第三話 辺境で出会いがあれば、それはそれで良いこともある#1


 聖都『サンクテュリアス・モメント』


 それは人族の世界における宗教の中心地であり信仰の頂点の場所である。

 別名を『始まりの場所』とも言い、最初に作られた人族の都市であるとも言われていた。

 そして『白き神』が離れた今、もっとも尊き存在である『聖女』様によって導かれし聖域でもあるのだ。


 白く塗られた厳重な外壁によって囲まれ、教会衛士や教会騎士によって厳重に守られた街のあちこちには礼拝堂や神像といった宗教的モニュメントが建設され、なによりも公衆衛生の重要さを説いた白き神の教えに従い街中がくまなく清潔に保たれていた。

 この荘厳たる街の住民は神職に就く者や敬虔な信徒に限られ、日々信仰と奉仕によって生活している。

 生活に必要なものは全てその奉仕に応じて教会より配給・支給され、この街の住人は労働などという煩わしい仕組みとは無縁の生活を送ることが可能だ。

 勿論犯罪者などという不埒な存在などありえず、万が一にも悪事に手を染めるような不届き者がいるならば、それは異端者――悪魔の仕業だ。

 そのようなイレギュラーは、異端審問官の手によって速やかに排除され処理される。


 この清浄なる都市に不正や悪などが存在する筈もない――あぁ、素晴らしきかな聖なる都よ。



   *   *   *



 聖都の中央に位置する一際重厚な建築物――教会総庁。

 その中央上級執務区画に、憂鬱そうな表情を浮かべた二人の人物がいた。


「聖女様、辺境へご出立と……」

 部下であるまだ若い司祭からその報告を受け、祭祀服を身にまとった男――インティウス司教は盛大なため息を漏らす。

 聖女が聖都を離れる。それもなにかと因縁のある辺境へと。

「まったく気楽なものだな。自らは高みから思いつきを好き勝手に口にするだけで、それに伴う雑務は下々に任せていれば良いのだからな」

 教会総務を司る責任者である彼は、教会組織で何かが起きるたびにそのあおりをもっとも受ける立場である。

 やむを得ない事情によるものであるならともかく、ロクに事前の根回しもなく思いつきの一言で重大事を決められたのではたまったものではない。

(とはいえ、聖女無しでは組織が持たないのも事実だが……)

 『聖女』というネームバリューには、その無茶を押し通すだけの重みがある。

 教会組織事実上のトップであり、信者にとって具体的な信仰対象。もっともわかりやすい広告塔。名目上のトップは法皇だが、『聖女』無しで教会組織は成り立たない。

 それ故に聖女のやることに対してインティウスは最大限の配慮をしてきたし、後始末もやってきた。

 だがモノには限度というものがあり、越えてはならない一線というものがある。

「しかもその行き先がよりにもよって辺境領だと? 聖女様はどれだけ教会を引っ掻き回せば気が済むのだ?」

 教会中央部と辺境領の関係は、最大限婉曲表現を使ったとしても冷え切っており緩やかな対立状態だ。共通の信仰という点だけが辛うじて両者を繋げている。

 過去の出来事――教会の無理強いによる人族と魔族の戦争――によって忍耐と苦渋を舐め続けさせられてきた辺境の住民達は、上から下まで教会に対して反感をより強く持っているのだ。地元教会関係者による必死の取りなしがなければ、危うく辺境に反教会勢力が誕生するなどという悪夢が現実化していたかもしれない。

 なにしろ魔族との戦争で常に最前線だった辺境は、教会による朝令暮改が常習化した命令に振り回され続けてきた。

 神事と政争には抜群な手腕を誇る教会だが、軍事に関しては素人も同然だ。そのため王国に働きかけわざわざ王国騎士隊の反感を買いながら騎士団を成立させたぐらいには。

 そのくせ教会はせっかく作り上げた軍事専門家たる騎士団に実務を任せず、教会内部の権力争いによって無茶な命令や指示を乱発し、その度に前線である辺境は少なくない犠牲を払うことになったのだ。

 成立背景が故に教会に忠誠心を持つ騎士団はともかく、本来その必要が無いにも関わらず教会内部の政争に巻き込まれた辺境領としてはたまったものではなかった。

 そして、勇者の行動によって魔族と和平の道が開けた時、人々はようやく戦争が終わると胸を撫で下ろしたのだが、教会だけはひたすらに徹底抗戦を叫び続けたのである。

 当時の辺境伯の怒りたるや想像するに難くない。信者達ですら呆れ返るしかなかった。

 あくまでも和平に反対する教会内部の過激派が無謀な武力蜂起に至るものの、辺境伯と勇者そして流石に付き合いきれないと判断した騎士団によってあっさりと制圧されることになる。

 当然の結果として教会の権威は地の底まで落ち込み、迂闊な行動の代償として政治力や権力の大半を失うことに。挙げ句に教会武力の象徴であった筈の騎士団とも関係が悪化し、事実上の決裂状態になる有り様。

 本来中央と辺境で意見の相違など発生してはならないし、仮にあったとしても無理矢理にでも従わせるのが教会という組織のあるべき姿であったが、それすら不可能なまでに教会は混乱し弱体化することになる。

 多くの聖職者の首を飛ばし天文学的なリーブラを費やすことでこの一件は教会内の一部不届き者による暴挙であり人が作る組織の問題に過ぎないとなんとか矮小化に成功したものの、教会史上最大の汚点として百年たった今でも完全には風化していない。

 そのため今の教会は、辺境との軋轢を可能な限り避けるように振る舞っている。あまりに下手に出すぎではないかと不満を持つ聖職者は多数いるが、世間の目はそれ以上に厳しいのだ。

「やれやれ……ずっと聖都の奥深く引き籠もって世界平和祈願の聖句でも唱えていれば良いものを」

 今の教会に残された最後の権威は『聖女』の存在だけである。

 魔族との戦いにおいて勇者一行を助け、聖都から彼らのために様々な奇跡を起こしてみせた聖女の存在は、数々の教会の汚点を踏まえた上でもなお尊重すべきだと信じられているのだ――実際がどうであれ。

 その神格化された偶像がなんらかの問題を起こせば、教会の醜聞を過去にする努力が一瞬で水泡に帰す恐れさえあった。

「不敬ですよ……司教様。他の者の耳に入れば大騒ぎになりかねません」

「騒ぎたい者には好きなように騒がせておけばよい。どうせ口先以上のことはできんさ」

 そもそもの原因が『聖女』そのものなのだから。

 そしてなにより実際に事務処理を行っているのはインティウス達であり、仮に苦情を入れてもそれを受け取り処理するのもインティウス達なのだ。

「この時期に辺境で問題など起こされたら、教会はまた苦しい立場に追い込まれかねない。それでなくとも派閥バランスが微妙だというのに……」

(いや、バランスが微妙になったからこその暴挙かもしれないが)

 辺境領との関係悪化も重要な問題ではあるが、教会内部の派閥争いには終りが見えない。


 現在の聖都において主流を占めているのは『中央派』と呼ばれる聖女を筆頭とし、かつての威光を取り戻そうとする一派だ。

 それに対して主に若年・下位神職者の間で流行っているのは『信仰派』と呼ばれる信仰と奉仕を重視し現世での威光を求めない一派である。

 『信仰派』は弱小派閥であり、聖都においては疎んじられている存在だ。

 当然聖女の不興を買うことになり、多くは栄達の道を絶たれ辺境へと追いやられてきた。

 彼らは中央に対して良い感情は持ってないし、その中心である聖女に対しても好意的であるはずもなかった。

 更に厄介なことに聖女は聖女で辺境に対する侮蔑を隠そうともせず、魔族に汚染された忌むべき領域とすら思っている。

 このことで表立って聖女を非難する者などいないが、辺境からの恨みは根深いのだ。

「しかも、現在の辺境領は後継者選定中でごたついている。そんな時期を選ぶとは、聖女様はわざわざ火種を放り込みにゆくおつもりなのか?」

 ただでさえ関係は良くないというのに、さらにタイミングまでが最悪だ。

 こんな時に教会の権力者がやってくるなど、後継者選定に嘴を挟みに来たかあるいは教会に靡かない辺境伯に圧力をかけに来たと思われても仕方がない。

 本人にその気があるのかどうかは知らないが、重要なのは辺境側がそれをどう受け取るかだ。軋轢は避けられないし、面倒事にしかならないのは確実。

 狙ってこのタイミングなら最悪だし、狙わずにこのタイミングなら目も当てられない最悪だ。

「もちろん、お一人様で気楽なご旅行……とはゆかんだろうな」

「はい。今回のご出立には『聖騎士』様と異端審問官達を伴うとのことです」

「聖騎士に異端審問官、ねぇ……」

 ますます筋が悪くなったとインティウスは顔をしかめる。

 ただでさえ評判の芳しくない異端審問官に、聖女の指揮で特殊計画の下に誕生した『聖騎士』。

 その詳細は一切伏せられ、何を目的にどういう経緯で産み出されたのかもはっきりとしない存在だ。

 ただ一つ教会武官内でも屈指の強さを持っており、聖女のみに従うという事実のみが知られている――つまりは聖女の私兵だ。

「聖女様は、最近『コンコルディア=ロクス』を中心に、魔族の往来が活発化していることを憂慮しているとのことでしたからね。一種の示威行動のつもりなのでしょう」

「憂慮……憂慮ねぇ」

 もはやため息すら枯れ果てそうだ。

「人族の領域内で魔族が自由に行動しているのが面白くないという気持ちはわからないでもないが、百年前の和平条約でお互いの行き来が自由であると定められた以上そこは目をつむるしかないだろうに」

 心情については理解するが『それはそれ、これはこれ』だ。

 いかに聖女が魔族嫌いであったとしても、地位も知名度もある立場の人間には守るべき建前というものがある。

 不満を心内に抑え込み決して表に出さず最大限の利益を得るからこそ、その地位を認められているのだ。

「……まさか、王都より大きな裁量権を認められている場所で、魔族・異教徒狩りをおっ始めようとか言うのではあるまいな?」

 流石にそこまでの無茶苦茶を押し通すとは思いたくもない。

 仮にも国と国の間で結ばれた条約であり、教会は王国の政治に関与はしない建前となっている。

 それを無視して大暴れした過去が、今のこの窮状だ。

 再度同じことを始めようならば、今度こそ辺境も王家も、そして騎士団すらも完全に敵対するだろう。

「聖女様自身は、そんなモノは認めた覚えがないということなのでしょうね」

 勇者が目指した和平に対して最後まで反対し、実際に和平が成立した後ですら強硬姿勢を崩さなかったのは聖女だ。教会の暴走は聖女の姿勢に引きずられた面が大きい。

 教会が誕生した瞬間からその地位にいたと伝えられ半神とも言われる聖女。

 それが本当の話かどうかは解らない。

 だがインティウスが物心付いた頃から聖女が代替わりせず同じ容姿を保っているのは事実だし、記録上も聖女の名前は一つしか記されていない。

 そんな神秘の具現化である聖女の意向に信徒達が逆らうのは、到底ありえない話だったのだ。

「王族と勇者の勝手で魔族と和平を結ぶなどという暴挙がまかり通ることになったが、あれら異教徒は我々『教会』にとって不倶戴天の敵。いずれ滅ぼさなければならぬ相手なのだ――」

 まだ若い司祭が疲れたように言う。

「――と考えるのが中央派ですからね」

「個人的な嫌悪に関して物申すつもりはないが、公人なら少しは分別というモノを弁えて欲しいものだ」

 フンとインティウスは鼻を鳴らす。

 いずれ魔族を征伐し人族の下に従わせる必要はあるのだろう――それが教会の存在意義だというなら。

 教会に属する者としてそれに反対するつもりはない。いつまで自分自身がそこにいるかは知らないが。

 組織人として教会の方針には従うが、職責を辞した後までそれに縛られるつもりはない。

(信仰と生活は不可分ではないということぐらい理解して欲しいものだがな)

 確かに民衆の生活と神への信仰は日常として密接に結びついている。


 そう。確かに結びついている――だが、結びついている『だけ』だ。


 その結びつきがあればこそ今までの失敗は誤魔化され、許され続けてきた。

 だが紐の結び目は永遠ではない。手を加えれば解くことができるし、力を込めれば引きちぎることもできる。

 その兆候は既に見え始めているというのに、聖女の目には映らないらしい――いや、映っていても大したことではないと思っているのかもしれないが。

(さてはて……こちらから苦言を呈したところで意味は無いし聞く耳も持たないだろうが)

 異端審問官も聖騎士も聖女直轄で、その必要経費は聖女の私財から捻出されているため教会は一切関与することができない。

 そのため彼らの活動は全て闇の中であり、法皇の指示すら受け付けない不可侵の存在となっていた。

 たかだか一司教に過ぎないインティウスの言葉など文字通り馬耳東風だろう。

「それがですね……なお厄介そうなのが」

 さらに悪い知らせを口にする司祭。

「聖遺物保管局の同僚によると、聖女様が聖遺物『神の杖』を複数持ち出したとのことです」

「『神の杖』、なぁ……」

 教会で厳重に保管されている数多くある聖遺物。神が残したという奇跡を秘めた道具――アーティファクト。

 その全てが比類なき力を秘めていると言われ、その一つ一つに大いなる伝説と逸話が秘められている。

 聖遺物の管理・運用は聖女によって完全に隠匿されて行われるため、名前こそ知っていてもその実態は不明な物も多い。教会とは即ち聖女のための組織であると示しているようなものだ。

 さて聖遺物の中には『生命の杖』や『真理の水晶球』など、名前からその用途が予測のつく物もある。


 だが『神の杖』。


 杖と言うからには形状としては杖なのだろうが、その用途や効果は想像できなかった。

(御大層な名前だが、どうにも良い予感はしないな)

 それを複数個も持ち出したということはなんらかの意図があるのだろうが、なんのつもりかわからない。いくらなんでも辺境領に直接的な被害をもたらす広域破壊兵器の類だったりはしないだろう……しないよな?

(はぁ。そんな当たり前のことすら心配せねばならんとはな)

 『聖騎士』に『聖遺物』──どう転んだところでロクなことにはならないと簡単に予想できるだけに頭痛は酷くなる一方だ。

 聖女と魔族の間にどんな因縁があるのか知らないが、まるで親の仇かのような態度。そして自分自身以外一切を顧みない思考。

 なるほど。聖女様の思考は人とは次元が違いすぎて何やらさっぱり想像もつかない。

「『カテナティーオ騎士団』のサーニリカ騎士団副長、それに近衛騎士師団のザーニッツ百騎士長に面会の要請を」

 我々の先達が苦労に苦労を重ねてようやく成立させた『カテナティーオ騎士団』も、聖女サマの無茶が祟り随分と距離を置かれている。王国騎士隊の精鋭である近衛騎士師団との関係は元々からして悪い。

(くそっ……! 騎士団なんて面倒なモノをでっち上げるから色々と面倒になる。王国騎士隊をうまく利用していれば余計な手間も暇も必要なかったものを!)

 なにか騒ぎが起こることが確定している以上、曰く付きの相手であれ関係各所に根回しを行っておく必要がある。対処療法などと呑気に構えていたのでは、なにもかも手遅れになってしまう可能性が高い。

「騎士団はともかく、近衛騎士師団となると今から手配しても一ヶ月は必要となりますが……」

「まぁ、色々と間に合わないだろうが」

 渋る若い司祭の言葉に、インティウスもため息交じりに答える。

「だからといって確実に訪れるであろう馬鹿騒ぎに備えないわけにもいかないからな。全力を尽くしておくにことしたことはない」

 こちらの要請に、騎士隊はそれは懇切丁寧に見事なお役所仕事で対応してくるだろう。無限迷宮が如くな窓口のたらい回し。遥か高き山の如く積み上げられるであろう書類群。

 はてさて、どれだけの人的資源と時間に予算を費やすことになるのか。

(はぁ……こちとら薄汚れた小物聖職者に過ぎないってのにな)

 実に面倒くさい。

 だが、信仰と教義が自分の地位と財産を保証してくれているのだ。だから敬虔な信徒として神に仕えよう。

 だからこそ教会と信仰を揺るがすような真似は許さない。たとえそれが『聖女』であったとしてもだ。

「なんとか穏便に済めば良いのですがね」

「たいして期待もできないが、良い話もあるぞ」

 若い司祭の言葉に、インティウスが薄く笑って答える。

「異端審問官らの言葉によれば、今辺境には『賢者』の血筋が二人滞在しているという話だ」

 『賢者』。それは聖女をもってしても手に余る変わり者達。

「この百年、幾度となく聖女の嫌がらせをくぐり抜けて来た一族。こちらの対処が効果を発揮するまで上手く切り抜けてくれることを願おうじゃないか」

 魔族との戦争中、勇者に協力することはあっても聖女には一切従わなかった者達。

 それが原因で聖女から敵視されている。もっとも勇者に対する貢献が大きいため神敵認定まではされず裏でつけ狙われる程度に収まっているが。

 聖女と敵対して無事(?)に済んでいるという意味では、魔族よりも強かな連中とも言えるだろう。

「我々がこれほど頭を痛めているのに、せっかくの天敵がぬくぬくと過ごしているたのでは神の名の下に公平であるべき原則に背いていると言わざるを得ないだろう。能力を持つ者に相応しい対応を期待しても、バチは当たるまい」

 そんなわけないでしょう。

 若い司祭は即ツッコミをいれそうになったが、幸いにして耐えきることに成功した。



   ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆



「へっくし!」

「うわ。突然どうした」

 ちょっぴり遅めな昼食。そのテーブルでレティシアさんが急にくしゃみをした。

「風邪を引くような季節でもあるまいが、気でも緩んだが?」

「あー、えっと。そういうわけではないと思いますけど」

 もう一度くしゅんとくしゃみをした後、レティシアさんが答える。

「誰か噂でもしているんじゃいかと」

 あー。噂されたらくしゃみが出るって話だし、レティシアさんぐらい有名人なら噂話の一つや二つどこかでされてても不思議はないし。

「ふむ。身体に不調がなければそれはそれで構わぬが」

 スプーンでスープを掬いつつアイカさんが続ける。

「探索者にとって身体は資本であろう。気をつけるが良いぞ」

 そんなアイカさんの様子を見て壁際に控えているシータさんが一瞬表情を動かしたものの、口にしてなにかを言うことはなかった。

 この屋敷内というかアイカさんの前でマナーその他について細かく言うのは半分タブーみたいになっている。

 本人がそれを嫌がっているし、実際魔族領内ならともかく人族領では単なる探索者の一人にすぎないアイカさんがマナーその他を強いられる理由もなかったから。

 シータさんはなにか思う所もあるみたいだけど、雇い主であるアイカさんには従う意向みたい。

 まぁ、アイカさん。必要を認めればちゃんとした態度も取れるみたいだしね。問題があるとすれば、その『必要を認める』場面がなかなか無いことだけど。

「にしても、レティシアよ」

 今度はソーセージをフォークに突き刺したまま、左右に振るアイカさん。

 あ、シータさんの肩がプルプル震えてる。この人、元は結構高い地位の貴族さんの家で侍女をやってたらしいので細かいこだわりすごいんだろうなぁ……。

 というか、侍女やってた人がメイドの立場に望んで甘んじているというのも不思議な話だけど。

 それでも自制しきっているんだから、昔の人ってかプロって凄い。

「誰かに噂されるとしても、お主の一族では色々と面倒そうではないか?」

「といいますと?」

「実に名前が紛らわしい。なぜ先祖のレティーシアと似たような名前なのだ」

 そんなことを考えているわたしの横で、なお行儀悪く言葉を続けるアイカさん。

 こう言ったらなんだけど、どれだけ行儀悪く振る舞っていても、なんというかそれが様になる人っているんだなぁ……。

「名前の価値についてとやかく言うつもりはないが、個人を識別するためには似ていない方が便利であろうに」

 あぁ、なるほど。

 たとえば誰かが噂しているとしても、それはレティシアさんじゃなくてひいひいおばあちゃんのレティーシアさんと名前がごっちゃになっている可能性もあるわけで。

「なぜ? と言われても困ってしまいますが」

 右頬に指先を当てながらレティシアさんが答える。

「母はリティシアですし、祖母はラティシアですからね……まぁ、一族の伝統? みたいなものですか」

「……なんとも不可解な伝統であるな……というか全員紛らわしいぞ」

 はい。わたしも完全同意します。家族内でもたまに事故ったりしないのかな?

「まぁ、私とひいひいお祖母様の名前が似通っている点については一応意味もあったりしますけどね」

「ほぉ。それは興味深い話だな」

「と言っても単純極まりない話です」

 アイカさんとは違いカトラリーをテーブルの上に並べナプキンで口元を拭いながら答えるレティシアさん。

「ひいひいお祖母様の悪行を、私の名前で上書きしたかった。それだけですよ……一族としては」

「……えぇ?」

 思わず言葉が漏れてしまったのも仕方ないと思う。理屈はわかるのだけど、わたしの感覚としては随分と酷い話に聞こえてしまう。

「そこらの悪名など気にしないのが一族の風習ですけど、流石に不老ともなりますと笑ってばかりもいられませんので」

 手元のグラスから水を飲み、喉を潤しつつ言葉を続けている。

「私が色々と頑張ってレティシアの名前を広めれば、後は自然にレティーシアの名前と混じり合い最後には飲み込まれてしまうだろうと。随分と気の長い話ではありますけどね」

「ふむ……それは逆にレティシアの名前が飲み込まれる可能性もあると思うのだがな」

「確かにその危険性もありますけど」

 アイカさんの指摘にレティシアさんは軽く肩を竦める。

「全体で見れば、人は耳に快い話の方を好みますからね。教会としても宿敵レティーシアひいひいお祖母様の名前なんてさっさと忘却の彼方に押しやってしまいたいでしょうし。そこのところはうまくやってくれるんじゃないですかね」

「それはそれで酷い話だな」

 盛大にため息をもらすアイカさん。

 それって要するに一人の人を、まるでこの世界には存在しなかったかのように消し去ってしまうのと同じこと。

 もし自分が同じような目にあうのは……すごく嫌だなぁ。

 もちろんわたしは歴史に名を残すような偉人ではないし、積極的にそんなことをしなくても自然に忘れ去られるだろうけど。

 でも積極的に名前を消されるのはなんか違う。罪人だってそこまでの扱いをされる謂れはないと思うし。

「自分で言うのもアレですが、変わり者集団として知られている一族の中で私は比較的まともな意味での有名人ですし。ひいひいお祖母様には悪いですけど名前が飲み込まれる心配はありません」

 確かにレティシアさんは賢者として有名人だし、悪い噂を聞いたことはない。実際には結構な変人だったけど……それは、まぁ。

「それに名前が埋もれれば、ひいひいお祖母様にも付け狙われる心配が減るというメリットもありますし。やらかしのお陰で異端審問官に追い回されている現状を考えれば、名前なんて大した問題じゃないのでしょう」

「お主の一族も、色々と大変なのだな」

「えぇ、まったく」

 どこか同情するような目線になるアイカさん。そしてなんだか悟りきったような目のレティシアさん。

 有名な人って、やっぱりアレコレ大変なことがあるんだなぁ。

 表には出さないけど、アイカさんも色々と抱え込んでいることはあるみたいだし。

 ま。わたしみたいな平凡極まる一般人でも少なからず抱え込んでいる事情はあるのだから、それもそうか。



「ご歓談中、失礼します」

 わたし達の話が一段落つくタイミングを見計らったかのように、ライラさんがすっとテーブルに近づいてきた。

 ライラさん、ちょくちょくわたしが気づかないうちに側までやってくることが多い。

 一応レンジャーの端くれであるわたしとしては、誰かが接近してくる気配を察知し損ねるのは……なんというか、うん。悔しい。

 と言っても人型をしているとはいえライラさんはエルダー・ゴースト。そもそも気配で察知するような相手じゃないんだけどね。

 それでも悔しいものは悔しい! もっと精進せねば!

「アイカ様宛にお便りが届いております」

 心の中で力こぶを作っているわたしの横で、そう言いつつライラさんが銀のトレイに乗せられた封書をそっと差し出す。

「ほぉ? 珍しい。余に封書とは一体どこの誰が――」

 その封書を手に取り中身を一読したアイカさんがすっと目を細めた。

「なるほど、なるほど。あの食わせ者。ようやくなにやら始める気が起きたようだな」

「食わせ者? どちらからの封書ですか?」

 クックックッと低く笑うアイカさんにレティシアさんが尋ねる。

「なぁに、ツヴァイヘルドの若造からの手紙よ」

 そう答えつつ封書の中身をポイっとテーブルの上に投げ出す。

「どうやら余らに倉庫からの物品回収、そしてヒューリットとかいう商人との商談の護衛。それらをギルド経由ではなく直接依頼したいとな」

 聞く限りはなんの変哲もない普通の内容。強いて言えばギルド経由じゃないのが珍しいぐらい。

 それにしたって多少は名が知れているパーティーなら、そこまで珍しいことじゃない。

 少なくともアイカさんがこんな反応を示すようなモノじゃないと思うのだけど……。

「ふん。彼奴ら『紐付き』の意味を忘れているのかと思うておったが、ようやく面白いことになりそうだな」

 いかにも楽しげに笑うアイカさんに、わたしとレティシアさんはなんとも言えない表情で顔を見合わせた。

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ガールズ・ハートビート! ~相棒は魔王様!? 引っ張り回され冒険ライフ~ 十六夜@肉球 @izayoi_at29q

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