第8話:黒き剣
俺は、俺の前世がどういった人間だったのかを覚えていない。
転生したとは言っても、なんとなく現代日本での暮らしを覚えているだけに過ぎない。前世で自分がどういった人間だったのか、何処で何をして生きていたのかが全く分からない。それでいて現代での知識だけは覚えている。
こことは違う世界の知識を持ったこの世界の住人。それが俺、クラウス・ドラグニアだ。
しかし、この世界での生活に戸惑った事は無かった。何故なら俺にあるのはあくまで別世界の知識だけ。言わば、本の内容を記憶しているような感覚だ。これが個人としての記憶があったならまた違ったのだろうが、それはもしもの話だ。
けれど……俺の前世がどういうものであったかと問われれば、きっとロクでなしでつまらない人間だと答えるだろう。
何故なら、もしも俺が真っ当な人間であったのなら、こんな惨状を前に平然としていられない。
「……………………」
視線を下に向ければ、無数の斬殺死体が月明かりに照らされていた。そう、全て俺が斬り捨てた者達だ。当然だが、彼らは一般の人々ではない。この地を根城とする盗賊団だ。規模こそ以前の盗賊より少ないが、それでも周囲の村に被害が出ている為、討伐依頼がギルドより出された。そしてその依頼を受けて、俺は討伐へと乗り出した訳なのだが、彼らを討った際にとある事に気づいたのだ。
「何も感じない、か。やはり俺は人でなしだ」
人を殺した事への不快感、罪悪感を感じなければ殺人鬼などに見られる殺人による快感も、悪を討ったという達成感も当然無い。人が人を殺すという禁忌を成した際に発生する心の騒めきが、何一つとして湧き出さないのだ。当然と言えば当然か。何せ初めて人を斬った時でさえさざ波程度の感情しか湧かなかったのだから。そして今やどれだけの人を斬り伏せようが、心は凪いだ湖面の如く、何一つとして揺らがない。
三つ子の魂百までとも言うように、そんな愚かな男がたった一度の転生で激変するだろうか。俺はそうは思わない。つまり俺という男は、無意味な存在だったのだろう。
「俺は、あの子とは違う。あの子のようにはなれない」
思い浮かぶのはこんな男を兄と慕ってくれた妹。今や人類の希望たる勇者へと成長した俺の誇りだ。彼女はきっと、こんな盗賊達でさえその死に心を痛めるのだろう。それを甘さと呼ぶ人間もいるが、俺からすればそれは紛れも無い強さだ。
「さて、依頼も達成した。後はギルドに報告するとしよう」
これ以上ここに留まる必要も無い。後はギルドに戻り依頼達成の報告を────
「ッ!?」
瞬間、背後から何かを感じた。周囲を見渡すが誰もいない。だがしかし、今もなお感じるのだ。殺気とも違う何かを。まるでこちらを値踏みするような気配を。
敵意も害意も感じない。まるで研究者が対象を観察するかのような無機質な視線だ。
「……誰だ?」
問いかけるも、返答は無い。しかし気配は今もなお感じている。いや、おそらくこれはわざと気配を発しているのだろう。それでいて気配の元を探ろうとすると陽炎のように気配を分散させられてしまい、正確な位置を掴めない。
────瞬間。
「ッ!?」
木々の間より俺目掛けて鋭い斬撃が飛来してきた。俺の胴を両断せんと放たれたそれを、俺は咄嗟に鞘より抜いた刀剣にて受け止める。
しかしその時、俺は刃に伝わる衝撃を通して感じた“このままではまずい”という危機感に従うように咄嗟に斬撃を後方へと受け流した。するとその斬撃は俺の後方にある木々へと枝分かれして八つの斬撃痕を刻み付けた。信じ難い事だが、あの一撃には複数の斬撃が内包されていたのだ。対象に直撃、あるいは受け止められた瞬間に内包された斬撃が爆弾のように解き放たれて対象を斬り刻む。
更に恐ろしいのが、この斬撃は魔力を含まない純粋な剣技であるという事だ。純粋な技術を以ってこのような人外の秘剣を行使した事実に驚愕するしかない。
どのようにすればこんな異形の剣技を可能とするのか不明だが、今の攻撃だけでも相手が凄まじい実力を持っているのは明確だろう。
続く追撃を警戒して意識を集中させるが、予想に反して追撃は一切来ない。
『なるほど、流石と言うべきか。この程度では挨拶にもならないらしい』
代わりに聞こえてきたのは声だった。声音からして若い女の物だろう。話しかけられた事に若干面食らいながらも俺は問いを投げかける。
「お前は誰だ?」
『申し訳ないが、今はその質問に答えられない。故に、そうだな……君の同類と答えておこうか』
「俺の同類?」
告げられた言葉に思わず聞き返せば、帰ってきたのは含み笑いだった。
『意味がわからない、といった表情だな。結構、今はそれでいい。いずれはしっかりと顔合わせをしようじゃないか。故に──』
瞬間、俺は全身に走る警報に従い臨戦態勢に入った。殺意も敵意も感じず、しかし死への危機感のみが総身を貫いた。
『これを、餞別として受け取るといい』
その時俺は確かに見た。闇夜の中で尚黒く輝く刃の閃きを。
言葉と共に俺へと放たれる六つの斬閃。その一つ一つが先程のように無数の斬撃を内包している事が容易に分かった。
「(狙いは俺の四肢、胴、首。対処法は先程と同じく受け流す剣技)」
思考は一瞬、すぐさま引き抜かれた刃が無数の剣閃を描き、斬撃の全てを別方向へと逸らした。
確かに恐ろしい剣技だが、これは既に一度見ている上に剣で受けた物と同じだ。であるなら、対処は容易だ。
────更に。
「見切ったぞ。なるほど、
振るわれる刀剣からカマイタチのように放たれる斬撃。それは稚拙ながら相手の物と同じ一撃の中に無数の斬撃を内包した刃の爆弾である。
それは真っ直ぐに未だ姿を見せぬ謎の女の元へと向かっていき、
「────」
防がれた。しかも自分のように斬撃が周囲へ放たれる前に逸らすのではなく、解き放たれた斬撃全てを真っ向から打ち落としたのだ。
一体どれだけ素早い剣戟ならそんなデタラメを可能とするのか。相手への警戒が更に跳ね上がる。
『おめでとう。君は今、新たな剣をその身に宿した』
俺の様子に女は満足気にそう言った。
『そして確信したとも。君が、君こそが私の片割れだと。顔を隠してまでここへ来た甲斐があった』
「お前は一体……」
『先の襲撃は詫びよう。今日はこれでさよならだ。再会を楽しみにしておこうか、もう一振りの神剣よ』
その言葉を最後に、女の気配は一瞬で消えた。声がした場所へと歩いていったが、当然ながら誰もいない。
「ふむ……」
先程の剣技、あれは間違いなく一つの流派において奥義とされる物だろう。しかもあの完成度の高さはそれこそ剣を極めんとする者が持つソレだ。
更に特徴的なのがもう一つ。
「黒い剣を持つ剣士……聞いた事が無いな」
あの剣。夜の森の中で尚存在感を放つ漆黒の剣。そのような武器を持つ剣士など、俺は知らない。
何より、最後のあの言葉。
「もう一振りの神剣、か」
少し、調べてみる必要があるかもしれない。
■
「神剣の二つ名を持つ冒険者?」
俺の質問に対してティナはキョトンとした表情で聞き返す。
「ああ、別に冒険者でなくともいい。神剣が付く二つ名、あるいは武具でも構わない。何か心当たりは?」
「うーん、思い当たらないかな。似たような二つ名なら知ってるんだけどね」
「ふむ、例えば?」
「グリンガルト聖教国に所属している騎士なんだけど、“白翼の神盾”なんて二つ名を持ってるね。あそこは宗教国家だけど、二つ名に神の字が入っているのは一人だけだよ。後はだいたい部隊の名前だね」
そう言いながらティナは注文したサラダをフォークに刺して口に運ぶ。どうやら彼女の知る限りではいないらしい。では、次だ。
「なら、黒い剣を持つ剣士の話などは?」
「黒い剣?」
俺の問いにティナは食事の手を止めて訝しげに俺へと視線を向ける。
「ねえクラウス、何があったの?キミがそこまで他者を調べるなんて、何かがあったとしか思えないんだけど」
流石に露骨過ぎたか。ここへ正直に答えよう。
「実は──」
そこで俺は先日の出来事を打ち明けた。すると、
「黒い剣を持った剣士?」
「ああ、何か知らないか?」
俺の問いにティナは腕を組んで考え込んだ後、小さく息を吐いた。
「ごめん、分からない。黒い刃の剣ってだけなら該当する人は結構いると思う。だけど、クラウスの言う特徴を満たす程の剣士はやっぱり思い当たらないかな」
「そうか……」
「そもそもその襲撃者の口振りからすると、明らかにクラウス個人を狙ってたって事だよね?」
「だろうな。それに奴の実力、あれは恐らく金級に伍する者のそれだ」
「うへぇ……」
その言葉にティナは盛大に顔を顰めさせた。
「未登録の金級クラスの剣士かぁ。しかもそいつって確か神剣を自称してたんでしょ?」
「実際に名乗ったわけではない。しかし奴は神剣の名を知っていたようだった。だが……」
一つだけ、奴の言葉に引っかかる部分があった。
「(片割れとはどういう意味だ?)」
意味が分からない。全くもって理解不能だ。俺はただの凡人だ。力も、才も、何一つとして特別な物は無く、この身には果たすべき使命も、定められた運命も持ち得ない。ただ、少しばかり刃を振るうのが上手いだけの人間なのだ。だというのに、何故?
「(何故、奴の言葉がここまで引っかかる?)」
世迷言と切り捨ててしまえばいい筈だ。道化の放つ戯言でしかないと一笑に付してしまえばそれで済む筈だ。だというのに、奴の言葉が棘のように心に刺さったままでいる。それが、何故だかもどかしい。
「考えた所で答えは出ない、か」
そう結論付けると、俺は手元の杯を一口で飲み干す。
「時間を取らせて済まなかったな。詫びとして食事の代金は俺が出そう」
「いやいや、別にいいよ。結局私じゃ力になれなかったし。あ、そうだ。ギルド長に聞いてみたら?あの人結構顔が広いし、何か知ってるんじゃないかな」
彼女の言葉に、俺は目から鱗が落ちた。そうだ、彼女ならば何か知っている可能性が高い。
「そうか、その手があったか。ありがとう、聞いてみる」
「どういたしまして」
ティナに礼を言うと、俺はギルド長に会うべく受付へと向かった。
■
あの後、意外な程あっさりとギルド長に会える事になった。多忙な筈なのだがいいのだろうかとも思ったが、ここはご好意に甘えさせてもらおう。
「それで?私に聞きたい事があるとか?」
「はい、まずは先日起きた事をお話します」
そこからはティナにしたように襲撃者について全て話す。
「なるほどねぇ。それで君はその襲撃者について調べていると」
「その通りです。ですが、今の所進展は無く、ギルド長ならば何か知っているのではと」
何せ目の前の彼女は数百年を生きる魔女だ。蓄えた知識量は他の追随を許さない。
「君がティナに言われたように、まず冒険者に君の言う特徴に合致する者はいない。黒い剣というだけならいない訳では無いが、それでも神剣の異名を持つ剣士となると、私の知る限りでは存在しない」
「そうですか……」
困った。そうなるといよいよもってお手上げだ。手掛かりが何一つとして見当たらない。
「だが、それはあくまでこの地に限った話だ。視野をもっと広げてしまえば、前提はあっさりとひっくり返る」
「それは……」
ギルド長は紅茶に口をつけると小さく頷いた。
「そう、我らの敵対者である“魔族”に目を向けた場合は別さ」
『魔族』。
ヴェルニア王国のみならず、人という種族そのものに敵対している者達の総称だ。罪の化身、神に唾吐く者共と様々な呼び名がある。人の歴史は魔族との戦争の歴史という言葉がある程、はるかな太古から争い続けている。
「奴らの中でも幹部クラスの存在には二つ名が付けられている。例えば、『
「ええ、その名は俺も知っています。かつて、一つの街を一刻で血の海に変えた殺戮者だとか」
魔族の中でも屈指の危険人物。目に写る命全てに破滅を与える滅亡の剣。かつて数多の戦士が挑み、そして誰一人として帰ってこなかったとされる。ギルドでも国から依頼書が出されており、しかし誰一人としてその依頼に手を出す者はいない。何故ならその依頼書そのものが冥府への片道切符と言われているからだ。
「そう、奴のように実力のある魔族には二つ名が与えられる。言わば、勲章のような物さ。そして、奴らの中にただ一人、誰にも正体が明かされていない者が一人いる」
「正体を明かされていない?」
「そう、奴は滅多に姿を現さないのさ。私も姿を見た事は無い。だが、その実力は本物だ」
「そいつの名は?」
「残念だが顔も名も、知る者は一人もいない。ただ一つ、奴の二つ名だけが報告に残っている」
その異名を、俺は決して忘れる事は無いだろう。運命を持たない筈の俺の身に、小さな楔を打ち込んだその異名を。
「孤高に座する無二の剣。天をも斬り裂く
自称凡人の斬滅神剣 タマネギ1 @TAMANEG
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