる声だとポンバは思った。だがそのうめき声にはなにか得体のしれない喜びのような響きが含まれていることにポンバは気づいた。とてもいやな予感に襲われた。うめき声は次第に大きくなっていった。
しばらくして、つのパンダはよろよろと立ち上がった。まるかったパンダの顔やからだはみるみる細くなっていった。全身から青白い光が放たれ、その光はどんどん強くなっていく。つのパンダはさらにやせていき、あばら骨がつきで、ついにはミイラのように骨と皮だけになった。
でもそんな姿になりながら、つのパンダはさっきまでとはくらべものにならないほど、活発に動いた。耳までさけた口をあけ、しゃーっと毒蛇みたいに叫んだ。口の中には、針のようにするどくとがった長い牙がずらりと並び、鈍く光っている。細長い首をあちこちに勢いよく降り向け、威嚇しつづけた。
「わ、わわわわ…」ビーダンスケは逃げ出そうとしたが、足がすくんでしまったようで、その場から動けなかった。子分たちも立ちすくんだままぶるぶる震えている。
全身がとげでおおわれたトゲざるがそんなサソリ熊たちをよく光る眼でじっとみつめた。トゲざるも様子がおかしかった。その片方の目だけがみるみる大きくなっていった。もうひとつの目をのみこみ、自分の鼻や口、耳なども次々に飲み込んでいく。ついにはトゲざるの首から上は巨大で、ぬるぬる光る目玉だけになってしまった。
レインボーガイコツにも変化が訪れていた。ちょっとふれただけで、ばらばらに崩れてしまいそうだったガイコツは、骨格ががっしりした感じになり、七色の光が強くなっている。骨は筋肉のように盛り上がり、あごがはずれそうなほど、大きな口をあけ、「くかかか、くかかかかか!」と笑った。
「わああああ!」うろこぶたが悲鳴をあげる。
「も、もしかしたら…」かっぱきつねが、がくがく震えながら言った。
「ビーダンスケさまのスプレーはたしかに生きているものには効くかもしれません。生きているものを弱らせるのには効果があるのでしょう…」
震える自分の体を抱きしめるみたいにしながらギザはつづけた。
「けれど、もともと死んでいるものには逆の作用をおよぼすのかもしれません、…つまりどんどん強く、元気になっていくということです…」
強力化したゴーストたちは、サソリ熊たちに迫っていった。
ポンバは立ち上がり、ギビマルをしっかりとおぶりなおすと、必死に逃げた。
ゴーストの力強いさけび声がハウスじゅうに響いていた。
あたりに漂うスプレーの霧で気分がとても悪かったが、ポンバはけんめいに走り続けた。
暗い迷路みたいな通路をなんとか走りつづけると、ようやく出口の明かりがみえてきた。
「やったよ、ギビマルっ、もうすこしだっ」ポンバは叫んで、必死に足を動かした。
なんとかゴーストハウスから出た。おもわずほっとした瞬間、ばりばりばりっ!というすごい音がした。ゴーストハウスの灰色の壁がべりべりとやぶれた。そのあいだからゴーストたちがいきおいよく飛び出してきたのだった。
ひとつの体から何十もの、いやなん百もの頭が生えている怪物とか、体の前半分が巨大カブトムシで、後ろ半分がぐねぐねした白い幼虫みたいな妖怪とか、ぞろりとしたあつぼったい着物を着たのっぺらぼうとか。ほかにも数え切れないほどのゴーストたちが出てきていたのだった。
お客たちはさけびながら逃げまわった。悲鳴が広場じゅうにひびきわたる。
ゴーストたちはあたりを飛び回ったり、走り回ったりした。
毛むくじゃらのひょうたんクジラが何メートルもある大きな口で風船売りの風船をまるのみし、ひとかみすると、ぱんぱぱぱんっ! と膨大な数の風船たちが割れる音が響き渡った。ゴーストたちは屋台を次々に襲いホットドッグやわたあめやりんご飴、やきそば、クレープなんかをむしゃむしゃ、あっという間に食べてしまった。
ゴーストたちは遊園地のジェットコースターや観覧車にのったりしておおはしゃぎだ。遊園地はたちまち、ゴーストたちに占領された。観覧車のゴンドラの中には入らず、上に乗ったり、ぶら下がっているものもいる。コウモリみたいにさかさになってぶらさがっているゴーストもいる。黒ずんだぼろきれのような服がだらんと下がり、風にばたばたとはためいている。真っ青に晴れていた空は曇り、不気味な形をした雲が空を覆い、流れ、渦巻いている。
ゴーストたちが乗ると、遊園地の明るくカラフルだった乗り物はみな真っ黒になってしまった。
コーヒーカップのなかにはいつのまにか血のように真っ赤などろどろした液体が満たされていた。その中にまるでお風呂にでも入るようにゴーストたちがのんびりとつかっている。カップはしだいに回転スピードをあげていく。すごいスピードなのに、ゴーストたちはゆったり湯につかっている温泉客のように満足そうにくつろいでいる。おだやかな表情でカップのふちに頭をもたせ、目をつぶったりしているものもいる。
しかし、その回転スピードはとんでもないほど早くなっていった。ぐおん、ぐおん、と不穏な音がひびき、カップがきしむ。さすがにゴーストたちも顔をしかめた。液体が嵐の海のように波打ち、カップからいきおいよく飛び散った。ついに回転は目に見えないほどの速さになり、ゴーストたちの体が硬くしぼった雑巾のようにねじれた。そしてげえげえとカップの外に吐いた。その中には奇妙な形をした、ぐねぐねうごめく内臓らしきものもあった。内臓はぴょんぴょんとびはね、「ぼくも乗りたい」という感じにコーヒーカップに飛び込むものもいた。
ポンバは、(にげなくちゃ)と思いながらも、あっけにとられて、そんな遊園地の光景をじっと見ていた。
振り子みたいに大きくスイングしていたフライングパイレーツは、支柱からはずれて空中に放たれ、どんよりした空をとんでいた。いつのまに真っ黒でぼろぼろの帆をかかげた幽霊船になっている。乗っているお客たちは悲鳴をあげ、幽霊船にとりついたゴーストたちはけたけた笑っていた。幽霊船は遊園地内を飛び回り、お客たちをつぎつぎにさらっていった。
ジェットコースターも線路をはずれ、そこらじゅうを激しく回転したりしながら自由にとびまわっている。ジェットコースターの車両同士がぶつかり、粉々になった車両から、ゴーストが笑いながら落下する。
腰をぬかして地面に座り込んでいたサソリ熊が震える声でさけんだ。「ば、ばけものをなんとかできるのは、あいつらしかない、ま、魔女たちをよべっ!」
「あ、はい」とさけぶと、ギザとウフォはへっぴり腰で走り出した。
すると、しばらくして、どんよりとくもった空の向こうから、黒い点がいくつか見えてきた。点はしだいに大きくなり、ほうきにまたがった魔女たちの姿になった。魔女たちのほうきからはそれぞれくさりが垂れており、その先は一つの大きな黒いかたまりにつながっていた。
異様なほど長くとがった耳をもつウサギザルの魔女軍団は広場に降り立った。魔女たちがくさりでぶら下げてきたのは、真っ黒い大きな鍋だった。
「われら魔女ども、参上つかまつりました」リーダーらしいひときわ大柄の魔女がサソリ熊の前で深々とおじぎをした。よれよれのとんがり帽子から突き出た耳は、三本あって、それぞれ途中でおれまがっていたり、ねじれたりしていた。
それからゴーストたちに占領された広場を見渡し、深い顔のしわをさらに深くした。サソリ熊はいままでのいきさつをせっぱつまった口調で説明した。
「それは大変ですな、とにかく、やってみましょうぞ…」
数人の魔女が大鍋を囲んで、ごつごつしてしわだらけの手のひらをそれに向けた。
「タララッピィ、ギンゴロ、レロリィ、トラララララピィ…」
奇妙な呪文を唱え始める。
すると、鍋にみるみる液体が満ち溢れた。青緑色ににごり、ごぼごぼと煮立っている。
「おえ」、「うわ」サソリ熊の子分たちは鼻をつまんだ。リーダー魔女は、しわだらけの手で、湯気を自分の高くとがったわしばなへ寄せた。「ううん」と首をかしげる。
「わしらは、この鍋をさげてそこらを飛び回り、悪霊を退散させるつもりだったんだが…」
「この湯気に触れれば悪霊は退散するはず…」鈍く金色に輝く目が今にも飛び出そうな魔女が言った。
「しかしこれだけ凶暴化した悪霊どもを退治するには並みの魔法ではききそうにありませんなあ…」あたりをあばれまわるゴーストたちを見回しながらリーダー魔女は顔をしかめた。
「もう少し、エキスが必要です。悪霊を退散させるエキスが…」とリーダー魔女がしわがれた声で言った。
「そう、ほとんど悪霊と同じようなみにくい生き物をこのなべに放り込み、いっしょに煮込めば効果抜群でありましょう…」と金色目玉魔女があとをひきついだ。
魔女たちはあたりを見渡した。
「おお、ちょうどいい、あそこにおるものはじつにみにくい」と耳をぴんと立ててリーダー魔女が指さした。その先には、ポンバの背中におぶられたギビマルがいた。
「おお、コウモリではないか、コウモリはよくわれわれも使いますぞ」と金色目玉魔女が言った。
「それによく肥えとる」リーダー魔女が付け足した。
金色目玉魔女が、がにまたになって、深くしゃがみこんだかと思うと、かえるのように大きくジャンプして、ポンバのかたわらに降り立った。それからギビマルを奪いとると、またとびあがり、鍋のそばに戻った。あっというまのできごとだった。
金色目玉魔女がつかんだギビマルに、リーダー魔女がしわだらけの手のひらをかざした。「ギロレロラッピィ、ガガラッピィ、トラララララッピィ…」と呪文を唱えだした。
ギビマルは魔女の手の中で体をよじって、きぃきぃとさけんだ。でも魔女は枯れ枝のようにほそい腕なのに、すごい力らしく、どんなにもがいても逃れることはできなかった。
「やめろーっ!」。ポンバはひっしに魔女にかけよった。でものろいので、なかなか魔女のところにたどり着けない。
「よし、このくらいでよかろう…」リーダー魔女はポンバには気づかない様子で満足そうにうなずいた。金色目玉魔女がギビマルをぐらぐら煮立った大鍋の上にかざした。
そのときだった。ばさっ、ばさっ!、と音がしたかと思うと、真っ白いものがいきおいよく鍋の上をかすめてとんだ。つぎの瞬間、魔女の手の中のギビマルは消えていた。
「あ…」魔女たちは口をぽかんとあけた。
白い大きなつばさをもった生き物が飛んでいく。手にはギビマルがしっかりと抱えられている。ユキヒョウのミアだった。
「あっ、われらの具をどうするっ」飛び去って行くユキヒョウの姿に向かってリーダー魔女はごつごつした手を差し出した。どんよりした雲の下、白く輝くミアの姿は小さくなっていった。
「なにものだ、あいつはっ!」金色目玉魔女がかっと目を見開くと、左の眼が飛び出て地面を転がった。じゅ、じゅう、と草がこげた。腐ったようなエキスのにおいに草の焦げるにおいが混じった。金色目玉魔女は「あじ、あじじっ」と叫びながら湯気のたつ目玉を拾い上げ、あわてて、しわだらけの黒ずんだ顔にあいた真っ暗な空洞に目玉を押し込んだ。
サソリ熊は口をぽかんとあけて、ミアが消え去った空を見ている。子分たちがおそるおそる親分の顔を見上げていた。ビーダンスケの黒黒とした眉間に魔女顔負けの深いしわが寄った。歯がきしむギリギリという音が、ぐつぐつ煮える鍋の音に混ざった。
「ちっきしょう、もうすこしでうまくいくところだったのに」リーダー魔女が赤茶色のねばねばしたつばを飛ばしながら叫んだ。
「あんな、いい「具」はめったに、なかったよ…」
金色目玉魔女も悔しそうに、そう続ける。
「われらを甘くみるなよ」リーダー魔女は意を決したようにほうきを手にとると、またがった。あとの魔女も続いた。魔女たちはつぎつぎに草原を飛び立った。
しばらくすると、魔女たちは大鍋のところに戻ってきた。誰もギビマルをもっていない。
「具どろぼうのやつ、すごいスピードだわ…」魔女のひとりがぜえぜえ苦しそうに息をしながらいった。
「わしら年寄りにはとても追いつけまいて…」
ほかの魔女も曲がっている背をさらに深く曲げて苦しそうに言った。
そのときだった。
「おいおい、こいつはなんだあ…」へんにまのびした、奇妙な声がした。
いつのまにか、やせこけてごつごつした青白パンダゴーストが煮えたぎっている大鍋を覗き込んでいる。
「おいおい、なんか、うまいもんがあると思って来てみたら、これ、へんなにおいがするぞ」と鍋から顔をひっこめた。ほかのゴーストたちもやってきた。
とげが全身にはえ、からだの上に巨大な目玉がのっているゴーストは「なんか気分がわるくなってきた…」といって、ぼたぼたと、とても大きな涙をこぼしだした。
「あたりまえだ。おまえらを退治するための鍋だからな」
魔女のひとりがにくにくしげに言った。
「この鍋はこいつが命令してもってきたようだぞ」とレインボーガイコツがサソリ熊を指さした。
「なんだ、なんだ、こいつ、おれたちになにをするつもりだったんだ」目玉ゴーストはぎろりとサソリ熊をにらんだ。
「まさかおれたちをやっつけようとしてるんじゃないだろうな…」とパンダゴーストは、ビーダンスケに詰め寄った。
「い、いや、わたしは別に…」サソリ熊はへっぴり腰で後ずさりした。それからくるりと向きを変えると、草原を走り出した。けれど、半分、腰が抜けたみたいになって、ひざからくずれた。ゴーストたちはすぐに迫っていった。
ビーダンスケはうずくまり、あたまをかかえこんだ。そのひょうしにどういうわけか、「ぷ」とおならをしてしまった。サソリ熊のおならというのは、しっぽにためている毒がまじっていて、とても危険なのだった。
「うぎゃ!、」「むぐうう…」
ゴーストたちは急にうめき、くるしみだし、その場にばたばたと倒れた。ギビマルみたいにまるくなっていたビーダンスケは薄目をあけて、それを見た。それからゆっくりと立ち上がった。
「ちぇっ、そういうことか…」サソリ熊は口元をゆがめた。
地べたに伸びているゴーストたちを見下ろし、勝ち誇ったようにほくそえんだ。
「まったく、だれの助けも必要なかったんだ…」
つぶやくように低い声で言う。
「結局、おれがいちばんつよかったということじゃないか」
ビーダンスケは笑い出した。
サソリ熊は腰に手を当て、笑い続ける。その声はますます、高く大きくなっていった。
でも、その笑い声はぴたりと止まった。
横たわって動かなかったゴーストたちはみな、よろよろと立ち上がった。
「え」と熊サソリは目をみひらいた。「こ、こんな感じの、どこかでみたことがあるような…」
すっくと立った青白やせパンダが一声ほえた。あばら骨のつきでたやせた体から発せられたとはとても思えない、野太く大きなほえ声だった。それからパンダの体がたてにぐよーんと伸びはじめた。大蛇のように伸びながら、次にねじれパンのように、よじれだした。ぎゅうぎゅうよじれながらギュイー、ギュイー! と何とも苦し気で不快な声をあげる。ねじれながら空に向かってぐんぐん伸びていった。
それから急に下を向くと、首が急降下し、うろこぶたにおそいかかった。あっというまに、でっぷりした体にぐるぐるまきついた。「うぎゃああああ」空中に持ち上げられたウフォが悲鳴をあげる。ねじりパンダはぎゅうぎゅうとウフォの体を締め付ける。そのまま、へびのようにのたうちながら去っていった。
レインボーガイコツも巨大化しだした。体つきはさらにがっちりとたくましくなり、全身の骨が金属のように光りだす。玉虫のような輝きだ。光はしだいに、まぶしくて見ていられないくらいの強さになった。
ぐんぐん大きくなり、ついには十階建てのビルくらいになった。巨大レインボーガイコツはあごをはずれそうなほど、大きくあけると、はげしく歯を打ち鳴らし始めた。ガチガチガチガチガチガチっ!、耳障りな金属音がどんよりした空に響き渡った。
「で、ですから…」ギザがおびえた目で巨大化したゴーストたちを見あげながら口を開いた。「こいつらは毒やなんかで痛めつければ痛めつけるほど、強力になっていくのではないでしょうか……」
すさまじい勢いで、歯を打ち鳴らしながらレインボーガイコツはビーダンスケを見下ろし、光り輝く巨大な骨の手をつきだしてきた。
「わああああっ!」サソリ熊はさけびながらうずくまると、また、「ぷぷぷ!」と連続しておならをしてしまった。
サソリ熊の毒ガスおならは、あたりいったいにひろがった。そのおならの霧につつまれた人々はつぎつぎに倒れてしまった。けれど、ゴーストたちは反対に今以上にエネルギーに満ち、巨大になっていったのだった。
目玉ゴーストもぐんぐん巨大化した。目玉はにぶい琥珀色の光を放ち、アドバルーンみたいに空にゆらゆらと登っていく。うすぐらい空にぽっかりと浮かび、
「見てる、見てるぞおー。見てる、見てるぞおー、見てる、見てるぞおー」と何重にも深く響く声でいつまでも繰り返すのだった。やけに語尾を引き延ばしながらぎろり、ぎろりとあちこちを見渡している。それから「みいつけたあぁぁ」と言うと、ふうわりと西のほうに漂っていった。何をみつけたのかはわからなかった。
ポンバは鼻をつまんで倒れたまま、そんな様子を見上げていた。
ポンバたちが遊園地に来たときには、きれいな青空だったのだが、いまは、青みをおびた夜空のように暗くなってしまっていた。
空は厚い雲に覆われている。でもよく見ると、それらの雲は生き物のようにうごめいている。そう、それは雲ではなく、巨大ゴーストたちの群れなのだった。黒ずんだ「雲ゴースト」たちは、ぶつかりあい、重なりあってうめく。その無数のうめき声が幾重にも重なりあい、「うぉぅ、うぉぅ」というような巨大な響きになって、空に満ち溢れた。
巨大ゴーストたちを見上げながら震えていたビーダンスケだったが、はっとしたように叫んだ。
「そうだ、巨大には、巨大だっ、あいつらを呼べっ、オレンジニットだっ!」
ギザはふたたび走り出した。
どのくらいの時間がたっただろう。
「ごごごご…」と大きな音がして、地面が揺れた。ポンバが音のする方に目をやると、巨大な車が何十台も走ってくるところだった。黒ずんだ部厚い鉄板で覆われ、ぶあつい巨大なタイヤがいくつもついて、地面を削るように勢いよく回っている。
人々はみな、不安げにそれらを見た。
車にはみな、黒っぽい服に身を包んだ屈強な熊の男たちが乗っていた。ヒグマ、ツキノワグマ、シロクマ…いろいろな種類の熊がいた。その服は分厚く頑丈で、まるで金属でできているかのようだった。
頭にはみんなお揃いのオレンジ色のニット帽子をかぶっている。
「サッソリクーマの軍隊だっ」と誰かが叫んだ。
「通称、オレンジニット…」恐ろし気につぶやく声もあった。
車の音はますます大きくなった。
よく見ると、車には横腹にみな同じマークがついていた。けむくじゃらのサソリのマークだった。とげのあるしっぽをたけだけしくふりあげている。
車たちは止まった。そのうしろからどしん、どしんとものすごい音がし、地震みたいに地面が揺れた。
「ええっ!?」
ポンバはおもわず大声をあげた。
軍の後ろに控えていたのは、十台ほどもある巨大ロボットだった。行進していたロボットたちはぴたりと止まった。いかつい頭に弓なりになった刀みたいな二本のつのをはやしたもの、全身鏡でできているようにあたりの光景を映しているしなやかなロボット、工場のひとが溶接のときに使う仮面みたいな顔のレトロっぽいずんぐりしたロボット…いろいろなロボットがいた。
一台の車から、一人のハイイログマが下りてきた。オレンジ色のニット帽子の下には左右の両はしがぴこん、ぴこんと上へはねあがったりっぱな口髭がのぞいている。ごつい体を包む制服にはたくさんの勲章がつけられ、ネオンみたいに、めまぐるしく点滅している。
その後ろには、やせて小柄なマレーグマがひかえていた。
ハイイログマは、サソリ熊の前に立つと、背筋を棒のように伸ばし、ぴっと敬礼をした。「ラッギリーニ大佐、ロボット軍をひきつれ、参上つかまつりましたっ」
「おなじく、ドドンタ少佐でありますっ」マレーグマもせいいっぱい背中を伸ばして叫ぶように言った。
「おお、たのもしい。こいつらなら化けものどもをやっつけてくれるな」
ビーダンスケは期待に満ちた顔で巨大ロボット軍団を見上げた。
「はい、新たに開発されたものばかりです。おぼっちゃまにお目見えするのもこれがはじめてですなっ」分厚い胸をはりながら大佐が言った。
「ではさっそく、必殺技を披露しましょう!」
大佐がリモコンのようなものを向けると、ロボットの一台が、ぎいいと巨大で頑丈そうな腕をあげた。両腕を曲げてガッツポーズのようなものをつくる。つりあがった目が炎のように真っ赤に輝き、口元は固い意志を示すようにきりりとかたく締まっている。先っぽに皿のようなものがついたアンテナが頭の上から突き出ていて、やたらいきおいよく、ぐるぐるとまわっていた。
ずんぐりした赤茶色の金属の胴体についた胸が観音扉みたいにぱかっとあいた。中から銃砲が何本も突き出て、先端が赤くともり、だだだだっ!と大きな音が響いた。巨大ロボットは銃砲をあちこちに向ける。
「わ」ポンバはおもわずしゃがみこんだ。耳をおさえ、目をつぶった。でもそのあとは、あたりを沈黙が覆った。ポンバはおそるおそる目をあけた。みなが、あたりをみわたしている。
巨大ゴーストたちは何事もなかったかのように、暴れていた。
「お、おい」とすこし、かすれた声でサソリ熊がいった。
「やっつけたか…」
倒れているゴーストは見当たらなかった。
「なにを攻撃したんだ…」
と、ビーダンスケは抑揚のない声でつづけた。
「いえ、何も攻撃しておりませんっ」ラッギリーニ大佐が胸をはったまま、きっぱりと答えた。
あわてて、ドドンタ少佐が身をくねらせながら口をはさんだ。
「あ、あのぉ、じつはあのロボットの銃は、光が点滅するだけで、銃弾とか、ミサイルとかそういうのは、いっさい出てこないんですぅ…」
「はぁ?」
とサソリ熊がふといまゆをしかめると、大佐はせきばらいをして、リモコンのボタンを押した。ごごごごと音がして、一体のロボットが前ならえをするように両腕を水平に上げた。
「ビックリパアーンチッ!!」大声がひびくと、両腕が炎を吹いて飛び出した。でも、三メートルほど飛ぶと、なにか見えない壁にはねかえされたかのようにいきおいよく戻った。よく見ると腕にはワイヤーのようなものがついていて、ロボットの胴体の前でぶらん、ぶらーんと揺れていた。
サソリ熊はもう何もいわずに冷たい目で大佐たちを見た。
「あ、あのお、危なくないように、パンチはちょっとしか飛ばないようにつくってありまして…」ドドンタ少佐は、上目づかいでちらちら、ビーダンスケを見やりながら、小声でいった。
「そもそも、あれらは、みなおぼっちゃまのおもちゃ用につくられたものですからな …」ラッギリーニ大佐は巨大ロボットをみあげながら、なぜか満足そうな笑みを浮かべた。「安全第一の設計なのです」と自慢げに言った。
大佐はつづけてリモコンのボタンを押した。「アカンベーロボ」がばかでかいべろをべローンと出し、「やまびこロボ」は、口に手をあて、やっほー、やっほーとひたすら繰り返した。
さいしょは巨大ロボットの出現におどろいていたゴーストたちだったが、すぐに笑いながらロボットで遊びはじめた。ロボットの首をぐるぐる回したり、町の住民をつかんで巨大ロボットのあたまの上にのせたりした。全身、鏡でできたロボットに自分を映して、髪を整えたりするゴーストもいた。なかには、アカンベーロボのべろをおもいきり、べろろーん! とのばして、観覧車の支柱に結び付けたりする悪質なゴーストもいた。
「まったく…」そんなありさまをみて、サソリ熊は深くため息をついた。「やくたたずロボばかりだな…」
「い、いえ、そ、そんなことは…」手をせわしなくふりながら、ドドンタ少佐がいった。
少佐は焦った顔でロボット軍団を見渡していたが、その中の一台を指さした。
「た、例えば、あの温泉ロボットなんかはどうでしょう…」
「え、なんだ…」
ビーダンスケはまゆをひそめたまま、ロボット軍団のほうに目を向けた。
「あ、あの、リモコンをお貸しいただけませんでしょうか…」
少佐がおずおずというと、
「お、おう」といって大佐はリモコンを渡した。
ドドンタがリモコンのボタンを押すと、ロボット軍団の中ほどから一体のロボットがゆっくりと進み出てきた。巨大な浴衣をはおり、あたまにはてぬぐいをのせている。ころころしたからだのあちこちから、白い水蒸気のようなものがたちのぼっていた。
「また、一段とまぬけそうなロボットだな」
サソリ熊は、眼をほそめてロボットをみあげながら、ばかにしたように言った。
「いや、なかかなすばらしいロボですぞ」とラッギリーニ大佐は満足そうに、はねあがった立派なひげの先をつまんだ。
「あのボディの中には、あちこちに温泉風呂が設置してありましてな…」
温泉ロボットを指さして、誇らしげに大佐が続ける。
「おぼっちゃまがお好きなはちみつ風呂はもちろんのこと、しゅわーっとするラムネ風呂、スライダー風呂、七色のレインボー湯、滝の湯、いろんな果物が浮かべてあるフルーツ風呂…いろいろ、取り揃えておるんです…ムカデやクモやイモムシがたくさん、ぷかぷか浮いている風呂もあります、きっとお気に召すと思いますぞ…」
あたりには、ゴーストたちが遊園地を破壊する音や、人々の悲鳴が響き渡っていたが、ラッギリーニ大佐はまるで意に介さず、眼をとじて、うっとりとつづけた。
「おぼっちゃまは気に入ったお風呂につかりながら、ロボットにのっていろいろなところに旅ができるというわけです。いやあ、よい景色(けしき)をながめながら入る温泉とは、こりゃ最高ですなあ!」大佐は手をたたいて笑った。
「いや、だから…いまはそれどころじゃ…」
サソリ熊はいらいらした口調で言った。
「いえ、いえ、そ、そういうことではありませんでして…」
とあわてて、ドドンタ小佐が割って入った。
「あの温泉ロボットは見ての通り、大量に湯気を出しております…」
「うん、そうだな」みけんにしわをよせたまま、ビーダンスケはうなずいた。あたりには湯煙が白い霧のように立ち込め、硫黄のようなにおいが漂っている。
「悪霊たちを倒すには、魔女鍋の湯気をゴーストたちにかければよい、とききました。」少佐はつづけた。
「でありましたら、あの湯気を放出するロボットは有効に活用できるのではないでしょうか」
「魔女鍋をあのロボットの中に設置するというわけか…」
ビーダンスケは毛(け)むくじゃらの腕を分厚い胸の前で組んだ。
「そうです! そうしたら温泉ロボットはあちこち歩き回り、エキスのたっぷり含まれた湯気を盛大にまき散らせます。悪霊たちはひとたまりもないでしょう…」少佐は上目遣いでサソリ熊を見ながら言った。
しばらくの沈黙のあと、ビーダンスケは大きな声を出した。
「でも、何をいってるんだ、もう魔法のエキス煮汁はつくれないじゃないかっ」
じれったそうに真っ黒い巨大なハサミをふる。
「あの、きもちのわるいちびだんごコウモリは消えちまったんだから…」
またあたりを沈黙が覆った。
その沈黙を破ったのはリーダー魔女だった。
「たしかに‘だし‘にうってつけのゴーストは奪われました。でも、似たような者ならまだおります」と言って節くれだった指を突き出した。その先にはポンバがいた。
「だいたい、醜く、見ているだけでおえーっとくるもののほうが薬としてはよいのです…」とリーダー魔女は言って、にたあとしわだらけの口元をひずませた。
サソリ熊はカチンと両腕のハサミを打ち合わせた。
「たしかに、こいつはぐねぐねして気持ちわるいし、泥みたいにさえない色だ。それだけに薬としては効きそうだな、こいつを混ぜよう!」
ビーダンスケは明るい声で言った。
「そう、もとはといえば、こんなことになったのも、みんなあいつのせいなんだ」とかっぱきづねのギザがきぃきぃ声で言った。
「そう、あやつめがあろうことに、ビーダンスケ様にアリをけしかけ、しかし、ビーダンスケ様はそんな理不尽(りふじん)に屈することなく、それへの反撃をすばらしい頭で、考えに考えられた。そしてついに、超強力アリ殺しスプレーの活用を思いつかれ、それを開発させたのだっ!、そして、そして、それを、超強力アリ殺しスプレーをゴーストハウスでお発射になり、そして、そしたら……」とうろこぶたのウフォがぷっくりした腕を振り回しながら、くどくどと説明するのをさえぎって、ギザが金切り声をあげた。
「煮られたって自業自得ってもんだ!」
ポンバは自分の全身ががくがくひどく震えているのに気が付いた。でも凍り付いたようになって動くことができなかった。
魔法使いたち、軍人たち、ビーダンスケとその子分たちがじっとポンバを見つめていた。
「さあさ、ナメクジくん、おいしいお風呂にはいりましょうねえ」
リーダー魔女が猫なで声を出しながら、ゆっくりとポンバに近づいていった。ポンバのことはナメクジと思っているらしかった。
「ま、最初はちっと熱(あつ)いかもしれないが、我慢してりゃ、そのうち慣れてくるから…」金色目玉魔女もにやにやわらいながら、ゆっくりとポンバに迫っていく。
そのときだった。
ばさっ、ばさっと大きな羽根の音がした。白い輝き。そう、ミアだった。
ミアはあっという間にポンバをひっつかむと、空高くへと、とびあがる--はずだったのだが、そうはならなかった。
「え、お、重(おも)い…」よろけて飛びながらうなった。
飛ぶスピードはギビマルを運び去ったときと比べ、はるかに遅かった。
「さっきと同じとはいかないよっ」鋭い声を出すと、老婆とは思えないすばやさでリーダー魔女はほうきにまたがり、空中へと飛び出した。金色魔女やほかの魔女も勢いよく続く。
ミアは必死につばさをはばたかせたが、あっというまに追いつかれてしまった。リーダー魔女は黒ずんだごわごわの手のひらをミアに向けて突き出すと、「ブゴムギムトク…」とのろいの呪文を発した。すると、手のひらから不気味な赤紫色の光線がほとばしりでた。それが命中すると、ミアは力が抜けたみたいに、地面に向かって高度を下げはじめた。
でも、ミアは魔女たちにつかまる寸前に、ものすごい力をふりしぼって、ポンバを放った。
「このどろぼうねこめっ!」リーダー魔女が体当たりすると、ミアは地面に落ちた。ほかの魔女たちも飛びかかる。
魔女たちはミアをとらえ、サソリ熊のところに戻った。
「ほんとうにふざけたやつだ、すぐにどこかに閉じ込めておけっ」とビーダンスケはミアをにらみつけ怒鳴った。ドドンタ少佐はぽんと手を打った。「それならちょうどいいところがあります」といって、ロボット軍を見上げた。そして、いちばん後ろにいるひときわ巨大なロボットを指さした。ごつごつした岩山みたいなロボットだった。胸の上あたりから上は灰色の雲の中に入っていて、顔は見えなかった。
「アドベンチャーロボです。中は洞窟みたいな迷路になっておりまして、一番上にお姫様を閉じ込める牢屋があるのです」ドドンタ少佐が大きな声で言った。
「魔王にさらわれたお姫様を助ける、という設定でしてな。さまざまな難関をクリアしながら、ロボットの中を登っていき、最後にとらわれのお姫様を救うというゲームなのです!」ラッギリーニ大佐が目を輝かせながら、叫ぶように言った。
「ゲームとはいえ、牢屋はしっかりしたものですので、絶対に逃げられません。わが軍の見張りもつけましょう」とドドンタ少佐が胸を張って言った。
「わかった、わかった。じゃ、とりあえず、そこに閉じ込めとけっ!」ビーダンスケが怒鳴るように言った。
ミアは何人かの熊兵士たちに囲まれて岩山みたいなロボットに連れられて行った。
そのようすをポンバはうっそうと茂った木の中から見つめていた。
さっき、空中でミアに投げられたとき、この木にひっかかったのだった。
「さて、あのなめくじ、じゃなくて、アメフラシをさがさなくちゃな」とサソリ熊が言った。
「たしか、あっちのほうに、飛ばされたと思いますよ…」とラッギリーニ大佐がポンバのいる木立のそばの植え込みを指さした。
「あいつはうすのろだからそんなに遠くにはいっていないはずだ…」とラッギリーニ大佐がしげみのほうに目をこらした。
「さしずめ、ねこめに投げ飛ばされて気でもうしなっているんじゃないですかな…」リーダー魔女が、草むらをうかがうようにひからびた手を目の上にかざした。ポンバは木の中で身を縮めた。
「そうですな、すぐに確保しましょう」とドドンタ少佐はうなずいたあと、手をたたいていった。「そうだ、魔女鍋は温泉ロボットの頭部に設置しておきましょう。それから具を放り込んだほうがいいでしょう…」
「そうだな、そのほうがすぐに湯気が広がる。効果があるだろう。おい、みんな、具をさがせっ」ビーダンスケが手をあげると、子分や兵士たちが「はっ!」といって草むらのほうに走っていった。
そのすきにポンバはゆっくりと木の枝を進み、枝伝いに隣の木に移った。それからそっと地面におりた。身を低くして草に隠れるようにして、立ち並ぶロボット軍団に向かっていった。
巨大ロボットたちの足元を抜けて進む。とうとうごつごつした岩に覆われたアドベンチャーロボットの足元についた。
ぶあつい鉄のブーツをはいた巨大な右足に入口のようなものがあった。ブーツの先に、アーチ型の頑丈そうな鉄の扉がついている。入口らしいところはそこしかなかった。
鉄の扉の前には、槍(やり)をもったサッソリクーマ軍の兵士が四人も立っていて、とても入れそうにない。ポンバは兵士たちにみつからないよう、そっと、巨大な足の横側に回った。ロボットの外側に張り付いて登っていってどこかから入れないかと思った。
上をみあげると、右の膝のあたりに岩場のくぼみのようなものが見えた。穴みたいにみえる。「もしかしたら、あそこから入れるかも…」。よく見ると穴は体のところどころにあるのだった。ポンバはサンダルをぬいで肩掛けカバンに入れると、壁にとりついた。巨大ロボットの足にへばりついて、その穴めざしてのぼっていった。ポンバの手と足はなめくじみたいにねとねとしていて、壁にはりつくことができるのだった。ポンバは歯を食いしばってのぼっていった。突き出た岩を乗り越えたりして、ようやく穴にたどりついた。
ポンバは息を整えてから、穴にもぐりこんだ。岩の間の穴の中はひんやりしていた。せまくて、四つん這いになって進んでいかなければならなかった。行き止まりだったらどうしようと不安だったが、穴は続いていた。穴はいろいろな方向に曲がって続き、なかなか終わりにならない。暗くて先が見えづらかったが、ポンバは前に進んだ。心配になってくる。このまま穴の中をさまよい続けるのでは、と思った。
「わっ!」
突然、ポンバの体は支えを失って落下した。
「いてててて」
ポンバは固い地面にたたきつけられた。息が止まった。ポンバは石と思われる固くて冷たい地面にねそべったまま、しばらくじっとしていた。うすぐらい天井にはごつごつした岩が連なっていた。目が慣れてくると、ポンバはあっと声をあげ、上体を起こした。その声が何重にもこだまする。
あわてて口を手でおさえる。サッソリクーマ軍の兵士なんかに気づかれたら大変だ。
そこは岩や固まった土に覆われた洞窟みたいなところだった。じっと耳をすましたけれど、物音は何もしなかった。洞窟の壁にくぼみがあり、そこにこぶりな松明がすえつけられ、炎が揺れている。
穴が突然終わり、ここに落ちてしまったようだ。へんてこだけど、ここがロボットの内部なのだろう。
ポンバは立ち上がり、ゆっくりとあたりをみわたした。洞窟の通路は、ゆるやかに曲がりながらトンネルみたいに続いている。その行方は漆黒の闇におおわれていて、何か得体のしれないものが潜んでいるような気がした。
足がすくむ。
でもためらってはいられない。ミアはこのロボットのてっぺんでつかまっているのだ。
ポンバはゆるい登り坂になっている洞窟の道をそろそろと歩き出した。
洞窟の壁のちょっとしたくぼみにも何かがひそんでいて、いきなり飛び出してくるのではないか、とポンバの小さな心臓はいまにも破裂しそうだった。
でも幸いにも何も出てこなかった。今のところは…
どのくらい歩いただろう。登り坂はけっこう急こう配になるところもあり、ポンバはすっかり疲れてしまった。
暗がりのなか、岩に覆われた洞窟の道はゆるやかにあちらこちらに曲がりながらどこまでも続いていた。のろのろとしか動かないポンバの短い足はいまにもぐんにゃりと折れてしまいそうだった。このまま、どこまでもどこまでも永遠にこの道は続くのでは、と思えてくる。
ポンバは立ち止まって息をついた。ひんやりする地面に座り込んだ。でも…すぐにミアのことが頭に浮かぶ。つかまったミアが何をされているかわかったものではない。
ポンバは再び立ち上がった。そして顔をあげ、前をしっかり見据え、再びゆっくりだけど、確実に歩みだしたのだった。
しばらくいくと、ポンバは「え」と声をあげた。薄暗い通路の先が行き止まりになっていることに気づいたのだ。目をこらしてみると、少しせばまった洞窟の先には、鋼鉄の分厚そうなドアが鈍い輝きをみせて待ち構えていた。その手前に横道のようなものはなかった。さらに進むにはこのドアをあけるしかない。
「ドアの向こうに、だ、だれかいないよね…」ポンバは独り言をいいながら、こわごわとドアに向かった。つばを飲み込む。ひとつ深呼吸をしてから、背伸びしてドアノブをつかむ。ドアノブは氷のように冷たかった。ポンバははっとして手を離した。だが、すぐに再び握りなおした。
そっとひねった。ぎいいときしむ耳障りな音がしたので、びくっとして思わず、また手を離した。ドアはなかば自然に開いたかのように向こう側に動いた。数センチの隙間からにぶい黄色の光が漏れる。ポンバはなぜか、ドアノブをつかみ、重いドアを閉じた。しばらく息をひそめ、耳を澄ます。ドアの向こうに物音はしない…。ポンバはきっと口をひきしめると、ふたたびドアノブに手を伸ばし、息をとめたまま、ひねった。またドアは生き物がうめくようにきしみ音をたてて開く。その音は、あたりじゅうに響いたような気がした。
ドアの向こうには部屋があるようだった。そっと覗き込む。
暗闇から来たせいか、黄色の光がやたらまぶしく思えた。がらんとしただだっぴろい部屋には誰もいないようだった。家具のようなものも何もない。壁も床もコンクリートむき出しだった。なんだかうすよごれている。窓が一つもなかった。
部屋の中に一歩踏み出すと、ほこりが舞い上がった。思わずせきこむ。
天井にはランプが一つぶらさがっている。目が慣れてくるとその黄色い光はそれほど強いものではないことがわかった。
「おじゃましまあす…」小声でいって、おそるおそる中ほどに進んでいく。
黒ずんだ、しみだらけの壁になにかがひらひらしているのにポンバは気がついた。きばんだ紙が張ってある。端がめくれて揺れ動いている。
「風もないのに、おかしいな…」
ポンバはゆっくりと壁に寄(よ)っていって、その張り紙を見上げた。背伸びして、はしをおさえると、表面のほこりをはらった。すると、文字が現れた。緑のマジックで「ジュースなどあります」と上手とはいえない文字で書いてある。紙はふるびて黄ばんでいるのに、その文字は、たったいま、書いたみたいにうるんでいた。
たしかに、のどがからからにかわいていた。
「え、ジュース、どこに?」ポンバは部屋を振り返った。
みると、正面の壁の前に縦長の大きな灰色の箱のようなものがあった。
「あれ、こんなものあったっけ…」
よくみると、それは自動販売機のようだった。というよりその残骸というべきか。
ポンバは用心深くゆっくりと近づいていった。
まるで何十年も、いや百年もたったみたいに、全体が色あせて灰色になっている。表面がところどころはがれ、ほこりがこびりついている。缶が並んだディスプレイのガラス窓もよごれ、くもっていて、中の商品はほとんど見えないのだった。
(これ、こわれてるよね…)
でも、なんとなく、このジュースを買わなければならない気がした。
ポンバは肩から斜めに下げた布かばんからお財布を取り出した。
「これ、使えるかな…」首をひねりながら、コイン入れにコインを入れてみた。コインは機械の中に音もなく吸い込まれた。
ポンバは気持ちわるかったけど、よごれてほこりがこびりついた自動販売機にはりついてよじのぼった。ディスプレイの窓を覗き込んだが、ぼんやり見える缶はほとんど文字や模様はみえず、みな灰色に黒ずんでいた。ポンバはディスプレイの下に並ぶボタンの中から、適当にまんなかあたりのボタンをおしてみた。指の先が真っ黒になってしまった。
がたんっ! 大きな音がひびいた。
「ひっ」と短くさけぶと、ポンバはしがみついていた自動販売機から床に落ちてしまった。「ジュ、ジュースが落ちただけだよね…」ポンバは声に出して自分を落ち着かせようとした。取り出し口からおそるおそる缶を取り出した。すると、それは缶ではなくずんぐりした形のガラス瓶(びん)だった。ずいぶん、分厚い感じだ。ポンバは瓶にこびりついたほこりをハンカチでぬぐい取った。
中の液体は暗い色に濁っていて、何のジュースかわからない。「どう見ても、の、のめないよね、これ…」くすんだ青緑色ににごった瓶を見ていると、液体の中になにかがあることに気がついた。何か小さな塊が沈んでいる。「え?」ポンバは瓶をのぞきこんだ。
そのとき…瓶のなかのものが動いた。濁った液体の中から目玉が、ぎょろりとポンバを見つめた。「ひゃああっ!」ポンバはさけんで、瓶を放り出した。瓶はコンクリートの床に落ち、ぱりん! と割れた。ガラスの破片と中身が飛び散った。
青緑色のどろどろした液体の中に、小さなひからびたミイラみたいなものが横たわっていた。小さななまず、いやオタマジャクシのようにも見えた。だが次の瞬間、ミイラはむくむくと膨らみはじめた。どんどん大きくなっていく。黒ずんだ茶色だった色は、ぬめぬめと光る青緑色に変わっていった。
「わわわっ」ポンバはへなへなと、ほこりがぶあつく積もった床に座り込んでしまった。
「いやあ、助かったあ!」
はつらつとした声がコンクリートの灰色の部屋に響いた。天井に頭がつきそうな、大きな「くちばしがえる」が立っていた。黄緑色のあひるみたいな大きなくちばしがついている。
「おう、やっぱり外の空気はいいな。瓶の中はこう、息苦しくっていけねえ」といって大きくのびをした。
「おいらは、シャカシャタ、よろしくな」というと水かきのある大きな手を突き出してきた。
ポンバは何とか立ち上がり、おずおずと手を差し出した。シャカシャタはむぎゅとポンバの手をつかんだ。
「あいたた」ポンバは思わず、分厚いこぶしから自分の手をひっこぬいた。
「やあ、失敬、失敬。あんまりながく瓶の中にいたから、加減というものを忘れていたよ」といってシャカシャタは豪快に笑った。
「おれは、もう何百年もここにとじこめられていた…」と瓶から出た生き物は何の前触れもなく話し始めた。
「でも、おまえに助け出された…」とポンバの顔を覗き込み、にったりと笑った。笑うと、目がほとんど線になり、あごの下に肉がたれ、かなり得体のしれない感じになった。
でもその顔はすぐに真顔に戻った。
「あれ…」首をかしげる。「おれ、どうして閉じ込められていたんだっけ…」すこし考えたあと、その顔色は暗いものに覆われた。
飛び出た大きな目玉に恐怖のような色が浮かんでいる。
「お、おれは…」宙をみつめる。
「ほんとに知らなかったんだ。わ、わざとじゃないんだ…」
「え、何を?…」
ポンバが首をかしげても、くちばしがえるは彼に目を向けなかった。
「おれはさ、サンダル飛ばしだけは得意で、村の大会で本気を出しちまったんだ…」
シャカシャタの体はかたまり、目は何もない空間を見つめている。ポンバの存在を完全に忘れているようだった。
「いちばん、遠くに落ちているサンダルを見て、おれは腕をくんで笑っていた」
ぼんやりした声でつづける。
「見ていろ、あんなサンダル、目じゃないぜって叫びながら、思い切り、足をふってサンダルを放った」
「サンダルを遠くに飛ばしたひとが勝ちっていうゲームなんだね」
とポンバがいうと、シャカシャタはかすかにうなずいた。それからゆっくり口を開いた。
「一番だったサンダルをはるかに超えたところに、おれのサンダルは落ちた」
「すごいね…」とポンバは言った。
「おれは飛び上がった。やったーってね」
くちばしがえるは、青緑いろのぷよぷよした太い腕をあげた。でもその腕はすぐに力なくおろされた。
「おれは不思議なことに気がついた。トップスター選手が現れたのに、だれも、大会に集まっているだれも歓声をあげないんだ」
シャカシャタは灰色の床に大きなまるい目を落とした。
「おれは、おそるおそる歩き出した。そして自分の放ったサンダルよりずいぶん手前にあるそのサンダルを見下ろしたんだ…」
シャカシャタはごくん、とつばを飲み込んだ。そのときのことをまざまざと思い出したのかもしれない。
「その大きなサンダルは、鼻緒が金(きん)で覆われていて、ところどころ、色とりどりにかがやく宝石がちりばめられていた…」単調な声でつづける。一度もポンバのほうには目を向けなかった。
「そのサンダルは…サソリ熊のビスダンテ皇帝のものだったんだ。」
(どこかで聞いたような名前だな)とポンバは思った。ビーダンスケのご先祖様なのかもしれない。
「おれは知らなかったんだよ」とシャカシャタはもう一度言った。
「まさか、サソリ熊の皇帝が、おしのびで村のサンダル飛ばし大会に出ているなんて夢にも思わなかったんだ…」くちばしがえるはため息をついた。
「みんな、皇帝さまに遠慮してわざと、遠くに飛ばさなかったんだ。」
「本気をださなかったわけだね…」ポンバはまゆをしかめた。シャカシャタはうなずいた。
「おしのびといっても、みんな気がついていたんだよ。だって、きらきら宝石のサンダルだからな…」
シャカシャタは、まだ少し青いバナナみたいな色のくちばしの片かたほうのはしだけあげて少し笑った。
「それでも、後から聞いた話では、いちばん安もののサンダルをはいてこられたそうだ…」
「へえ…」ポンバはため息みたいな声を出した。
「おれは優勝トロフィーを辞退してあわてて広場をあとにした…」
シャカシャタは静かにつづけた。
「ビスダンテ皇帝さまより遠くに飛ばしちまったおれは、何日か後、小麦畑で働いているところを魔女に襲われた。」
シャカシャタの暗い声はすこし震えていた。
「ビスダンテ皇帝さまおかかえの魔女さ。魔女はおれに魔法をかけ、瓶に閉じ込めた…」
また深いため息をついた。
「長い年月の間、おれは瓶とともにいろいろなところに移し替えられてきた。だが、まさか、こんな、飲み物なんかを売るへんてこな機械に閉じ込められるとはな…ビスダンテ皇帝さまのご子孫さまもみな、おたわむれの精神に富んでいらっしゃるということだな…」
あひるみたいなくちばしのはしをつりあげる。
「まあ、でも終わり良ければすべて良しさ」
気を取り直すように大きな声をあげる。
「おれは再び、自由の身になった…」
シャカシャタはあかるい顔をポンバに向けた。
「おや、おまえ…」まゆをしかめる。
「おれが自由の身になったっていうのに、なんだか浮かない顔だな」
とシャカシャタはくちばしをゆがめた。
「い、いえ、そんなわけじゃないんですけど…」
ポンバはしどろもどろになった。
「まあ、いいさ、おまえ、なにか心配ごとでもあるんじゃないか」
シャカシャタは首をかしげた。
「えと、ぼく、ミアを助け出さなくちゃならないんです、一刻(いっこく)も早く」
思い切ってポンバはそう言った。
「ミア? ええと、誰だっけ、それ…」シャカシャタは太(ふと)いぷよぷよした腕(うで)をくんで、天井を見上げた。「なにしろ、なん百年も人に会ってないからなあ…」なおもまゆをひそめて、考え続ける。
ミアはなん百年も前には生まれていなかったはずだ。とポンバは思った。
「えと、知らないと思いますけどミアは…」
ポンバは友達のツバサユキヒョウのミアが、自分を助けたがために、つかまって、この巨大ロボットのてっぺんにある牢屋に閉じ込められていることを、あせりながら、たどたどしく語った。
「ふうん…」シャカシャタはゆっくりと深くうなずいた。
「よし、わかった! おまえは俺を助けてくれた恩人だ。力になろう」とぶよんとした胸をたたいた。
ポンバは期待に胸を膨らませた。なん百年も生きられるなんて、すごい人だ。そんなすごい人なら、あっというまにミアを救い出す魔法なんかを使ってくれるのかもしれない。
「たすけてください、ミア、ミアを」ポンバはすがりつくようにしていった。
「お、おう…」シャカシャタはちょっとたじろいだように、後ろに下がった。
「では、特別にいいことを教えてしんぜよう」
シャカシャタは胸を張って後ろを振り返った。
「あそこで、牢屋の鍵を売っている。」青緑色のふとい指を向かいの壁に向けた。
「えと…」ポンバは目をぱちぱちさせた。
シャカシャタの指さす先には、鍵屋さんなどはなさそうだった。
「あの自動販売機の中にある。」
シャカシャタの指は灰色にくすんだ自動販売機を示していることに気がついた。
「それを買うんだ!」
ポンバの両肩をつかみ、力強く言った。
「え、あ、はい…」
ポンバは肩に食い込む指をはずしながら何とかうなずいた。
「ほら、見てみい」といって、シャカシャタはバタバタと、色がほとんどぬけてしまっている自動販売機に近づいた。
曇っているディスプレイガラスを大きなぶあつい手のひらでぬぐう。「ほらな」といって得意げにディスプレイのはしのほうを指さした。ポンバは自動販売機のそばにいって見上げた。でも汚れがひどすぎて、中を確認するのは無理だった。
「ほら、この瓶に入っているのが牢屋の鍵だ。こいつを買えばいい」ガラスを指先でとんとんたたきながら、シャカシャタは得意げに言った。
ポンバは布のバッグから財布を取り出した。「鍵はいくらなんでしょう、これで足りますか…」財布をひろげて、くちばしがえるに見せた。
シャカシャタは自動販売機の値段が書かれた部分をこぶしでごしごしこすって、眼を近づけた。それからまたポンバの財布の中を覗き込む。
「うーん」まゆをひそめて、首をかしげた。
「いやあ、それじゃあ、とても足りないなあ…」と残念そうに言う。
「これ、けっこう高いんだよ…」ディスプレイの中をのぞきこむ。
「ほら、けっこうでかいし、凝った彫刻がしてあるし…」
「……」ポンバはうなだれた。
「買ってあげたいところなんだけど、あいにく、俺、お金はもってなくてなぁ…」
とため息をついた。
「あ、でも」くちばしがえるは目をかがやかせ、あかるい声を出した。
「いい方法があるぞ」と手をたたく。
「え、なんですか?」
ポンバも目をかがやかせて、シャカシャタにすり寄った。
「ちょっと働きゃあいいんだよ。金なんぞすぐに稼げる…」
「は、はたらくって…」
ポンバはあっけにとられて、ぽかんと、くちばしがえるを見あげた。
「おれが紹介してやるよ。なん百年もたってるが、あそこならちゃんとやっていると思う」
シャカシャタは満足そうにうなずいた。
「で、でも、そんな時間なんてないんです。すぐに助けに行かなくっちゃ!」ポンバは叫ぶように言った。
「うーん、そうはいってもなあ」シャカシャタはうでをくんで目をつぶった。そのまま、うつむいてじっとしている。…ポンバはとうとう手をあげた。
「あ、じゃ、やります!」ポンバは勢い込んでいった。どう考えてもほかに方法はなさそうだった。
「そうだな、急がば回れば、だ」シャカシャタはうなずいた。
「えと、どんな仕事ですか…」
「うーん…」シャカシャタはうなって、ぶよんと垂れた顎の下にこぶしを当てた。「どんな、なんだろうな…」ふとい首をかしげる。
「ま、説明するより見たほうが早いよ」といって部屋を歩き出した。
シャカシャタは自動販売機の前に立った。
「え、また何か買うんですか。」
ポンバは自動販売機を見上げた。
すると、シャカシャタは少しかがみこむようにして、突然、両手で自動販売機を押し出した。
「え」ポンバは目をまるくした。壁を覆っていた埃がさらさらと落ちる。
灰色の自動販売機はどんどん、壁に押し込まれていく。
それから突然、壁に真っ暗な四角い穴が現れた。
同時に自動販売機はくるんと回転し、どすんと音がして壁の反対側にくっついたようだった。
「さあ、がんばれっ!」シャカシャタはあっけにとられているポンバの背中をいきおいよくたたいた。
「わわっ」ポンバはよろけて、壁にあらわれた空洞に踏み出した。そこには床がなかった。ポンバは声をあげるまもなく真っ暗な空間を落下した。
次の瞬間、体じゅうを衝撃が走った。
「いてててて…」ポンバは腰をさすった。どこかに落ちて止まったらしい。今日はなんども落ちる日だ。
「ひ、ひどいじゃないですか」ポンバは悲鳴のような声をあげて、上を見上げた。
でもそこには真っ黒い闇が広がっているだけだった。
「えと…」おそるおそる立ち上がった。腰をさすり、手足を軽く振ってみる。どこもけがはしていないようだった。
あたりを見渡すと、闇の向こうに一筋の明かりがみえた。目をこらすと、ドアのようなものがある。そこから黄色っぽい光が漏れているのだ。
「あそこに行くしかなさそうだ…」
ポンバは足元に注意しながら、ゆっくりとそちらに向かった。
それはまた鉄の扉だった。ポンバはそれを押し開けた。とたんに、まぶしい光と騒音と熱気が同時にポンバを覆った。ポンバは引き下がらなかった。目の上に手をかざす。
扉の向こうには、無数の機械が並ぶ広大な空間が広がっていた。そこは一面、夕日みたいな光に覆われていた。まるっこい機械が見渡すかぎり並んでいる。それは牛ほどの大きさで、無数ともいえる色々な部品がむき出しになっている。
その周りに大勢の作業着を着た人たちがせわしなく働いていた。あちこちに様々な色の火花が飛び散っている。何か固いものを打ち付けるような鈍い音や、金属を切断するような耳障りな高い音が響いていた。
「信じられない…」ポンバはその空間に踏み出した。「自動販売機の部屋の近くにこんなところがあるなんて…」彼はここが巨大ロボットの中であることをすっかり忘れていた。
あっけにとられて立ち尽くしていると、いきなり肩をたたかれた。
びくっとしてふりむく。目の前にあつぼったい青色がかった灰色の作業着に包まれた太い胴体があった。見上げると、赤茶色ののっぺりした顔。と思ったら、仮面をつけているのだった。赤さびのういた角ばった鉄の仮面。目のところは濃い青紫のガラスがはまっていて、顔はまったく見えなかった。
「新入りだな、ようこそ、主任のヒリオンだ」
作業着の男は、分厚くてごわごわした黒っぽい手袋につつまれた手を差し出した。
「あ、ポンバといいます」
ポンバはその手をそっと握った。
「なあに、最初は大変と思うかもしらんが、慣れればどうってことない」
安心しろ、というようにポンバの肩をたたいた。かなり強い力で、よろけてしまった。
「おっと危ないよ」ヒリオンは大きな手で、ポンバの体をつかんだ。
「そこに落ちたら一瞬にして骨になっちまうからな」
ふりかえると、油のしみだらけのコンクリートの床に、溝があり、そこには黄色く輝く液体がすごい勢いで流れていた。
「それは鉄を溶かしたもの。何千度もあるから、一瞬にして溶けちゃう」
とヒリオンは何でもないことのように言った。
ポンバは、足ががくがくふるえて、かえって、マグマみたいな鉄の流れのほうにふらふらとよろけていってしまいそうだった。どろどろに溶けた鉄の川からはときどき、液体となった鉄のしずくが飛び散って、コンクリートの床を焦がした。
「じゃ、まず、これに着替えて」
ヒリオンは壁際に向かうと、金属製の黒い棚から、畳んだ作業着らしきものや仮面とシューズを手にとってポンバに渡した。
「あ、はい」ポンバは溶岩みたいな鉄の川に落ちないように気を付けながら、作業着を着て、仮面をつけた。頑丈そうな黒いゴムシューズもはいた。鉄の仮面は分厚く、とても重かった。自分のつぎはぎだらけの服はたたんで黒い棚に置いた。
「ほお、なかなかよく似合ってるじゃないか。」
とヒリオンはいった。微笑んでいるのかもしれないが、仮面の下の表情はもちろん読み取れなかった。
「ええと、じゃあ、まず最初はおとなしいやつのほうがいいな」といって広大な工場の中を見渡した。
「よし、あそこらへんのでやってみるか、ついておいで」
といってヒリオンは油染みだらけの床をすたすたと歩き出した。
「あ、はい」ポンバは短い足を必死に動かして、ついていった。油で滑らないよう注意して歩かなければならなかった。
ヒリオンは、ずんぐりした巨大なコガネムシみたいな機械が並んでいる前を進んでいく。そしてそのうちの一台の前で止まった。
鈍い七色に輝いている曲面のカバーらしきものに覆われ、頭にみえる前の部分にゆるやかに湾曲したりっぱなつのが三本生えていた。
「こいつはマミーマシン。こいつが製品を生み出す」とヒリオン主任は言った。
機械はがたがたと振動している。ヒリオンはそのおしりのあたりをのぞきこんだ。顎に手をあて、首をひねる。
「出が悪いな」
ポンバも一応、おしりをのぞきこんでみる。
「ちょっとどいてみ」ヒリオンは機械のそばにいた仮面の作業員を押しやると腰に手をやった。腰のベルトにさしていた棒のようなものを抜き出す。さっとふると、その先から、真っ黒いむちのようなものが飛び出てきた。よく見ると、それは小さなとがり、角ばった鉄の塊が連なったものだった。
それをふりあげると、いきなり機械に打ち付けた。
キュイイイーーッ! 鋭く甲高い声が響いた。それは多くの機械の音が充満する中にもひときわするどく響き渡った。
すると、機械のおしりのあたりから、ごろっと、何かが転がり出てきた。
それは黒ずんだコガネムシみたいな小さなロボットだった。蜘蛛(くも)みたいな長い足がたくさんはえている。
「よし、よおし」
ヒリオンはぶあつい手袋をした手を組み合わせると、またむちを高く振り上げた。
ヒリオン主任はその後も何度か力いっぱい、機械に鞭をふるった。ぴしっ、ぴしっ!と鋭い音が響く。キュイーーッ! 機械の悲鳴が続いた。自動車ほどの大きさの機械の体が振動し、床からもちあがった。床に戻るとき、コンクリートの床が地震のように震えた。
おしりの下から、ミニロボットがごろり、ごろりと、つぎつぎに落下した。「よし、いいぞ!」主任は何かにとりつかれたように鋼鉄の鞭をふるいつづけた。
それから、ふとわれにかえったように動きをとめた。鞭をつかんだ腕をおろし、ポンバのほうに無表情の鉄仮面を向けた。
「そうだ、研修中だったな」
ヒリオンはミニロボットの一つをつまみあげ、ポンバの前に差し出した。
「こいつは、なかなか、すぐれものなんだよ、ボンパンくん」
「あ、ポンバです」とポンバは言った。
「うん、そうだったな」ヒリオンはうなずいた。
かなり強く握っているのか、昆虫型ロボットは、苦しそうにクィクィと鳴きながら、十本ほどもある長い足をもがくみたいに、動かした。
はやく、はなしてあげて、と言いたかったが、主任は大声で話し続けた。
「シノビ虫といってな、どんな危険なところにもしのびこむ。テロリストとかわるいやつのアジトにしのびこんで、情報を送ってくるのだ。敵に見つかったって大丈夫さ、レーザービームを発射したり、相手にかみついたり、このとがった爪でひっかくこともできるぞ。ちっこくてもすごい攻撃力だ!」
ヒリオンは足をせわしなく動かし続けるシノビムシをポンバに向けて突き出した。ポンバはおもわず後ずさった。
「火の中、水の中、どんなところにでももぐりこめる。災害救助ロボとしても使えるんだ!」
ヒリオンはつかんだシノビムシを乱暴に振り回しながら叫ぶように言った。
「はい、はい」とポンバは必死にうなずいた。
「わかりましたから、はやくはなしてあげてください」
主任は、母親ロボットの尻の下にある金属の受け皿みたいなところに向けて、シノビ虫を無造作に放った。がしゃんと音がして、ミニロボットは皿の上ではね、おなかをみせてひっくり返った。
「よし、じゃ、とにかくやってみよう」とヒリオン主任は鉄のむちを差し出した。
「え」とためらったが、ポンバはむちを受け取ってしまった。ずっしりと重かった。
「あ、それから、」と思い出したようにヒリオンは分厚い手袋に覆われた片手をあげた。
「もし、不良品が出たら、この湯川に投げ込んどいてくれ」と言って後ろの、溶岩みたいな鉄が波打つ黄色に輝く川を指さした。
「湯ってのは、鉄がとけたのをいうんだ」と主任は付け足すと背を向けた。さっさと騒音がひしめく工場の中を去っていった。
あとにはマミーマシンとポンバだけが残された。
工場内はむっとして暑かったがそれだけではなかった。粘りつくような汗がポンバの全身からにじみ出ていた。
「機械さんをたたくなんて、そ、そんなことできないよ」ポンバは自分の足ががくがく震えていることにかろうじて気づいた。
マミーマシンの前でポンバはむちを手にしばらくぼんやりしていた。作業員がひとりやってきて、作業をはじめた。出てきたミニスパイロボットをつまみあげて、金属の箱に乱暴に放り投げる。シノビムシはキィと叫び、箱の中でおきあがれず、足をばたばたさせている。ポンバはあわてて箱に向かい、シノビムシを起こしてあげた。
今度は作業員は、別のシノビムシをどろどろに鉄が溶けた湯川に投げ込もうとしていた。「わあ、やめてー」ポンバは作業員にむしゃぶりつき、這い登ってシノビムシを奪い取った。「ぼ、ぼくが点検しますから、ここはぼくの持ち場ですから」ポンバは焦りながら大声で言った。作業員は何か言いながら肩を怒らせて去っていった。鉄の仮面でさえぎられ、声はくぐもって何といったか聞こえなかった。
ポンバは不良品扱いにされたシノビムシに「大丈夫だよ」とささやいてから箱のすみに入れた。それからもポンバはマミーマシンから出てきたシノビムシたちをやさしく両手で包み込むようにして、そっと箱に入れていった。
ヒリオン主任が戻ってきて、「ばか、何をやっておるっ」と叫んだ。“不良品”を箱に入れたことをさっきの作業員が言いつけたのかもしれない。
シノビムシたちの中には出てきたとたん、そこらへんを駆け回るものもいた。一匹は、ポンバのあしもとに近寄ってきた。くんくんとポンバの足をかぎ、そのうち、何本かの後ろ脚で立ち上がってポンバをよじのぼる。「あ、はは、くすぐったいよ」ポンバは身をよじった。
そのとき、背の高い男がやってきた。みなと同じように分厚い作業着に身を包み、頑丈な赤さび色の角ばった仮面をつけている。シノビムシたちとじゃれあっているポンバを見て首をかしげる。
「お、できたてなのに、レポートを発信しているぞ」背の高い男はマミーマシンのそばの小ぶりの機械に足早に近寄った。その機械はいきおいよく紙を吐き出している。男は印刷された紙を手に取って読みあげた。
「ねばねばおじさん。服の下はねばねば。やさしいおじさん。身長は1メートル6センチメートルほど、体重、35キログラムくらいと推定。攻撃性、脆弱。危険性はなし…つのはあるけど、何の役にもたちません…」はっは。男は顔をのけぞらせて笑った。
「あ、工場長」とヒリオン主任が振り向いた。
「どうやらきみのことをレポートしたらしいぞ」とシノビムシがはりついたポンバを見て工場長と呼ばれた男はいった。
え、ぼく、おじさんじゃないんだけど…ポンバは鉄の仮面の下で苦笑いをした。
「でも、すごいな。ぼくのこと、なんでもわかっちゃうんだ」ポンバは感心して、シノビムシのせなかをなぜた。
「こりゃあいい。こいつはスパイロボットだけでなく、一種のペットロボとしても活用できるのではないかな…」と工場長はじゃれあっているシノビムシたちを見て叫んだ。
それからもマミーマシンからはどんどんシノビムシが出てきて、次々にポンバに向かい、まとわりついた。「おお、すごい“出”だな…」まわりの作業員も次々に集まってきた。
「きみ、ほんとによくやっとるな、ほれ特別ボーナスだ」工場長は腰につけた頑丈なベルトから何かを取り出し、ポンバに差し出した。それは金色にぴかぴか光るコインだった。工場長は手袋をはめたポンバの手のひらにそれを落とした。ずっしりと重かった。
「あ、ありがとうございます」ポンバはなかばぼんやりしながら深くおじぎをした。「よし、社長にこのことを伝えに行こう」高笑いをしながら工場長は去っていった。
「お、おまえ…」なぜかヒリオン主任はどもった。「う、うまいことやったな…」じいとポンバの手のひらにのったコインを鉄仮面ごしに見つめている。
「あ、あの、ぼくはこれで失礼します…」ポンバはコインを握りしめると、走り出した。
壁際の黒い棚に戻ると、いそいで服を着替えた。それから分厚い鉄の扉を開いて工場を飛び出した。
来た道をよく思い出しながら、真っ暗な壁を這い登ったりして、ようやく自動販売機の部屋に戻った。シャカシャタは部屋の真ん中にあおむけになり、大いびきをかいて寝ていた。
だがポンバに気がつくと、むっくりと起き上がった。ポンバは工場での出来事を手早く話した。
「そうか…」シャカシャタは黄金に輝くコインをためつすがめつ見ながらいった。「よくやった、ほんとによくやったな」
シャカシャタはずっしりと重いコインをポンバに返した。
「これなら、鍵なんか千個くらい買えるかもしれんぞ」シャカシャタは自動販売機の前に行った。
「さあ、お金を入れるんだ」
ポンバはコインを投入口に向けた。思わず手が震えてしまった。でもなんとかコインを入れることができた。シャカシャタは背のひくいポンバにかわって自動販売機のくもったガラスを覗き込み、鍵のあるらしいところにあるボタンを押してくれた。
がたん、と衝撃音がして、下の受け皿に瓶が落ちてきた。おつりのコインがじゃらじゃらと大量に出てきた。自動販売機からあふれて、コンクリートの床に散らばる。
シャカシャタは意外に器用な手つきで自販機にそなえつけられたせんぬきで瓶のふたをあけた。中から青緑色の大きな鍵を取り出し、ポンバに差し出す。「あ、ありがとう」まだ震えている手でポンバはずっしりと重いその鍵を受け取った。すこしさびていて、サソリの彫刻が彫り込まれていた。
ポンバは、鍵をハンカチにくるむと、肩から下げた布バッグに入れた。絶対になくさないよう奥のほうにぎゅうと押し込んだ。
それからポンバはたくさん出てきたおつりをみなシャカシャタにわたした。
「これ、お礼です」と両手ですくったコインを差し出した。
「お礼なんて、そんな。俺のほうが助けてもらったんだし…」といいながらもシャカシャタは全部受け取った。そして、自販機にお金を入れると、いろいろなボタンを押した。飲み物以外にお菓子なんかの食べ物もあったらしい。シャカシャタは床に座り込むと、おいしそうにジュースをのみ、あられをぽりぽり食べた。
「あの、本当にありがとうございました。」ポンバはあらためてシャカシャタに向き合うと、頭を下げた。
「え、なにが…」シャカシャタはまた黒ずんだ自動販売機のボタンをまさぐっている。
「鍵のことや、仕事のことで…」
「そんなことを言っている場合じゃないだろう」受け皿から何かを取り出しながらシャカシャタは言った。
「さあ、行くんだ、おまえのお姫さまを助けに」ハンバーガーのようなものをむしゃむしゃ食べながらシャカシャタは叫ぶように言った。
「あ、はいっ」
ポンバはくるりと向きを変えるとドアに向かった。
そして洞窟に出ると、また歩き始めた。あちらこちらに曲がっている一本道を進んだ。
すると、ざざーというような音が、前方の暗がりから聞こえてきた。
「え」ポンバは立ち止まった。行く手に、ぼおとあおじろい光がみえた。光はちらちらと揺れ、岩壁を照らしている。
ポンバは用心しながら、闇ににじむ光に向かっていった。すると目の前に青白い水をたたえた湖が現れた。いや、岩場に規則正しく波が打ち寄せている。「う、海?」冷たい光をたたえた海は奥に果てしなく広がり、向こう岸が見えなかった。
この超巨大ロボットには何か魔法のようなものがかけられているにちがいない、とポンバは思った。
岸辺に立ち、水の中をのぞきこんだ。
見つめていると吸い込まれていってしまいそうな不思議な青さだった。どこまでも透き通った水の中には、何もなかった。
魅せられるように海を覗き込んでいるうち、ポンバは「わ」と叫んで思わずあとずさった。再び水面に顔を寄せ、おそるおそる目を凝らすと、海のなかは、無数ともいえる生き物で満ちていたのだ。みな、ほとんど透明でひどくゆっくりと動いているので気がつかなかったのだった。小さな魚の大群、大きなつばさのあるひらべったい魚、細長い魚、クラゲ…もっと深いところには鯨のような巨大な生物もいる。みな、生気がなく泳ぐというよりは漂っているように見える。
さらに目をこらすと、漂よいもせず、じっとしている魚もいた。よく見ると、からだの後ろ半分がサンゴになっていた。同じように、岩となかば同化している魚もいた。
「いったい、ここは…」とつぶやいたときだった。
いきなり青白い水のかたまりが迫ってきた。それが勢いよく水から飛び出してきたかと思うと、体じゅうに電気が走ったみたいにしびれた。次の瞬間、ポンバは水の中にひきずりこまれていた。
からだを何者かにがっしりとつかまれたまま、どんどん青い世界の中を底へと運ばれていく。だが、再び体に衝撃が伝わったと思ったら、次の瞬間、ポンバをつかんでいたものから解放された。大きなサメに、なにかがつかみかかっていた。ゆらゆら水中をゆれながら、ポンバは呆然としてその戦いを見ていた。自分が半透明の青白いサメに襲われたことにようやく気付いた。サメと戦っているのは、上半身がきつねで、下半身が魚の生き物だった。きつね魚は、サメに何度も激しくアタックされ、かまれている。青色の液体が海の中を漂う。(ち、血じゃないかな…)と思い、ポンバはふるえた。きつね魚は人形のように小突き回された。
ポンバはおろおろとそれを見ていることしかできなかった。(あ、あの人、サメに殺されちゃうよ)心の中でひめいをあげたときだった。
あんなにやられっぱなしだったのに、突然、きつね魚はサメを押し返し、パンチやキックを浴びせた。それは途切れることなく続いた。サメはたまらずに、とがったしっぽをひるがえすと、すごいいきおいで逃げ出した。
あたりには何事もなかったかのように、海になかば溶け込んだような魚たちが漂うように泳いでいた。
「あれ、」そのときになってはじめて気がついた。ポンバは水の中でも平気だった。ふつうに息をしている。「あ、もしかしたら…」と思った。(ぼくはもともと海の中にいた生き物だから、平気なのかな…)と思った。
ポンバはなんとか手足を動かして水をかき、きつね魚のところに行った。
「あの…ありがとう…」
ようやくのこと、言った。「助けてくれて…」
体じゅう、傷付いたきつね魚は首をかしげた。
「なんのこと…」しずかなおちついた声でいう。
「あ、あの、ぼくをおそったサメをやっつけてくれて…」
ひらひらとしずかに尾を動かしながら、きつね魚はゆっくりと首を横にふった。
「助けたんじゃない。あたしは喧嘩(けんか)が好きなだけだよ…」
無表情のまま言った。きつね魚が女の人であることにようやく気づいた。
「喧嘩があると、駆(か)けつけなきゃすまない、まあ、あんたの場合は、喧嘩というより、ただやられっぱなしだっただけどね…」にこりともせずにつづけた。「こっちの死んだ海ではひさしぶりだったよ…」
「そんな…」
ポンバは近くの海藻につかまりながら、とまどうように顔をしかめる。
「そんなことより…」ポンバはさらにきつね魚に近寄った。
「血が出てるよ、…病院に行かなくちゃ」
この海の中に病院があるかどうかはわからなかったけど、ポンバは叫ぶようにそう言った。
「は」ときつね魚はこばかにしたように少し笑った。
「こんなの、けがのうちに入らないさ…ほらよく見てみろ」
きつね魚はすうと漂って、ポンバの近くにきた。その白銀色の体には無数ともいえる傷がついていた。それはあきらかに、さっきの戦いでついたものだけではなかった。その整った美しい顔にも…。うろこはささくれ、はがれて取れてしまっているものもあった。
ポンバは海藻につかまったままうつむいた。
「おまえ…逃げないね。あたしがこわくないの…」
きつね魚はポンバをじっと見つめた。
「あたし、おばけみたいだろう、傷だらけで…」口元をゆがめる。微笑んだのかもしれなかった。
「そ、そんなことないよ…」ポンバはきつね魚の顔をちらと見てからまたうつむいた。
「でもね、…弟はもっと苦しかったのよ…」きつね魚はポンバのそばをゆらゆら漂いながら静かな声で話しつづけた。
「弟?…」
「弟はね…」きつね魚はかたわらのサンゴに腰をかけた。「あたしにくっついてばかりいた…」
なかば独り言のように言った。「小さいころの話よ…」ポンバはゆっくりとうなずいた。あいかわらず息はまったく苦しくなかった。
「なんかとろいやつでさ、何をやるのものろくて、ついいらいらしちまった…」
きつね魚はわざと乱暴な口のきき方をしているような気がした。
「しょっちゅう、ぜんぜんおもしろくないジョークをいって、笑わせようとするし…」
きつね魚は顔をしかめてみせた。
「それにこっちが忙しいときに限ってまつわりついてくるんだ…」
ポンバはきつね魚のそばのサンゴに座った。
「あたし、そのころ、ちょっと好きな人がいてさ…」
きつね魚はそばにあるサンゴをそっとまさぐった。
「その人とどこかに遊びに行くときも、弟がついてきちゃうんだよ…」
「弟さん、とってもおねえさんのことが好きなんだね」
ポンバはほほえんだ。でもきつね魚は何も答えなかった。
「すきな人の前で、こんなこと大声で言ったこともあったな」きつね魚はため息をついた。
「おねえちゃん、ひる寝(ね)をすると、むにゃむにゃって寝ごといったかとおもうと、かならず、ぷ、っておならするんだよ、なんてね」
ポンバは思わず噴き出した。
「ぼくもそうだよ。ぼくもうつらうつらしてて、自分のおならにびっくりして起きることあるよ…」
きつね魚は笑った。でもすぐに笑顔を消した。
「ほんと、恥ずかしいからさ、あるとき、弟がついてきていることを知っていたけど、猛スピードで泳いで、好きな人と待ち合わせをしている場所に行ったんだ。」
ポンバは心配そうな顔で、きつね魚を見つめた。
「当然、弟はすぐにあたしを見失った…」
きつね魚はつぶやくように言った。
「でも弟はあきらめて、家に帰ったんじゃなかった…」
きつね魚はうつむいた。
「とんでもないところに向かっていた…」ポンバはごくりとつばをのんだ。
「とても珍しいサンゴがあるところ、とてもきれいで不思議な…」
きつね魚はうっとりとした目つきで言った。
「あたし、それを髪飾りにして頭につけたいって、いつか弟に言っちゃったんだよね」
きつね魚は自嘲気味に笑った。
「おかしいだろ、あたしが髪飾りなんて…」
「いえ、そんなことは…」
きつね魚は傷だらけでも、きれいだった。きっとどんな髪飾りだって似合うだろう。
「弟はそれを取りに行ったの。おいていかれたのは自分が嫌われたからだって思って…それであたしの機嫌をとりたかったのかもしれないね…」
彼女はぼんやりした声でつづけた。
「でもそのサンゴはとっても珍しくて、ふかいところにある谷間にしかなかった…」
きつね魚はそっと目をつぶった。
「そして、凶暴なサメ一族が独り占めにしていたんだ。いつもそのサンゴを守るみたいに大勢でまわりをうろついていた。」きつね魚は眉間にしわを寄せていった。「まるで自分たちの所有物みたいに…サンゴは誰のものでもないのに…」
「弟さんは…」ポンバはおそるおそるたずねた。
「やられちまったさ…」そういってからきつね魚はうなだれた。「あたしのせいだ…」
きつね魚のうろこに覆われたしっぽも力なく下がっていた。
「あたしが、ボーイフレンドと遊んでいる間に、弟は…」
きつね魚は口をつぐんだ。何かを懸命にこらえている様子だった。
「あたしはあだうちに向かったけど、ダメだった。自分が殺されかけただけだった。」
きつね魚は静かにつづけた。
「それ以来、あたしはもといた海を離れて、ここに来た…」
きつね魚はゆっくりとあたりを見渡した。吸い込まれてしまいそうな青白い空間には、やはりうすい影のような生き物たちがまるで生気なく、漂っている。
「この嘘の、死んだ海にね…」
つぶやくように言った。
「それからさ…喧嘩をみつけては、かけつけるようになったのは…」
無表情のままきつね魚は言った。
「喧嘩に参加して強くならなくっちゃってね。まあ守るべき弟はもういないんだけど…」
きつね魚は唇のはしをゆがめた。
「ときどき夢にみるんだ。サメ軍団の中につっこんでいって次々にやっつけ、襲われている弟を助ける夢を…」
ポンバは彼女の話に何も返せずにいた。
でも、ポンバにはわかった。彼女は強くなりたくて争いごとがあるたびにかけつけているのではない。自分を傷つけるためにいつもけんかに割り込んでいるのだ。その証拠にあんなに強いのに最初はサメにかまれまくっていた。わざととしか思えない。
「苦しいよね、悲しいよね…でも、でも…」とポンバは必死に言った。
「弟さんは、苦しんで、悲しんでいるおねえさんなんか見たくないはずだよ」ポンバは必死につづけた。「ぜったいにそうだ」きつね魚をしっかり見てポンバは言った。きつね魚は何も答えず、うつむいたままだった。
けれど、しばらくしてきつね魚は顔をあげた。
「ところで…」と口調を変えていった。「どうして、こんなところに迷い込んできたんだい…」ポンバはこれまでのことを話した。このロボットのてっぺんにある牢屋でつかまっているミアのことを。そして、これまでの冒険のことを。
きつね魚はじっと耳を傾けていた。それから、ため息を一つつくと言った。「ふうん…それじゃあ、なんとかしなくっちゃね…」
青白く光る水のなか、ゆらゆら尾をゆらしながらきつね魚は言った。
「じゃあ、そこまで連れて行ってやるよ。たしか、このばかでかいロボットの中には、たくさんの迷路やわながあるはずだ…てっぺんまで行くのは大変だよ…」
そういってからきつね魚はにやりと笑った。
「でも…秘密の近道がある…」きつね魚はポンバをだきあげると、いきなりすごい速さで泳ぎだした。どんどん水底へと向かっていく。ポンバは目をつぶった。きつね魚は傷だらけの体とはおもえない、力強い泳ぎだった。
海の底らしいところが見えてきた。大きな岩があり、そこにぽっかりと穴があいていた。きつね魚はスピードを緩めもせず、その真っ黒い洞窟のような穴に飛び込んでいった。そのなかはトンネルのように続いている。真っ暗ななかを猛スピードで進んでいく。途中、分かれ道がいくつかあったが、きつね魚はためらいもせずに、道を選んで泳いでいった。
ポンバは振り落とされないよう、必死にきつね魚にしがみついていた。カーブするときなど、いまにも岩壁に激突(げきとつ)してしまいそうで、「わあっ」と思わず声をあげた。途中からもうこわくて目をあけていられないで、目をぎゅっとつぶった。
ざばっ! 突然、水しぶきの音が響いた。目をあけると水面の上に顔が出ていた。そこはもう、海の中の洞窟ではなかった。目が慣れるまでしばらく時間がかかった。ふたりは岩場にあいた池のようなところに浮かんでいた。
「さあ、その上がゴールよ」。同じく水面から顔をだしたきつね魚が声をひそめるようにして、ほっそりした指をまっすぐ突き出した。その先に目をやると、小高くなった岩場の先に広場のようなものが見えていた。
「あたしは、ここから先には行けない、さあがんばってね…」ときつね魚はいうと、そっとポンバの体をはなした。ポンバは短い手足をかいて、岩のふちにつかまり、よじのぼった。体じゅうから水がぽたぽたと垂れた。
きつね魚をふりかえる。
「ほんとうに、ありがとう…」ポンバは深くおじぎをした。
「たいしたことないよ。」きつね魚はにっこり笑った。
「また遊びにきなよ、海の中を案内してやるよ」といった。
「うん、必ず行く。」とポンバも笑顔を作って答えた。きつね魚は手をふったあと、傷だらけの尾をひるがえして、今は黒っぽく見える水の中に潜っていった。ポンバはしばらくの間、じっと水面を見つめ、手を振り続けていた。それから、もう一度、「ありがとう…」とつぶやいた。
ポンバはぶるっと身をふるわせて水を落とすと、歩き出した。
ゆるやかな登り坂になった薄暗い道を進んでいく。しばらくすると、前のほうにゆらゆら揺れる光が見えた。炎のようだった。たいまつが何本も岩場に立てられている。ポンバはつばを飲み込むと、身を低くしてゆっくりと進んでいった。ポンバははっとして、立ち止まった。えぐられたようにへこんだ岩壁に鉄格子がはめられている。その前にいくつかの炎がうかんでいる。薄暗くてよく見えなかったが、黒い服に身を包んだ何人もの人がたいまつをもって立っているのだった。オレンジ色のニット帽をかぶっている。ビーダンスケの兵隊たちだった。
目をこらすと、鉄格子の向こうの洞穴の中に、ぼおと白く輝く人がうずくまっている。ミアに違いなかった。(ミアっ!)ポンバは心の中で叫んだ。一秒でもはやく助け出したかった。でもすぐにため息をつく。(せっかく牢屋の鍵をもっていても、こんなに兵隊さんがいたら、どうしようもないよ…)とへたりこみそうになりながら思った。
でもここまで来て引き返すわけにはいかなかった。ポンバは歯をくいしばってさらに身を低くしながら牢屋に向かっていった。そのときだった。洞穴の牢屋の中でなにか、青紫色の小さなものがちらちらと揺れ動いていることに気づいた。目をこらす。
(あっ、パピヨーゼだ)それはあの蝶花だった。パピヨーゼはぼおと光ってゆらゆらと牢屋の中を舞っている。もちろん、鉄格子の間からいくらでも外に出られるのだが、主人のそばを離れないようだった。
そのときだった。
ぶーん! いきなり、すぐ近くから機械のモーター音みたいな耳障りな音がして、ポンバは思わず飛び上がった。肩から下げた布バッグが激しく揺れた。あっと思うまもなく、バッグから、何者かがうなりながら次々に飛び出した。
スパイミニロボのシノビムシたちだった。息をひそめてずっとバッグの中に入っていたのだろうか。(さすが、スパイロボだ。ぜんぜん気が付かなかった)と感心する間もなく、シノビムシたちは「キピピ、キピピッ!」と鋭い声をあげて、岩壁に掘られた牢屋に向かって勢いよく飛んでいった。三匹ほどいる。
「あああ、見つかっちゃうよ」ポンバは首をすくめた。
「何やつっ、!」「くせものだっ!」
見張りの兵士たちは叫ぶと、たいまつの火をこちらに向けた。そんな屈強な兵士たちに、ミニスパイロボたちは次々におそいかかった。あっというまに針をさすと、声をたてるまもなく黒ずくめの男たちはあっさりと倒れた。
それからシノビムシたちは鉄格子をくぐって、蝶花とじゃれあうようにその周りを飛び回った。
どうやら、ミアを助けにいってくれたわけではなく、パピヨーゼが目的だったようだ。蝶花もシノビムシたちを気に入ったようで、ひらひら舞ってたわむれた。
「わあ、あっという間に仲良しだね…」
ポンバはほんのりした気持ちになった。でもすぐに首を横にふった。そんなことをいっている場合ではない。
いまがチャンスだ。「ミアっ!」叫びながら、牢屋に向かった。
見張りの兵士たちはスパイロボの毒にやられたのか牢屋の前で倒れて、ぴくりとも動かない。
ミアも気づいて、「ポンバっ!」と立ち上がって叫んだ。ポンバはバッグの奥から鍵を取り出したが、焦って下に落としてしまった。「あ、あ」地面に目を凝らして闇の中、鍵を探した。松明の明かりをたよりになんとか見つけると、あわてて拾い上げる。
「ポンバ、落ち着いて」とミアがしっかりした声をかける。ポンバは鍵をしっかりつかむと牢屋に向かって駆けた。
牢屋の鍵穴に鍵をつっこんでひねった。力がなくてなかなか回らない。ポンバは顔を真っ赤にして両手でつかんだ鍵を必死に回した。ガチャンと、けっこう重い音がして、ついに鍵があいた。ぎいいと鉄の重いドアをミアが中からあけた。「ありがとう、助けに来てくれたのねっ!」牢屋から出るとミアはポンバの両手をとった。
「う、うんっ」ポンバは必死にうなずいた。「とはいってもみんなのおかげなんだけど…」
「みんな?」
「あ、うん、後で説明するよ」とポンバは言った。
「みたところ、兵隊たちは気絶しているだけよ、起きだしたら大変」とミアはまわりに倒れている兵士たちを見渡して言った。
「さあ、行きましょう」ミアはポンバの手を引いた。
「あっちから光が漏れているの。きっと、外につながっているんだわ」。
岩壁に囲まれた通路を進みだす。
蝶花とスパイロボットたちも、空中をふわふわ、ぶんぶん飛びながらついてきた。
ミアの言ったとおり、しばらく行くと、岩壁の上のほうにぽっかりあいた穴から光が差し込んでいた。
ミアはその穴のへりによじ登った。手を伸ばし、ポンバを引き上げる。
「あたしにつかまって。ここから飛ぶわよ」ポンバは外をのぞきこんだ。「え」目がくらみそうになる。巨大ゴーストたちから逃げまどう人々の姿はまるでアリのようだった。いやそれより小さいくらいだ。
このロボットの高さがどのくらいあるのか、昇るときには夢中でよくわからなかったのだった。
「さあ、背中に乗って!」とミアが叫んだ。迷っている時間はなかった。ポンバは「あの、失礼します」といって真っ白い、ふわふわした背中に乗った。「しっかりつかまってよ」「あ、はい、」ポンバはしなやかな肩のあたりにつかまった。
「それっ」よく響く澄んだ声をあげると、ミアは穴のふちをけって、空中に飛び出した。「わっ」ポンバは目をつぶって、ミアにぎゅっとしがみついた。
「ピキイ、ピキイイイッ!」シノビムシたちが、羽のうなり音とともに歓声のような甲高い声をあげる。パピヨーゼも軽やかに舞っている。
ミアはいきおいよく、真っ白いつばさをはばたかせた。だが、突然、彼女の体に黒ぐろとした影が迫ったかと思うと、そのはばたきは止まった。衝撃が走った。ポンバは一瞬、何が起こったのかわからなかった。ミアのからだに、赤茶色のぬめぬめした大蛇のようなものが巻き付いている。彼女の体はぐいと乱暴にひっぱられた。
巨大な馬みたいな顔が迫った。気球のようにまんまるに膨らんだ赤茶色のその巨大な体には、たくさんのぐねぐね動くへびのような腕があった。そのうちの一本がミアの体をとらえている。腕には大きな丸い吸盤が並んでいた。馬とタコがまざったような巨大ゴーストだった。ミアの悲鳴がひびいた。
ゴーストは「うひょー、かわいいねこたんっ」とぐるぐるまきにしたミアをふりまわしながら叫んだ。「わいのおよめさん、わいのおよめさんやああ」大きくて黄ばんだ、ふぞろいの歯をむきだして笑う。
ミアに必死にしがみついていたポンバだが、「はなせっ」とタコ馬ゴーストの腕にむしゃぶりついた。でも、それはがっしりとミアにくっつき、びくともしなかった。ポンバはぬめぬめした太いうでにかみついた。へなへなした歯しかなかったが、死にもの狂いで食いついた。
ゴーストは「ひひひーんっ!」といなないた。金茶色のたてがみがぞわぞわっとふるえる。それはよく見ると、ぎっしりと並んだ細い蛇でぐねぐねとうごめいていた。「うええ、きもちわるーいっ!」ポンバは思わず、立てていた歯をはなした。
タコ馬ゴーストはミアをつかんでいたのとは別の腕を伸ばし、ポンバをはじきとばした。「わああっ」ポンバは振り落とされ、タコ馬ゴーストのぽっこりしたおなかにバウンドしてから落下した。
気球みたいな胴体をふくらませたり、へこませりしながら、空を漂っているタコ馬ゴーストの姿がどんどん小さくなっていった。
ポンバは地面にたたきつけられ、意識が遠くなった。
ふと気がつくと、どんよりした黒い雲に覆われた空が見えた。雲はうごめいている。それは雲に似た巨大なゴーストたちであることを思い出した。ポンバはおきあがった。
どのくらいの間、気を失っていたのだろう。ポンバは頭をふると、よろよろと立ちあがった。腰や背中がひどく痛かったが、そんなことを気にしているどころではなかった。
あたりを見渡したが、どこにも巨大馬タコゴーストはいなかった。ほかのゴーストたちはあいかわらず、遊園地の施設を壊したり、人々を襲ったりして暴れまわっていた。
「ミアーっ、ミアーっ!」口に手をあて、叫んだ。どこからも返事はなかった。
「ああ、どうしよう、どうしよう」とポンバは足踏みをしながら、自分の頭をぺちぺちとたたいた。「ほら、考えろ、考えろ…」ポンバはへなへなした醜い頭をたたき続けた。それから手をおろし、ふうとため息をついた。「こんな頭からいい考えなんか浮かんでくるわけないよね…」
ポンバはきっと表情をひきしめると、広場を歩き出した。向かった先は温泉ロボットだった。温泉ロボットは、気の抜けたような顔で口をぱかとあけていた。まるで立ったまま、うたたねでもしているみたいだ。暗さを増してきた空のもと、ゆったりした浴衣がばたばたとはためいている。風が出てきたようだった。
アドベンチャーロボットと同じように入口は足の先にあった。げたについた入口に向かう。大きなのれんをくぐり、格子戸をがらがらとあけて、ポンバは入っていった。中にはランプのうすぐらいあかりのもと、黒ぐろと鈍く光る木の床が広がっていた。高い天井には大きな古そうな木の梁(はり)が張り渡されている。中にはだれもいないようだった。
ポンバは奥へと伸びる黒光りした板張りの廊下を進んでいった。
すると黒ずんだ木の階段に突き当たった。ポンバはぎしぎしきしむその階段を昇っていった。
二階、三階にはビーダンスケの軍隊の人たちがいっていたようにいろいろな温泉があった。でもポンバは、それらをのぞくこともなく、もくもくとただ、ひたすら階段を上っていった。あちこちに湯煙があがり、硫黄のようなにおいや、風呂桶らしき木の香りが漂っている。
どどどど…、とすごい音がしたと思ったら、高い天井から滝が落ちている温泉風呂があった。思わず立ち止まって見る。ものすごいいきおいで渦を巻いている温泉もある。これも吸い込まれるようについつい覗き込んでしまった。(この渦に巻き込まれたらいったい、どこへいってしまうんだろう)とポンバは考えた。とても生きて出られるとは思えない…。金色に光って波打つ海みたいな風呂もあった。そんなさまざまな風呂を横目にみながら、ポンバはひたすら上へとのぼっていった。
どこまでも永遠に続くような階段をのぼり、ポンバはへとへとになってしまった。
どこまでのぼったときだろう。何か腐ったようなにおいがしてきた。
硫黄のにおいとはまったく違った。ポンバはすぐに思い出した。「魔女鍋」のにおいだ。
その階はけっこう明るかった。風がポンバの汗ばんだ体をなぜていく。「あ」ポンバはおもわず声をあげた。どんよりした空がみえた。その階は壁がないところがあった。おそるおそるそちらに向かう。くすんだピンク色の床がずいぶんふわふわとしていた。遠くに森や湖などの外の景色が広がっていた。空はうごめくゴースト雲に覆われ、ときどき、雷がきらめく中を真っ黒い大蛇や翼竜などの飛行型巨大ゴーストが我が物顔に飛び回っている。
外に面しているところには角ばった大きな石みたいなものがずらりと並んでいた。何かに似ている。「あ」ポンバは目をぱちぱちさせた。それは温泉ロボットの歯だということがわかったからだ。この床のへなへなしているところは巨大なベロの上ということもわかった。ここは温泉ロボットの口の中なのだ。温泉ロボットが口をぱかっとあけているので外が見えているのだった。
黒ずんで虫歯みたいに見える歯のそばに魔女鍋があった。
「あれ?」
ポンバは大きな鍋の下をのぞいた。そこには火がなかった。それでも真っ黒い古びた鍋はぐつぐつと煮え立っているのだった。魔法がかかっているにちがいない。
ポンバはつばをのみこんで、背伸びすると、鍋をのぞきこんだ。
階段を延々とのぼってきて汗だくだったうえに、恐怖から出た脂汗も全身からにじみでた。じっと青緑色の汁を見ているうち、熱した煮汁がはねて腕に触れた。「あちちちっ!」ポンバは腕をおさえて、おもわず飛び上がってしまった。
こんな鍋に入るなんてとてもできそうになかった。でも、ポンバは自分に言い聞かせた。ミアを助けるにはこうするしかない。この鍋に入ってぼくのエキスを空中に散らばらせるのだ。
「ぼ、ぼくのせいで、こんなことになっちゃったんだ…ぼくが納めるしかないよ…」
ポンバは声に出していった。
「どうせ、ぼくは煮汁くらいにしかなれない。ほかにぼくがみんなの役に立つなんてありえないんだ。そう、ぼくはこのために生まれてきたのかもしれない…」とつぶやいた。
ポンバは思い出した。
(そうだ、魔女たちが言っていた。最初は熱いけど、がまんして入っていたら慣れてくるって…)
それでもなかなか鍋の中には踏み出せなかった。鍋のふちに手を触れることさえできない。全身がはげしく震えていた。鍋から発せられる熱だけでやけどをしそうだった。
ポンバは一歩あとずさると、助けでも求めるようにあたりを見まわした。
温泉ロボットの上あごらしい天井からは灰色の大きな管のようなものが突き出ていた。その先は魔女鍋のほうにむけられている。低い音をたてて、鍋からたつ湯気を吸いこんでいるようだった。(これで湯気を吸いとって、外にまくんだね…)ポンバはしばらくじっとその管を見上げていた。
外を巨大ゴーストが飛び回っているところをみると、この汁だけではやはり効果がないのだろう…
ふうとため息をつくと、ポンバは視線を戻した。大きな洞穴みたいな口の中をみわたす。ふと、温泉ロボットの歯のひとつが少しかたむいていることに気づいた。奥歯のほうだ。ポンバはその歯のところに行き、ひっぱってみた。歯は簡単に取れた。そして意外と軽かった。歯を魔女鍋のかたわらまで運ぶ。そしてその上に登った。全身からだらだらと汗が流れ出た。
ポンバはまたつばをのみこむと、目をつぶって大きく深呼吸した。歯をぐっと食いしばる。それから鍋に飛び込むために、ひざをすこしかがめた。
広場に悲鳴がひびいた。人々が逃げまどう。空をわがもの顔に飛び回っていた巨大ゴーストたちがつぎつぎに落下してくるのだった。「たすけてーっ!」「ああ、もうダメ!」
でもゴーストが人々をおしつぶすことはなかった。地面に落ちたゴーストはひどく小さくなっていた。落ちてくるにつれ、ゴーストたちの体はどんどん縮んでいくのだった。
地上で暴れまわっていたゴーストたちも、うめき声をあげながら、どんどんその体が小さくなっていった。
人々はあたりになんとも異様なにおいのする湯気が漂っていることに気がついた。その湯気に包まれるとゴーストたちは身もだえし、小さくなっていく。空を埋め尽くしていた雲型ゴーストも縮んで夕方の風に吹きはらわれていった。夕日が差し込んできて、荒れ果てた遊園地を照らし出した。
ゴーストたちはみんなすっかりおとなしくなって、同じ方向にぞろぞろと歩きだした。ゴーストハウスに向かっているようだった。みな穏やかな表情をたたえていた。
サソリ熊の前でラッギリーニ大佐が背筋(せすじ)をぴっと伸ばして敬礼した。「巨大ゴースト事件は、無事、解決しましたっ」
「ああ、ごくろうだったな」大佐のほうをろくに見ようともせず、ビーダンスケはなげやりに言った。
「しっかり、この目で確認しましたぞ」
大佐は手にもった双眼鏡を掲げてみせた。
「巨大温泉ロボの口の中に何かいるとの報告を受けましてな」
ラッギリーニ大佐は両端がはねあがった立派なひげの先をつまんだ。
「双眼鏡をばのぞきましたら、あらま、びっくり」大佐は得意げに指先で、ひげの先をぴんぴんとはじいた。
「あのナメクジめらは温泉ロボにのぼり、口の中に設置した魔女鍋に自ら飛び込んだのでございます!」かたわらに立っていたドドンタ少佐が「大佐、アメフラシでございます」と訂正してから付け加えた。
「やつの強烈なエキスが湯気となって噴射され、見事ゴーストめらを撃退したというわけです」
「やはり、わたしらの命令には服従(ふくじゅう)せにゃあならんと思ったのでしょうな」ラッギリーニは体をのけぞらせて豪快に笑った。
「我々の威厳(いげん)もまんざらではありませんなあ」
大佐は笑いながら、ベレー帽をずらし頭をかいた。
少しはなれたところでミアは、頭を垂れながらじっと彼らの話を聞いていた。
「それにしても、すごい効果ですな。かえってあの黒だんごより、醜さではまさり、よく効いたのでは」金色目玉魔女が目玉をぐりぐり動かしながら、まんぞくげに言った。
「黒だんごではない。だるま蝙蝠だろうが」とリーダー魔女が笑いながら訂正した。
その話をきいて、はっとしたミアは真っ白いつばさをぱっと広げて飛び上がった。まっしぐらに、温泉ロボットの間の抜けた顔に向かう。
「ポンバ、ポンバっ!」
ミアは叫びながら、あけっぱなしの口の中に降り立った。
魔女鍋のかたわらで、ポンバが倒れていた。ポンバは煮え立った魔女鍋にとびこむという恐怖と緊張のあまり気絶してしまっていたのだった。大佐が見たのは鍋にとびこんだのではなく、鍋のかたわらに倒れこんだ姿なのだった。ミアはほっと息をついた。
「だいじょうぶ? 」ミアはかけより、ポンバにふれた。
「ん、え?」ポンバは目をさました。ぼんやりした顔のまま、上半身を起こす。「あれ、ぼく…」ぼやけた声でつぶやく。「あ、ミア」ポンバはほほえんだ。それから目をみひらいた。「しまった!」ぱっと立ち上がる。
「と、とびこまなくっちゃっ!」鍋のほうに目をやった。でも、ふと首をかしげる。「あれ、でもミア…」あらためてミアを見つめる。「大丈夫なの、巨大ゴーストにつかまったんじゃあ…」
「あなたこそ、大丈夫?、汗びっしょりよ…」
そういってから、ミアの頭にある考えが浮かんだ。「もしかしたら…」
ミアは言った。「魔女鍋に飛び込まなくっても、その汗が鍋の熱で蒸発して、魔女鍋の湯気とまざって効いたのかも…」ミアは魔女鍋の上に伸びている管を見上げながら言った。
「きっと、そうよ。でも、ああ、よかった…」ミアはぼんやりしているポンバを見て、ふかく息をついた。
ポンバは温泉ロボの口の端に行き、前歯につかまりながら、外を覗き込んだ。
「あれ」首をかしげる。「ゴーストたちは?」
ミアはポンバのそばに行き、にっこり笑った。
「あなたが退治したのよ、その汗でね…」
ポンバはきょとんとしたままだった。
「さあ、おりましょう」といって、ミアはしゃがんで背中を向けた。
二人が地上におりたつと、サソリ熊たちの間で、ざわめきが起こった。
「あ、どろぼうねこっ!」リーダー魔女が顔をしかめて叫んだ。泥みたいな茶色のつばがあたりに飛び散った。金色目玉魔女もかっと目を見開く。いきおいよく飛び出しそうになった目玉をあわてて抑えながらだみ声を張り上げた。「お、おまえ、つかまっていたはずじゃ…」
それには答えず、ミアはきっとした目でサソリ熊たちを見渡す。
ミアの背中から降りて、きょとんとしているポンバをみて、みな驚きの声をあげる。
かっぱきづねのギザの指さす手は震えていた。
「ゴ、ゴーストになったんだな…」
「成仏しろ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とうろこぶたのウフォは手をあわせてうつむいた。目をぎゅっとつぶっている。ウフォも巨大ゴーストから解放されていた。
「あ」
ミアは地面から片手で何かをつまみあげた。
それは彼女の手の中で、「ひひん、ひひひん」となさけない声ですすり泣いた。ミニミニになった馬タコゴーストだった。ミアはそれをぽんと草がまばらに生えた広場に放り投げる。馬タコゴーストはにゅるにょろと去っていった。
「あっ、ミアをつかまえていた馬タコっ!」ようやく気付いて、ポンバが叫んだ。
ミアは胸を張って、ポンバの大量の汗が、ゴーストを元に戻し、みなを救ったことを説明した。
「……魔法スープのエキスとこいつのくさい汗が蒸発して見事にまじりあい、悪霊どもを全滅させたということか…」
太い毛むくじゃらの腕を組んで聞いていたサソリ熊が低い声で言った。
「煮なくても、その汗だけで、効果を表すなど、こいつはおそるべき金メダル級の醜(みにく)さだったということですな」ラッギリーニ大佐が感心したように言った。
「ぜんぜんちがうわよ」ミアのりんと澄んだ声が響いた。
いっせいにみな、夕日を浴び白く輝くその姿を見つめた。
「醜いから効果があったんじゃない。汗ににじみ出たきれいな心がゴーストたちにかかったのろいの魔法を解いたの…」
ミアはすらりと引き締まった腰に手をあててみなを見渡した。
「みんな忘れたの、ゴーストたちは毒とか悪いものをくらうと、生き生きとして強くなるのよ」
きりりとした声で彼女はつづけた。
「反対によいもの、美しいものが浴びせられると、ゴーストたちは力をそがれて、弱くなってしまうの……」
ミアは皆の顔をそれぞれじっと見つめた。
「つまりポンバは毒ではなく薬だったってこと…」
みな、あっけにとられて、口をぽかんとあけたまま、白く輝くミアの姿を見つめていた。
(ぼ、ぼく、温泉ロボットで気絶してただけなんだけど…)ポンバはうつむいた。
ミアは、ポンバにほほえみかけた。
「あたしの家に来ない。ギビマルくん、うちにいてもらっているの…」
「あ、はい…」
ポンバはうつむいたまま返事をした。
涼しい風が吹き、夕日に染まった草原が海のように波打っていた。
厚い黒雲はすべて吹きはらわれ、茜(あかね)色を含んだ白い雲がいくつかゆっくりと流れている。遊園地はだいぶん壊されていたが、あざやかな色彩が戻っていた。
ポンバが町を救ったという話はすぐに町じゅうに伝わった。ミアの話をきいた人たちが、近くの人に伝えているうちにどんどん広がったのだった。幸い、ポンバが失神した部分はそれほど強調されなかった。
ある日のことだった。ポンバが丘の上で、ギビマルと遊んでいると、こいぬが斜面をかけあがってきた。メルくんだった。メルくんはいきなりおしりをむけると、しっぽをいきおいよくふりふりした。「そーら、つかまえてみろ!」といってわんわんほえながら、丘をかけおりていった。
ポンバが広場をみおろすと、みんなでしっぽたっちごっこをしているのだった。カバガエルのコムトムくん、水玉カンガルーのモルアちゃん、たてがみラクダのピートン…みんな丘を見上げて、しっぽをふっていた。「はやく来い、そのちっこくてまるっこいのもだぞ」「逃げるなよ」
「よし、行こうっ、」ポンバはギミマルと手をつないで、丘の斜面をポンバなりのせいいっぱいの速さで駆け降りていった。
オカアメフラシのポンバ-巨大ゴーストと魔女鍋 @11N01346
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