異世界と現実を繋げる手法が素晴らしい

  • ★★★ Excellent!!!

まず、このレビューは小説をほとんど読まない人間が書いていることをご了承ください。また、文章の感想を求めるということは、それがその人にどのように伝わったかを確認するという意味合いが大きいと思われるため、この文章についての私の理解を記すことで感想と代えさせていただきます。また、私がそもそもなろう系に明るくないため、アンチなろう系的な要素についてはあまり触れられないかと思われます。すみません。
【レビュー】
まず、隆弘にとって突如現れた異世界は直近頭を悩ます兄の異常性のメタファーであると捉えられます。フリアに対するイナの振る舞いや、傷だらけのカーロ、川に映る兄の顔など、異世界は隆弘にとって異世界は当初、兄の暴力性を想起させる忌避すべきものでした。したがって、その世界の住人であるロイを決して自分だとは認めません。自分はあくまで兄を嫌う隆弘だからです。これは、9章まで守り続けられます。
しかし、異世界には異世界の状況があります。現実では眠って居留守をすることでやり過ごせた暴力性も、異世界では対応せざるを得ません。10章からは、徐々に隆弘が異世界に対応し始めます。しかしこれは隆弘がロイになっているとでも表現すべき状況であり、現実の問題は放置されていることには注意しなければなりません。ドラゴンという空想の象徴のような生物と闘いになるのは、あくまでこれが比喩としての兄との決闘であり、隆弘にとって現実の兄の問題を解決するものでは無いことを強調するものでしょう。
しかし、魔王戦では、隆弘が魔王を完全に兄と同一視することで兄との問題と異世界の問題が結合されます。これは、隆弘にとって既に異世界の問題も家族の問題も同じ方法で理解されるものであるということです。したがって、魔王を倒すことで、隆弘は寝て誤魔化したりせずに兄の暴力性と向き合うことになり、最終的に現実への帰還を選択します。
この現実と異世界の結合が、恐れるものへの変身といういかにもファンタジー的な要素で成り立っているのも非常に良いです。
あえて不満な点を述べるとすれば、当初はロイと隆弘という2つの概念が最終的に結合されたのに対して、優しい兄と暴力的な兄(=魔王)の結合が行われなかったところでしょうか。これでは、兄の優しい部分だけを信じていたとも取れるため、少々アンバランスな気がするとも言える気がします。
本当に楽しい作品でした。文章も平易ながら全く幼稚さは感じず、すらすらと読み進めることが出来ました。
ありがとうございました。